異変 ③
「私たちの時代から……!? 思っていた以上に古かったのね……。これまでずっとそのような家柄には見えなかったけれど……」
予想では数百年ほどだと思っていたが、倍以上の歴史があった。それならもっと誇ってもいい気はするが、当の一族は清々しいほどに興味がない。そのおかげでいろいろと気が楽なのは確かだが。
それを聞いていたテオドルスは、何かを思いついたかのようにハッとする。
「姉上は、地位は持たないけれど武に優れた家に嫁げるかもしれないという話があったな……。そうか……嫁ぎ先は、ローヴァイン家だったのか……。では、私とローヴァイン家はおよそ千年離れた親戚ということになるのか……」
「なんでそうなる……?」
「エゼルベルトおじさんが見つけた楽譜は、どうやらローヴァイン家に代々伝わる楽譜らしくて──それが、テオのお姉様が作曲したものらしいのよ」
「は?」
にわかに信じられないという声をラウレンティウスが出すと、テオドルスは楽譜の一部分を拡大させた画面を見せてきた。
「ほら、ここ。私の姉上の名前は、ベレンガリア・マルグリット・フォン・ラインフェルデンだった。この楽譜に書かれている署名は凄まじく下手クソだけれど、ベレンガリア・マルグリット・ローヴァインと書かれている」
「……本当ね。とても癖が強い文字だけれど、ベレンガリア・マルグリット・ローヴァインと書いてあるわ」
「いや……待て。そもそも、テオドルスの実家は、ヴァルブルク王家と深い関係があった貴族だろう。なんでそんな大貴族ともいえる家の出身の令嬢が、まだ貴族でもなかった家の男と結婚できるんだ」
ラウレンティウスの疑問はもっともだ。特殊な事例はあれど、普通は地位の離れた家柄の者とは結婚しない。
「功績があれば、例外的な結婚も許される──あの時代の戦争は、それほどのものだったんだ。まあ、表沙汰にしにくいことであるのは確かだけれどね。それに、自慢ではないけれど、ラインフェルデン家に生まれる子どもは変わり者が多くてね。私の双子の弟たちと妹だって、貴族と結婚することなく大道芸人としての道を選んで家を出ていった。姉上の場合は、昔から結婚するなら貴族としての責務から開放された家の人としたいと言ったんだ。両親と当主である兄上が、その願いを果たすために奔走してくれた結果、嫁ぎ先がローヴァイン家になったのだろうね」
「ってことは、ローヴァイン家の変わり者の血は、ラインフェルデン家が源流だったってことか?」
クレイグがその部分に着目すると、テオドルスは笑った。
「ははっ。そうなるだろうね。たまに私の家族のような、妙な既視感があるなとは思っていたけれど──まさか遠縁にあたる一族だったとは思わなかったな」
「テオドルスとローヴァイン家が、姫さんと俺と同じような関係か……。奇妙な縁なこった」
ダグラスは、しみじみと呟く。
「本当ですね。それに、ヴァルブルク辺境伯家と強い繋がりのあったラインフェルデン伯爵家とヒルデブラント王家が、約千年の時を経た現代でも縁があることに驚きで──」
ある種の衝撃な事実が発覚した、その時だった。全員が何かの気配を感じて口をつぐむ。
それは、人間よりも強い力を持っている存在。しかし、敵ではない。突然に現れたが、露骨に気配を主張しながらも殺意がなく、攻撃を仕掛けてくる様子もないからだ。こちらの様子をうかがっている。
「……何の用だ? わたしたちは、この国の責任者からの依頼を受けてやってきた。わたしたちにはこの地を害する意思はない。そちらが星霊であることも判っている。──姿を見せてはくれないか」
アイオーンが気配のするほうへ振り向き、遠くまで届くように声を張った。
そして、ユリアたちから少し離れた場所で、何かが姿を現した。
「──」
人間ほどの大きさのある、大きな亀に似た星霊だった。顔や手足は岩のように硬そうな質感をしており、ところどころに鋭い突起を生やしている。亀に似た星霊は、言葉を一切発しようとはせず、ユリアたちを見定めるようにジッと見つめ続けていた。
「言葉を使わない星霊かしら……。魔力を使って、意思を読み取りましょう」
星霊は、人間よりも魔力の扱いに長ける種族だ。そのため、人間が作った言葉を使わずに魔力を介して意思を伝える者もいた。
魔力での意思疎通は、物に込められた情報の読み取る技術とはまた違ったものである。なので、この星霊と会話ができるのは、ユリア、アイオーン、テオドルスの三人。
アイオーンは、無言で星霊に近づいていく。すると、星霊から意思が込められた魔力が発せられた。ユリアがそれを読み取ると、星霊はアイオーンを見て驚嘆していることがわかった。この星霊もアイオーンのことを知っているのだろう。
「──わたしにも、いろいろあった。しかし、そのことを聞くために来たわけではないだろう?」
