穏やかに忙しなく忙しくもなく
「じゃあ草延さん、聞き取り調査の奴」
「全学年分、用意しました」
「ん」
束ねられた書類を受け取ると、先輩はファイルに一括で留めて端に追いやる。俺の方は意見箱に放り込まれた紙の選別を行っており、それは今しがた終わった。我らが生徒会長は学校生活の不満を何とかして解決してくれるその信頼から、死に箱になりがちな質問箱や意見箱にかなりの量が届く。
換気の条件などはつけられたが、各学年各クラスにストーブが配られたのは彼女の功績と言えるだろう。
「先輩、これがまともな意見です。先生に通した方がいいのもあると思います」
「はいはい……あー。トイレの壁の修繕とかは、そうね。陸上部は、物が不足し過ぎな気がするわ……誰、意見箱に備品購入要望入れたの。中身からしてこれも陸上部かしら、ちょっと物求めすぎじゃない? で、九十。あっちはどうなったの?」
「あっち……文化祭の予算の話なら、草延に任せました」
「予定が合わないそうなので、また明日とあしらわれました。これは、どうした方が良かったでしょう」
等々。賑わいのある忙しさに殺される日々。生徒会の活動を満足に行うにはまだまだ人数が足りないが、一人増えるだけでもその負担率は変わってくる。ちょっと前は死神とか一切関係なしにこのまま殺されるのではと思ったが、今は草延が幾らか負担してくれるお陰でかなり楽だ。
「先生の都合は仕方ないわ。こっちだってお陰様で自由に行動出来てるんだから。生徒の自主性を重んじるなんて言うけど、実際その保障された自主性を活かしてるのは私くらいなのよね」
「先輩はちょっと……自主的すぎるような」
「この学校を基準にするなら、彼に同感です」
「む」
この生徒会に留まるメリットの一つに、険しい顔以外の湯那先輩を見られるというものがあると言ったが。草延が加入してから数日は面白くなさそうにしている。『しにがみ』事件に劇的な進歩があった訳でもないから、それに関連しているとも考えにくい。
特に、俺と草延で団結して反撃していると不満そうにしている。何故だろう。
「―――話を戻しましょうか。あれはどうなったの? 特別棟の階段で、スカートを覗かれてる気配がするってものすっごい量の苦情? 意見? 調査希望? 良く分かんないけど、来てたでしょ」
「経過観察中って所ですかね。草延と協力して休み時間置きに通ってもらってるんですけど」
一部クラスメイトからお御足と言われるくらい、彼女の脚線美は見惚れる要素がある。特に冬場の草延はほぼストッキングを履いていて、それが一部で大ウケしている。目線をやると、彼女は隠すように足を組んで、ぷいっと俺から目を背けた。
「特に気配は感じないです。私はその時生徒会に居なかったので分かりませんが、想定された状況は同じ物なんでしょうか」
「どういう事?」
「例えば、その人が規定のスカートの長さではなかったとか。だから覗いても良いという話ではなくて、スカートが短い人だけが覗かれるんだったら、犯人を捕まえる為にもやり方を変える必要があると思います」
「まさかお前、その為だけに校則を破るのか?」
「必要な犠牲よ。必要だったらね」
なにぶん、人数が少ないから仕事はどうしても並行でこなす事を強いられる。今は昼休みに集まって定例会議(というが、たまに気分で行われる)の真っ只中だ。生徒会に入ると遊ぶ余裕なんて生まれない。だから今も―――特に俺が、隙あらば入会を呼び掛けたりしているのだが、その成果は芳しくない。
誰だ、一年生に生徒会だけは入っちゃいけないと教えた奴は。
「そういう変わり種はもう少し様子を見ましょうか。私ちょっと出てくるから、二人は適当に食べてて」
先輩が席を立って生徒会を後にすると、草延は言われた通りに弁当箱を開けて小さく合掌。音もなく昼食を始めた。
「生徒会入ってまだ一週間も経ってないけど、俺より順応が早いな」
「こういうのは慣れてるだけ。噂に違わず沢山働かされるのね。ええ、気が紛れて助かるわ」
同じクラス、同じ委員会、『秘密』を共有した二人。
