第五節 日没 ②
記憶が、またおかしくなる。自分が自分でなくなるような気持ち悪さを感じる。
だが、今は記憶のことよりも敵だ。己の身を守らねば。
何度も記憶障害が起きたとしても、また元に戻る。今回も消えない。忘れるはずがない。
──絶対に消させない。
ユリアは、奥歯を噛み締めて、冷や汗を垂らしながら、両手に月白色の水晶のような剣を作りあげた。
◆◆◆
昔と比べて、現代は魔力濃度が薄い。
とはいえ、優れた魔術師ならば、規模は小さい魔術は発動できる。規模が小さいといっても、人を殺傷するには十分すぎるほどの威力だ。当然、大きなものでも壊すことができる。
ローヴァイン邸の裏庭で戦闘が始まってから、十分ほどが経った。屋敷には、一階と二階の窓ガラスや壁にひびが入っている。屋根にも損傷したところが数ヶ所ある。
しかし、屋敷の損害のことよりも、今は敵の撃破が優先しなければならない。
「──二対一は卑怯かなと思ったけれど……なかなか素早いものだね……。ぎりぎりのところでほとんど避けられるなんて、どうやら私の剣の腕は落ちてしまったみたいだな」
テオドルスとアイオーンは、敵から間合いをとると、テオドルスがため息をつきながら自省した。
「いや……。わたしには、まるでこちらの動きをおおよそ読めているかのように感じる……。予知能力の一種のような力を持っているのかもしれない」
「予知能力の一種、か……。どちらにせよ、これ以上は長引かせたくはないね」
その時、屋敷の二階の窓から何かが放り投げられた。投げられたそれの数は五本あり、回転している。蓋が開けられた細長いガラス管だ。中身は赤色の液体だが、遠心力が働いて管の中に留まっている。
「──血を使え! ふたりとも!」
ダグラスの声が、テオドルスとアイオーンに届く。
ふたりは、大気中の薄い魔力を操り、五本のガラス管の液体に含まれる魔力と繋りを作った。眠っていた猛獣が目覚めたかのように、すべてのガラス管が砕け散っていく。
「──やるぞ。テオドルス」
「ああ。ふたりでやれば、破られることはないだろうからね」
その瞬間、血は無数もの小さな球となり、白いローブの者の傍まで飛んでまとわりつく。ローブの者は剣で払いのけながら逃げるが、液体であるため小さく分裂するだけで破壊されることはない。そして、アイオーンとテオドルスも、血を操りながら敵を追い詰めていく。
血に含まれる魔力が術を発動したのは、そう時間はかからなかった。血を操るふたりの術により、ローブの者の身体は拘束された。
「よぉっし!」
屋敷の窓から一部始終を見ていたダグラスが拳を握り締める。
拘束術が解かれる様子はなく、抵抗の意思も見えない。戦いは終わった。
「……お前は、何者だ──?」
アイオーンとテオドルスがローブの者に近づき、アイオーンがフードを掴みあげる。その瞬間──。
「なっ……!?」
ローブの者の身体が、脆くなった土人形のようにすべて崩れ落ちた。その場に残ったのは、白い半透明のゼリーのような柔らかい固形物だった。
「これは……魔物の死骸じゃないか……!」
テオドルスは、しゃがみこんでゼリーのようなものに触れた。
「これが、魔物……?」
アイオーンは、立ったまま魔物の死骸を訝しげに見る。
「変身を得意とする魔物の死骸だ。このようにゼリーのような身体を持っているんだよ。その変身能力は、死骸となっても発揮できてね。死骸を寄せ集めて、誰かの血液と術式を組み合わせて構成すれば、その人そっくりの分身が作れる。でも、かなりの技術力がないとできないものだ。敵は、予想以上に魔力の技術がある……。あと、この高濃度の魔力の気配は何だ──」
そのまま、テオドルスは魔物の死骸を探り続ける。やがて、同じく半透明の小さな球体を見つけた。
「これは……魔力が結晶化したものか……? これが分身を維持していたのか……」
テオドルスが呟くと、アイオーンは「いや……」と否定した。
「魔力の結晶というよりは、どことなく星霊の核に似ている気がする……」
「星霊の核に?」
「……だが、感じたことのない魔力だ……」
そう言いながらアイオーンは首を振ると、星霊の核と思わしき球体は崩れるように消えていった。
「このようなものを作れる存在など──。ッ……!?」
すると、またアイオーンが頭を抱えて苦しみ始めた。
「アイオーン!?」
「また……記憶が……!」
◆◆◆
アイオーンに記憶障害の前兆となる頭痛が起きたときと同時刻。ヴァルブルクの街の中で、ローブの者と戦っていたユリアにも異変が起きる。
「──っ!?」
戦いの直前にも頭痛が起きていたが、彼女にも再度、頭痛が起きていた。短時間に連続。しかも、記憶障害になってまだ記憶が元に戻っていないのにだ。頭痛も一瞬だけのものではなく、人間の動きを鈍らせるほどの痛みが長く生じている。
(落ち着け……! 記憶は元に戻る! こんな痛みは、過去に何度も受けてきた!)
