死神狂い
「ちょっとちょっとお客さん困りますよー。こっちはうちの家ですー」
ここは飲食店には違いないが同時に店員達の家でもある。所謂立入禁止ゾーンを超えて堂々と響子に会いに行くと、最初はお決まりの文句で突っ返されそうになったが。
「―――何の用? 注文しに来たわけじゃないよね」
「車を出して欲しい。それで家に帰るから」
「クルマ? 車ってあの車? カー? エコカー?」
「エコかは知らないけど、必要なんだ。頼むよ」
父親の歩明に直談判するのも手だったが、どちらかというと娘からの頼みの方が断れない様な気がすると言う打算的な意味合いがある。交渉しやすいのも同年代の彼女に軍配が上がるから、総じて自分の判断は間違ってないと思う。
「ん-と。お得意様サービスで送迎なんてやってないんだよね」
「……こんな事言ったら笑われるかもしれないけど、命を狙われてるんだ。頼む。使わせてくれ」
「―――それは嗤わないけど、運転するのってお父さんしか居ないし。私に頼めっての?」
「そうなる」
「うーん」
難色を示すのも当然か。俺だって理由もなく自分家の車をだせなどと言われたらまずこんな反応をする。頼むのは俺という所が肝で、何となく気まずい訳だ。常識的に考えてナンセンスな頼みごとを親にするなんて。
「命は誰に狙われてるの? まさか死神って言わないよね?」
「そっちも狙われてるけど、能動的に狙ってるのは薬物中毒者だ」
「へ? 待って待って―――頭ん中が現実とリンクしない。なんかさらっと流された事もそうだし……薬物中毒者って何? 警察案件でしょそんなん」
「何処から説明したらいいかな…………えっと」
『しにがみ』という薬を『シニガミ』と呼ばれる人物が売っている。それと『死神』は今のところ関係ない。これを音に起こすと相手を馬鹿にしているとしか思えなくなる。なので詳しい事情を避けて、出来るだけ簡潔な説明をしなければ、協力は得られまい。
「そのクスリを売ってる奴がちょっとした有名人で、警察も追いかねてる奴なんだ。だから警察案件って言っても犯人は捕まえられない。中毒者を捕まえて居場所を吐き出させようにもそのクスリを服用した奴は必ず消えるって話なんだ。嘘みたいな話だろうけど、調べれば分かる。この売人が現れたのは昨日今日じゃない。外にも犠牲者が居て警察は捕まえられてないんだよ」
「……ふーん。じゃあちょっと待ってね。信用しない訳じゃないけど、ネットで調べるから」
「いや、全然疑ってくれていいよ。その方が安心だ」
そしてどちらに転んでも、俺には収穫がある。ネットで何の情報も転がっていないなら『シニガミ』関連の話は一気にきな臭くなる。草延には悪いが、そこには別の真実があると見て間違いないだろう。ただ、その収穫は状況が悪い。結局この場を凌ぐ必要が生まれるのだ。
銃を撃った人間が直ぐに逮捕される様な状況でも、撃った弾は止まらない。
幾ら先を視ているとはいっても今この瞬間が大事な事だってある。携帯の画面を眺める目がぐっと小さくなった。
「…………成程ねー。じゃああれなんだ、『シニガミ』って売人はこの町に居るって事だ」
「学校にテロリストが来るくらいびっくりな話だろ。やっぱり、信じられない?」
「……いや、面白いじゃん。事実は小説よりも奇なりって言うけど、まさかこんな事がうちの近所で起きてるなんて」
「面白いって……俺が言うのもあれだけど、巻き込まれたら死ぬぞ」
「巻き込みに来てるのはどちら様でしたっけ?」
自分の事は棚にあげた客観的な物言いは即座に破られた。薄っぺらい親切心と言われたらそれまでだが、本当に違う。ただこの一連の騒動を面白いという神経が危なくて、だから警告をしたかっただけだ。
「私は協力してもいいけどー、お父さんなんて言うかなー」
