第一節 〈灰色の兄弟〉 ④
「──おはようございます。といっても、現在は昼ですが」
ユリアは、ぼんやりとした頭で、ゆっくりと目を開けるとそんな声が耳に届いた。ユリアの頭と目に映る景色がはっきりとしてくると、その声がルキウスだと理解する。少年は、ユリアが寝ている寝台の近くで椅子に座っていた。
「……ごめんなさい。倒れてしまって……」
「構いません。精神的な疲労が蓄積されていたのでしょう。そうなると、体調を崩してしまう人がいると聞いたことがあります」
(この子は、そんなことで倒れたことはなさそうね……)
淡々と説明するルキウスに、思わずユリアはそんなことを思ってしまった。
「……ここは、どこ?」
ユリアが寝ていた部屋は、広い一人部屋と思わしきところだった。特に文様などの彫刻などは施されていない木製の机、椅子、そして寝台があるだけという簡素な部屋だ。木製の机の上には台座に乗せられた半透明の玉が置かている。
「場所は変わっていません。ここは酒場宿の客室です。──少し待っていてください。酒場の厨房で働いている方々に、疲労に効く食べやすい食事を頼みます。もしかしたら、多忙で断られてしまうかもしれませんが」
と、ルキウスは立ち上がり、机の上に置かれていた球体に手を触れた。そこから魔力の気配を感じるため、もしかしたら球体は通信機のようなものなのかもしれない。
すると、部屋の扉が開いた。
「あ。起きてたんだ。いきなり倒れるから驚いたよ」
やってきたのはディゼーリオ、そして彼の後ろにはセウェルスがいた。
「すみませんでした……。話の途中に突然眠ってしまって……」
「いいよいいよ。まあ、忘却刑のせいで何もわからなかったし、予知のせいで殺されかかったし。いろいろあったから疲れてたよね。──それで……えっと、弟くん。なんで僕を凝視してるのかな……?」
ユリアとの会話中に、ルキウスが無表情でディゼーリオを見つめていたため、彼は少し怯えた様子で問いかける。
「ちょうどよかったと思ったからです。やはり今は、厨房の方々は多忙のようなので、ユリア・ジークリンデさんの食事を作ってほしいんです。疲労に効く食べやすいものがよろしいかと」
「あ〜……今日は、ウェールカトル祭だから厨房組が大変な時だもんね。──よし。僕がひと肌脱ごう! ユリア・ジークリンデさん! 少し待っててねー!」
笑顔でそう言うと、ディゼーリオは部屋を出ていった。
「ウェールカトル祭──ということは、私は一日寝ていたの?」
セウェルスに問うと、彼は頷いた。
「そうだ。ずいぶんと疲れが溜まっていたようだな」
「自分でも、あそこまで疲れていたとは思わなかったわ……。どうすればいいのかわからないから、気を張りすぎて……」
「わからないのであれば、これから少しずつ知っていけばいい」
少しずつ──いいや。早く知りたい。早く帰りたい。ユリアはその気持ちで急いていた。
「……セウェルス、ルキウス。私も戦えるから、これからはふたりの仕事を少しだけでも手伝いたいと思うのだけど、どうかしら?」
手伝いをしていれば。たくさんの街に行けて、たくさんの人と出会える。ふたりがいれば安全だ。そこで、帰る手立てを探せるのではないか。ユリアはそう思っていた。だが、〈灰色の兄弟〉は同時に首を左右に振った。
「平穏に生きていたいと思うのなら、止めておけ」
「おれも、そう思います」
「な、なぜ……?」
ユリアが問うと、まずセウェルスが理由を述べた。
「お前の治癒能力の高さは異常だ。その特異体質がどこかで世に露見すれば、お前の血を求める者が現れかねない。我々人間は、他者の血を飲み、血が持つ特性や能力が身体に適合すれば、他者が持つ力を自身の力として扱うことができる複写能力を持っている」
そして、ルキウスも所感を述べていく。
「治癒能力のことを誰にも知られなければ、平穏な時間が奪われることはありません。しかし、一度知られると、たとえ優しい人でも途端に態度を豹変させて、あなたの血を求める可能性があります。……あなたの治癒能力は、世の中を狂わせる力がある──さまざまな存在と戦い、さまざまなところへ赴いたことのあるおれたちが、そう感じるほどのものでした」
ふたりは相変わらずの無表情だ。しかし、どこか威圧感がある気がする。
止めておけ──淡々とした声色からだと感じ取れないが、目はその気持ちを訴えているように見えた。
生まれた時代では、自分は一国の王女。そして、いずれ英雄になる存在だと言われていた〈予言の子〉。その頃の敵は、もはや人間ではなくなった異形の怪物。だから、能力が狙われることは無かった。
