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死神の病

「な…………えうぇぐ……」

 血の臭いはいつどれくらい嗅いだとしても決して慣れるものじゃない。湯那先輩はまがりなりにも死神だからか、動じる様子が無い。一度ならず二度までも、短期間に死体を見た影響で俺も自分で思っていたよりは取り乱さなかった。

 ただし密室に充満した臭いは凄まじく、近くにガスマスクがあればすかさず被っただろう。悪臭という他ない。怯んだ足が二歩下がって廊下の窓側に身体を寄せるが、先輩はその場から動かない。臭いの事なんて気にも留めておらず、むしろ視線を逸らして何か別な事に気を取られている様子だ。

「先輩! これ、通報した方がいいタイプじゃないですか?」

「……ちょっと待って。九十。貴方は死体って平気?」

「今更過ぎる質問だ! えっと……バラバラ死体とかじゃなければ大丈夫だと思います。でも何にせよこの臭いはちょっと」

「そう。じゃあ扉を閉めて、前で待っててくれる? 私が中身を確認しに行くから」

「えっ」

 思いもよらぬ選択肢。ここで臭いを遠ざけたいが為に逃げるのは自由だが、草延が彼女を疑っている様に、俺もまた死神であるという文言に対しては半信半疑だ。百聞は一見に如かずというか、口だけなら何とでも言える。それが全て真実という事になるのなら、俺はたった一人で戦争を終結させた超絶大英雄という事でよろしいのか。

「―――いや、待ってください。行きます。湯那先輩がどんなに強くたって、女性は男性が護るもんです」

「頼もしいけど、貴方私に命を握られてるって事忘れないでよね」

「ええ、ええ。どうぞ後ろから好きに心臓を頂いてください。でもせめて殺すなら痛くない様にお願いしますね。死に方くらいは生徒会特権で選ばせてください」

「…………ふっ、冗談よ。殺す理由もないのに殺したりはしないわ。ありがとね、じゃあ遠慮なく頼らせてもらうから」

 湯那先輩は久しく見せなかった柔らかい笑みを浮かべると、俺の手を取って部室の闇夜へと誘う。草延はああいうけれど、ちょっと前までは二人きりだった生徒会。信じているか信じていないかで言えば圧倒的に信じている。ただ死神の話となると見るからに隠し事をしているからどうにもならないだけ。

「これ、教室の電気を点けた方がいいんじゃないんですか? 臭いが凄くて……ま、窓も開けないと」

 オカルト同好会は雰囲気づくりのために窓を封鎖している。中に人が居るのを隠す為に生徒会も同じ事を行ったが、わざわざ黒っぽい物で隠そうとする辺りが違いだ。携帯からライトを起動すると、壁を照らすように向けて電気を探す。部室と言っても別に彼らの為に特設された場所ではない。部屋の形にはある程度テンプレートがある。電気だってそこを探せば簡単に見つかるはずと考えたが……

「電気、つかないんですけど」

「あちゃー整備不良かしら。それか交換してないか……同好会としては雰囲気づくりに丁度いいからって報告しなかったのね。その件は私から先生に伝えておくわ。今はその携帯だけを頼りに奥へ行きましょう」

「いや窓! 窓を開けて換気しな……うっぷ!」

「あー……開けてもいいけど、時間が掛かると思うわよ。ここ、元物置だって言ったでしょ? そりゃ窓くらい開けにくくたって仕方ないし、なーんかガムテープまで貼ってくれてるし」

 誓ってもいい。少し前にここを訪れた時はここまで酷くなかった。むせ返るような血の臭いの代わりに充満していたのは埃の臭いと、後は精々敷き詰められた段ボールによる窮屈さがあったくらい。間違ってもこんな悪意に満ちた状況ではなかった。一体何を考えて生きていたらガムテープで窓を塞ぐ発想に至るのだろう。

「臭いが逃げない訳だ。こりゃ直接確認した方が早いわね。九十、悪いけど携帯を奥に向けて頂戴」

「せ、先輩! 別にわざわざ近づく事ないじゃないですか! ライトで遠くからこんな感じで照らせば……」


「段ボールとお手製の仕切りで遮られてるから無理でしょ」


「…………?」

 携帯のライトを消して、先輩の肩を掴む。

「あの、まだ向けてなかったんですけど。もしかして先輩、最初から全部見えてるんですか?」

「察しが良いわね。だから私は『死神』だって言ったでしょ。暗い所だったら『昼』よりも見えるわ。ライトは、ただ単に九十も見るべきだと思ったから。貴方も、その覚悟があって入ってきたんでしょ?」

