⑧ゆるっとスイッチON
太陽と月があり、体感時間とも一致しているこの世界の時間は、やっぱり大体今までと同じみたいだ。世界が丸いかまではわからないが、私にしてみればどうでもいいことである。
ケビンさんに「二時間程後にミヒャエルさんにお茶を持って行きたい」「お茶の入れ方がわからない」旨を伝えると、エルゼさんに伝えておいてくれるらしい。
エルゼさんは大体1階の作業場のいずれかにおり、二時間経ったら声を掛けてくれるとのこと。
何処かに時計があれば良いのだが、少なくとも目につく所にはないので有難い。
「随分綺麗になりましたね」
「ええ、まだ一部だけですが。 ただモップがドロドロになってしまいました……」
「先を洗って替えておきましょう」
「あ、教えて頂ければ後で……暫くは空いてる時間、とにかく掃除をするつもりですし。 全部の部屋の」
「全部の部屋の?!」
「ええ、だから汚れ物や衣料品の洗濯方法はどうなっているのかも後で教えて頂けると……手洗いなんですか?」
1階の水場に、洗濯機ではないかと思う物が数台あった。ただし、使い方がわからないのだ。
衣料品以外の汚いものは手洗いなのかもしれないが、あるなら洗剤が欲しい。モップの先には汚いものやガラス片などが絡むものなので、専用の道具があるなら知っておきたい。
この世界が丸いかどうかより、そっちの方が大事。
「そのくらいはこちらでやっておきますよ……部屋を掃除してくれるだけで有難いですし。 洗うものを出す籠だけ後でお教えしますね」
「うーん……そうですか?」
知っていた方がなにかと便利だとは思うのでいずれ折を見て教わることにし、その場ではとりあえず話を終わらせた。
まずはお茶の入れ方を教えて貰わねばならない。
外国で一時期とある部族の方にお世話になったことや、貴族の末裔の人にもお世話になったことがある。前者は『観光客向け』に形式ばった古いやり方で茶を入れており、自分達は「面倒だから」とティーバッグの茶を飲んでいたし、後者は茶葉の産地から使用する乳牛の種類まで細かく指定していた。
一緒に同じご飯を食べるミヒャエルさんと夫妻は、言葉だけでなく家族同然なんだろうが、『普段用』と『客用』二種類の茶の入れ方と種類くらいは『弟子』として覚えておくべきだろう。
普段食事と共にする飲み物は、蒸留水によく洗った石と季節の果物やハーブ(※どちらも生)を入れたものらしい。石から炭酸ガスが出るようだ。
お茶は種類によって入れ方が異なるが、大体は紅茶と同じ様である。ドライフルーツや乾燥ハーブが入ったものもあるが、何もないのがミヒャエルさんの好みだそう。
砂糖やミルクを後から入れることはそもそもあまりしない文化だそうで、既に入っているものは『お茶』ではなく『ミルク』に入るらしい。名前は『ミルクティー』で通った。
基本的に茶葉のお値段が高いものがお客様用で、保存容器を覚えれば良いだけだった。そう難しくなくて安心した。
「ソノさんは苦労人っぽいような、お嬢様のような……掴みどころがない方ですね?」
「お嬢様でないことは確かですが」
手の皮と面の皮が厚いだけである。
そんな手の皮を見せると『お嬢様でない』ことにはご納得いただけた様子。
「う~ん、あまりに物事をご存知ないところが謎なんですよね~」
「……それは文化の違いと記憶の問題でしょうね。 ご迷惑お掛けします」
「いえ、迷惑だなんて思ってはおりませんが……」
エルゼさんは完全に私とミヒャエルさんの仲を誤解しているようなので、不信感もあるがそれよりも、単純に出自が気になるようだ。
随分一日が濃く感じるが、まだここに来て二日目である。
誤解も不信感もおいおい解ければ問題ない。
今できることは真面目に働き、それより前に放り出されないこと。
よしんば放り出されても、生きていけるようにこの世界を知ること。
それに体力と筋力の維持くらいだろう。
幸い昨日感じた身体の重さはない。いつも通りだ。
──やはり異世界転移の影響だった可能性が高い。
エルゼさんに教えてもらいながら入れたお茶を、市場で買った焼き菓子と共にワゴンに載せて、塔の書斎に向かった。
私の分も用意してくれたので、ミヒャエルさんと一緒に休憩がてら、その話をすることにする。
ミヒャエルさんには二日目にして、有り得ない程の高待遇を受けている。
労働力として認められるまで情報を出し惜しみするつもりでいたが、流石に気が引けた。
書斎に着くと、二時間前と変わらない様子のミヒャエルさん。やはり少し声を掛けるのが憚られる。
「……ミヒャエルさん、集中なさってるところ申し訳ないのですが、少し休憩にしませんか?」
「あっ、ソノさん!? ありがとうございます! ……丁度今、一息吐こうかと思っていたんですよ~」
