第一節 〈灰色の兄弟〉 ②
「……とても大きな木があるのね。驚いたわ」
なんとなく、ユリアは兄弟に言葉をかけてみた。
何も返事はしてくれないかもしれないが──。
「この巨木の花は、魔物が嫌がる匂いを発します。また、この街の周辺には、魔物にとって毒となる植物が数多く自生しています。そのため、この街は他の街と比べて、魔物の被害を受ける確率がかなり低いです」
そう解説してくれたのは弟のほうだった。
「魔物避けとなる植物は、この街の特産物だ。魔物の被害が少ないため、祭りも盛大に催される。明日に行われる祭りもそのひとつだ」
兄のほうも解説をしてくれた。雑談はしないが、知識は豊富で教えてくれるようだ。
「では、外に出ている人が少ないのは、お祭りの準備に忙しいからなの?」
「おそらくはな。今から向かう酒場宿も、いつもより人は少ないはずだ。明日は多くなるだろうが」
「酒場、宿……?」
「そこに、俺たちの仕事の仲介人となってくれている男が住んでいる。その男は、いつも裏門から入って階段を登り、二階の奥にある部屋にいる。だから、店の入り口ではなく、裏から入るぞ」
仕事の仲介人。その仕事とは、戦士としての一時的な雇用──ということは、このふたりは傭兵を稼業としているのか。
そして、三人は、とある大きめの建物にやってくると、その裏手に回った。
兄弟は、裏の扉を叩くことなく開き、階段から二階へ上がり、奥の部屋へと進んだ。また扉を叩くことなく、兄のほうが「ディゼーリオ」と名前を呼びながら扉を開いた。
そこにいたのは、椅子に座って机に何かをしている男の後ろ姿だった。男が振り向くと、目と口を大きく開いて驚いた。
「──な、ななな、なんだってぇッ!!?」
男が目に映したのは兄弟ではなく、その後ろにいたユリアだった。
「えっ……?」
ディゼーリオと呼ばれた男は、二十代半ばらしき男で、胸元をはだけさせて、ふわふわの毛皮を羽織っていた。見るからにチャラチャラとした雰囲気だが、整った顔つきをしている。だが、今は鼻息を荒くして興奮しているため、顔の良さは失われていた。
ディゼーリオは、兄弟を両側にかき分けてユリアの手を掴む。
「美しいお嬢さん、お名前は──ナゥッ!?」
突如としてディゼーリオが奇声を出し、頭を抱えて悶絶した。〈灰色の兄弟〉に、同時に後頭部を勢いよく突かれたのだ。
この兄弟は、無表情で何を考えているのかさっぱりわからないところはあれども、行動すると息はぴったりだ。意外と愉快な一面があるのかもしれない。
「止めろ。恥ずかしい」
「手当たり次第、女性を口説こうとする悪癖はそろそろ止めていただけませんか」
兄弟は、真顔かつ表情のない声で注意した。
「無理だ! 近くに麗しい女性がいたら口説くのが僕の人生──痛ぇッ!」
ディゼーリオは、追加で兄弟から背や尻に足蹴りをくらった。本当に息ぴったりの行動をする兄弟だ。客には礼儀を見せていたため、親しいゆえの容赦の無さなのだろう。
「ディゼーリオさん。おれたちは、仕事の話がしたいのですが」
そう言いながら、少年はディゼーリオの手からユリアの手を開放し、そのまま彼の手首を握り締めた。
「うぇぇん……弟くんまで激しくしないでぇん……。たまには優しく触れてほしいよぅ……」
ディゼーリオは、艶かしく身体をくねらせながら、なんとなく癪に障る情けない声を出し、さらに潤ませた目で少年を見ている。
しかし、少年は、変わらず真顔で──。
「嫌です」
表情の無い声色でズバリと言った。
(でしょうね)
思わずユリアも納得した。
「──もぉ〜。相変わらずノリの悪い兄弟だなぁ」
ディゼーリオは、先ほどのわざとらしい情けない顔つきから、軽薄そうなヘラヘラとした笑顔に変わった。少年は小さくため息をついて、彼の手首から手を離す。すると、少年の兄がディゼーリオを指差してユリアに顔を向けた。
「……この男が、俺たちの仕事の仲介をしてくれているディゼーリオだ。このように無類の女好きでな──だから、ひとりでこいつに近付こうとはするな。何かをされたら、先ほどのように殴るといい。遠慮はいらん。俺が許可する」
