異変 ②
「……火球の熱さ普通に感じたんやけど、戦闘に参加せんウチらも攻撃対象に入っとったからやんな? もうちょいやり方あったやろ?」
「さすがにあたしも肝が冷えたんだけど?」
クレイグとダグラスがドラゴンとの戦闘を繰り広げているなか、アシュリーとイヴェットは温かい笑みを浮かべながらユリアに近づき、片方ずつ彼女の頬を強くつねった。
ユリアは、頬をつねるふたりを見ることなく、ドラゴンと戦闘しているふたりを無表情で見つめ続けている。
テオドルスは、ふたりを止めることをせず、くわえて戦闘のこともユリアに任せ、ポケットから携帯端末を取り出して何かを見始めた。
頬をつねるふたりは、じょじょにユリアの頬を伸ばし始めていく。
「しぇんじょうをなめへはいへにゃいわ。へあをひたらつぃぬわよ」
戦場を舐めてはいけないわ。下手をしたら死ぬわよ。
そう言っているのだが、頬を伸ばされて間抜けな言葉しか出せないため、まったく頭に残らない訴えとなった。
すると、その時。クレイグとダグラスの戦場とは反対の方向から、地響きと強い風が届いた。それらに驚いたアシュリーとイヴェットは、強い風が吹いてくる方角に目を向けながらユリアの頬から手を離す。
「これは……なかなかの地響きと風が来たものだね」
「本当……。あちらはあちらでヒートアップしているみたいね」
テオドルスは画面を見ながら呆れた口調で呟き、ユリアもヒリヒリとする両頬を擦りながら呟く。
これらの発生原因は、アイオーンとラウレンティウスの戦闘だった。アヴァル国の任務を終えてから、鍛錬の時間になるとたびたびふたりだけで戦いを始めるようになった。ときには、誰かが止めに入るまで戦闘を止めることがない場合がある。
目を凝らして遠くにいるふたりを見てみると、武器を素早く振り回した打ち合いと、魔術を多用した激しい戦闘をしていた。
「ここ、他国が所有する母なる息吹の地やねんけどなぁ……。ガチの戦闘していけんのは、ヴァルブルクだけやろ」
アシュリーの言う通り、ヴァルブルクの地ならばどれだけ激しい戦闘をしても何も問題はない。なにせ、現ヒルデブラント女王の所有地であり、ユリアの所有地でもあるのだから。極秘部隊の訓練であれば、多少の被害は仕方がないで済ませられる。
「まあ……地面が抉れても、直せるから大丈夫だとは思うわ」
と、ユリアは、ため息混じりに言う。
「音がすごい激しいね……。ふたりとも本気なのかな……?」
イヴェットが呟くと、向こうの戦闘をちらりと見たテオドルスが「そうだね」と答える。
「少なくとも、ラウレンティウスもアイオーンも、わりと本気だろうね。アイオーンは身体が『器』だから、本来の本気ではないけれど──本来の身体であれば、もっと広範囲の地面が激しく抉れて爆音もすごいことになる」
「そこまでできたら、大きな魔物とかでも一発で仕留められそうだよね……。ユリアちゃんたちもできるの?」
イヴェットが問うと、ユリアは頷く。
「私が生まれた時代の魔物程度ならば、一発で仕留められるわよ。今より濃度が高いとはいえ、それでも古代のときよりも魔力がかなり薄まっていた時代だもの。魔物の種族にもよるけれど、魔力が膨大にあった大昔の魔物だと、少し時間がかかってしまうかもしれないわ」
大気中の魔力濃度の違いで、生まれてくる魔物の強さは違う。魔力濃度が高い環境で生まれ育ったほうが身体も頑丈になるのだ。
「──というか、テオ。あなた、さっきから何を見ているの?」
ずっと何かを調べるように携帯端末の画面を見続けているテオドルスに、ユリアは気になって声をかけた。
「ああ、ごめんごめん。楽譜の画像だよ。先ほどエゼルベルトさんからメールが来てね。なんでも、屋敷の応接室を掃除していたら、ローヴァイン家に代々伝わる古い声楽らしき楽譜が出てきたようなんだ。作者はローヴァイン家に嫁いできた貴族の女性らしいのだけれど、文字が古いのか下手なのか曲名すら判別できないから、わたしの端末にその画像が送られてきたんだ」
テオドルスの趣味のひとつに楽器演奏がある。それは、こちらの時代に来てからも変わらないようで、ユリアとアイオーンに現代の楽器を買ってほしいと強請っていた。そして、いざ購入すると、教本や動画を見ながら独学で練習を始め、三日もしないうちに簡単な曲を弾けるようになっていた。彼が当時好んでいた楽器と形状や弾き方が似ていた楽器だったからというのもあるが、未知に対する好奇心と音楽への熱意が合わさったこともある。だから、そちらの分野に明るそうな彼にそのことを頼んだのだろう。
「……エゼルベルトおじさんに対して、いろいろとツッコミどころはあるけれど──そもそも、おじさんが屋敷の中を掃除するなんて珍しいわね」
エゼルベルトは、ラウレンティウスの実父であり、魔術師や魔力関係の事件を取り扱う警察機関『ヒルデブラント王国騎士団』の役職の肩書きを持つ人だ。そんな立場ゆえに多忙なことが多く、実家である屋敷に帰ることは稀であり、普段は騎士団の寮で寝泊まりしている。そして、わりと雑な性格であるがゆえに掃除をすることも稀だ。屋敷そのものが広いため、屋敷の清掃は業者に頼むことが多い。
