第一節 〈灰色の兄弟〉 ③
「いや。魔術学者によると、予知能力はそんな万能なものじゃないらしい。主に、能力者の関心事の可能性を見せる力なんだって。ある予知能力者が、世界のことに関心があれば世界のことを予知し、自分の未来に関心があれば自分の未来のことを予知できるんだと。つまり、ベンニルは、街のことよりも自分のことだけに関心があったんだろうね。だから、街に甚大な被害が及ぶ出来事を予知できなかったんだろう」
ユリアが生まれる前の人間たちと星霊たちは、常に、いつこの世に平穏が訪れるのかを気にしていた。だから、予知能力を持つ者たちは皆、ユリアの誕生を予知したのだろう。
「──ところで、〈灰色の兄弟〉。このお嬢さんはどうするんだ?」
「彼女は、おそらく忘却刑に処せられた者だ。だから──」
ユリアは、目を見開いて〈灰色の兄弟〉の兄のほうを見た。
いや、待って。それは違うわ。けれど、まずは礼を言わないと。いろいろありすぎてタイミングが作れなかったから、ねじ込まないと。
「あっ、あの。待って。──その前に、あの時は助けてくれて本当にありがとう。けれど、私は忘却刑なんてされていないわ」
ユリアは、珍しく敬語では話さなかった。別人だと判っていても、見知った顔だから敬語では少し話しにくかったのだ。少年のほうにも、明らかに年下だとわかるから、つい砕けた口調で話してしまう。
すると、少年がユリアと向き合った。
「では、いくつかお聞きます。『忘却刑』とは何なのかご存知ですか?」
「……いえ、知らないわ」
「おれたちと出会う前、眠ってはいなかったのに、気を失っていませんでしたか?」
「失っていたわね……」
だが、それは、まったく別のところから飛ばされたからだが。
「こちらの言葉は話せましたか? ──今は問題なく話せていますが」
「いいえ……話せなかったわ……。だから、自警団の人の魔力を介して言語知識を習得したの」
少年からの質問に答えていくと、ディゼーリオが「うーん……」と納得したように唸った。
「忘却刑に処せられた人に……僕は見えるかな……。こういう刑の内容は、小さい子でも知ってるよ。学び舎で教えてくれるからね」
そして、少年は、ディゼーリオの言葉を継いで説明する。
「罪人から日常的に必要となる知識を抜き取り、気を失わせてから別の場所へ放逐する──それが忘却刑というものです。罪を犯しても、それらの記憶を抜き取るだけで許される場合は忘却刑になります。放逐される場所は、別の町ならまだ良いほうで、酷い場合だと町から遠く離れた僻地という場合もあります。ちなみに、忘却刑の執行回数が一回だけだと、受刑者の根本的な性格は変わりません」
「二回目以降だと、変わってしまうの……?」
「記憶を『丁寧に消す』術ではなく、『雑に抜き取る』術を採用しているからか、何度か受けると人格がおかしくなって奇妙な行動をするようになるようです。おそらく、罪人だからという理由で『雑』に術をかけられる結果だと思われます」
「ある意味、怖い刑なのね……」
同じような術でも、結果に差異がある術がある。魔術とは意外と奥深い。
そして、少年は、しばらく静かにユリアの目を見つめた。
「……あなたは、おそらくどこかの権力者にとって、うっかり都合の悪いことを知ってしまったのでしょう。そのせいで、忘却刑に処せられたのかもしれません」
「どうしてそう思うの?」
ユリアも少年の目を見つめ返す。その時の淡い青みの緑をした美しい目には、とても真っ直ぐな意思を感じた。
「なんとなく、罪を犯すような人にはあまり見えないので」
「……ありがとう。そう言ってくれるなんて嬉しいわ」
たが、本当のところは、まったく別の場所から飛ばされてきた。おそらく、時代を越えて──。と言っても、おそらく信じてはくれないだろう。それに、時代を越えてきたということもまだ不確定だ。過去の時代と同じ暦、祭り、神話はあれど──それでも、わからないことがまだある。
だから、ユリアは、今の自分は『忘却刑に処せられた人』ということにしておいて、話を合わせておくことにした。
嘘をつくことになるため、心は痛む。
さらに、この〈灰色の兄弟〉のことがとても気になるが──。
