第六節 異土 ②
ユリアはため息をつくと、近くにいた兵士に近づいた。ユリアと同じくらいの若い女性だった。彼女は、身体が痺れて動けないようだが、敵意を持った睨みを向けている。
ユリアはその目線を無視し、しゃがみ込むと女性の額に指先を当てた。魔力を介して、この者たちが使う言語知識を得ていく。
「──すまない。言葉が解らなかったから、言語に関する知識のみ、魔力を介して習得させてもらった。ここは、どこだ……? 何もわからないのだが……」
気心の知れた仲間が誰一人いないときに口を開くと、つい昔の言葉遣いが無意識に出てしまう。モルガナとの対話でもそうだった。
ユリアが、この世に通ずる言語を使って話をすると、女性は怒りのこもった目つきを向けた。
「……やはり、貴様が……〈予知の女〉か……!」
他の者より痺れが弱かったのか、立ち上がろうとしている。
ユリアは、両親の形見の剣を鞘から抜き取った。そして、先ほどとは打って変わり、冷ややかな目つきで彼女の首元に刃を添える。
「予知の女……? 何の話だ。すべて話せ」
予知──ということは、予知能力によって自分の到来が読まれていたということなのか。無視できない。詳しく聞かなければ。だが、相手は反抗の態度を見せている。舐められたままでは詳しく聞けないかもしれない。
そう思ったユリアは、温情なき目へと突如として変わった。その目に女性は怯み、震える唇で言葉を紡いでいく。
「……わ、我らの街の付近に、異なる言語を話し、土地勘や常識を知らぬ強い女がやってくる……。その後、厄災がやってくる──。我らが主は……そのような未来の言葉が、降ってきたと……おっしゃられた……。それゆえ、我ら自警団は……言葉も常識も知らない女を探し、始末せよとの命が与えられた……」
未来の言葉が降ってきたということは、おそらく予知能力のことだ。
主とは、街の統治者のことだろうか。街の自警団ということは、やはり小さな軍隊だ。
「厄災か……。ならば、私はお前たちの街へは行かない。無意味な戦いは趣味ではないのでな」
「……信じられない」
どうして信じてくれないのかしら。
ユリアは心の中で悪態をつく。
だが、少し考えてみれば──それもそうか。自分の首筋に剣を向けている敵の言葉など、信用できないものだ。こういう場面に出くわすことは滅多にないことだから、いろいろと感覚がおかしくなる。
ユリアはため息をつき、剣を下ろすと、女性の額に指先を当てた。そして、女性はまぶたを下ろして眠りについた。
アイオーンが時々披露する、魔力による強制睡眠の術を真似てみたが、意外とうまくいった。
すると、その時。倒れる自警団たちの上空で、大気中の魔力がざわついた。誰かがこちらに転移してくる。ユリアは立ち上がり、空を見上げた。
「──やはり、余が予知した女は、余の自警団の精鋭たちをねじ伏せる力を持っていたか……。しかし、誰も殺さぬとは慈悲がある。……いや。余裕があることを見せびらかすために、わざと生かしたのか?」
竜巻が起こると、その中から髭を蓄えた中年の男が、空を飛ぶ椅子に座って現れた。足を組み、椅子の手すりに肘をついて、その手で頬を乗せている。実に偉そうな座り方だ。
服は、上も下も体格がわからないほどにゆったりとした意匠で、文様と宝石をこれでもかと施した豪勢なものだった。無意味とも思える豪華さは、富豪であることを主張するためだろうか。
「……何者だ?」
ユリアにとって、その男の趣味やまとう雰囲気は不快なものだった。それを隠せずに、嫌そうな声で問う。
「これから死ぬ者に、自己紹介をする時間など作りとうはない」
やはり嫌な奴だ。
自警団の練度と男の身なりを見るに、自分の好みには金をかけるが、自警団にはあまりかけていなさそうである。自警団は、統治者自身を含めた、街に住む者たちの安全を守るためにあるのものだというのに。
自警団の練度を高め、それを維持し続けるためには莫大な金がいるはすだ。だから、その出費を渋っているのか。何か問題があったら、一時的な出費で腕の立つ戦士たちに頼っていたのかもしれない。
しかし、そのような身勝手さと、先のことを考えようとしないことは、いずれとんでもない失態へと繋がりかねない。
「はぁ……。傭兵ごときに多額の雇用費など使いたいとうはなかったが……必要な金か。──〈灰色の兄弟〉よ。とっとと終わらせてくれ」
〈灰色の兄弟〉?
その時、大気中の魔力に微かな揺らぎを感知した。気のせいかと思えるほどに微弱なものだった。だが、ここでは魔術師による動きがなければ、大気中の魔力に揺らぎなど発生しない。
間違いなく誰かが殺意を持って身を隠している。
また、ユリアでなければわからないほどの微弱な揺らぎが起こった。
これほどの魔術師には、魔力で編む剣を作っても融解されて、逆に隙を作ってしまうかもしれない。大気中の魔力の気配が動く気配はない。相手は魔術なしの物理攻撃で来る。
こちらに近づいてくる!
