第一節 〈灰色の兄弟〉 ⑥
「──〈灰色の兄弟〉様。こちらでいかがでしょうか?」
ちょび髭を生やした店主が問いかけると、セウェルスはユリアを見た。
「それでいいのか?」
「ええ。大丈夫よ」
「か、かなり質素な意匠ですが、極寒でも灼熱でも……体温調整のための対策は不要となる素材を使った生地で、仕立てておりますっ!」
三姉妹の長女が、緊張で震える唇を動かしている。
「ということは、一年中この服で過ごしても大丈夫ということですか?」
ユリアが聞くと、長女は「さ、左様でございます!」と言った。
このように緊張しているのは、彼女たちだけでなく店主もだった。ポケットから小さなハンカチを取り出して手汗を拭き取っている。このふたりは、それほどの存在のようだ。
そして、店主はカウンターに置いていた紙を手に取り、それをセウェルスに差し出した。
「──では、〈灰色の兄弟〉様。取り引きの証として、こちらの紙に魔力での署名をお願いします。本日は休業日ですので、正式な請求書は後日、酒場宿のディゼーリオ様にお送りしますので」
日常では見かけなかった紙が出てきたのは、改ざんされにくいことと保管がしやすいからだろうか。それでも、魔力で書き込める紙であるため、特殊な方法で製造されているだろう。
それより、名前のないセウェルスに署名は──と思ったユリアだが、彼は〈灰色の兄弟〉と魔力で文字を刻んだ。
「……今日、ここに彼女が来たことは内密に頼む。無駄な騒ぎを起こしたくはない。──行くぞ」
セウェルスは、店の者たちにそう伝えるとルキウスに目配せすると、少年は店を出た。そして、急かすようにユリアの背中を押し、セウェルスも店を出ていった。
「は、はい! ほ、本日は、ご来店いただき誠にありがとうございましたっ!」
店主と三姉妹は急いで礼を言ったが、おそらく彼らには届いていない。すでに街路を歩いていっている。まだ店の扉を閉めていなかったユリアは、軽く会釈して去っていった。
三人は、人の通らない道を歩いていく。祭りの屋台で作られているのであろう香ばしい料理の香りと、人の歓声が届くなか、三人は言葉を交わすことはなかった。しかし、しばらくしてその沈黙は破られる。
「……やはり、俺達が店にやってきた途端、店の者が歓迎して仕事をこなしてくれたな」
沈黙を破ったのは、意外なことにセウェルスだった。
「え? え、ええ……。あの三姉妹の人たちは、あなたたちのことを戦神の生まれ変わりだと信じているようだったわ。神様の加護があるとかも言っていたわね……」
ユリアがそう言うと、セウェルスはため息をついた。
「そうか……。俺達は、別に戦神の加護など持っていない。だが、いくら否定しても周りはそうやって持て囃そうとする。……だからこそ、俺達は、ディゼーリオが住む酒場宿など一部の店以外は利用しない。足早に店を出たのも、それが嫌だったからだ」
「……あのように騒がれるのは、おれも好みません」
──ああ。やっぱり、そうだったのね。
浮世離れしている雰囲気を持っているけれど、心はただの『人間』。
彼らが抱くその感覚は、私にも解る。
「仕立て屋の人たちからの話を伺っていると、信心深い感じの人が多いという印象を受けたけれど……あなたたちは違うのね」
「俺達は、神という存在に興味はない」
「神は、万能な存在ではありませんから」
ふたりには、神に対してここまで無興味になるほどの『何か』があったのだろうか。だが、詮索はしたくない。されたくないだろうし、話したくもないだろう。
「……必要以上に持て囃されることが嫌なのは、私にも解るわ。肩書きや活躍だけを見て、『本当の自分自身』を見てくれないことは悲しいと思うから……。私は、たまに神様に縋りたいという気持ちを抱くけれど、そこまで神様を信仰しているわけではないの──。だから私は、セウェルスとルキウスは『普通の人』だと思っているし、〈灰色の兄弟〉ではないセウェルスとルキウスを、いつか知りたいと思う」
「……」
ふたりは、ユリアのほうを振り向くことなく歩き続けている。返事もない。ユリアもふたりの言葉を求めることはなかったため、三人のもとに再び沈黙が訪れた。
(──いけない。お腹が減った。お祭りのほうから香ってくる料理が美味しそうですごく欲しい……!)