今の目的は、もとの場所に帰ることだ。ローヴァイン家とベイツ家のみんながいる、あの場所に。
「──つまり、忘却刑というものは、場合によっては処刑とほとんど同等になるのかしら? 記憶のない状態で僻地に捨てられて、魔物に襲われてしまったら……」
「はい。街によって刑の内容に少し違いはありますが、特に規律に厳しいところでは僻地となり、忘却刑は『処刑』ともいえるものになります。しかし、運が良ければ生き延びることができます」
「街によって違うのはどうして?」
「統治者が違うからです」
(ということは、このあたりには、いくつもの都市国家らしきものがあるのね。それが、この世での『街』──。たしか、ヒルデブラント王国やその周辺国の古い時代は、小さな都市国家が数多く存在していたはず……)
今は、帰るためにも、少しでもこの世の中のことを知っていったほうがいいはずだ。これも必要な情報となるだろう。
「……不思議ね。記憶を抜き取る刑といっても、私は戦い方を覚えているわ」
ユリアのその疑問に答えたのは、ディゼーリオだった。
「忘却術をかけても、忘れさせることができない記憶はあるんだよ。ちょっとした癖とか、誰かへの強い想いとかも残りやすいって言われてる。そういう場合があるから、忘却刑は処刑よりも軽い刑に分類されるのさ。──それで、〈灰色の兄弟〉。彼女をどうするんだ?」
ディゼーリオが、再び〈灰色の兄弟〉に問うと、兄は弟を見た。兄は無言で弟を見つめているだけだったが、弟はすべてを理解したように頷いた。
「──おれは構わないよ。兄さん」
(兄さん、か……。本当に兄弟なのね)
改めて、この青年はアイオーンとは違う人なのだと感じた。
ここが本当に過去の時代だというのならば、自分はここにいてはいけない。何かに関わってもいけないはずだ。未来が変わってしまう可能性がある。
なるべく、世間から目立たないように過ごしていけばいいのだろうか。だが、それでは帰るための方法を探れなくなる。
(そういえば、ここに来てから記憶障害の前兆となっていた頭痛は起きていないわね……。記憶障害も起きていない……)
おかしくなる記憶は、自身の名付け親がアイオーンから両親に変わることだった。
──もう考えるのはよそう。いくら考えてもわからないのだから。それに、いろいろなことがありすぎて頭が疲れてきた。
ともかく、やるべきことは、みんなのもとに帰る方法を見つけること。そのためにも、まずはこの世の中についての情報収集と、衣食住の確保だ。
「……わかった」
青年は弟の言葉に頷き、ユリアを見つめた。
「これから俺達が、もう二度と罪を犯すことのないようお前を指導することにする」
「指導って、できるのか……? 君たちふたりが?」
と、ディゼーリオが不安そうに問うと。
「それくらいできるが?」
当然だと言いたげに青年は返答した。
「……まあ、いいか。言い出したら聞かないもんな……」
ディゼーリオは諦めたように肩を落とした。
だが、誰も知り合いがいないユリアにとっては有り難い話だった。彼らは、戦うことに慣れており、知識も豊富。感情表現が未熟で、何を考えているのかわかりにくいが、しっかりと言葉で伝えればわかってくれるだろう。
「ありがとう。いろいろと教えてくれるなんて、心強いわ。……ところで、あなたたちのお名前は?」
「〈灰色の兄弟〉だ」
青年が言う。
「それは通り名のような呼び方よね? 個人としての名前は?」
「俺と弟には、個人名というものは無い。好きに呼べ」
「え……? 名前が、無いの……? 今までずっと……?」
ユリアが静かに驚くと、ディゼーリオは困ったように後頭部を掻いた。
「あ〜、そうなんだよねぇ……。僕が名前を付けようとしても、ふたりは要らないって言うんだよ。欲が薄いというか、なんというか……ちょっと個性的な感性をしていてさ」
「名前が必要となる時は、そう多くない。無くても気にしたことはなかった。昔から無いようなものだからな」
「おれも気にしたことはありません。〈灰色の兄弟〉という名前が、おれと兄さんを指す言葉ですから」
個人名が無いことをまったく気にしていない兄弟に、ディゼーリオは、「ふたりして世捨て人みたいなこと言わないでくれ〜」と苦笑した。
