第二節 小さな移ろい ①
ウェールカトル祭は、夜まで続いていた。
その翌日。〈灰色の兄弟〉は、ディゼーリオに必要なものを買うよう頼んだ。街は日常に戻っているため、ふたりが外を出歩くと人々に騒がれてしまう。それを避けるため彼に頼んだようだ。
「はい。頼まれたものを買ってきたよ。ユリア・ジークリンデさんの身長に合うフードの付いたマント。魔力の気配を遮断してくれるものだから、野宿の時も安心だよ」
ディゼーリオが買ってきたのは、旅用のフードの付いた足首あたりまで覆う丈の長い濃紺色のマントだった。深みのある美しい紺の色味からして、それなりの値段がしそうなマントだ。〈灰色の兄弟〉も同色かつ同じ形のマントを持っているようで、ふたりはいつもそれを着て、街や街の外を歩いているという。だから、ユリアにも目立たないように同じものを着させるべきだということになり、買ってきてくれた。
昨日は、街が祭りだったこともあり、離れたところには人がほとんど居なかったことからマントは使わなかったようだ。
「ありがとうございます」
「仕方ないとはいえ、本当に大丈夫? 次の依頼人が待つ街までは、徒歩だと十日以上はかかるところなんだよ? 〈灰色の兄弟〉は普段、緊急の依頼でなければ転移装置を使わずに徒歩で向かうから慣れてるけど、そんなふたりについていくのは大変じゃないかな……」
通常、街から街へ行く場合は、それぞれの街に設置されている転移術式の装置から瞬時に移動できるという。
しかし、誰でもいつでも自由に転移できるわけではない。転移する際には、その装置を管理している街の役人に身分証明を提示する必要がある。いわゆる旅券だ。転移先の街の役人に、誰が転移してくるかを事前に知らせなければならない。
〈灰色の兄弟〉は、ディゼーリオが住む酒場宿が保証人となってくれているため転移できるという。そのように街の役人に届け出を提出しているようだ。だが、ユリアには身分証明できるものがない。そもそも、彼女は、忘却刑に処せられた可能性が高いため、保証人となってくれる人がいても使えない。罪人は、転移装置を使うことは許されていないのだ。
余談だが、街から街に行けるといっても、すべての街へ行けるわけではない。街の統治者同士の仲が悪いなどの理由から、転移ができない街もあるようだ。
「大丈夫ですよ、ディゼーリオさん。これでも、私は体力には自信があります」
「ユリア・ジークリンデの戦闘能力は、俺達に近いものだ。体力面でも問題はないだろう」
「おれもそう思います。もちろん、ユリア・ジークリンデさんの体調には配慮して進みますから、安心してください」
ユリア、セウェルス、ルキウスがそれぞれ口にする。
「まあ……三人がそう言うなら……」
ディゼーリオは、まだ少しだけ不安が拭えない様子だが、三人の言葉を信じることにした。
「──だったら、これ。ユリア・ジークリンデさんから頼まれてたやつ。肉に合う香草と木の実の薬味と、紙に書き起こした簡単な料理の作り方。もちろん、この薬味の作り方も書いてるよ。それから、何かしら使えると思うから、脚に帯びる小物入れもふたつ持っていって。旅はいろいろと物入りになるから、見た目より容量が多くなるよう術式が施されたものを渡しておくね」
と、ディゼーリオは、机に赤と緑の顆粒や葉が入った小瓶を三つと、小さいメモ用紙を十枚ほど。そして、腰と脚にベルトで固定する小物入れを置いた。
「ありがとうございます。助かります」
ユリアは、小物入れに小瓶とメモ用紙、さらに極秘部隊の服を入れていく。小物入れであるため、出し入れ口は小さいが、少しでも物を中に入れると、多少大きなものでもするりと入ってくれる。取り出すときは手で探りながら質感を調べるか、小物入れに手を入れたまま脳内に対象物を思い浮かべると、似たようなものが手元あたりまでやってきてくれるという。
もしも、小物入れがどこか破れてしまうと、中に入れていたものが弾けるように散乱してしまうらしい。もっとも、この小物入れの生地もかなり丈夫で滅多に傷つかないらしいので、その心配は要らないだろう。
「ああ……僕、その小物入れの固定帯になり──あたっ!!」
