人並小波月並子
「美味しい」
「やっぱりいつ来ても感動するくらい美味いよ。見るからにぼったくりなのに適正価格だって思わせてくれる」
食事の時に会話を楽しむタイプではないようで、味の感想を言い合っている程度の静かな食事が続いた。居心地はそう悪くない。表情が動かなくても草延が心から気に入ってくれているという事くらい読み取れる。メイン料理が来るまでの束の間、彼女の指の綺麗さに見惚れていた。
否、そこに目が行く要因は箸使いの綺麗さに由来している。普通の高校生とは思えないというのも偏見だが、今まで出会ってきた女子にこんな人が居なかったのどえ仕方ない。先輩も綺麗な方だが、それは常識的な範囲で綺麗という意味で、草延のそれはもう一挙手一投足が美術品の様な、見栄えという意味で連れてくるお店を間違えたみたいな錯覚を覚えさせてくれる。
「……食べ方綺麗だな」
「おとうさんが教えてくれたの」
「……高級料亭に連れて行った方が良かったか? 俺はお前の生活環境知らなかったけど、意外とお嬢様だったんだな」
「そうでもないわ。おとうさんはいつもお金がないって言ってる。ただ私には『一人でも生きていける様に』って。いつか自分は居なくなるからって」
「…………本当のお父さんじゃないんだったよね。じゃあ居なくなるって。遠くに行くって事か?」
「さあ。でも本当の父親でも、いつかは居なくなるものよ。貴方の父親はどんな人かしら」
「お待たせしました~」
草延の頼んだステーキが運ばれてきた。俺はもう少しお預けか。会話とは食事が中だるみした間を継ぐ材料に過ぎない。食事が来れば当たり前のように会話を中断して、その味に没頭する。この個室は防音仕様でも何でもなく、ただ食事以外の情報を極力排除しているからこその狭さだ。
―――俺の父親か。
別に普通だ。特別言う事はない。ちょっと放任されているくらいで、子供の頃は欲しいものをまあまあの頻度で買ってもらえたくらいの。一般的に良好と言えるくらいの関係。だけれど必要以上に干渉もされないから俺もそこまで邪険にはしていないというか。生徒会に忙殺されても事情を受け入れてくれるだけ有難いから、それ以上は望んでいないと言いますか。
だから特に言う事はない。いつか居なくなるのはそうかもしれないけど、今はその想像が出来ない。体験主義者とまでは言わないが、今まで居て当たり前だった存在を頭の中で消してみて、それが現実の感覚と一致するかどうかと言われたらまずあり得ない。大体過小評価している。
「……俺が消えたら、どんな反応するんだろうな」
「…………それは」
「『しにがみ』を食べただろ。なんか、俺だけ行方不明にならないけど。それで消えちゃったらどんな反応するか気になる。単純な疑問としてさ」
「………………それは私も気になるけど、したくもない想像ね。八重馬クンが居ないと一緒にご飯食べてくれる人が居なくなるもの」
「そんな理由で、リンネは悲しんでくれるのか」
「どんな理由でも悲しめるものよ。きっとこの料理に舌鼓を打つのと同じくらいには、簡単に」
「お待たせしましたー。追加注文があったらまた押してねー」
程なく俺の所にもSサイズのハンバーグがやってきて、注文は出揃った。生徒会室で雑に行われた食事とはくらべものにならないくらい静かで、満ち足りた静寂の中、食事は黙々と行われる。騒ぐ事だけが楽しさではない。こういう落ち着いた楽しみ方もちゃんと存在する。俺にはまだ天体観測やアクアリウム観賞のような視て楽しむ趣味はいまいちハマらないけど。食べれば美味しい食事は分かりやすくてハマリやすい。
食事に拘る人間が居るのも分かる気がした。学生のただならぬ金銭事情からここにはそう足を運べないのだが……バイトをすれば、或いは。生徒会に入っていなければしていただろう。二人で視線のみを交わして食事を満喫していると無粋な通知音が一つ。白兵からだ。
『お前、今何処?』
『レストラン』
『だから何処だよ』
『そんなに草延と食事がしたいのか?』
『それはしたいけどそうじゃねえ。陸上部にものすげえ勢いで詰められて焦ったんだよ。お前等二人を探してたぞ』
―――探してた?