「──ッ!!」
見えない何かを、持っていた剣で防いだ。
魔力の気配がほぼ無であったことから、敵が斬りつけようとするタイミングや狙っていた場所は、長年の戦闘経験によって培われた直感を頼りにするしかなかった。幸いにも、ほとんど防ぐことはできた。だが、すべては防ぎきれなかった。
両頬に大きく切り傷ができ、血が流れるが、すぐに傷は癒えていく。不老不死の力が覚醒しているため、治癒力が異常に早くなっているおかげだ。
それでも、一瞬だけ、久しぶりに『死』を近くに感じた。
ああ──私は、また、死が隣にある戦場にひとりでいるのか。
〈灰色の兄弟〉──限りなく無に近い気配遮断と、先ほど受けた一撃の重さから、かなりの修羅場をくぐり抜けてきた戦士なのだろうと予測できる。
「……軍隊をものの短時間で一掃したことから、戦闘技能が高いことはもちろん、魔力察知にも優れていると予測していましたが──その傷の治りは、予想外ですね」
耳に届いてきたのは、感情も抑揚もない少年らしき声だった。
少し離れたところから、人が姿を現す。
左手に片手剣を持った、静謐な美しさをまとう十代半ばほどの少年だった。背丈はユリアより少しだけ低い。
顔立ちは、凛々しいが少しだけ幼さを持った美少年。
目の色は、青みを帯びた淡い色味の緑。まるで神聖な森の中にある透き通った湖のような、幻想的で落ち着いた色味だ。
髪の色は白銀色で、肩甲骨が隠れるまでの長さがある髪を、一つにまとめて高く結わえあげている。
彼の服装は、ユリアにとっては見慣れないものだった。上着の黒いジャケットに左袖は無く、右袖はスリットが入ったベルスリーブ形というアシンメトリーなもの。袖口には銀色の文様。文様は刺繍ではなく、染められている。両手には、鉄製と思わしき篭手と一体化しているフィンガーレスの黒いグローブを装備している。
ジャケットの下の衣服も濃い灰色を基調とし、背面側の裾にもスリットが入っており、左右の長さがアシンメトリーとなっている。左半分は足首まで長くあるが、右半分は臀部が隠れるまでの長さだ。その裾にも銀糸の文様がある。ズボンも黒で、靴も黒い、黒ずくめの少年だった。
「──おまえは、安寧を害する意思を持っているのか?」
聞き慣れた声──されど、少年と同じく感情も抑揚のない声が聞こえてきた。ユリアは身を硬直させる。
嘘だ。有り得ない。
その声の主が、少年の隣に姿を現した。
少年と似た雰囲気で、右手に通常よりは少し長めの片手剣を持ち、長い白銀色の髪を低いところでひとつに束ねた、黒ずくめの──。
「……あ……え……」
アイオーンが、いた。
なぜ。
どうして。
声。顔。髪の色。ラウレンティウスを越すほどの高い背丈──星霊としての身体を持っていた頃のアイオーンが、そこにいる。
だが、アイオーンとは少し違う。
目の色は、隣の少年と同じく、青みを帯びた淡い色味の緑。アイオーンは荘厳な深紅の色だ。
目の前にいる人は、長い髪を一つ括りにしているが、アイオーンは、料理の時と入浴の時くらいしか髪を束ねない。戦う時でも髪を下ろしているのは、その恰好で戦うことに慣れているから、あえて束ねないと聞いたことがある。毛先に癖がついていないこともそうだ。
魔力の気配も、アイオーンのものとは全然違う。この気配は人間だ。星霊の気配はない。
それに、昔のアイオーンには、無表情ではあっても声色には感情がこもっていた。
目の前にいる人の声には、感情が見えない。
それでも、アイオーンだと錯覚してしまう。
ただの他人の空似?
まさか、ここは過去の時代なのか?
けれど、あそこにいる彼は人間だ。〈灰色の兄弟〉なんて名前は知らない。髪や目の色、顔立ちの雰囲気が似ている弟が隣にいる。
星霊には、血の繋がりのある家族というものは存在しない。
でも、ここは過去の時代に似ている。
これは幻覚なのか? 目覚めてから、感覚を感じる夢でも見ているのか?
わからない。
何が、どうなっている──?
第一章、終了です!
年末までに第一章を終わらせておきたいと思って書いていたのですが、めちゃくちゃギリギリになりました……。
この第三部は、今のところ一部や二部よりも話が長くなる予定です。
そして、展開の都合上、しばらくはユリアのターンが続きます。
相変わらず作者の性癖全開(なぜか物語がシリアス寄りになってしまう)な小説ですが、これからもよろしくお願いいたします。
もしもよろしければ、コメントや評価などをしてくださると大変うれしいです!
それでは皆様、良いお年を!