ユリアが小物入れの固定ベルトを付けていると、ディゼーリオがセクハラ発言をかまそうとしたが、〈灰色の兄弟〉に頭を小突かれて阻止された。ユリアはさらりと無視して装備品と服を整え、マントを羽織る。
「……本当に料理をするつもりなのか」
セウェルスはどこかため息交じりに問い、持っていたフード付きのマントを羽織る。
「ええ。作り方や分量をしっかり守って作るから、不味くはならないと思うわ」
「あの……。先ほどの瓶の中身は、もしかして──」
ルキウスもマントを羽織りながら、ほのかな期待を持った声色でユリアに問うた。初めて少しだけ少年らしい雰囲気を見せたことに、ユリアは微笑んだ。
「ええ。昨日の屋台で買ったものに近い薬味を作ってもらったの。たくさん作ってもらったから、今日のお肉にかけてみましょうか」
「はい」
少年は、微かな喜びの声色を見せて口元を緩ませた。
◆◆◆
ディゼーリオに見送られ、三人は街の外に出た。
穏やかな平原にある街道を歩き、しばらくが経った頃。やはり〈灰色の兄弟〉は喋らない。
まだ街の付近であるため、魔物避けの効果が草花が多く自生しているためか、周囲に魔物はいない。気配遮断の効果があるフード付きのマントを着ているおかげで、魔物に探知されることもない。
(……さて。これから、どうやって情報を集めようかしら……)
まずは手始めに、この世界では時空を越えることについてどう認識されているのかを調べてみるべきか。
だが、今の自分は、忘却刑に処せられて何もわからない存在だと思われている。急に、時空を越えるという話題をふたりに振っても不審がられないだろうか。街中で目立つことはできないし、ふたりに怪しまれることも避けたい。
(……やっぱり、まずはこの世の中の常識を知っていくことが安全かしら……。強行突破はいろいろとリスクがある……)
魔術が当たり前である世の中であっても、ユリアが求めている魔術は、到底ひとりの人間にできることではないはずだ。まだまだ判らないこともたくさんある。この世界に長く滞在しなければならないが、やむを得ない。
「──ふたりは、常に依頼を受けて毎日戦っているのと思っていたけれど、そうではないのね。それに、今回の依頼は、徒歩で向かってもいいというから少し驚いたわ」
帰ることばかり考えていると、不安と焦りが出てきて気持ちが重くなってしまう。なので、一旦そのことから離れるために、ユリアは〈灰色の兄弟〉に少し気になっていた話題を振る。
「傭兵をしているのは、おれたちだけではありません。多くの街には、仕事を独占してはいけないという決まりがあるため、あえて定期的に依頼を受けない期間を設けています。また、比較的簡単にできそうな依頼は受けないことにしています」
と、ルキウスは説明する。
「なるほど……。では、転移装置を使わずに、徒歩で目的地に向かうのはどうしてなの?」
「この星が生み出した美しい大地を見ずに、目的の地へ行くのはもったいない」
意外なことに、セウェルスがそう答えた。
「綺麗な景色が好きなの?」
「景色だけではない。この星そのものが好きという意味だ」
「この星、そのもの……」
予想外だった。浮世離れした彼は、基本的に無表情であり、いつも氷のような冷たさを漂わせている。なので、そのような回答が来るとは思わなかった。
神に興味はないが、この星には愛がある。彼は、いったいどのような人生を歩んできたのだろう。星を愛する気持ちは、ルキウスも同じなのだろうか。気になるが、さすがにまだ踏み込んだことを聞けるような間柄ではない。
「──次の依頼は、どのようなものなの?」
「……嫌な予感しかしない」
すると、突如としてセウェルスから憂鬱とした空気が漂いはじめた。彼だけでなく、ルキウスもだ。
「おれもそう思う……」
あからさまにテンションが低い。そして、嫌そうな顔と声色だ。このふたりが、ここまではっきりと感情を露わにしたのは初めてではないか。
彼らは、喜怒哀楽が解らないわけではなく、あえて表に出していなかっただけなのか。ふたりは、人々から神様のように持て囃されていることを本心では嫌がっているため、そのことで表情を素直に出さなかったのだろうか。
もしくは、厭々ながらも『神の加護を得た者』のように振る舞おうとしていたか──。
