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終幕 ユリア・ジークリンデ ②

「──ねえねえ、イヴェット。君は、いとこたちにあだ名をつけているけれど、セウェルスとルキウスだったらなんて付けるかな〜?」


 この時のテオドルスはすでに顔が赤く、出来上がっていた。


「そーですねぇ……。セウェルスは、セス。ルキウスくんは、ルーク──から、さらに短くして『ルーくん』って呼ぶかもです〜」


 イヴェットも、ほろ酔い状態でふたりのあだ名を考える。


「あははっ、セスとルーくんか〜。かーわい〜」


 そんなとき、セウェルスは人の輪の端でこっそりと携帯端末を持ちながら、親指を使って操作していた。指の動きからして、メールを打っているようだ。


「セス〜。何してるんだい〜?」


 それに気づいたテオドルスがセウェルスに近づく。が、セウェルスは画面を見られないように座る向きを変える。


「ちょっとな」


 酔いが回った友をさほど気にすることなく、セウェルスはそのまま画面を操作し続けた。


「聞いてた? セスだって。セス。高貴で堅苦しい名前からずいぶんとかわいい名前になったねぇ。もとに戻った身長は、全ッ然かわいくないけど。えへへっ」


「何が『えへへ』だ。絡み酒はやめてくれ」


「やだー! セウェルスがつれないーっ!」


 淡々と拒絶されると、テオドルスは若い女性のように高い声を出しながら、飛び込むようにセウェルスの背中を抱きしめた。


「わかったわかった。もう寝ていろ」


 しかし、変わらずセウェルスの反応は薄く、ずっとメールを打ち込んでいる。そのことに不満を感じたテオドルスは、頬を膨らませる。そして、勢いよく携帯端末を取り上げ、背後からセウェルスの胸を揉みはじめた。


「オレを子ども扱いしていいの~!? オレが子どもなら、オレより二回りか三回りくらいデカい胸筋持ってるセウェルスはママってことだからね!?」


 酔っているがゆえに奇天烈な言動を繰り返すテオドルスを見ていたイヴェットたちは、その言葉を聞いてとうとう酒を吹き出し、大笑いした。

 さすがのセウェルスも無視できず、げんなりと引き攣らせた顔でテオドルスと向き合い、胸を揉み続けようとする彼の手を止める。


「揉むな。誰がママだ。いい大人が限界まで飲むな」


「そんなに飲んでないし揉んでない!」


「堂々と嘘をつくな。もう横になれ。部屋まで運んでやるから──」


「やだぁ……! だって、こんなにも飲める日が来るとは思わなかったんだよぉ……」


 そして、テオドルスは急激にテンションを下げて涙声になり、目にも涙を浮かべはじめた。


「──もうさ……誰も、どこにも行かないよな……。ヴァルブルクは役目を果たせて……戦いは終わったんだから……」


 そして、テオドルスは急に真面目な話を始めた。セウェルスの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らす。


「ああ、終わった──。だから泣くな。まったく……」


「お兄ちゃぁ……」


「誰がお兄ちゃんだ」


「……」


 その後、テオドルスの反応がなくなった。


「……おい。テオドルス──」


「くー……」


 聞こえてきたのは、寝息。

 さらにセウェルスは何かに気が付き、テオドルスの両肩を掴んで上半身を持ち上げた。

 彼の口元からセウェルスの胸までには、透明な糸のような──。


「涎を垂らしながら寝るんじゃない!!」


 周囲からまた笑い声が響く。

 クレイグとユリアは、そんな光景を酒と串焼きを口に入れながらぼんやりと眺めていた。


「……ヴァルブルク王国の元副王サマ、自由すぎねぇか?」


「公的な場では一切あのような姿を見せないけれど……昔からこんな感じよ。私の部屋に許可なく魔術のイタズラを仕込む男だもの。私でも気付きにくいほど謎に魔術技能の高さをイタズラで平然と見せつけてくるものだから、敵とは別の意味で大変だったわ……」


「変なとこでも苦労してんだな、アンタ……」


「苦労した──わよ……」


 ユリアの言葉が、少し途切れた。クレイグが彼女の顔を見ると、酔いと眠気に耐えながら酒を飲み、串焼きを食べていた。


「いや、待てよ……。眠いなら寝てこいって。飲むのも食べんのもやめろよ」


「え~……。だって、おいしいんだもの……。お酒も……」


 噛んでいた肉を飲み込むと、ユリアはゆっくりとまぶたを下ろす。やがて、両手で包むように持っていた空のコップが絨毯に落ちた。

 「すー……」という寝息が聞こえてくる。ぎりぎりまで睡眠欲よりも食欲を満たそうとしていた元ヴァルブルク王国の王女に、クレイグは無言でジト目を送った。


「──あ〜。ユリア、寝とる〜? んじゃ、ウチも眠いから寝よ〜……」


 すると、クレイグの姉であるアシュリーが、酔いながらユリアがもたれるクッションの端を枕のようにして寝てしまった。まだ元気な両親や親戚と仲間たちは、わいわいと騒いでいる。


