幻死痛
建前が本音になりつつあるこの頃、死神よりも明らかに『ハクマ』とやらを探すようになってしまった。ただ、『ハクマ』は辛うじて情報があるのに対して偽物の死神には一切情報がない。見た目、性別、大きさ、色。こうも実態が見えてこないといよいよ本物なのではないかという邪推をするのは、俺が一般人だからか。
そんな訳で始まった捜索だが、直ぐに見つかったら苦労はしない。誰が嘘を吐いているかもはっきりしないし、結局何の情報も明らかになっていないとなれば難航するに決まっている。
「ハクマっていうのはどの辺りに現れるか、知ってる人」
「ネットで検索すればいいと思うんですけど」
「八重馬、そりゃ無理だぜ。地元だけの有名な話って言うの? だから検索してもそれっぽい名前のお店が出たりするだけだぞ」
「じゃあ何で界斗は知ってたんだよ。アイツそんなにオカルト好きだっけか」
「知ってるかどうかは問題じゃないと思うわ。見えてたなら、関係ないものね」
「…………?」
「草延さん? 何か知ってるなら教えて欲しいかな?」
「……ええ、何か知ってるなら教えてもいいけど。何も知らないから」
それにしては核心めいた事を言うなと訝る。『いざという時逃げやすいから』という理由で彼女は最後尾―――俺の後ろから付いてきている。湯那先輩が先頭を歩かない事には残る二人も落ち着きがなくなりそうなので、俺と先輩は離れ離れになってしまった。今夜の調査をデートなどと思い込む程頭がハッピーな訳ではないけれど、二人きりで何かするというのは、いずれにせよ楽しかったのに。
「は、ハクマは……夜の間、光が照らされてる場所に現れるみたいな話は。聞いた事あります。曖昧な知識ですけど……不自然に目立つみたいな光があるみたいな……うん。確かそんな感じ。界斗が居るんだったらその場所に居る筈なんだけど……」
で、界斗は居ないと。
だったら呼び出した事実も無さそうだが、飽くまで死神の捜索という裏目的の為か、先輩は捜索をやめない。俺が気づいたならあの人が気づかないとも思えないけれど、死神なんて何の手がかりもないのだから、今日の所は引き上げても良い筈だ。
死神が狙っているとすればこの中の三人、もしくは二人(中に死神が居る場合)。どちらにせよ先輩の目的はバレていないから、今日は引き上げても特別問題はないだろう。
「湯那先輩、実は俺もそろそろ帰りたいんですけど、本当に確かめなきゃダメですか? オカルト愛好会に依頼すればいいんじゃ」
「生徒会は生徒の違反行為に手を貸したりしません。愛好会を認めてるのは飽くまで文化的な活動に留めてるからで、んな事したら取り締まらないといけないわよ」
「御堂会長は自分には甘いんですね。捜索委員会なんて発足したのに、他の人には目を瞑らないなんて」
「お、おい草延! あんま会長煽んなよ! 俺等の処遇ってこの人に掛かってるみたいなとこあんだしさ!」
「…………取り締まる側が清廉潔白でないといけないのはその通りね。だけどそれは論点をすり替えているんじゃないかしら。そもそも貴方達がこんな所を訪れなければ私も来なかったし。勝手に首突っ込んだだけなんて言わないでよ、生徒会長としましては、生徒には健全かつ穏やかな学生生活を送ってもらいたいのよ」
「…………八重馬クン、何か言い返してくれない? 割と正しくて、難しいの」
「俺に頼らないでくれよ。そもそも俺だって脅されて来たような」
「八重馬くーん?」
飛び火しそうだったので口を噤む。触らぬ神に何とやら。これではまた自分の立場を理解していないとか言われそうだ。誰も口にはしないが、苦労が絶えないっぽい同情の視線が寄せられている。望んでこの立場に居る事を、誰が信じるのだろうか。
「…………ま、でも一理あるわよ。実在を確かめるとは言ったけど、何も今日じゃなくていいし。実在を確かめるなら手順を後日調べて個人的に行えばいいだけだし。ただね、界斗君がここに来てるかもしれないなら、せめてそれくらいは確かめないと」