今まで我慢していたが、もう限界だった。
ユリアの腹の虫が盛大に鳴ってしまった。前を歩くふたりには届いてないか。恥ずかしいから届いてほしくない。
だが、届いていた。ふたりがユリアのほうへ振り向く。先ほどの言葉と同様に無視してほしかったのに──!
「……空腹になるのが早いですね」
無の声色でルキウスが呟く。冷静に無表情で指摘されると余計に恥ずかしい。
ルキウスとセウェルスは無表情だが、なんとなく呆れているように感じてしまうのは気のせいか。いっそのこと笑ってくれ。でも、このふたりには無理だ。
「お、お粥だけでは足りなくて……」
ユリアは、顔を赤らめて恥ずかしさにこらえた笑みを浮かべている。兄弟は互いの顔を見合わせると、セウェルスがロングコートの内側のポケットに手を入れた。
「ならば、祭りの屋台で何か買ってくるといい。今の手持ちはこれだけだが、これだけあれば何でも買えるだろう」
セウェルスが取り出したのは、五枚の金貨だった。それをユリアに手渡す。
金硬には紋章が描かれているが、これがいくらに相当するのか、ユリアにはわからなかった。数字があれば解りやすいのだが、それもない。
「ありがとう。あの、お金の使い方は──?」
「こうする。あと、この街の地図も教えておく。空腹を満たせる分だけ買うといい」
と、セウェルスは指先をユリアの額にくっつけた。体内の魔力に、硬貨の知識と街の地図が刻まれ、ユリアは瞬時に理解した。
どうやら、硬貨の色は金色しかなく、紋章の種類によって価値が違うようだ。硬貨の紋章の種類は全部で五つ。紙幣もあり、そちらも紋章で価値が決まる。
「あ──」
「どうした。解らなかったのか?」
同じ顔だからだろうか。魔力を介して知識をくれるその行動が、アイオーンのように感じてしまった。
そのせいで、ユリアは、セウェルスのことをアイオーンと呼びかけてしまいそうになった。
「……いいえ、大丈夫よ。ありがとう。私は屋台のあるほうへ行くから、ふたりは酒場宿に戻っていて」
うっかりしていると、セウェルスをアイオーンと呼んでしまいそうだ。彼はアイオーンとは違うのに。怪しまれないためにも気をつけないといけない。
◆◆◆
「──おまたせ。ここで待っていてくれたのね」
屋台で食べ物を購入したユリアが、機嫌良く酒場宿の裏門に到着した。〈灰色の兄弟〉は、なぜか酒場宿の中ではなく外で待ってくれていた。
「迷いそうな予感がしたが、杞憂だったか」
「さらりと失礼なことを言うわね……。まあ、いいわ。──はい。おつりよ。あなたの言葉に甘えさせてもらったわ」
「そのようだな……。見たことがない量だが」
「これくらいは食べられるから大丈夫よ。食べ物は絶対に無駄になんてしないわ」
ユリアが魔術で周囲に浮かばせているのは、何かの肉の香草焼きらしきものだった。それも、大きな塊を三つ。おそらく、細切れにして焼くための肉の塊を、そのまま丸々焼くよう注文したのだろう。これらを嬉しそうに魔術で運ぶ彼女は、きっと目立っていたに違いない。
この肉の香草焼きこそが、仕立て屋から出てきたときに香ってきていた料理だった。ほどよいスパイシーさと香ばしさが食欲をそそる。
「……その香りだったのですね。仕立て屋を出た時に届いていた香りは」
「ええ、そうよ。ルキウスも食べてみる? 美味しいわよ」
ユリアは、肉の塊を魔術で一口で食べられる大きさに切り分けて、それをルキウスの口元に浮かばせた。
「──はい。『あーん』して」
「あ……あー、ん……?」
聞いたことのない単語だったようで、ルキウスはわずかに首を傾げる。
