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別れの春

 高校を卒業して大学に行くようになると、サクラさんのモデルになることも少なくなって来ました。それでも公園でスケッチをするサクラさんを見かけると、一緒に他愛もないおしゃべりをしていました。

「わたしね、この桜のスケッチをちゃんとした作品にしてみたいの」

 サクラさんは、スケッチをしながらそう言いました。

「絵が完成したら、ハルちゃんにあげるわ。約束する」


 二十歳の誕生日。

 わたしは、妙にかしこまった両親と向かい合っていました。

「春美。折り入って話があるの」

 先に口を開いたのは母でした。

「二十歳になったらちゃんと話そうと思っていたの。──あなたは、わたしが産んだ子ではないの」

「え……」

 一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。母はなるべく感情を抑え、淡々とこれまでのことを語りました。

 病気のため、子供を望めなかったこと。だけど、それでも子供が欲しかったこと。両親二人で散々悩み話し合った末、養子を取ろうと決意したこと。知り合いの病院に、子供を産んでも育てることの出来ない妊婦さんを紹介してもらったこと。その子が産まれたと同時に引き取り、特別養子縁組の手続をしたこと。

「わたしが産んだ子ではないけど、春美はわたしたちの子供だし、家族よ。春美がうちに来た時から、わたしもお父さんもそう思っているわ」

 母はそう言ってくれました。しかし、わたしは色々な感情が頭の中をぐるぐると駆け巡り、混乱の最中さなかにありました。

「わたしを産んだ人って……どういう人なの?」

 思わず、わたしは訊いていました。両親は顔を見合わせました。

「詳しい素性は教えてもらえなかったよ。住所や名前もね」

 答えたのは父でした。

「でも、子供を手放す経緯は聞いた。その子──まだ中学生の子供だったんだ──は、悪い男に騙されて妊娠したんだが、父親になるその男は責任も取らずに逃げてしまったんだ。その子の家は母子家庭で、経済的に子供をもう一人育てることは出来なかった。それでもその子は宿った命を絶つこともしなかった」

「それでせめて、ちゃんと育ててくれる人に託したいと望んだのね。だからわたし達は、あなたに出会うことが出来たのよ」

「もしも春美が自分を産んだ人を探したいと言うなら、出来るだけの手助けはする。だが、ここが春美の帰る家で、僕らが春美の家族だということは忘れないでいて欲しいよ」

 両親にどう答えたのかは覚えていません。ですが、気がつけばわたしの足はある場所に向かっていました。

 ……あの人に最初に会った時、どこかで見たような気がしていました。今ならわかります。あの人の顔を見たのは、鏡の中。そう、あの人とわたしは、どこか似ていたのでした。

 そして、両親から聞いた経緯。そっくり同じような話を、その人の口から聞いていました。

 いつもの公園。今年は暖冬で、早いうちから桜が咲いていたので、もう花は半ば散ってしまっていました。

 あの人は桜の側に立っていました。散り行く花を見ていました。

 サクラさんは、わたしを振り向きました。

「あら、ハルちゃん」

 わたしは言葉が出ませんでした。サクラさんは微笑みました。

「ハルちゃん、今日が誕生日だったわよね。……これをあげるわ」

 サクラさんが手にしていたのは、一冊のスケッチブックでした。

「また旦那の転勤が決まったの。もうここを離れるわ。だからこれは、誕生日のお祝いとお別れの挨拶代わり。約束してた絵よ」

 スケッチブックをめくると、綺麗な水彩画が描かれていました。満開の桜の花と、その木の下に佇む少女わたし。描かれたわたしは、幸せそうな満面の笑みをたたえて絵の中にいました。

「あ……」

 あなたは、わたしの母ですか。

 その言葉は、ついにわたしの口から出ることはありませんでした。

「ありがとうございます。大切にします」

 サクラさんはにこりと笑いました。

「……サクラさん。もう、会えませんか?」

「そうね。縁があったらまた会えるかもね」

 そう言いつつも、サクラさんがもうわたしの前に現れないだろうことは、何となくわかりました。

「じゃあね」

 散る桜と共に、サクラさんは公園を去って行きました。


 サクラさんが行ってしまってから、わたしはもらった絵の隅に小さく字が書いてあるのに気づきました。


「あなたの人生が、美しく花開きますように。」


 それを見て、わたしの頬に涙が伝いました。それは確かに、サクラさんから大人になるわたしへの餞の言葉でした。


   ❀


 これはそれだけの話です。

 自分の実の母親かも知れない人と、一時の交流があったという、それだけの話。

 その後ももらった絵は大事にしています。多分、一生の宝物になるでしょう。

 今でも桜の花開く時期になると、自然とあの公園に足が向きます。サクラさんがいつものベンチで、何事もなかったかのように桜をスケッチしているような気がして。

 そしてわたしは、誰もいないベンチで桜を見上げるのです。春の暖かい日差しを浴びながら今年もわたしは、どこかの同じ空の下にいるだろうサクラさんが、今でも元気でいるように願うのでした。

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