「…………」
そんな奴はこの場どころか、もうこの世にも存在していない。そんな事は分かっていて、飽くまで彼女は表向きの目的を崩さない。フリで生徒会長をやっている訳じゃないのだと、或いはその矜持を示すように堂々と前を歩いている。
――――――しょうがない人だなあ。
少しくらい、楽をしたって誰も怒らないのに。
「じゃあ界斗を見つけるまでって事なら手分けした方がいいんじゃないんですか? 『ハクマ』ってのを探すなら危ないですけど、人探しは分散してた方がいいでしょ」
「それは駄目。せっかく捕まえたのに逃げられるじゃない」
「逃げないっすけど!」
「ええ、逃げない逃げない」
逃げそう。
「じゃあ二手に分かれましょうよ。俺と先輩でグループ作れば逃げる事もない筈です。まあ組み合わせは―――野郎二人を会長に任せたいですね。俺一人だと力ずくでも逃げられそうなんで」
「八重馬お前この野郎!」
「恨むぞ、お前……」
湯那先輩は女性だけど、二人の反応から分かるように恐れられている。普段は頼れる人でも自分に非がある時には無情な執行官も甚だしい。男女の体格差などは、彼女の『死神』という肩書によって消されると見ている。だから力ずくという手段も通らない。
「―――ま、君ならいいか。でも草延さんは嫌なんじゃない? 二人きりってのも別に親しい間柄でもないんだし」
草延は難しい顔で俺を一瞥した後、頭を振って、それから頷いた。
「……八重馬クンの事はよく知らないけど、生徒会長に振り回されてる所はずっと見てきたし。悪い人でないのは確かですから、大丈夫です」
「――――――む」
何故だか。
先輩は面白くなさそうに顔を顰めて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。男子二人の肩を掴んで、引きずりながら。
「じゃあいいです。二手に分かれましょうか。私は上の階に行ってくるから、この階をお願いね」
「あ……はい。この階、居るのかな……」
『ハクマ』も界斗も死神も。何か一つ見つかればいいが。何もなければわざわざ夜に来た意味がなくなる。そんな願望を共有する訳ではないが、草延の方を見遣る。
「宜しく、八重馬クン」
「……逃げないよな?」
「こういう展開なら、逃げないわね」
じゃあやっぱり逃げるつもりだったのか。
よく知らないだけに、彼女の動向には目を光らせておこう。
先輩に言われた通り二階の鍵の開いた場所を全て見て回ったが、特に誰も何も見つからなかった。一階に行った所で何も変わるまい。後は先輩との合流待ちだ。自分から合流しようという気は全く起きなかった。それは、何となくだけど。
「夜の学校は静かでいい雰囲気ね。日中よりもずっと落ち着く」
「草延は静かな場所が好きなんだな。俺はどうしても苦手っていうか、ちょっとくらい喧騒が欲しいかな」
暇つぶしのお喋りが結構楽しいので、これから気分が変わるという事もなかった。
「静かだと、頭が冴えるの。気分の問題だとしても、結構大切なの。例えば―――八重馬クンは誰が嘘吐いてるか分かった?」
「嘘って…………」
三人の証言について言っているのだろう。この文脈は、自分は嘘を吐いていないと証明しようとしているのだろうか。
「お前には誰が嘘つきなのか分かったのか?」
「波津君が怪しいとは、思ってる」
「理由は?」
「私が聞いた内容と違うというのもあるけれど、以前にカンニングの証拠を握ってると脅されて、全く同じ内容で今日電話が来た……よく考えたら変と彼は言っていたけど。よく考えなくても変でしょう。改めて脅すとすれば約束を忘れていた場合。忘れていたなら前と同じ脅され方をしたなんて言えないわ」
「思い出した可能性は?」
「あの沈黙は不自然だと思うけど」
お行儀よく誰かの椅子に座る彼女とは正反対に、教壇の上に座っている。夜の学校なら何をしてもいいという判断だ。別に誰かが見ている訳でもない。
「―――じゃあお前は嘘を吐いてない?」
「ええ、全く嘘なんて吐いてないわね」