「おれも許可します」
「あ、はい」
兄弟から真顔で見つめられ、思わずユリアは丁寧に返事をした。
「そんな危険人物みたいに言わないでくれないかなぁ。僕はすべての女性の味方であろうと思ってるのにさ」
ディゼーリオはそう言うが、あまり傷ついていなさそうな笑みを浮かべている。
その時、机の上に置かれていた、手のひらに収まるほどの大きさがある、四角いガラス板のようなものが金色に光り輝いた。
「──何かの情報が送られてきたようだな」
〈灰色の兄弟〉の兄のほうが呟くと、ディゼーリオは机に置かれていた四角いガラス板を手に取り、それに目を向けた。そこには文字が刻まれている。
「えーっと──えっ……。なんで、こんなことになったの……?」
文章を読み終えたディゼーリオが戸惑いはじめ、そのまま〈灰色の兄弟〉を見つめた。
「何だ?」
「あ、いや──ふたりは、ベンニルからの依頼を達成したから街に戻ってきたんだよな?」
「いいや。今回の依頼は達成していない」
「なんで? 珍しいな」
「ベンニルの予知の解釈は、間違っていると思ったからだ。俺たちはそのことを進言したが、あちらは受け入れようとはしなかった」
青年が答えると、ディゼーリオは驚いた。
「えっ。ってことは、ふたりとも、ベンニルからの依頼を拒絶したってのか?」
「ああ。契約の変更を提案したが、受け入れてはくれなかった。──だが、ベンニルの予知の解釈は、お前でも違うと思うほどのものだったぞ。……奴は、噂通りの愚かな統治者だった。最後まで俺達に金を渡すことを渋り、自警団の精鋭たちを予知された場所へと行かせ、そして予知した者と戦わせた。さらには、予知内容を見届けるために、自身も戦場へやってきたのだからな。素直に金を払い、俺達だけを予知内容の場所に行かせればよかったものを……」
青年は、かすかに呆れた感情を表に出しながら説明した。やはり、あの統治者は金を出すことを渋っていたようだ。
ディゼーリオもベンニルのことを知っているのか、呆れたため息をつく。
「噂通りかぁ……。それなら、この結末も仕方ないのかもなぁ……」
「どのような情報が入ってきたのですか?」
少年が問う。
「……ベンニルの治める街が、運悪く魔物の群れに襲われて壊滅したらしい。ベンニルも遺体で見つかったってさ」
「えっ……!? そ、そんな……」
ユリアの顔から血の気が引いていく。
それでは、自警団の精鋭たちの動きを鈍らせる魔術をしなければ、街は壊滅しなかったのではないか。援軍が来るまで持ちこたえられたかもしれない──。
「なんでも、自警団の警備が手薄になっていたときに攻め込まれたらしい。間の悪いことにな……。街の統治者と自警団の精鋭たちが戻ってきたときには、街はかなり破壊されていたらしい。自警団の生き残りの証言によると、自警団の精鋭たちは傷を負っていたなか頑張って戦ったけど、負けて街は蹂躙されたんだと」
やはり、そうだ。
やむを得なかったとはいえ、精鋭たちからの攻撃を止める方法を別のものにしていれば、街は壊滅しなかったはずだ。
「……」
ユリアは黙り込み、みるみる顔を青ざめた。
すると、少年が無言になったユリアをちらりと見る。
「この結末は、あなたのせいではありません。街の統治者──ベンニルの責任です」
「ベンニルは、自身の浅はかさを断固として認めなかった。……そして、この結果だ──お前のせいではない。そもそも、お前は予知の内容すら知らなかっただろう」
と、〈灰色の兄弟〉は否定した。
ユリアの動揺が、少しずつ収まっていく。表情が判りにくいだけで、この兄弟は他者を気遣ってくれる人たちのようだ。
「ちなみに、どんな予知の内容だったんだ?」
ディゼーリオが問うと、少年が答えた。
「『翠蓋の節、六の日──ウェールカトル祭の日の前日に、街からほど近い平原より、異なる言語を話し、土地勘も常識を知らぬ、されど戦神のごとき女がやってくる』という予知。そして、『自分自身を呑み込む厄災がやってくる』という予知のふたつです。同時に予知したのではなく、少し時間差があったようです」
