前世を超えて結ばれたい
「戻ったわ」
湯那先輩が戻ってきたのはそれから十五分後の事だった。草延との沈黙は気まずくはないけれど、要もなく二人きりにされるとどうしたらいいか分からなくなる。戻って来た時に安心したのは先輩の命がどうというより、これ以上どうやって時間を潰せばいいかという精神的な安堵だ。
「校門で待ち伏せしてるっぽいわね。だからここで嘘吐いても多分待つわよあの感じだと。どうするの?」
「まだ居るかどうかでうんって言っても押しかけてくるだけですよね……湯那先輩何とか俺をバレずに帰らせる手段ありませんか?」
「無茶言わないでよ。私にそんな超能力があるなら最初から見せてるし、君にももっと使ってます! そんなに会いたくないのね」
「会いたくないって訳じゃないですけど。語弊がありますよねそれ。身の危険もないけど、でも何か釈然としないんです。尻軽占い大好き女子だったらもっと節操がなくていいのに俺だけこんなに粘着されるのは理由がある筈……」
「まだ二回目なのに粘着とか」
「湯那先輩! ゴキブリは一匹見たら十匹居るんですよ!」
「……言いたい事は分かるけど流石に告白とゴキブリを同一視は……」
普通にサイテー、と先輩からの好感度が下がった気もするがこの感覚には逆らえない。おかしい感覚をおかしいといって 何が悪いのだ。俺は間違ってない。草延と被ったのは偶然かもしれないけど意味がないと断言する事もできない。
さて、バレずに逃げる方法を考えてみたが現状屋上からとんでもない脚力でスーパージャンプするくらいしか思いつかなかった。まともな出口を―――例えば裏口を使えばいいという話もあるが、待ち伏せているからには両対応しているという最悪の可能性まで考えると博打には踏み切りたくない。例えば道端にカメラを隠していたらそれだけで翌日に嘘がバレて余計な事となるだろう。
「…………帰らなければ、いいんじゃない」
頭を悩ませる中、草延の呟いた一言は正しく青天の霹靂。地を這う雷鳴轟くが如しだった。
「八重馬クンが帰らずに私達だけが帰れば、帰ったという扱いにしても良さそうだけど」
「え、じゃあ俺だけ今日は寝泊まり? 嘘にしても徹底的に深堀されたらどうにもならないような」
「嘘なんて元々深堀されたらどうにもならないわよ。実際とは違う情報を作り出してるんだからそれを補う為の情報にも必然綻びが生まれる。嘘を吐くと頭が悪くなるのよ。勿論誰にだって隠し事はあるから私が言っても説得力ないんだけど。本当は嘘は吐かない方がいいから。でも真実を話したってどうにもならない事もあるの。それはいいんだけど……」
多分『死神』の事を指している。確かにあれは誰かに話したってどうにもならない。むしろ話すだけ仕事がやり辛くなるから嘘を吐くしかない状況だ。嘘を長くつき続ければ罪悪感が無くなっていくだろうから、未だにそこでもやもやしているのはちょっと意外というか、湯那先輩の根本の善性が垣間見えた気がする。
―――いじめられる謂れはないと思うけどな。
どうしてこんな人が虐められていたのだろう。今では皆が頼れる生徒会長、もしくは恐るるべきは御堂湯那と言える人なのに。
「ただ、その案は良いと思う。いつも黙って遅くまで残ってたしね。ただ九十だけを残すのもどうかと思うから、草延さんも一緒に残ってくれる? 用もなしに泊まれとは言わないわ。私が帰るフリして外から様子を窺っておくから、当人が帰ったら連絡する。それでいいでしょ?」
「先輩……!」
「貴方の発言を真に受ける訳じゃないけどこれはちょっとストーカーになりそうで現実的に危ないから。今は逃げ場もないしね。という訳で草延さんはもう帰ったとお願い。私が昇降口を出たくらいだから……三分くらい数えてからお願いね。ちゃんと歩幅を調整すれば丁度私も校門を通り過ぎると思うから、そこで発言を重ねる。ちゃんと戸締りはする関係上暫くは密室で過ごす事になるけど今更気にしないでよね」
「気にしません。密室は落ち着きますから」
「ん。それじゃあ任せたわよ。九十もトイレは控えてね」
多分確認しに来るから、と不穏な言葉を言い残して湯那先輩はパターン化した動きで戸締りをしていく。最後に鞄を持って部屋の電気を消すと、「じゃ」と言って帰ってしまった。
「…………静かにしてた方がいいよな」
「まだ大丈夫だと思うけど。三分どころか一分も経ってないから」
静かにしないといけないと考えると途端にそわそわしてしまうのは悪い癖か、もしくは逆張りか。いやいや、違う。意識するとかえって自然体では居られないというか、静かにするやり方が突然分からなくなるというか。この気持ちをどうか分かって欲しい。
至って自然体で本を読もうとする草延とは対照的に、俺は本当に落ち着きを取り戻せなかった。約束の三分をタイマーが知らせると草延が返信。後は湯那先輩が上手く言いくるめるのを待つだけだ…………
「これ、さ。返信したお前の所在地を聞かれたらお終いなんじゃないかな?」
「私に訪ねて来たのは同じ生徒会だからで、私に興味がある訳ではないと思うけど。綻びだらけの嘘も、向こうに追求する気がないなら大丈夫。八重馬クンがここに居ないとだけ誤認させられたらね……静かに」
パイプ椅子に座ったままだとどんな物音を立てるか分からないのでソファに移動。入り口のドアを見つめ続ける俺とは対照的に彼女は目を閉じて机に突っ伏している。寝れば騒ぐも何もないという事だろうか。
コン、コン。
来た。
勿論、何も言わない。何故なら俺はここに居ないから。
コン、コン。
「そこに居るよね? 九十君」
居ない。
俺はもう帰った。物音一つ建てる訳には行くまい。壁に耳をくっつけていたらきっと届いてしまうだろうから。ガチャガチャとドアノブを揺らす音もする。先輩が鍵をかけて帰ったから当然開く筈もないが諦めない。
「ここ開けてよ。開けてってば」
湯那先輩は本当に帰ったと言ったのだろうか。携帯の通知音は切ってあるが何かの拍子に聞こえてしまったら元も子もないから確認出来ない。
「開けて! 二人で話そうよ! もう一度告白させてよ!」
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!
ドアノブが開かないと分かると今度は強く扉を叩く音。一向に気が休まらない。まるで鳴りやむ事のない電話が隣にあるかのようだ。対応すれば音は止むかもしれないが、それは面倒を呼び込むし、先輩の気遣いを無駄にしてしまう。
「…………………!」
音が鳴り止むまでのおよそ一時間。俺は耳を塞いで蹲った。扉を叩く音が止むまでの間は気が気でなく、一旦音が止んだと思ったらもう一度なり始めるの繰り返しで心が摩耗していく。
「そこで何やってるんだ!?」
騒音に気づいた先生が止めに入る事でようやく音は止んでくれた。天月葉子の言い分では俺がこの部屋にいるらしいが、そこは湯那先輩の信用。彼女が戸締りしたなら居る訳がないと先生に一蹴され、彼女は連れられて行ってしまった。
耳を塞ぐのをやめて顔を上げると、睡眠を妨害された草延と目が合った。
「……リンネ。やっぱり只事じゃないような気がするんだけど」
「奇遇ね。私もそう思っていた所よ。占いに執着するにしては……ちょっと様子がおかしかった。まるで……中毒でどうにもならないみたい」