「うーん。なんか嘘っぽい気がするけど。いや嘘吐いてない人間なんて居ないからこれに限っては嘘だけど」
「そんな事よりも、大切な事を話したいわね。推理の報酬として、一つ教えて。実際の所、どうして今夜ここに来たの?」
「―――?」
言いたい事が、分からない。
先輩は殆どボロを出していない筈で、俺も余計な事は喋っていない。何を思ってそんな事を言いだしたのだ。
「二人きりなんだし、少しくらい教えてくれてもいいのよ。どうせ、秘密にしないといけなくなるだろうし」
「…………何も知らないって事はなさそうだな。じゃあそっちはどうして来たんだよ。その様子じゃ、面白そうだから来たってのは建前だな」
「私が来たのは―――ねえ。変な臭いしない?」
「変な―――ん?」
廊下に続くドアを開け放していたら、その奥から漏れてきているようだ。この刺激臭、一度は何処かで嗅いだことがある筈だ。血とか臓物とか、そんな非現実的な物体ではなく。もっと醜くて、汚くて、目に入れるのも汚らわしいような。
身構えていると、上の階からバタバタと足音が聞こえて来た。それは猛烈な勢いで階段を下りてくると、臭いの下を辿ろうと外に出ていた俺と合流。先輩と藤里が肩で息をしていた。
「ちょっと、波津君を何処かで見なかった?」
「それどころじゃないですよ先輩! この臭いマジで……トイレからですけど!」
「くっさ! アイツトイレに行ったのか?」
全員が鼻を摘むのは道理だ。男子トイレの奥から壁を越えて糞尿の匂いが漏れてきている。時間帯の都合でどうしても眠気を感じる事だってあるだろうが、これはそんな些細な力では動かしきれない嫌悪感だ。
「だからって一階下りる必要なんて何処にあるの! ちょっと八重馬君、お願い!」
「ま、マジですか…………」
「頼む八重馬!」
「お前は来い!」
嫌がる藤里を引っ張って、トイレの中へと押し入る。
中はというと正方形に刻まれた白い壁が汚れ一つなく広がっている。個室トイレが三つに、小便器が六つ。内の一つは手足が不自由になった時に使いやすいようにと手すりがある。背中側の洗面所と鏡は、人がごった返しても使いやすいように広いスペースを取っていた。
いずれの場所にも目を覆うような汚物の痕跡はない。臭いの根源は中で立ち尽くした波津で、糞尿と思われた臭いはどう取り繕っても彼の体臭と呼ぶしかなくなっていた。
「…………ハクマ」
「……波津?」
「ハクマ。ハクマハクマ。ハクマ。ハク。マ。ハウ。あうあうあはあふあはははははははは! はくくくくくくくくくくままままままままま! 連れてけよおおおおお! 連れてけえええええええ」
振り返ったその顔には、元の鬱屈とした表情は見当たらない。目は血走り、口から血を吐き、耳から無色の液体を垂れ流しながら、尋常ならざる敵意を俺達に向けている。手に握られているのは包丁で、形状からして家庭科室にある物だ。
「ちょ―――」
「や、え」
足を竦ませようにも、悪臭がこの場を立ち退かせるには十分すぎた。二人で慌ててトイレから脱出すると、女子陣の手を引いて階段を駆け下りようとする。
「ちょっと、八重馬君!? 何があったの!?」
「波津が狂った! 先輩、逃げないと!」
「狂った……?」
下りようとして、湯那先輩は自ら手を離した。
「三人は先に脱出。ていうか帰っていいわ。波津君を放っておく訳にもいかないから、私は残る」
「いやいや会長! どう考えてもそんな次元じゃねえって! 逃げた方が!」
「いいから! 八重馬君、二人をお願いね。早く行って!」
「………………怪我とか、やめてくださいよ!」
脇目もふらず、今度こそ階段を下りる。
「はくはくあははははまままはあハクマはクまままままははははははく。ま。く、ハクマあああああああああ! 何処だああああ! コロじてやるからなあああああああ! 連れてけ、はやく、殺す! 殺して、食うんだ。よこせええああああああああ!」
静寂を破る、狂気の昂り。
彼女の無事を祈って、俺は。