第三節 憂虜 ①
山の頂きから太陽が顔を出し、ヴァルブルクの大地を照らしはじめた。その時刻に、休息をとっていた特務チームの面々が起き始める。
ユリアとアイオーンは、昨晩に起こったことを仲間たちに伝えた。魔術の気配なかったが、一時的に一部の記憶が別の記憶に変わってしまう──とても信じてもらえなさそうな話ではあるが、こんな状況で嘘などつけない。それでも、やはり仲間たちは困惑していた。
その日も魔物との戦闘は多くあった。調査範囲も広げた。だが、何も見つけることはできなかった。
ヴァルブルクに一日だけの泊まり込み調査は終了した。一泊だけでも、連日の戦闘と調査のせいでユリアたちの疲れはひどく溜まっていた。なので、次の日は休息日となった。
休息日の朝。ユリアは日の出と同じくらいの時間帯に起きた。昨晩は早くに眠ったが、疲れはとれていない。それどころか夜中に何度か起きてしまった。何もわからないことに焦りを感じてしまい、気持ちも休めていない。
(朝が来たことだし、もう何度も寝るのも──何か作ろうかしら)
この時間帯だと、他のみんなはまだ起きていないか、起きていても自室にこもって好きなことをしているかだろう。
そう思い、ユリアは着替えをしてから洗面台にて身なりを整え、台所へと向かった。きっとアイオーンも疲れている。だから、今日は自分が全員分の朝食を作ろう。昨日の帰りに材料を買ったため、昼食も作ろうか。
エプロンを身につけ、調理器具と食材を取り出し、調理を開始する。いつもはアイオーンに任せきりだが、ユリアも料理はできる。レシピを見ずに調理できるレパートリーも増えた。アイオーンのようにそこまで凝ったものはできないが、一般的な家庭料理なら問題なく作れる。
「おはよう。やっぱり落ち着かないようだね」
料理を開始してから少し経った頃、テオドルスの声が聞こえてきた。台所の出入り口のほうに目線を向けると、寝間着姿かつ寝癖だらけの爆発した頭のままやって来ていた。
「おはよう。あなたもそうだとは思うけれど、それにしてもひどい頭ね」
「休みの日の朝は、面倒くさい気持ちになってしまうんだ。でも、これでも歯ブラシはしたよ」
「台所から漂っていた香りに誘われたから?」
「そうそう。今日のローヴァイン家のシェフに、朝ご飯をねだろうと思ってね。──シェフ。今日のメニューは?」
と、テオドルスはにっこりと笑みを浮かべた。
テオドルスの自室は台所から近い場所にある。台所には扉がないので、自室から出て少し歩くとほのかに料理の香りが漂ってくるのだろう。
「今日の朝ご飯のメインはお米料理よ」
ユリアは、米をバターなどで炒めた米を出汁で煮ていた。具材は魚ときのこだ。さらに、別のコンロで野菜スープも作っていく。食べ足りない場合のために、ベーコンと目玉焼きのサンドイッチの準備にも取り掛かった。
「──テオは、今日は何をするの?」
「電子鍵盤の練習に打ち込むよ。何かに集中していたほうが落ち着きそうだからね」
それは、テオドルスからねだられて買った楽器のことだ。彼は、昔から鍵盤楽器や弦楽器を嗜んでおり、現代の楽器にも強く興味を示している。
「そうね……。私も、少しは気分がれるかもしれないと思って料理を作っていたのよ」
喋りながらユリアは手を動かして調理を進めていく。しばらくして、朝ご飯となる料理が完全した。
「はい。どうぞ。面倒くさがりなあなたなら、台所で食べてくれるわよね?」
そう言いながら、ユリアは何もない台所の調理スペースに、出来上がった米料理とサンドイッチを乗せた皿、野菜スープが入った器と食器を置いた。
この屋敷は古い時代に作られているため、間取りが少々不便だ。といっても、食事室は台所の隣にあるのだが、適当なテオドルスを見てたユリアも少し怠けたくなった。
「もちろんだとも。それじゃ、いただくよ」
何も気にすることなくテオドルスは調理スペースで料理を口にした。ユリアも適当に盛り付けた料理をその場で食べ始める。残りのぶんは仲間たちの朝ご飯だ。人数の皿に分け、調理用の透明な薄いフィルムで皿と器の上部を包んで料理にほこりなどが付かないようにしていく。