特にきっかけはないが、草延との距離は確実に以前よりは縮まっていた。仕事でペアを組む事があるのは彼女の方から協力を頼んでくるからだ。クラスでは草延が生徒会に入ったのは湯那先輩の圧力と言われており、大半から同情されている。幾ら草延にお熱なクラスメイトも、生徒会に入るのだけは勘弁なのだ。
「八重馬クンはスカートが短い子と長い子、どちらが覗きたくなるかしら」
「覗かないは無しかおい。でもそういう事が起こるのはどうしても短い奴に偏るんじゃないか? 太腿の上の方までスカート上げてる奴とか居るだろ。ああいう奴は階段を先に上らせちゃいけないって暗黙の了解が俺にだけある」
「紳士なのね。もし私がばっちり覗かれるようだったら、その時は確保をお願い。現行犯なら言い訳も聞かないわ。一緒に覗こうなんて誘いは断るのよ」
「極々自然に俺を変態に仕立て上げるなよ。そっちはまだ時間が掛かるだろうしさ。放課後に動けそうなのは陸上部が色んな物の要望を送ってくる方だろ。こういうの全部通すと生徒会費の内訳がおかしな事になって生徒総会で突っ込まれかねない。実地調査に行こうリンネ」
先輩が居ない時、出来れば彼女の事は名前で呼んでいる。こちらからの理由は特にないが、草延の方が『この方が秘密の関係っぽい』と形から入るのが好きらしい事を暴露してきた。
「私は構わないけど、『しにがみ』事件の方はどうなの? 裏生徒会は集合しなくて大丈夫?」
「定例どころか気分次第だぞあれ。決定的な証拠とか信憑性のある情報を握らない限り先輩は動かないと思う。リンネは『しにがみ』の噂を追ってたみたいだけど、先輩は良くない噂程度の認識だったし」
生徒会に入ると草延と湯那先輩の二人から頼りにされる……そういう宣伝をすれば、一人くらい下心増し増しで来たりしないだろうか。いや、そういう奴はすぐ辞めそうだ。それで悪評に尾ひれがついたら手の施しようがない。
見た目だけなら湯那先輩は一年生からも絶大な人気だと白兵から聞いたから思いついたが、この案は没か。
「そう言えば、約束の話」
「ん?」
「勉強を教えるって話。少し予想とは違ったけど、この話に混ざれているのは貴方のお陰だから。今日辺り、どうかしら。八重馬クンの家で」
「え!」
驚いたような声の意図を、草延は掴みかねている。てっきり放課後に残ってみてくれるのかと思ったら、家に招かないといけなかったのか!
「あー! 学校……の何処かの教室借りるのは駄目か? 部活で使われない場所とか!」
「……ええ。構わないけど。家に事情でもあるの?」
「事情っていうか、流石にお前を家にあげたら交際相手と勘違いされる」
「誤解は解けばいいじゃない」
「解けばいいんだけど、そこまでの微妙な空気が嫌なんだよ! プライバシーの侵害的な……お、お前だって嫌だろ? 俺からさ、家族死んだって聞いてたのにお父さん居るじゃんとか言われたらさ!」
「…………そこは勝手な勘違いね。私の家族は『しにがみ』で壊れて、死体もなく消えたわ。おとうさんは天涯孤独になった私を引き取ってくれた人よ。その人も別に、結婚している訳ではないのだけれど」
「―――気にしないんだな?」
「秘密の関係だからよ。八重馬クンが知りたいなら私の事は幾ら嗅ぎまわってくれても構わないわ。代わりに私も気になったら聞くから、嘘はやめて頂戴」
「……分かった。嘘を言いそうになったら答えないでおく」
先輩と比較するとなだらかな胸の膨らみがぐっと大きく動いたかと思うと、草延は身体を硬直させる。
「は? り、リンネ?」
「………………み」
「み?」
「水。むせっこほ! こほ!」
ああ、むせたのか。
こうして話してみると草延も多少不愛想なだけで、近寄りがたい雰囲気も感じない。もっとオープンな性格だったら学年一の美少女と呼ばれても違和感がないくらい、親しみやすさがある。自分の分の弁当を食べながら見つめていると、真っ黒い瞳が伏し目になって見つめ返してきた。
「あんまり見ると、貴方の事も見るわよ」
「え…………?」
ちょっと、何か。ズレている気もするけど。
テストの点数で大差をつけられている俺のどの口が言っているのかという話ではあるものの、今のはアホっぽくて不覚にも可愛いと思ってしまった。




