死出づる祝福の災い
―――寒いな。
用事は終わって妹への正当な報酬を買いに行った所だ。しかしこんな季節にアイスなんて買う奴の気は中々しれない。妹に向かって言うのも変な話だが、寒い時期にアイスを喰うなんて道理に反しているのではとも思ってしまう。
だがこれは偏見だ。道理に反しているならお店だってアイスは取り扱わない。冬でも夏でも取り扱っているならもうそういう事だ。単なる俺の拘りに過ぎない。そしてその拘りと妹の好みは別の話だ。約束を反故にはしない。
この寒気は紛れもなく気温に由来しているが、他に割合があるとすれば『かぐや姫』のストーキングを気にしている。家は特定されていないと思うが町中を徘徊していたなら遭遇するリスクは当然考慮されるべきだ。学校では先生に注意されたくらいで、多分俺達が帰った後に解放されている。何もいないのに暗闇に気配を感じるようなもので、すぐそこに隠れられるスペースがあればもうそこに彼女を気にしてしまう。
存在が頭から離れないからって、恋ではないだろう。近づいてきたら何をされるか分からなくて怖いだけだ。だから隠れられても直ぐに発見できるように大通りを使う。信号を挟めば隠れ続けるのにも無理があるし、いざという時は信号などに頼らず道路に飛び出せば車が俺の背中を守ってくれる。多少どころではないリスクもあるが、あんな風に執着されるのは初めての事で、それは未知だ。知らない事は恐怖に繋がる。それを避けたいと思うのは人の本能だ。
これだけ多くの人間の中に自分を狙う人間が一人いたとして、意識しなければ誰が気づけるというのか。
俺は自分が政府から監視されているとか集団ストーカーに襲われているとは思わないが、人が多ければ多い程そういう思い込みをする人間が居ても不思議ではなくなる。以前はそう思わなかったが、あんな粘着質になりそうなストーカーを抱えてしまうと考え方が変わってしまった。人間、環境が変化しないと気づけない事もあるか。俺はお世辞にもそこまで優しい人間じゃない。少なくとも無償で人助けをするような人間にはなれなかった。
無償とは無責任だ。責任もないのに真面目になれるような聖人は俺には演じられない。だが今度ばかりは。特にストーカーに悩んでいる人だけは例外になりそうだ。そうは言っても相手は女性だからというのは何の軽減要因にもならない。むしろ個人的には男性である方が良かった。後で法律に何と言われようと物理的に手を出す選択肢を考えられるから。やるかどうかは置いといて、考えるのは自由。ともあれその選択肢が脳内にある限りまだまともでいられる。『かぐや姫』にはそうもいかないから困っているのだ。
「あの、やめてください! 急いでるんで行きます!」
「そう言わないで待ってくれよー!」
駅が近いと必然人通りが多くなる。厄介ごとに巻き込まれる人を見かけたとしてもそれは自然な事だ。ナンパなんて今日日見ないけど、ああいうのに絡まれる女性は全く大変で……
「俺と君は前世で最高の恋をしたんだ! 今度も結ばれるべきだと思わないか! この出会いは運命なんだよ!」
「んな訳ないだろ!」
他人事とは思えないワードを聞きつけて反射的に手がもとい足が出てしまった。脇腹を押し飛ばした蹴りは側面に男を飛ばして自販機に体を叩きつけてしまう。
「あ」
「あ」
だって、前世占いとか気持ち悪い事いうから。
――――――
心の中で有罪判決を受け取りつつ、絡まれていた中学生くらいの女の子と目が合った。マフラーで口元を隠すくらい寒い夜にこんな変な奴に絡まれた事を同情する。
「行って!」
「あ、は、はいっ」
俺も速やかに犯行現場から逃走する。勿論少女とは反対方向に。これで俺を追いかければあの子は逃げ切れるし、あの子を追いかければ俺が逃げ切れる。中途半端な助け方だと非難されても構わない。両方を助けたいなら極端な選択をするのではなく時には半端が必要だ。
そこまで考えて蹴った訳では勿論なくて、条件反射に近い。その占いとやらに振り回された直後にこんな景色を見たら問答無用で助けるに決まっている。というか学校に限らず他の所でも被害が出ているのか。
俺の背中からは誰も追ってこない。という事はあの子を追ったのか。結構足は速そうな感じに見えたし距離を稼げたなら逃げきれるだろう。町というモノは直線が永久に続くような単純な構造ではない。だから何度か道を曲がったりお店の中に入ってやり過ごせばそれで問題なく逃げ切れると思う。例えば今日が雪の日で、足跡がまるっと残っているなら違うが。
まさか妹の為にアイスを買いに行っただけでこんな目に遭うなんてこの町はどうかしている。俺が背負うもののない一人暮らしだったら直ぐに逃げているだろうが、そんなもしもはあり得ない。一人ごちりそうになる気分を抑え込み、感情を静まらせていく。『シニガミ』と関わるようになった日から……いや厳密には湯那先輩が人を殺したそれを目撃した日から、凪いだ日々は終わりを迎えた。そんな表現をしてしまうくらい日常に飽いてしまった自分が少し嫌いになる。
病床に伏していた時はあんなに、潮騒のような廊下の音に憧れていたのに。
「ただいまー。おーい百花。買ってきたぞー」
「おー待ってましたー! さっさとよこせやー」
「はいはい。ほらよ、報酬」
家に帰って来れたらもう安全だ。今日はもうこれ以上のトラブルは起きない。妹が軽くステップを踏みながらリビングへ行くのを見送って自室に戻る。先輩に占いの事を話すべきか悩んだが、それは明日学校で行ってもいいだろう。
―――いつになったら俺は話すんだろうな。
結局何かにつけて延期して、草延に『死神』の事を話せていない。この事件という程何も起きていないが、平和になっても俺はまだ引き延ばすのか。いつか、致命的なタイミングで露見するかもしれないのに?
草延の信用を失えばどうなるか? それは分からないが、確かな事は彼女が実銃を所持しているという事だけだ。だから勿論その気になれば銃刀法違反で逮捕させられるが、その前に一人や二人撃つ事は可能な訳で。
『……八重馬クン?』
『話したい事がある』
どうせ話すなら早い方が良くて、且つ誤解を与えない為にも先輩の居ない所で話したい。それはきっと生徒会に居る限り不可能であるから、電話で話せばいいという思惑だ。もっと早くにすれば良かったと思いつつも踏み切れない理由はいくつかあった。
まず『死神』の存在について。これは証拠があるから納得はさせられるだろうが、嫌がらせの様な同音異義語である売人の『シニガミ』と薬物の『しにがみ』があるので、うまく説明しないとごちゃごちゃになって草延が湯那先輩を『シニガミ』と誤認する可能性がある。
次は最初の理由に付随しているのだが、俺自身も大して理解が深くないので間違った説明をしてしまう恐れしかない。
最後に最初から知っていたという点で隠し事を咎められる可能性が非常に高い。彼女は俺を信用しているから実銃の存在を明かしたのだ。それを裏切る形になってしまわないか心配で今まで話さなかった。
そう、話さなくてもいい理由は無限に現れる。話さなくても仕方ないと思えるような正当な理由が幾つも出てきてしまう。俺の理性はそれで納得してしまう。駄目だろう。ありえない。いつまでも引き延ばす事がもっとも最悪で、現状維持は良くない事は明らかだ。
『死神について、少し』