だからこそ、わざわざ自ら掃除をしていることが不思議に思ってしまう。掃除場所が応接室であることから、急遽、屋敷に来客の予定でも入ったのだろうか。ローヴァイン家は、魔術師社会のなかでは変わり者と言われているためか、基本的に来客などない。そのため、あそこは物置部屋として利用されていた。
そもそも屋敷の持ち主である夫婦とその息子であるラウレンティウスは、ほとんど屋敷には帰ってこず──夫婦は仕事場かその寮で暮らしており、ラウレンティウスも極秘部隊となる前は騎士団の寮暮らしだった──、ユリアとアイオーンが極秘部隊となるまでは、ふたりだけの住居となっていた。
「つーか、そんな貴重そうなもんを掃除中に発掘するとか……いつも通りそのへんのことはテキトーやな、伯父さん」
「地位とか歴史的に価値のあるものとか、そういうのに興味ないもんね、伯父さんって。あたしのお母さんもそうなんだけど」
「ウチの母さんもや。ローヴァイン家って、マジで上流階級のくせになんか変やなぁ」
イヴェットの母は、エゼルベルトの妹だ。アシュリーとクレイグの姉弟の母も、エゼルベルトの妹である。
魔術師社会では、古くから続いてきた自分たちの家柄を大事にするところが多い。昔から国に貢献してきたこともあり、矜持を持つ者が多いのだ。しかし、ローヴァイン家は魔術師社会の上流階級に属する家系であるにも関わらず、そうではないため変わり者と言われている。そのことで陰口を言われても、社会ではなく自身の心を優先する。
「ローヴァイン家は古い家柄だとは聞いているけれど、そもそもいつから続いているのかしら?」
「遠いご先祖様に音楽家の人がいたとかなんとかっていう話は聞いたことあるけど、知ってんのはそれくらいやわ。ラウレンティウスなら知ってんちゃう? 次期当主やし」
現当主やその親戚が、良い意味でも悪い意味で歴史ある血筋に対して適当すぎるあまり、正確なことを把握していそうなのがその息子であるラウレンティウスしかいない。ラウレンティウスは、そんな血族の出身にしてはとてもしっかりとしている。
「──勝ったぜぇ。つーか、急に始めんなよな……」
そんな会話をしていると、勝利報告をするクレイグの声が聞こえてきた。ユリアはふたりに目をやると、かすり傷程度の傷しか負っていない。ずいぶんと善戦したものだ。
「戦闘というものは急にやってくるものよ。けれど、けっこう早かったわね。お疲れ様」
ユリアの言葉に、クレイグは誇った笑みを浮かべる。しかし、ダグラスは少しだけ何やらぼんやりとしていた。
「この半年間でだいぶ強くなれたとは思うんだが──意外と、四十路突入してても成長できるもんなんだな……」
「きっと、総長の向上心の賜物です。これからも期待していますよ」
「あんま期待せんでくれよ、姫さん……。もしかしたら戦闘中に突然、腰痛がくるかもしれんだろ……」
「総長の魔力生成力はかなりあるのですから、骨や関節、内臓などは『人並み以上』の倍は頑丈な人間ですよ。そろそろご自分が『現代の魔術師』ではないことを自覚してください」
と言って、ユリアは喝を入れるようにダグラスの背中を叩いた。
「──すまん……待たせたな。熱中しすぎた」
そして、ようやくラウレンティウスの声も聞こえてきた。激しい戦闘を繰り広げていたふたりがようやく戻ってきたようだ。
「ようやく戻ってきたわね。白熱しすぎよ、もう……」
ユリアが呆れると、アイオーンがわずかに眉を下げる。
「すまない。抉れた地面は、もとの状態に戻している。国から文句を言われることはないはずだ」
「──いや、まさか……私の姉上が書いた楽譜か……!?」
その時、楽譜の解読を続けていたテオドルスが声を震わせて会話に割り込んできた。
「これは、たしかあの時代に流行っていた曲調だったはず……。そのなかにある姉上が好む技法や旋律。共存派の戦士を揶揄する表現と、それを讃える歌詞。そして、なによりお世辞にも芸術的とも言えないこのミミズがのたうち回ったような下手クソ筆跡は、間違いなく姉上の字だ……! そんな字で姉上の名前が書かれている……! 間違いない──!」
「……テオドルスはなんの話をしているんだ?」
経緯を知らないラウレンティウスが不思議そうにユリアへ問う。
「エゼルベルトおじさんが、応接室を掃除しているときに楽譜を見つけたようなの。けれど、何の楽譜なのかわからないらしくて、その楽譜の画像が添付された問い合わせのメールがテオの端末に届いたらしいのよ。……それにしても、そんな楽譜があるなんて、ローヴァイン家はいつの時代に興った家柄なの?」
「一応、約千年前に始まったといえるだろうな……。不信派と共存派の争いが終結したあとに、その功績で狭いながらも土地をもらったんだ。そこから代々の当主が富を増やして、戦争から百年後くらいには貴族の一員として数えられるようになったらしい」