「口を開けて、という意味よ」
意味を聞いても少し不思議そうにしながらも、少年は素直に口を開けた。ユリアは、そこに一口分の肉を放り込む。
「美味しい?」
ルキウスはしばらく咀嚼し、考えるように目を閉じた。
「……この味は……」
「このお肉は野鳥だと言っていたわ。薬味は、いくつかの木の実と香草をすり潰したものですって。美味しいわよね」
「ああ……そうか。薬味、でしたね──。肉の味と合います」
ルキウスの言い方は、まるで今まで縁のなかった言葉を確かめるかのようだった。
「薬味のことは、知らないの?」
「そこまで料理というものに触れてこなかったので、調理関係の知識は少ないのは事実です」
「え? 普段は何を食べているの……?」
「野宿をする時も多いので、魔物を狩ったら焼いて食べるだけでした。あとは、その辺の食べられる植物です」
「そんなの原始──いや。それなら、セウェルスも……!?」
驚愕した顔でユリアはセウェルスを見ると、彼は「当然だろう」と言った。
「俺も料理にはさほど興味はない。料理がなくとも、植物と魔物がこの世に存在する限り、俺達は生きていける」
きっと彼らのことだから、食べられる植物やきのこなどの判別がつくのだろう。しかし、ここまで人間らしい暮らしから離れた生活を送っていたとは思わなかった。現人神と称されていて、表を歩けば騒ぎになるため人を避けているとはいえ、そこまでのことをしていたとは思わなかった。
「……ま、まあ、そうね。それでも、これを機会にセウェルスもどうぞ」
ここでふたりが食に興味を持ってくれなければ、今後の自分の食事も限界を突きつめた質素な食事となってしまう。それだけは避けたい。
今後の食事面を危惧したユリアは、セウェルスにも肉を分けようとした。しかし、彼は首を左右に振る。
「結構だ」
「このお肉は嫌いなの?」
「嫌いというわけでは──」
「なら、どうぞ」
口元まで差し出だせば、仕方無しに食べてくれるかもしれない。そう目論んだユリアは一切れの肉をセウェルスの口元へ近づけた。ここで彼は、わりとしっかり迷惑そうな目つきをしながらも、口を開けて肉を食べた。
「どう? 美味しい?」
「……悪くはない」
すぐに興味が湧いてこないのは仕方ない。
だが、ここで諦めるわけにはいかない。少しずつ食事への知識を与え、関心を揺さぶっていけば、自分の日々の食事も風味が豊かなものになるはずだ。
この時、ユリアは自分の食事面のことだけしか考えていなかった。クレイグに付けられた『暴食魔人』の名はここでも暴走した。
「この味は嫌いではないのね。なら、いつかふたりにこのお肉料理を作るわ。今はわからないことばかりだから出来ないけれど、いつかは作るから。ふたりに頼りっぱなしも申し訳ないもの。せめて、料理をできるように頑張るから」
といっても、ユリアは料理に慣れているため、レシピさえあれば工程の多い料理も可能である。だが、今の彼女は『忘却刑に処せられたせいで何にも知らない人間』。だから、まずは簡単な料理から提供していくことになる。
「出来るのですか?」
ルキウスが反応した。ユリアの料理の腕に対する疑問ではなく、期待をしてもいいのかという問いかけのような声色だった。
「まずは挑戦よ。そうしないと何もわからないし、変わらないもの。たとえ失敗しても、何がいけなかったのかを考えて成功を目指していくわ。──というわけで、食事面のことは、おいおい私が担当していくわね」
ユリアのやる気に満ちた半ば強引な言葉に、セウェルスは呆れた目を向けていたが、ルキウスは少しだけ目の奥に輝きを見せていた。