戦いの最中で動きを鈍らせることは、死を意味する。敵から目を逸らすことと同意義だ。
宙を舞い踊る剣たちは生み出せなくとも、ユリアの双剣術は鈍らなかった。変わらずローブの者に剣術と魔術を組み合わせた猛攻を加えている。相手も双剣術使いだが、防ぐことしかできていない。
長期戦になっても負けることはないだろう。相手はユリアを越える力は持っていない。
そのはずだ。
「──」
空中で斬り合いが始まり、ユリアが剣を振り下ろした。ローブの者はそれを受け止めて、ふたりの剣が交わる──その時だった。
「……?」
魔力を凝固させて作り上げた剣から、耳鳴りのような高い音が鳴り、すぐに消えた。
ユリアにとっては経験のない現象だったが、不思議な出来事はそれだけに留まらなかった。
「なっ……!?」
次に聞こえたのは、濁流のような轟音。
さらに、ふたりを囲むように暴風が巻き上がり、ユリアとローブの者の剣が形を崩しはじめた。それらは魔力で編まれた剣であるため、魔力の結び目が勝手に解かれていっていることを意味する。
そして、自身の身体にも異変が起きていた。
(な、ぜ……身体が、動かない──剣の魔力も……勝手に、解けていく……!)
身体も魔力も、言うことを聞いてくれない。
目の前にいるローブの者は、そのことに動じている気配はない。それどころか、消えていく剣を手放して、手のひらをこちらに向けた。
この現象は、この者が発動したものか。
これほどの力を隠し持っていたのか。
魔力の気配から、このようなことが出来るほどの力は感じなかった。ということは、ずっと強大な力を隠しながら戦っていたということになる。力を隠すことは、かなりの集中力を使うというのに。
いったい、何の術を使うつもりだ──!?
「な、に……を……!」
声だけは、辛うじて出すことができた。
ついに、魔力で編まれた剣が完全に解けた。暴風は勢いを増し、ユリアの背後にまばゆい白い光の渦が現れる。
白い光が輝きを強めると、ユリアの身体にだけ光の粒子が現れた。
「──!?」
ユリアは、自身の手を見て驚愕する。
指先が、分解されていくかのように光の粒子となって姿を消している。服も粒子になって消えていく。その現象は、すぐに全身へと広がっていった。
──止めて!
すでに顔が半分ほど粒子となって消えていたため、ユリアは呻き声すら出せなかった。手を伸ばしたが、すでに二の腕から先は粒子となって消えていた。
やがて、姿は完全に消えてしまい、粒子となったユリアは白い光の渦に吸い込まれていった。
その後、光の渦が薄くなって消えていくにつれて、暴風も収まっていき、やがて元の穏やかな亡国の街に戻った。
宙から地に降り立ったローブの者は、濃い朱に染まる空を見上げた。
◆◆◆
「──は……?」
ヴァルブルクの地からユリアが消えたと同時に、アイオーンの頭痛は止んだ。
その後、呆然としながらそんな声を出し、胸のあたりに手を当てて、足の力を一気に失って膝をついた。
「ア、アイオーン……!?」
頭痛が始まって苦しんでいたはずが、突如として呆然としてへたり込んだ友の様子に、テオドルスは混乱した。友からの反応はない。代わりに、両目から大粒の涙が流れはじめた。
「アイオーン……? なぜ、涙を──何があったんだい……?」
「……魂の、契りが……」
掠れた小さな声で、アイオーンはそう言葉を紡ぐ。
「契り……? ユリアとの繋がりを、解いていなかったのか……?」
テオドルスが問うと、アイオーンの顔つきは、じょじょに絶望のものへと変わっていく。その意味を察してしまったテオドルスは、絶句した。
その時、両親を避難させたラウレンティウスが駆けつけてきた。ダグラスも、電話をかけながらふたりのもとへとやってくる。
「アイオーン! 何があった!?」
「怪我でもしたのか!?」
ラウレンティウスとダグラスが、座り込んで動かないアイオーンを顔を覗く。そこにあったのは、絶望したような顔つきをしたアイオーンだったため、ふたりは驚いた。
「お、おい。なんで泣いてんだ……」
「いったい何があった……? アイオーン……」
「……ユリアが……この世から……消えた──」
その場にいた四人は、その言葉の意味を理解できなかった。
誰もが、声を出せなかった。
「……違う……何かの間違いだ……」
絞り出したような声でテオドルスが否定する。だが、アイオーンは何も言わなかった。溢れては流れていく涙を止めようとはしなかった。
ダグラスの携帯端末からは、クレイグ、アシュリー、イヴェットがこちらを案ずる声が聞こえてくる。
日が、落ちた。