彼の言葉と嬉しそうな態度に安堵するも、一緒にお茶などするスペースがなくて動きを止めた。
……昨日の部屋に茶を用意し、それから呼ぶべきだっただろうか。
「……あっ、いや申し訳ないっ! ちょ、ちょっと待ってくださいね?!」
ミヒャエルさんは私の様子に気付くと慌てた様子で、壁の端のテーブルとイスの上に積まれた本を、そのまま机に移動させた。
ガーデンテーブルの様な小さなテーブルセット。表面のモザイク模様が美しい。
なんとなく申し訳ないが、折角どかしてくれたのでお茶とお菓子をそこに用意する。
「明日はご出勤だと伺っておりますが、魔導師さんの職場ってどちらになるのですか?」
「王城の敷地の中に魔導院というところがありましてね、そちらに」
「王城……なんか凄いですねぇ」
「いいえ、そんなこともありませんよ。 ただ魔導院が王城にあるだけで」
ミヒャエルさんはそう言っているが、おそらく『魔導師』自体が凄いのだろう。
そもそも中古で怪しい雰囲気を醸してはいるが、ここも結構な邸宅である。少なくともお給金はいいに違いない。
「一緒に行ってみますか?」
何気ない感じでミヒャエルさんはそう尋ねるが、そんなに簡単に連れて行っていいものなんだろうか。
大体にしてミヒャエルさんは、言動にも表情にもムラがあるというか、どんな人なのかがイマイチわからない。真面目かと思えばいい加減だし、お昼はやたら構うと思いきや、その後いきなり放置された。
勿論会ったばかりというのもあるが、自然体でこれなようなのでこの先もよくわからない気がする。
研究者って変人が多いと聞いたことがあるので、ミヒャエルさんもその類なのかもしれない。
「いえ、なんか怖いんで行きたくないですが……これから先、行かなきゃいけない場合ってありますか?」
そう、彼は研究者だ。
そして私は研究材料である。
それを再認識した私は先程までの考えを改め、少し様子を見ることにした。
三人は間違いなくいい人だとは思うが、いい人が何を優先させるかは別の話だ。生存確率をわざわざ下げる必要はない。
「……ちなみに私、異世界人だってわかったらどうなります?」
だが私の質問は、ミヒャエルさんにとって予想外だったようで、彼は大きく狼狽した。
「 アナタが異世界人だとわかるような真似はしません……! ただ、弟子として付いて来てもらおうかと……ああ、でも軽率でした……そうですよね、不安でしょうとも……」
「いえ、そんな」
私の方が軽率というか、そこまで考えて言ったわけでもないくらいだ。──あまりの狼狽ぶりに、ちょっと引く。
この人の振り幅がなんか大きいのは既に何度か目にしているが、何スイッチなんだろう。不要なスイッチを押してしまったのは確か。
「ご安心ください!」
力強くそう言い、立ち上がるとミヒャエルさんは私の左手を取り握り締めた。
何とか右手でお茶を零さないようにしたが、その振動でミヒャエルさんのお茶は若干零れてしまっている。
「研究はまだまだですし『狭間の扉』の研究自体、趣味に近いものです。 公表を目的にしているものではない」
「あ、そうなんですね……」
それは安心だ。
安心なんだけど……今のこの状況の意味がよくわからない。
「──アナタのことは、私が守ります(キリッ)」
言葉の後に続く『(キリッ)』が見えた様な気がする程、キリッとした顔でミヒャエルさんはそう宣った。
彼は私のことは男だと思っている……筈だ。多分。
いや、女であったからどうとも思えない。
私は少女漫画の様な美少女でもなければ、凸凹もない。彼も派手な顔ではないが、『おそらく日本人』の私はもっと地味な顔である。
失礼ながらミヒャエルさんはあまりモテそうではないが身長は高いし、地味さと眼鏡とボサボサの髪でわかりにくいが、顔自体は整っている。
そういうタイプが好きな人はいるし、少なくとも生理的嫌悪をもよおすレベルではない見た目。
ケビンさんは今朝『女日照り』と言っていたけれど……『魔導師』がエリート職であるとすれば(そうでなくてもお金はあると思われる)、女性にそこまで困っているとは思えない。
私の勘もミヒャエルさんを『頼っても平気』と大いに認識したが、それと相互関係にあるのだろうか……
それとも研究動物に情が移るタイプなのかもしれないし、腐的なご趣味である場合、性別の認識が想定と逆の効果をもたらしたのかもしれない。
なにが彼をそうさせるのかはよくわからないが、とりあえず件のスイッチのことを
『庇護欲スイッチ』
──と名付けることにした。
なるべく押さないように、気を付けたいと思う。
特に最後の場合、性別がバレたとき追い出される危険、大。
副題が前と被ってたので変えました。orz
適当につけすぎな件……