現代では、実験を経たことでその驚異的な治癒能力が眠っていた状態だった。そもそも、自身の存在が世間から秘匿されているため、世間に露見する心配はない。共に戦う者たちも、自身の治癒能力になど興味はない。
しかし、ここでの自分は、知り合いがいないどころか世の中を知らない一般人。今までとはまったく違う環境下だ。
ここにいる自分は、この世の中にとっては異物そのもの。本当にこの世が過去であるならば、目立つ行動はできない。
「……」
ユリアは黙り込んだ。自分の指導役であるふたりに、ここまで言われてしまえば、街で大人しくしておいたほうがいいだろう。しかし、この街だけにいて帰る手立てを探せるのか。その可能性は低い。だから、せめて別の街に行ってもいいという許可は貰いたい。
「……それでも、早くいろいろなことを知っていきたいと思うの。知らないことが多いと、不安になってしまう……。だから、せめて別の街には行かせてほしい。もちろん、あなたたちの仕事の邪魔はしないわ。あなたたちの指示に従い、戦うこともしない。だから──お願いします」
この気持ちは嘘ではない。
いいや。すでに嘘はついている。忘却刑なんて受けていない。こことは違うところから飛ばされてきたからこそ、何も知らない。
──ローヴァイン家とベイツ家のみんなにも『嘘』をついていた。また『嘘』をつくことになるのか。私は嘘つきだ。
罪悪感を抱きながらも、ユリアはふたりに訴えた。すると、兄弟は互いに顔を見合わせ、再びユリアを見た。
「……俺達の傍から離れないのなら許可しよう」
「! ありがとう……!」
嘘をつく罪悪感を隠しながら、ユリアは安堵の微笑みを向けた。ともあれ、これで帰る方法を探せる範囲が広がった。
その話が一段落した時、部屋の扉が開いた。
「──はーい。おまたせ! お腹にやさしくて、疲れに効く食材を入れた粥だよ」
食事を作ってくれていたディゼーリオが戻ってきた。手には大皿に盛られた粥と食器があった。見たところ、果物や穀物を動物の乳で煮たものだろう。
「あれ……? お皿と食器……?」
「どうしたの? もしかして何か思い出せない?」
「いえ。魔力がたくさんあるから、魔術を使って食べるのかと思っていました」
「たしかに魔術のほうが便利なこともあるけど、なんでも魔術でやるのはさすがに疲れちゃうな。だから、屋台で買ったものを立ち食いする時とか、野宿の時とか以外は食器を使って食べるよ。特に、今のユリア・ジークリンデさんは、魔術よりも手を動かしていたほうが絶対楽でしょ?」
そうだった。些細な現象を魔力によって起こすといっても、魔術であることには変わりない。魔術とは、発動するために集中力や体力を消費することだ。だから、食器を使ったほうがまだ楽に食べることができる。魔力がたくさんあっても、現代と昔の日常生活がかけ離れているわけではない。
「そうですね。──では、いただきます」
間抜けなことを言ってしまったことにユリアは苦笑いし、食器を使って食事を口の中に運んだ。
「美味しいです。ありがとうございます」
微笑んで礼を言うと、ディゼーリオは頬を赤らめながら感動のあまり口を大きく開き、わなわなと震えた。
「つ、つつつ、次は、新しい服を用意する、ねっ! そんな質素なものじゃなくて、もっとその美しい身体の線を強調した服を──ぐほッ!!」
ディゼーリオの下心に、〈灰色の兄弟〉は素早く制裁をくらわせた。セウェルスが後頭部を、ルキウスが腹を拳で突いた。
「お前は、他の女たちと祭りを巡る約束をしているのだろう。早く行け」
そう言いながら、セウェルスが部屋の扉を開けてディゼーリオを放り出そうと腕を引っ張り始めた。しかし、ディゼーリオは抵抗している。
「違う! ただの友達だって! ユリア・ジークリンデさん信じて!」
しかし、ユリアはディゼーリオの必死な言葉に応えることはせず、ただ生暖かい微笑みを向けながら粥を食べていた。
「どうやら相手にされていないようですね。では、騒がしいので外に出ていってください」
と、ルキウスは兄とともにディゼーリオを部屋の外へと引きずっていった。
「いやぁああ! お兄さんと弟くんの無慈悲ぃいい──!」
少しずつディゼーリオの悲鳴が遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。
そして、すぐに〈灰色の兄弟〉は部屋に戻ってきて、ふたりは食事をとるユリアをちらりと見た。




