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Ⅰ.First emotions of love

他サイトでの自主企画に参加させていただいた作品の再掲です。

 キスをされている。


 夢うつつながらそう理解した瞬間、靄のかかっていた思考が僅かにクリアになる。

 けれど眠気には抗えなくて。ルーナはぼんやりしたまま唇に触れる柔らかさと甘く優しい香りに包まれ、逃れられない。

 ルーナ、と兄の声で名前を呼ばれた気がしたけれど、彼女の意識は暗闇の中へ眠気とともに溶けていった。





 ……夢?

 翌朝、朝日とともに目覚めたルーナは釈然としない気分とともに首を傾げた。

 昨夜、異母兄のアレクセイと恋人のようにキスをする夢を見た。変なの。私たち兄妹だから、そんな関係になるわけがないのに。そんなこと、したこともないのに。

 コテンと頭を横に倒す仕草に、着替えを手伝ってくれている侍女が不思議そうな顔をした。


「姫様、どうかされましたか?」

「あ……いいえ。なんでもないわ」


 返事をして鏡の中の自分を見ると、いつもと変わらない自分がいた。

 母譲りの黒く波打つ髪。金色に光る瞳。白い頬に載せられた、薄い唇は相変わらずにこりとも微笑むことを知らない。愛想のない十五歳の第五皇女。

 そんな自分のことを、ルーナは好きでも嫌いでもなかった。


「ルーナ、雪が積もってるよ! 中庭に行こう!」


 唐突に開けられた扉に驚き、ルーナと侍女の肩が跳ね上がった。侍女が困ったようにため息をつく。


「アレクセイ殿下、いつも申し上げておりますが許可なく突然お部屋にお入りにならないでくださいませ」

「ごめんよ、でもルーナと今年の冬は雪遊びするって約束したから。だよね?」


 アレクセイに腕を引かれ、返事をしようと彼を見上げたとき、どくんと心臓がおかしな跳ね方をした。夢の中の記憶と同じ、優しい香りが鼻腔をくすぐる。いつも彼が身にまとっている、ライラックの香水。

 違う、あれは夢なんかじゃない。

 唇に触れた柔らかい感覚まで思い出しそうになったルーナは、慌ててアレクセイの腕を振り払った。


「ルーナ……?」

「あ、ごめんなさ……」


 変。おかしい。今までこんなことなかったのに、まともに彼の顔が見られないなんて。

 ルーナは俯いたまま、もう一度ごめんなさいと謝った。


「姫様、今朝から少し調子がお悪いみたいで。ぼんやりされているといいますか……」

「そうなの? じゃあ雪遊びは今度にしようか」

「えっ、やだ! せっかくアレクがわざわざ誘いに来てくれたのに」


 仲良しの同い年兄妹だけれど、昨年の冬はこの国は隣国と戦争真っ只中で、遊んでいる場合ではなかったのだ。

 アレクセイは十四歳の第二皇子として初出征を果たし、ルーナは皇女として国を勝利に導くため神に祈る姿を周囲や国民に示さねばならなかった。とてもつまらない冬だった。今年はやっと十代半ばの子どもらしくのんびりできる。……もう子どもじゃないんだから、なんてお小言を言う大人たちもいるけれど。


「毎年この国は嫌というほど雪が振るけれど、今日もすごいよ。とんでもなく巨大な雪だるまが作れそうだ」

「あら、雪だるまを作るの? 私は雪合戦がしたいわ」

「ルーナは意外と好戦的だよね。僕はもう戦はこりごりなんだけどな」


 苦笑する彼の姿はプラチナブロンドの髪と灰色の瞳という代々皇室に受け継がれた伝統的な容姿をしている。その髪と目の色を羨ましいと感じたことはないけれど、戦争ばかりしている帝国の正統な皇子がそんな気弱な発言をするのは奇妙な感覚がした。

 別に彼は臆病というわけではない。戦場では軍神と呼ばれる皇太子ほど活躍したわけではないが、それなりに敵国の兵を倒し成果を挙げてきたと聞く。

 そして、平和的な考えの持ち主でもない。皇室の政敵とみなされた貴族が絶妙なタイミングで偶然亡くなることが多い宮廷。それらの死に、ここ数年はアレクセイの関わっていないものはないという噂がある。もちろん、証拠はないけれど。


「しかたないわね。今日はアレクセイに譲ってあげる。雪だるまにしましょう」

「本当に? じゃあお返しに最高の午後のお茶に招待してあげる」

「お返しじゃなくても元々今日の午後はあなたとお茶をする予定だったわ」

「最高の、って言っただろう。君の好きなパンの端切れの揚げ菓子を用意させる」

「それは最高ね。あんなに美味しいものが庶民しか口にしてはいけない”余りもの”なんてどうかしてるわ。お姫様ってほんと不自由」


 ルーナの軽口にアレクセイが無邪気に笑うので、ルーナは少し安心した。

 噂について、ルーナは複雑な思いを抱きながらもあまり考えないようにしていた。

 おそらくその噂は事実だけれど、自分に責める資格はないのだ。

 皇后の子ではなく、後ろ盾もないルーナがそれなりに十五年も生きて来られたのは、この兄が彼女にとって危険になる人物を排除して守ってくれていたからでもあるのだから。

 すぐにアレクセイと中庭に出るために、コートに帽子、マフラー、手袋と手早く必要なものを身に着けて準備をする。

 今朝がたの変な夢のことはもう今は、考えないことにした。





 ルーナの母は帝国の生まれではなく、諸国を旅する踊り子だったらしい。偶然、この国の宮廷で芸を披露する機会があり皇帝に気に入られてそのまま皇妃になったそうだ。

 離宮で二人きりで暮らしていたルーナと母は仲は良かったけれど、そういう話は直接には一切聞かないままルーナが六歳のときに母は病死した。

 それは医者の見立てでは病死だったものの、皇后が毒殺したとも噂されていた。本当はどちらだったのかわからない。ただ、ルーナたち親子が皇后に嫌われていたのは確かである。