昔から名前が無かったようなものなど、この兄弟はいったいどのような人生を歩んできたのだろう。個人としての名前が不要と感じるほどに、ディゼーリオ以外の人間や星霊との関わりがないということなのか。
「……けれど、名前がないと不便だと思ってしまうわ。だから、仮の名前を付けさせてもらうわね」
「おっ。美しいお嬢さんからの命名とは羨ましい! 是非とも僕にもお近づきの印に、ふたりの間だけで呼び合う特別なあだ名を──あだだだだ!」
〈灰色の兄弟〉は、同時にディゼーリオの頬を片方ずつつねった。兄弟で打ち合わせでもしたのかと言いたくなるほどに、彼への制裁の内容とその行動をするタイミングがぴったりだ。兄弟というより、双子のように感じてしまう。
ディゼーリオの女好きの度合いに呆れた笑みを向けながら、ユリアは、まず少年のほうを見た。
「……では、あなたは『ルキウス』。そして……」
アイオーンに似た青年は──。
「あなたは『セウェルス』。そう呼ばせてもらうわ」
ユリアが仮の名前を付けると、ディゼーリオはぽかんとした。
「ルキウスに、セウェルス? 聞き慣れない名前だね……」
これらの名前は、ヴァルブルク王国がまだあった時代ではよくあるものだった。しかし、そのようなことは彼らに言えない。
「頭に思い浮かんだ適当な名前です。──ふたりは、どう?」
「構わない」
「問題ありません」
ここでは珍しい名前でも、ふたりは気にしない。本当に欲がないようだ。
「ねえねえ。美しいお嬢さんは? 名前、覚えてる?」
ディゼーリオが問うと、ユリアは頷いた。
「ユリア・ジークリンデです」
「ゆりあじーくりんで?」
「『ユリア』という名前と、『ジークリンデ』という名前が一緒になっているのが私の名前でして……。かなり変、ですか……?」
「いやいや。ちょっと珍しいだけだって。そもそも、人間や星霊の名前も、街によっていろいろあるって話だよ。遠くの街のことなんて、僕もよく知らないし──。ともかく、これからそう呼ばせていただくよ。よろしく、ユリア・ジークリンデさん」
と、ディゼーリオは片手でユリアの手を掬いあげ、もう片方の手で包みこんだ。
「ああ……叶うことなら、僕がユリア・ジークリンデさんをご指導──ほぎゃああああ!?」
ユリアをまた口説こうとしたディゼーリオは、セウェルスに両腕を拘束され、ルキウスは背中側の腰に帯びていた短剣を抜き取り、刃を彼の首筋に向けられてしまった。
何も言っていないのに、どうして協力して脅すことができるのか。本当に息がぴったりな兄弟だが、真顔でこの行動をしてしまうと、さすがに恐ろしい人たちに見えてしまう。
「──ディゼーリオ。俺達は、次の依頼の話がしたいのだが」
「ひ、ひゃい……!」
命の脅迫を受けたディゼーリオは、さすがに反省したようだ。セウェルスからの拘束が解かれると、急いで四角いガラス板のようなものを手に取り、魔術で操作していく。
すると、そのガラス板のようなものから、宙に浮かぶ青い半透明の四角いディスプレイらしきものが、水の波紋のように広がって現れた。そこに、現代のものでも、ユリアが生まれた時代のものでもない文字が浮かび上がり、女性の顔写真らしきものも浮かび上がる。まるで書類のようだ。
この時、ユリアは思い出す。古い時代は、紙を使うことはほとんどなかった。代わりに、ディゼーリオが持つガラス板のような、魔力を込めやすい物体を使って必要な術式を刻み、情報の出力や、遠くにいる他者との文章のやり取り、記録なども行っていた。
(魔力がたくさんあるから、本当に現代のようなことが普通にできるのね……。現代では、複雑な造りの機械を使わないといけないけれど……)
ひとまず、この世の中で生きていくことはできるだろう。ふたりと一緒にいて、依頼を手伝っていけば衣食住も保証されるはずだ。情報収集もやりやすい。これで少しは安心できる。
すると、身体が重いことに気が付いた。これほどまで日々の疲労が蓄積していたのか。気を張りすぎて気付けなかった。
ディゼーリオの言葉が、頭に入ってこない。
足に、力が入らない。
まぶたも、重い。
ユリアは、しゃがみ込むと、そのまま倒れて眠ってしまった。