まさかと思うが、拳銃への対抗手段を用意したのだろうか。道中、奪う手段がないので拳銃はまだ所有しているだろう。撃たせたくないのは当然としても、そこまで只ならぬ様子なら顔を見るや襲い掛かってくる可能性もある。その時の引き金の軽さと言ったら仕方ない。全ては自己防衛の為だ。
「…………」
休暇を取れと湯那先輩は言ったけど、休む暇があるのかどうか。下手に脅したせいでとんでもない奴に目を付けられてしまったかもしれない。だけど、あれで助けられたのも確かだ。どうにか穏便にやり過ごせる方法は無いだろうか。
当人に言っても望むところと銃を構える姿が目に見えている。ここは何も無かったという事にして切り抜けたい。
「リンネ、食事の後のデザートは必要かな?」
「……戴こうかしら」
細い身体の何処にそんな食い意地があるかは分からないが、今はこれで時間を稼ごう。俺も可能な限り、ゆっくり食事をして時間を埋める。
二人きりの団欒は、伸ばそうと思えば幾らでも伸ばせた。注文も大してしないのに居座る行為はお店の回転率を下げる行為に等しく通常なら嫌がられるだろうが、ここは知る人ぞ知る、基本的には誰も来ていない事がデフォルトのお店。たまに入ってくる音は聞こえるがその程度で個室は埋まらない。幾ら居ても大丈夫なのも、また強みだと思う。
『湯那先輩、何か分かりましたか?』
今は二人で携帯の画面を見ており、我らが生徒会長とグループでやり取りしている。単に別行動を取る会長から見て外がどんな様子かを知りたい。それにもし進展があるなら、『シニガミ』の正体に大きく近づくと思ったのだ。
『悪いニュースともっと悪いニュースどっちが聞きたいかしら』
『どっちも嫌です』
『じゃあ悪いニュースから。波津君のお宅にお邪魔したけど、彼の存在は居ないまま生活が成立してたわ。彼の家族には死んだ筈の波津君が視えてるみたい』
『もっと悪いニュースは、多分『しにがみ』を奪った子だと思うんだけど、血眼になって九十を探しているわ。あらゆる手段を厭わないって感じで、職員室で先生の首まで絞めようって時はどうなるかと思ったから』
やっぱり外は危険かもしれない。
だけどいつかは家に帰らないと。問題はそのタイミングだ。ここから出る瞬間を見られたら以降はマークされる。安全な隠れ場所としても使いたい都合上、このお店の存在に気づかれる前には少しでも遠くへ離れていたい
だけど家で待ち伏せられていたらそれはそれで無意味な……いや、そんな事はない。自分の家に帰ろうというのにわざわざ裏口から帰る人は居ないだろう。それと同じで、相手が待ち伏せをしてようが何だろうが、正面から入るのが一番だ。
話は聞く。
『しにがみ』は渡さない。
「何でそんな必死になって取り戻そうとするんだろ。中毒症状なんて起きてないと思うんだけど」
「……会長には言い忘れたけど、やり取りの中には波津君が陸上部の和大君に薬を流してるやり取りもあったわ。滅多に手に入らない代物なら、必死になって探すのも分かる気がするわ」
「そんな物なのか」
「もしも襲ってくるなら、私は引き金を引くけど」
草延はあっさりと言い切って、俺に話題を振り直した。
「八重馬クンは大丈夫かしら。相手が女子でも殺る気に溢れているなら、とてもじゃないけど勝てなさそう」
なんて、忠実な評価。確かに俺は、誰も殺せないし、引き金なんて引くわけない。負けるのは当然の道理か。勝負をする気がそもそも無いのだから。
「リンネはここで待っててくれ。俺はちょっと話をしてくる。このお店を安全に出ないと」
俺の話に乗ってくれるかどうかは話術にかかっている。
生徒会で鍛え上げた話術を発揮する時が来たようだ!