 ルーナの生まれた日が偶然にも皇后が第二皇子であるアレクセイを産んだ日と同じであったため、皇后が気を悪くしたのがきっかけだった。皇妃は他にもいたが、ルーナたちはことさら嫌われ宮廷から遠ざけられた。

 ただ、アレクセイとの仲は良好だった。誕生日が同じである彼のことをルーナは双子の兄のように思っていたし、彼も同い年の妹と遊ぶために皇后の目を盗んで離宮へ度々足を運んでいた。

 ルーナの母が亡くなるまで、ルーナとアレクセイはただの無邪気な幼い兄妹だった。それは瞬く間に変化した。

 母の葬儀が終わって間もない頃、ルーナにやたらと親し気に話しかけてくる貴族の女性が現れたのだ。母と同じくらいの年齢の彼女は、猫なで声でルーナの世話を焼き、自分のことを母親と思ってくれていいのよ、なんてありえないようなことを言っていた。

 そのことをルーナがアレクセイに相談すると、彼は少年らしくない暗い表情でぽつりとつぶやいた。


「それは……ルーナを利用しようとする悪い大人で、僕の母上の敵でもある人だよ」


 それから数日後、その貴族女性は不運な馬車の事故で亡くなった。

 アレクセイが何か働きかけた結果、こうなったのだろうか。

 一瞬、そう思ったけれどルーナはアレクセイにも誰にもその疑念を口にしなかった。余計なおしゃべりをすると消されるかもしれないということを、離宮とはいえ王宮で育ったルーナは十分に理解していた。もちろんアレクセイも、貴族女性の不運な死についてルーナに何も言うことはなかった。

 その日から、ルーナに不自然に近づく怪しい者はいつの間にか姿を消すようになった。そんなことが続くうちに、アレクセイはふとした拍子にほの暗い笑みを浮かべるような少年に変わり、ルーナは心の底から笑わない少女になっていった。

 それでも、どんなに歪になろうとも、二人の交流は続き兄妹でなくなることはなかった。





「不思議な夢を見たの」

「へえ、どんな?」


 自分しかいるはずのない真夜中の部屋に話しかけて返事がある。そのことが、夢は夢ではなかったと示しているようなものだった。

 窓辺に頬杖をついて中庭を眺めていたルーナは振り向き、声の主――アレクセイを見やった。中庭には、昼に作った雪だるまが原型をとどめたまま佇んでいる。

 ドアを背もたれにして立っていたアレクセイはゆっくりとこちらに歩み寄って来る。

 ルーナは逃げてしまいたいような衝動に駆られたけれど、身体が動かないままぼんやりと立ちすくんでいた。


「キスをする夢」

「誰と?」

「あなたと」

「ふうん。いい夢だね」


 アレクセイはこんな顔だっただろうか。まだ十五の癖に宮廷の陰謀に関わって蛇のような皇子だと言われている。けれど、ルーナといるときは幼くて優しくて温かい少年だったはず。

 ……こんな、私を捕らえて離す気のないような、獰猛な色の瞳をしていただろうか。

 それでもなおたおやかな笑みを湛えた彼は、ルーナの隣に立つといつものように頭を撫でてくれた。

 混乱する。そこにいるのは兄であり、ルーナの胸をざわめかせる大人になりかけた男の人だった。

 ルーナはかすれた声音で問いかけた。


「今夜も夢を見せに来たの?」


 何も答えずに微笑むだけの彼にルーナは少し苛立つ。


「この夢は何回目なの? 何度、離宮に、私の部屋に忍び込んで、わ、私に……」

「口づけたかって?」


 躊躇った続きをさらりと口にされて、思わず赤面する。そんなルーナを見てアレクセイはくすりと笑った。


「それを知ってどうするの? どうせ昨夜のことしか覚えていないんだろう。だったら一回だ。ルーナは一度、夢を見た。それだけ」

「じゃあ二度目の夢は見たくない」


 皇子が皇女の部屋に夜這いに来ていたなんて、とんでもない話だ。気が付かなかった自分は馬鹿。のこのこと部屋に通してしまった使用人たちも馬鹿。どこかから噂が漏れたら。

 それ以上に、兄が兄でなくなってしまったら。

 灰色の瞳をじっと見つめると、そこには凶暴なのに臆病な何かが揺らめいている。けれどやがてそれは瞳の奥に消えて、兄のアレクセイだけが戻ってきた。


「そうだね。夢ばかり見ているのは良くないね。帰るよ」


 ルーナが無言で頷くと、アレクセイの手がこちらに伸ばされる。思わず目を瞑って身構えた。


「……」

「……おやすみ、可愛い妹のルーナ」


 唇ではなく頬に軽くキスをして、アレクセイは耳元で囁いた。


「……おやすみなさい、私のお兄様のアレクセイ」


 ルーナの胸がずきんと傷んだ気がした。

 望んでいた答えなのに、失望感が広がってゆく。

 本当はルーナこそ、二度目の夢を望んでいたのかもしれない。

 そう気がついたのは、アレクセイがいなくなり、部屋にルーナひとりぼっちになってからだった。

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