「やっぱりそうなるか……」
「私は面白いなあと思うけど、お父さんまでノリノリになるとは思わないね。だって危ないだろうし。お父さんまでノリノリだったら私引いちゃう。ちょっと待ってね、考えるから」
まともな大人としての信用は時に大きな壁となりうるようだ。口から考えが出ている事も気にせず、響子は分かりやすく頭を悩ませていた。
「休みが~違うか。車に乗せたいからも……やっぱ新サービス的なあれで……手間、かあ。あーどうしよう。遊び半分に乗っかるなんてしないだろうから、もっとこう合理て………………ない」
「…………」
不安だ。そんな曇った気持ちを晴らすように、響子は大きな声をあげた。
「うん、無理だ!」
曇った気持ちは晴れたが状況はまるで良くなっていない。娘に無理と言われたらどう頑張っても父親を説得する事は出来ないという事だ。それ自体は自然な話で、むしろ俺が無理を言っている側なのだが……どうにかしたかった。
「どう考えても無理、絶対に無理。お父さんがこんな事に手を貸す訳ない」
「こんな事扱いはそうだけど、確かにそうなんだよ。そこを何とか……出来ないから悩んでるんだろうけど」
「うーん…………そうだなあ。全然何にも思いついてないけどやるだけやってみる。悪いけど、このお店が閉店するまで居てくれる? それが駄目なら、諦めて」
部外者の響子が頑張ってくれるというのに、俺達だけが我儘を言うのもどうだろう。草延次第と言いたいが、既に学校宿泊の経験もあるし、問題ないか。
「分かった」
まずこのお店がいつになったら閉店するのかという問題もあったが、草延は二つ返事で了承してくれた。個室の中で静かにしていれば他の客にも存在を気づかれまい……まずそこまで客は入っていないのだが、一応。
客入りの少なさを単価で補っているのかもしれないが、流石にお店として経営出来ているか怪しい所がある。それくらい人が来ない。
「もう九時ね」
「まだお店としては営業してるのが多いだろうけど、ワンチャン閉まるかもな」
もう自分の家みたいに寛いでいる。食後の一杯として水でも飲みながらまったりと時間が過ぎるのを待つなんていつぶりだろう。生徒会は忙しすぎてそんな暇もなかった。
「やっ」
入口を仕切るカーテンから響子が顔を突き出した。
「もう店しまいになります。お父さん先に戻らせたから動けるよ。こっち来て」
「……ちょっと待った。結局説得は出来なかったのか?」
「出来る訳ないでしょ。でも大丈夫。代案を考えたから。二人共住所教えてくれる?」
「俺は…………えっと、車に乗ってからでいいか?」
「あいよ。そっちの方は?」
「人間教会」
「―――へえ。あんな所に住んでるんだ。おっけ、そっちは大丈夫」
お店の立入禁止エリアを抜けると、そこは裏口だった。外に出るとガレージがあって、中には銀色のワゴンがあった。
「はい乗って乗ってー」
「おい、結局どうする……」
響子が得意げに見せた鍵を見て、何と声をかけてやればいいだろうと思った。頼んだのは俺、無茶を要求したのも俺だが、その案はどうなんだ。
「無免許運転……マジで言ってるか?」
「一度運転してみたかったんだよねー。これ、内緒ね? 警察が張ってるような道は無いから、顔を見られなきゃ……マスクと帽子すればバレないよね」
「大胆なのね、ここの店員さんは」
「大胆っていうか…………」
法律を守る気が無いというか。
でも、これに頼るしか安全に帰る方法はないのだ。俺達が相手にしているのはクスリに狂わされた中毒者。まともな神経じゃあしらう事も出来ない。
住所を耳元で教えると、響子は車のキーを挿して、チェンジレバーを握った。
「ATだから何とかなるっしょ。ほいじゃ、しゅっぱーつ」