(──翠蓋の節……。ウェールカトル祭……)
その言葉を聞いた瞬間、ユリアの心臓が大きく鼓動した。
翠蓋の節とは、春頃の季節を示す古い時代の暦。
ウェールカトルとは、神の一柱であり、春を愛した平和の神だという。神話では、ウェールカトルはいつも春が訪れると、季節に咲く花を使って着飾り、歌や舞を披露してほかの神々を楽しませていたという話がある。そのことから、人間と星霊も、春が訪れると季節の花を髪に挿したり、身に付けたり、花弁を摘んで風に舞い上がらせ、歌や舞を披露する祭りを行うようになった。ウェールカトルを祀る神殿では、その祭りの日になると、歌と舞が毎年奉納されているという。
(私が生まれた時代には、もう無くなっていた──三千年ほど前にあったお祭りだったはず……。とても華やかで美しいお祭りだったと、ヴァルブルク城の書庫にあった歴史書に書いてあった気がする……)
つまり、現代から数えて、この世はおよそ四千年前の時代ではないか。過去にタイムスリップしてきたというのだろうか。
それでも、今はまだはっきりとそうだとは言いきれない。情報を集めてみよう。
「……ってことは、この美しいお嬢さんが『何も知らない戦神のような女』ということかい? そんでもって、時間差でもうひとつの予知が来たと……。自身に厄災が来ることで気持ちが焦って、美しいお嬢さんが厄災そのものだって結論を出してしまったのかねぇ……。予知能力では、良いことも悪いことも見るものだけど……悪いことが、街の人々まで巻き込むほどのものだったのか……。それさえベンニルの予知能力で判っていれば、ふたりもベンニルの街に行って、誰かを助けられたはずなのに……やるせないな……」
ディゼーリオの言葉に、ユリアは目線をそらして俯いた。
本当に、やるせない。
感情表現が乏しい〈灰色の兄弟〉も、こころなしか哀悼の気持ちが浮かんでいるように見える。
「──けど、気にし過ぎはよくないぜ、美しいお嬢さん。悲しいけど、こういったことは意外とよくあるもんなんだ。予知能力は、未来の可能性のひとつを見せてくれる……けど、予知できる内容は、解りやすいものから曖昧なものまでさまざまあって、たまに解釈に悩むものもあってね。それに、ベンニルの予知のように、いつ起きるのかもわからない場合もある。だから、何かを間違えれば酷い目に遭ってしまう力でもあるのさ」
「……どうして、予知能力なんて力があるのでしょうね……」
無意識に、答えの難しい問いかけをしてしまった。ディゼーリオは、困ったよう「さあ、なんでだろうなぁ……」と微笑む。
「神話では、こう言われてるな。──この星の内側から神々が生まれた。その神々からの祝福によって生まれたのが星霊。人間は、星の外側で生まれた生き物の一種。星霊と人間は心を通わせ、隣人同士となった。人間は、同じ星の外側で生まれた生き物である魔物と比べると弱かったけど、善なる心を持っていたことから星からの祝福を授けられて、僕たち人間は魔術が使えるようになったらしい。だから、人間も星霊も、すべての能力は、この母なる星や神々からの授かりものだって言われてるんだ。予知の内容も、星や神々が見せてくれているって感じだけど……。まあ、星も神々も、人間や星霊と同じく不完全な存在なんだろうね」
この神話は、ユリアも知っている。内容が同じだ。やはり、ここは過去なのか。
「不完全……。そうですね……」
どれだけ願っても、届かない願いがある。
それはユリアも経験したことだった。
「予知能力が怖いかい?」
「……少しだけ」
これは、ユリアの正直な感想だった。その能力が世の中にあったからこそ、彼女はこのような人生を辿ることになったのだから。
「──予知能力のことで質問があるのですが……能力者が予知できることは、多岐に渡るのですか?」
ユリアは予知能力を持っていないため、その能力の詳細は知らない。だから、少し気になった。