 プライベートという建前も忘れて、先輩は俺の覚悟を問うてきた。ほんの好奇心でこんな場所には来ない。だが俺という人間は少し気になったがばかりにわざわざ当人に向かって殺人の目撃を告白する様な愚か者だ。彼女ももしやと思って尋ねたのだろう。

「…………や、死体なんて誰が好きこのんでみるんだっていう話ですけど。俺が湯那先輩を守ります。だから大丈夫です。はい」

「自分に言い聞かせてる?」

「…………少しだけ」

 何で自分がこんな目に。それは命を握られてから? 『しにがみ』を服用してから? いつ何処のタイミングにせよ時すでに遅し。己の不幸を嘆くくらいなら勇気を振り絞ろう。改めてライトを起動させると、段ボールで遮られた奥のエリアへと踏み込んでいく。

「あ、あれ?」

 凄惨な死体がそこに待ち受けている現実を想像した。どれだけ惨いかは想像もつかない、見るまで自分の反応すら分からないだろうと、おっかなびっくり近づいて行ったつもりだ。何もないとすれば、とんだ肩透かしであった。

「な、何もない……ていうか誰も居ないのか?」

「その割にはニオイが酷いわ。見て九十。机の上に妙な陣が書かれてるでしょ? その上にある聖杯に並々と注がれているのは?」

「……………えっと、血、ですよね。って聖杯って何ですか?」

「カリスって言った方が良かったかしら」

「そうじゃなくて」

「夜に部室入った時に見かけたのよ。だからあれは聖杯。部員はそう思ってるんでしょ」

 だがその程度の血でここまで悪質なニオイになるものか。大元がこの部屋にある筈だ。自分が視えてもカメラに映らないと証拠として使いにくいという事で近くの段ボールを探る俺を横目に先輩は杯を撮影していた。何度もフラッシュを焚いて、その度に光を取り込んだ視界が真っ白に染まる。

「湯那先輩。こんなに段ボールが多くちゃやってられ……うっぷ! 少しは手伝ってくださいって」

「…………ねえ九十。これは例えばの話なんだけど、『オヤシロ少年』が嘘っぱちだったらどうする?」



「……どうする?」



 真意を掴みかねる質問。俺と草延が康永先生から引き出した話を湯那先輩が知っているとは考えられない。だから決してその事を指しているのではなく。だが指していないとすると?

「……意味が、ちょっと分かりません。ちょっと前の俺だったら『かもじゃなくて嘘』って言いきったと思いますけど、『ハクマ』の件もありますから……何とも」

「聞き方が悪かったわ。オカルト同好会がこの噂に飛びつかない筈がない。けれどもこの噂が流れたのはつい最近の事ね。『ハクマ』について調べてた時、他の関係ない資料にもざっと目を通したけど何処にもこの噂の事なんて書かれてなかったわ。だからもし……もしよ。これが嘘だとしたら」

「したら……?」

 気になって、ライトを先輩の顔に向ける。近くの棚を蹴って上に詰まれていた段ボールを叩き落とした先輩は、顔を引きつらせながら笑っていた。




「犯人が居るわ。死神の目を盗んで殺そうなんていい度胸じゃないの」




 口の開いた段ボールからは、スカートを履いた女性の下半身がゴロッと…………。

「ぁうあ! な…………あ………………………あぁあッ……」

 息が詰まる。

 詰まった息を戻そうと、感覚は過敏に正常に。

 または異常に作用して、臭いすら忘れて。ただ解放されようと声を上げた。

「うわああああああああああああああんぐぉ―――!?」

「静かに!」

 その声を無理やりせき止めたのは、物理的な肉の壁。もとい先輩の実りある乳房。

「現場は幸い見つかってない。取り敢えず廊下に出ましょう。話は後。まずは綺麗な空気を吸って貴方が落ち着いてからね。いい? オーケー? アンダスタン?」

 暗闇の中を抱きかかえられるように連れて行かれる。ほらこれだ。実際死体を見た時の反応なんて想像も出来ない。学校に立てこもるテロリスト、妄想なら幾らでも倒せるのに。その程度の妄想よりも余程現実とすり合わせるのは簡単なのに。



 『ハクマ』に殺されかけて尚、俺は想像以上に情けないし。

 御堂湯那先輩は物怖じ一つせずに、現実をあるがままに直視していた。



 廊下への脱出は、即ち日常への帰還を意味する。窓から身を乗り出すと、飛び降りる勢いで息を吸い込んで、吐き出した。血の臭いを忘れようにも、残滓が鼻にこびりついている。暫くはこの痺れとも付き合わないといけないか。

「……気が変わったわ。九十」

「―――は、はい?」







「『死神』の力、見せてあげる。犯人を一緒に探しましょうか」

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