寅 走 3
「さて、どうしてやろうかのう」
そう呟きながら西の神が座すのは、日本海を一望できる鋭く高い山の山頂であった。
遠くにきらめく海は一見大人しそうに見えるが、渡ろうとすれば牙をむく自然の壁である。
造化三神の性格のせいなのかは実のところ分からないが、何人たりとも入れたがらない風が常に吹いているのと、唐突に荒れ始める海のせいで神が通るのも一苦労なのだ。
(どう関わるのが一番面白い?)
参加しないと言い張った西の神であったが、じつは別の視点からこの四季神主催、徒競走大規模観戦を堪能しようとしていた。
スリルを味わうなら、四季神という神を喰い、成り代わることで、四季神に降りかかろうとしている責任を一手に背負うも一興だ。それで自身が消し飛ぶことになっても面白い。
はたまた、徒競走に参加している動物たちを、終着点直前に襲ってみるのもいいかもしれない。西の神を倒したものだけが先に進める、なんて、どこかの勇者を仕立て上げるようで良いではないか。
それとも、徒競走に参加する獣,上位十二位すべてに手を貸し、その恩返しにと十二の願いを献上させてみようか。
「オイ、邪神白虎」
天の暴風のような低い声が頭上から響く。
西の神は耳を低くしてその大声から逃れると、武神の性を隠しきれぬ笑みを浮かべて空を仰いだ。
「相も変わらず上からじゃのう、目線を合わせて話すことはできんのか」
逆光に目を細めながら仰ぎ見た先に映るのは、体をうねらせ弧を描くように旋回する巨大な青い龍の姿であった。
「なんじゃ西の神を捕まえて邪神呼ばわりとは」
「事実ダロウ。海ノ向コウヲ見テ何ヲ企ンデイタ」
「失礼じゃのう、何も企んでなど…いやおったな。のう、青龍、東の神よ、知っておるか?」
「例ノ四季神主催ノ祭リノ話カ。勿論聞キ及ンデイルトモ」
青龍は天から降りてくると、山に爪を突き立てて絡まるように着地する。大地はかなり揺れ、人類は何事だと慌てふためいているだろう。
「参加するのか?」
「当然ダロウ、コノヨウナ悪意無キ娯楽早々無イ」
「悪意無いのかのう」
神に悪意という概念は無いが、娯楽と思ってやったことが度を過ぎてとてつもなく悪辣になることは珍しくない。今回もそうならないとは断言できないが、正義だの何だのに敏感な青龍からみてこの大規模観戦に悪意の気がないというのだから、今のところ悪意に転じる魂胆をもって観戦しようとする神はいないのだろう。
「タッタ今!悪意ヲ白虎カラ感ジタタメ我ハココニ来タマデダ」
「そりゃご苦労じゃの。名誉のため言っておくが、吾は手っ取り早く、やってはならぬことをやってはならぬと伝えておるだけで、悪さなどしておらぬぞ」
「今回ノ祭リニハ、我ガ末裔モ参加スルト言ッテオッタ」
(聞け…)
自分の話以外に興味が無い辺り、こいつもつくづく神だなと思いながらも、先ほど聞き捨てならないことを青龍が口走ったように思い、聞き返す。
「ん?お前今何と言った」
「悪意ヲ白虎カラ感ジタ」
「違う、そこでない」
「我ガ末裔モ参加スル」
「何故!?青龍の末裔は神の類ではないのか」
西の神が食い気味に身を乗り出して聞いてくることを珍しく思いながらも、青龍は何くわぬ顔で言った。
「知ラヌノカ、我ガ末裔ハ神デ無キ者モオル」
「…そうなのか?」
西の神が神の世界で幅を利かせて力を持つのに対し、青龍は人間の近くに現れることでその信仰を集め大きな力を持っている。
その在り方が、龍の別個体を生んだのか、青龍自体が分裂して、その分裂した中に神の力を持たぬ者がいたということなのかは図りかねたが、龍がその徒競走自体に参戦できるというのは少しずるい気がする。
(そりゃあ、観戦するより参戦したほうが絶対に面白いに決まっている)
よくよく考えてみれば西の神は、観戦型の祭りより神同士の腕比べのほうが性に合っている。しかし敵が、しがない獣なのであればお話しにならない。圧勝してしまうから面白くないと思っていたが。
(そういえば、規則に「神が参加してはならない」という話はなかった)
西の神は目を輝かせるとその場で立ち上がり、大きな声を出して言った。
「それじゃ!!」
「何ガダ」
「ふふふ、楽しみじゃのう」
「ダカラ何ガダ」
楽し気に笑む西の神の横顔を青龍は呆れた目で見つめたが、先刻感じた悪意に転じる気を感じなかったため、禄でもないことを思いついたのであろうことは察せられたが、あくまで聞かなかったこととし、触らぬ神に祟りなしとその場から飛び去った。