運命の恋目録
新作です。よろしくお願いします。
子供の頃、病気に罹った。
誰も治せない、未知の病。今はもう名前も覚えていないけれど、胸が苦しくて、身体中がイタくて、僕でさえも全部諦めて、眠りたくなっていた時。
ずっと。
ずっと僕の手を握っている女性が居た。命のない白い長髪と、瞳孔のない、黒く塗りつぶされた左瞳、ランタンみたいに白い灯が点った右瞳。とっても、悪夢みたいな女性。
「君、もうすぐ死ぬよ。何か言い遺す事はある?」
「――――――――」
声を出すのも苦しかった。目を動かすのも、別に苦しくなくても面倒になる程度には参っていた。それでも僕は知っていた。それでも僕の手には残っていた。家族の誰も見舞いには来なくなった日から、一秒も絶やさず、傍に居てくれた事を。
「――――――っ。っ!」
こんな痛ましい感情が恋なんて言えないか。
いや、その時は間違いなく正しかった。白亜の壁とトラパーチン模様に囲まれる中、僕はその人に恋をした。
「…………それ、初めて聞いたな。後悔するよ、そんな事言ったら本気にする。誰でも」
「…………?」
それでもいいと思った。口に出さないのは間違っている。もう、後何秒かの命で、伝えたい事があっただけの話。
彼女は、両手で包むように手を握って。
「じゃあ、君は殺さないでやる。もう少し生きて、考えを改めなさい。それでも治らないで、もう一度同じ言葉を言えるなら」
「その時は―――」
『起きろおおおおおおおおおおおおおお? おおおおおおおおおおおおおい。おおおおおおおおい』
夢はいつか終わる。そのきっかけは様々で。今回は友人の声だった。
「…………ん、んだよ。人が眠ってる時に、邪魔するなよ」
「いや、放課後だから。お前仕事あんだろ仕事。サボるのは校則違反だぞ」
かくいう男は、両耳にピアスを着けており、これ自体が校則違反だ。常に違反している奴に正義で咎められたくはない。片光白兵はアウトローの男で、お前が校則を持ち出す事がまずおかしいのだと声を大にして言いたい。
寝起きながら、俺こと八重馬九十は心の中の反論に余念がない。今回は傍迷惑でしかないが、コイツはコイツで間違いなく友人だ。少なくとも俺の事を『キュートちゃん』と呼ぶ奴に比べたら大親友。
机を擦るように上体を起こして、気だるそうに天井を仰いだ。記憶が確かなのは掃除が終わった所まで。HRが始まるかどうかという所から記憶は途絶えている。午後はお弁当を食べてからというもの、どうにも眠気を抑えられない。
「生徒会の仕事って、忙しくないって話だったんだけどな……」
眠気があるのは毎日の疲れが溜まっているからだ。昨日も帰りが遅かった。吹奏楽部より遅いなんてどうかしている。それもこれも、新しく生徒会長を継いだ人間が他人の怠惰を見過ごせない人間だったからだ。
去年までの生徒会は行事の時に運営を務めるくらいで基本的な仕事はない。たまに来る書類に色々書いたり判子を押したりと、その程度だと聞いていた。だが彼女が生徒会長になってからというもの、生活は一変。
校則を盾にした正論と、妥協と努力を厭わない姿勢、そして何より確実な結果の収束。
先生も会長には強い意見を持てなくなり、見事この校内は支配された……。
という言い方は悪い。普通に生活していればあんな頼りになる先輩もいない。テストの時とか、やる気を見せれば補習をしてくれると専らの噂だ。
「何だよ萎えてんのか? やめたいならそう言えばいいんだ。そんで一緒の部活かバイトにでも入ろーぜ」
「そういう訳じゃないけど……今日だけは、ちょっと気を張るよな。や、忙しいのはいつもの事なんだ」
だって、生徒会メンバーは俺と彼女しか居ない。先代が居なくなって残ったのは、俺と同じ楽な噂を聞きつけてきた人ばかり。風向きが変われば辞めるのは当然の流れだ。
「入ったのは俺の意思だし、どこ行っても忙しいのは当たり前だ。それならあのままでいいよ、書類書くのも面倒だし」
「何だよもー。んじゃ早く行けよ。このままお前をうだうださせたら会長に怒られんの俺だからな」
寝起きの怠さも少しずつほぐれて来た。白兵への別れも程々に、生徒会室へと向かう。腰程に長く、闇より綺麗な黒髪と高校生とは思えないスタイルが、最初は人気だった。今も人気ではあるが、それは異性というより頼れる人という意味合いが強い。
「失礼します」
扉を開けると、自習に精を出していた会長がチラリと目線をやって、また何事もなくノートに視線を戻した。
「遅いじゃない。また寝てたの?」
「え。よくわかりましたね」
「そりゃ、もう君しかいないものね。私の側に居てくれる人」
内側から鍵を閉めて、窓の施錠を確認。季節は十月。今はストーブも付いていないし密閉しても違和感はない。
「……?」
カーテンを閉める。窓から差し込む光も隅っこに置いてあった段ボールを貼り付けて遮る。信頼からかこの部屋に先生が立ち入ることは少ない。
今や完全なる密室となって、先輩後輩が二人きり。
「何、何なの?」
「御堂湯那先輩。一つ聞いてもいいですか?」
「…………質問くらい、こんな手の込んだ事しなくても聞くのに。いつも面倒かけてるんだし」
「昨日、何で界斗を殺したんですか?」
俺が生徒会に残っている理由。
それは彼女に、アノヒトの面影を感じているから。『僕』をたった一人見てくれた、白いヒト。全く顔とかは似ていないけれど、どうしてか目が離せない。その理由が知りたくて、残っていた。
「………………」
作られた暗闇の中で、御堂先輩は動かない。そして、どんな表情をしているかも伝わらない。
ただ一言。
「何か言い遺す事はある?」
ああ。やっぱりそんな言葉。
昨夜の、何でもない行動が運命を分けた。もっと言えば、あんな時間に帰る羽目になったのは誰のせいか。
全ては因果。因果は巡る。
死神が、俺の所に戻って来た。