「うん。美味しいよ。また腕を上げたね」
「ありがとう」
褒められたユリアは嬉しそうに答えた。自分でもよくできたほうだと自画自賛する。
さて、このあとは何をしよう。
「朝ご飯はこれで大丈夫だけれど、これからどうしようかしら……。アイオーンも何か作りたいだろうから、これ以上は作れないし……。私も、楽器を買おうかしら……」
ユリアは、過去にテオドルスから当時の時代にあった弦楽器と鍵盤楽器を習っていた。そのため、個人で楽しむ程度なら、ユリアも弾くことができる。当時の楽器と現代の楽器、または楽譜も時が過ぎて新たなものとなっているが、大まかなところは同じであるため、単純に弾くだけなら独学でできるだろう。
今まで楽器をしていなかったのは、そのこと自体がテオドルスとの思い出と深く結びついていたため、することができなかった。自由な時間がたくさんあった頃は、テオドルスは死んでいると思っていた頃であり、トラウマと後悔に向き合える精神も持っていなかったからだ。
「楽器店に行くのなら、ついでに新市街にも行ってくるといい。今日は、そこでグルメフェスがあるらしいからね。家で食べるものとはまた違うものを食べることも、良い気分転換になるんじゃないかな」
「……そうね。ぶらぶらと街を散策しながらそこに行こうかしら」
ひとりで出歩くと、どうしょうもないことばかり考えてしまいそうだが、屋敷にいても同じことになりそうだ。
今日は、久しぶりにひとりで出歩くことにしよう。
◆◆◆
いつもより少しだけお洒落な服と、それに合う小さなショルダーバッグを肩にかけて、街の新市街にやってきた。
小綺麗に整備された広い歩道を歩いていくと、新築らしいオフィスビルや商業ビル、ときに少し古い年代を感じさせる趣きある建造物が姿を現す。このあたりは人通りが多い。
ユリアは、携帯端末を片手に持って歩いていた。グルメフェスのことを調べると、この通りを過ぎたところにあるイベント用の広場でやっているらしい。
(ひとりで人の多いところを歩くなんて、いつ以来かしら)
屋敷から近い旧市街にも観光客は多いが、ここにも買い物目当ての観光客、さらには地元の人も多くやってくる。広い歩道があっても、気を付けていないとたまに人とぶつかってしまう。
こういう場所には、ひとりではあまり行こうとは思わない。人混みが苦手というわけではないのだが、普通の人々を見ているといろいろと考えてしまうため、ひとりでは行かないだけだ。
周囲には、様々な現代の人々が歩いている。
目的地に向かってひとりで歩く人。友人か恋人ととおしゃべりをしながら歩く人。誰かと電話をする人。何かの用事で急ぐ人。
すると、何かのわがままを言って泣く子どもと、そんな我が子に手を焼く親の光景がふと目に映り、通り過ぎていった。
普通の家庭で生まれていれば、きっと自分も小さい頃は、あの子と同じように駄々をこねていたのだろう。小さい頃の記憶など、星霊や大人の人間たちから戦いを仕込まれていたことしかない。
(わがままを言えて、親から怒られる──普通の子……。羨ましい……)
ユリアは、ぼんやりとしながら欲望を心に浮き上がらせていた。自分には、手が届かなかった日常。こうしてひとりで外を歩いていると、子連れの家族を目で追ってしまう。
この人たちと私は、生きていた時代が違う。生まれながら求められていたものも違った。
私は〈予言の子〉──英雄となるために生まれてきた。
それでも、その光景を目に映すたびに、羨ましいという気持ちと、『どうして』という澱んだ感情が沸き起こってしまう。
(……また、私は……。今更、何を考えているのかしら……)
こんなことを思ってしまうから、あまり人混みのある場所には行かない。そう思っては情けないと自己嫌悪して落ち込んでしまう。
やはり、良い気分になるなら美味しいものを食べるべきだ。
軽くため息をつきながら、ユリアはアパレル店のディスプレイの前を通りかかった。
その瞬間、背後から魔力の気配と、ガラスの割れる音がした。