「嫌な予感って、どんな……?」
「依頼人は、次に向かう街の統治者の元使用人だったという女性だ。そのことに嫌な予感がしている」
「街の統治者の元使用人が? どうして?」
セウェルスに問いかけるも、彼は答えなかった。代わりにルキウスが口を開く。
「……依頼人からの依頼内容が、事前に聞いていたものであれば平穏に終わります。しかし、違っていた場合、嫌な感じは的中します」
「事前に聞いていた内容と違っていた場合……?」
「これから向かう街で発生する依頼では、たまにそれが起こります」
「……なんというか、その……やけに具体的な説明をはぐらかそうとするわね……? 具体的に何があるの?」
「すみません。言葉にするのはアレなので控えさせてください」
「『アレ』!? いったい何なの!? 怖いのだけれど!?」
結局、ルキウスも具体的なことを話してくれなかったため、ユリアは思わず大声でツッコんだ。
「恐ろしいことではない。……ただ、精神的疲労感に苛まれることになるだけだ」
セウェルスがフォローしたように言ったが、感情表現が拙い〈灰色の兄弟〉がこんなことを言う時点で怖いし、言葉の内容もフォローになっていない。
なんだか、覚悟を決めておいたほうがよさそうだ。何の覚悟をすればいいのかさっぱりわからないが。
◆◆◆
日が暮れた。夜行性の魔物たちが活発に動きだす頃合いだ。夜行性の魔物は、人間よりも目が良く、辺りが暗いため討伐が難しいという。
〈灰色の兄弟〉とユリアにとってはどうということはない敵だが、それでもただの人間であるため、食事を摂って眠らないといけない。疲れは旅をするうえで天敵となる。
三人は、野宿の準備に取り掛かった。この辺りから、街から離れているため魔物も見かけるようになっている。ユリアが魔物の鳥を狩ると、ルキウスとセウェルスが魔術で捌いてくれた。その後、魔術で炎を出し、肉を宙に浮かせて焼いていく。近くに川はないため、水は魔術で作り出す。
焚き火のための薪も調達できた。魔術を使い続けるのは疲れるため、調理を終えたら薪に点けた火を明かりとする。
水を入れるための器や、肉を盛る皿は持ってきていない。荷物を減らせるからだ。食器を洗う手間も省ける。なので、食事はすべて魔術だ。
「セウェルス。薬味はいらないの?」
肉が焼け終え、簡易的な食事が出来上がった。〈灰色の兄弟〉が、薪を集めるついでに食べられる木の実と果実を採ってきてくれたので、それが野菜代わりだ。
ユリアはディゼーリオから貰った薬味が入った瓶を差し出すが、彼は首を振った。
「いい。そのまま食べる」
断られたら引き下がりたいが、ユリアにとっては、彼にはもっと食に興味を持ってほしいという願いがあった。
これからの食事も質素すぎるのは悲しい。頼めば薬味くらいは買ってもいいと言ってくれそうではあるが、この人にも、何か好きなものを見つけて欲しい。なんとなく、笑った顔が見てみたい。彼を説得できるそれらしい言葉がないか。ユリアは思考を巡らせた。
「……せっかく五感のある人間に生まれたのだから、少しだけでも食の楽しみというものを試してみない? 人間に五感があることや、こういう薬味も、突き詰めればあなたが愛する星から生まれたものよ。好きなものが増えたら、この世界がもっと好きになれると思うの。だから、まずは食についての造詣を深めてみない?」
頑張って言葉を探して長々と話したが、何とも言えない微妙な台詞になってしまったような気がする。
セウェルスからは、ちょっと白けた目で見られてる。
すると、ルキウスが、少し遠慮がちに兄のほうを見つめはじめた。
「……兄さん。おれ、薬味を試してみたい。兄さんは?」
「……」
セウェルスはしばらく弟を見つめた後、ユリアが差し出していた瓶を受け取り、軽く薬味をかけると弟に渡した。
その光景を見ていたユリアは静かに目を見開く。わりと簡単に折れてくれた。
(セウェルスって、意外とルキウスに甘いのかしら……? まあ、一緒に傭兵の仕事をこなしている実の弟だものね)
自分にも弟や妹がいたら、きっと甘やかしていたと思う。ルキウスのように真面目で素直な子であれば、余計に構い倒していそうだ。