「……だだっ広い屋敷だってのに、いつの間にか賑やかになったもんだな」


 こうして夜は過ぎていった。

 夜が更けるとローヴァイン家の屋敷は静かになり、やがて朝日が昇った。



◆◆◆



 よく晴れた、寒い冬の朝。

 ローヴァイン家の厨房室からは、包丁を使ってまな板の上で食材を切っている音や、フライパンで炒めている音が聞こえていた。

 そこにいたのはセウェルス。昇降式のカウンターチェアに座って調理をしている。造られた身体である『器』から本来の長身に戻ることができた彼だったが、調理場の高さとその高い身長が少し合わなかったようだ。

 ちなみに、今、彼が着ている冬服は、彼のおおよその体格や身長を知るユリアがサイズを見積もって買っていたものである。いつ屋敷に戻ってきても大丈夫なように準備していた服であり、もちろんルキウスの服もある。

 服は問題なかったのだが、調理用のエプロンは盲点だった。アイオーンだった頃に使っていたものしかないため、今のセウェルスにはあまり合っていない。


「……よし。茶でも入れるか──」


 ひと通りの調理を終えると、セウェルスはポットの中に水道水を入れ、コンロでそれを沸かす。その間に食器棚からカップを取り出し、茶こしを乗せ、そこに華やかな花の香りが漂う茶葉を入れた。

 その時、セウェルスの板状の携帯端末が小刻みに振動する。電話が入ったようだ。


「──カサンドラからか」


 コンロを中火に設定しながら、セウェルスは携帯端末の画面に指の腹を滑らせて電話に出た。

 会話は数分間。電話を切ると、コンロにかけていたポットから湯気が噴き出ていた。

 コンロを消し、カップに湯を入れ、茶こしに入れた茶葉を蒸らす。じょじょに花の香りが舞い、穏やかな気持ちに導く。

 数分経ってから茶こしを外し、カップに口をつけて一口飲むと、彼は物置台に置いていた折り畳まれた紙を広げた。紙には、食料品のカラー写真と値段がぎっちりと端まで載っており、特売日という文字が目立つ。近所のスーパーのチラシだ。


「──」


 早朝の静かな時間。

 これが、今年の春までは『アイオーン』だったセウェルスの日常だ。

 その日常に、ようやく戻ってくることができた。その喜びを噛みしめながら、彼は華やかな香りが漂う紅茶を楽しむ。

 スーパーのチラシを眺めていると、隣の食事室の扉が開いた音が聞こえた。


「……はよ〜」


 気の抜けたアシュリーの声が聞こえると、セウェルスは大きなチラシを折り畳み、物置台に置いた。


「ああ、おはよう。食事はできているから、少し待ってくれ」


「お~、あんがと〜。──(あさ)()ようから厨房室におんのは変わらんねんな、アイオーンやった頃と」


「アイオーンだった頃の記憶が、すべて無くなったわけじゃない。性格や価値観はたしかに変わった部分はあるが、アイオーンとして過ごした時間は俺の一部だ」


 そんな会話をしながら、セウェルスは大きな皿に作った料理を盛っていく。冷蔵庫にあったもので作った簡単な朝食だ。

 ソーセージやスクランブルエッグ、食パンで作ったハムのサンドイッチ。多種類の緑色野菜と黄色野菜のサラダ──。それらを適量に盛って、最後に食器具を置き、アシュリーに渡した。


「ほら」


「ありがて~。──ってか、さっき何見とったん?」


「朝刊と一緒に届いていた近くのスーパーのチラシだ。が卵の特売日らしくてな。今日は、卵を使う料理にしようかと考えていたんだ」


「へー。そういう光景、見慣れとるけどさ──やっぱ脳バグるわ」


 と、アシュリーが真顔で感想を言うと、セウェルスは呆れた感情が漂う薄目を向けた。


「どこでバグった」


「スーパーセレブなスパダリ系っぽい見た目した銀髪長髪美形がさ、花の香りする紅茶飲みながらスーパーのチラシ見てんねんで。卵の特売日とか今日の晩ご飯のこととかを真剣に考えとるとこ見てたら謎の落差で脳バグるねん」


「誰がスーパーセレブなスパダリ系っぽい見た目だ。謎の落差があるのはローヴァイン家とベイツ家だろう……。魔術師社会では間違いなく名家で地主でもある正真正銘のスーパーセレブなくせに、中身はただの大家族を持つ下町の一般庶民だからな」


「失敬な。こちとら、ちっちゃい頃から昼のおやつはスコーンと紅茶が日課やってんで。そのおかげでローヴァイン家の一族全員紅茶派やし、好きな茶葉とブランドがそれぞれあるし、焼き菓子も好きや。どう見ても優雅な一族やろ」


「優雅さが局地的すぎないか」


 紅茶と焼き菓子を食べる日課は、彼やユリアにとってもお馴染みであり、ふたりも好みの茶葉を見つけている。セウェルスが先ほど淹れた紅茶がそれだ。

 セウェルスが花の香りがついたものを好むことは意外だろうが、アイオーンだった頃の彼もそんな自分を不思議に思っていた。

 しかし、今思えばそれは、失われていたはずの遥か昔の記憶を無意識に懐かしんでいたのだ。

 遥か昔の時代、セウェルスは弟のルキウスとともに傭兵を生業としていた。街にある転移術装置を使わずに広大な大地を旅していたため、花の香りは身近なものだった。そのため、その頃を思い出すような花の香りがする茶を選んでしまう。これは、茶に限った話ではない。

 そんなふたりが会話をしている最中に、厨房室と隣接する食事室の扉がまた開いた。

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