アイオーンの言葉に、星霊は肯定の意を魔力で伝える。それから、意思の込められた魔力がしばらく飛び交うと、アイオーンの顔が何かを訝しがる雰囲気をまといはじめる。
「……この者によると、ここの母なる息吹が、数日前と比べて少し弱まっているらしい」
そう言いながら、アイオーンは仲間たちのほうに顔を向けた。
現在、母なる息吹が弱まる速度は、年単位でも微弱な量だと言われている。それなのに数日という短期間で弱まることは間違いなく異常現象だ。昨日とおとといは、ユリアたちは街にいたためこの地の母なる息吹の異変には気づかなかった。不穏な空気が流れると、アイオーンはさらに言葉を続ける。
「原因ははっきりとわからないが、もしかしたら地脈に何かがあるのかもしれない……」
地脈とは、地中に流れる魔力の道のこと、または地中の魔力を指す言葉である。
『母なる息吹』という単語は、魔力が地上に噴き出す『孔』のことや、そこから噴き出る魔力のことを指す。
「地脈というは、この星の内側を流れている魔力の流れのことよね。アイオーンは、何か異変は感じとれないの?」
ユリアが問うと、アイオーンは首を振った。
「地中の奥深くで起こる異常のことは、さすがにわからない。それこそ、神のような存在であれば何かわかるのかもしれないが──わたしは、大きな力を持つだけの、ただの星霊のひとりにすぎない」
「……そう。……地中の、奥深く……」
たしか、そこは星の内界と呼ばれる場所があるところだと、かつてアイオーンは言っていた。現在でも、星の内界と呼ばれる場所はあるのかわからない。
アイオーンは、再び星霊と向き合い、声なき会話を交わす。やがて、星霊は姿を消した。
「あの星霊も、原因はわからないと言っていた。だが、あまりにも不可解だから気を付けろと伝えにきてくれたようだ」
「……仮に、地脈そのものに異変があるってことなら、他の母なる息吹も弱まってる可能性もあるってことだよな。地脈は、すべての母なる息吹と繋がってる……」
と言うと、ダグラスは、極秘部隊の制服のポケットに入れていた携帯端末を取り出した。母なる息吹は、基本的に人が立ち入れない区域であるため、この付近には電波塔がない。そのためメールが届かないうえ電話も繋がらない。
星霊からの不穏な忠告に、誰もが落ち着かないようすだ。
「──今日は、このあたりで切り上げようぜ。伯母さんに、ヴァルブルクの母なる息吹の様子を聞いてみたい」
ダグラスの提案に、ユリアは頷いた。
「そうですね……。ヴァルブルクにも何かが起こっているかもしれません。──すぐに戻りましょう」
◆◆◆
携帯端末の電波が入るところまで戻ってくると、ダグラスはすぐさまヒルデブラント王国の現女王カサンドラ・オティーリエ・フォン・ヒルデブラントに連絡を取った。彼の義父兼女王の側近にあたるエドガーのほうが連絡はつきやすいが、さすがに側近とはいえヴァルブルクの現状と詳細はわからないだろう。なので、電話に出られないほどの公務の最中でなければ出てくれるはずだと直感したダグラスは、直接彼女へと掛けてみた。幸い、カサンドラの都合が良かったようで電話に出てくれた。
「あ。伯母さ──えっ? おい、なんだよ。ちょうど良かったって……。ヴァルブルクがおかしいって……なんだ、それ……」
ダグラスが驚きながら仲間たちを見る。
カサンドラも、ヴァルブルクのことでこちらに連絡を取ろうと思っていたなど、いったい何が起こっているのだろう。
「──はぁ!?」
やがて、ダグラスは大きな声で驚愕した。その声色に不安を覚えたユリアは、思わずダグラスの腕を強く掴む。
「総長、いったい何が──!?」
「この数日で、ヴァルブルクの魔力濃度が急激に上昇しはじめて──今日、見たこともない大きな魔物が現れたらしい……」
「!?」
誰もが絶句した。
この国の母なる息吹は弱まっているのに、ヴァルブルクの母なる息吹は活性化している。
有り得ない。本当に何がどうなっている。何もわからないことへの焦りと不安に、ユリアの心臓の鼓動は激しくなった。
「その現象のせいで、特別領地衛兵課の拠点にすら現代の魔術師が駐在できずに、撤退して──え? 伯母さん、なんだって?」
そして、ダグラスはまたカサンドラと会話を始めた。しばらくしてから電話を切り、深くため息をついた。
「──この国の首相には、伯母さんがその話をつけてくれていることになった。帰りの挨拶は不要だから、早く帰国してそのままヴァルブルクに行ってくれってさ。ひとまず、一旦は特別領地衛兵課の拠点に行こう。そこに荷物を置いて、ヴァルブルクの調査だ」
「……はい」
まるで、方角すらもわからない暗闇のなかに突然、放り込まれたかのようだった。減っていく一方だった大気中の魔力が急激に上がる理由が何も思いつかない。もはや、すべての母なる息吹に異変が起こっているとみていいだろう。
世界を揺るがす事態が起こっている。
こんなことになるなんて、誰も予想などしていなかった。