③ゆるっと気を許す
『彼シャツ』というのをご存知だろうか。
『彼氏(※恋人)のシャツ』ということらしい。
……ほぼまんまである。『氏』しか略されていない。
おそらくダボッとした中にも胸などの曲線により『見えそうで見えない』ギリギリのラインが『彼シャツ萌え』というやつなんだと思う。
ミヒャエルさんからお下がりを頂くことになった。
私が彼(※代名詞)のシャツを着た場合……
「ちょっとしたワンピースみたいですね」
「……そうでしょうね」
──こうなるのだった。
……萌えもへったくれもない。
ミヒャエルさんは細いが長身。
私の身長は低くはないが高くもなく、少年に勘違いされるレベルで凹凸がない。身体には自信があるが、主に体力と脚力にである。
元々、男と勘違いされていた方がなにかと都合がいいので、銭湯に行く時以外はできるだけ女だと判別出来ないようにしていた。
トイレもなるべく男女兼用の場所を使うくらい。
私は夕食後の今、服のお直しの為にエルゼさんの作業部屋にお邪魔している。誤解を受けないようにケビンさんには仕方なく性別を明かした。「ミヒャエルさんには余計な気を使わせたくないので、そのままにして欲しい」と言うと、ケビンさんは「それも面白い」と何故か乗り気。解せぬ。
「袖をまくれば問題ありませんし、シャツはこのままで結構ですよ」
「そうですね、どうせ週末には買いに行くことですし……ズボンはカットして、半ズボンにしてしまいましょう。 ベルトは私のをひとつ差し上げます。 下着類は私と明日にでも買いに行きましょう。 とりあえず予備があるのでこれをお使いください」
「何から何まで……お世話かけます」
「……眠そうですね?」
「ええ……満腹で」
「アレでですか!? まぁ……食が細いですね……」
夕飯はめっちゃボリューミーだった。
ただでさえ私には多すぎるのに、ミヒャエルさんとケビンさんがやたらと勧めてくる。というか、皿に乗っけてくる。
もともと一日一食しか食べない私にあれはキツい。
「今日はお疲れになったでしょうし、ゆっくりおやすみください。 ズボンは明日までに直しておきますから」
直しくらいは自分でやるつもりだったが、ここはお言葉に甘えさせて頂くことにした。
エルゼさんに頭を下げ、服とランプを持って塔の部屋に向かう。
ところどころに置かれている灯りの発する青白い光に、薄ぼんやりと照らされている廊下。常夜灯には夜になると発光する石を使っているそう。ランプの中にはもっと強い光を放つ石。発光する石を加工するとこうなるらしく、ランプの外側にはカバーと半透明のグラデーションフィルターが付いている。フィルターで明るさを調節するようだ。
なかなかファンタジーだが……やっぱりなんか出そう。
亜人は怖くないが幽霊は怖いという謎。
虫も爬虫類も怖くないが、幽霊やお化けの類は昔からなんか怖い。幸いなことに霊感を感じたことはないし、出会したこともないが、もう理屈じゃない。怖いものは怖いのだ。
「──しかし疲れた……」
普段からここぞという時に逃げられるよう、筋トレは欠かさないのだが、今日は大して動いていないのにそれもやりたくない程、身体が泥のように重い。
ミヒャエルさん達はいい人だと勘が告げている。人を見る目なんてのは、およそ経験に基づいた勘であると思っている私だが……いくらいい人だからといって出会ったばかりの人の前で眠そうにするなんて、普段の私では有り得ないことだ。
これも『異世界転移』の影響なんだろうか。
それとも異世界だから身体への負荷も違うのだろうか……
考えてみたところで答えは出ず、また頭も回る気がしなかった。
とりあえずシャワーを浴びて寝ることにし、シャツと下着を持って浴室へと足を運ぼうとした矢先……ノック音。
「ミヒャエルですが、少しいいですか?」
勘弁して下さい、とは言えないので大きく伸びと屈伸をしてから扉を開けた。
「どうされました?」
「いえ、これからのことを考えると少しアナタの設定を作っておいた方が無難ではないかと。 勿論お話も聞けたらいいなとは思いますが、まあそれはゆっくりで」
「ああ、お気遣い感謝します。 ……どうぞ?」
端っこにあった椅子を彼の前に差し出し、私はベッドに座った。
寝室に招き入れるなんて、危機管理能力が足らないと思われそうだが、もう移動する気力がない。
グダグダな時でも身の危険は察知してきたし、なんとか無理矢理逃げてきて今がある。今まで培ってきた筈の自分の勘や、日頃から心掛けている警戒心……それが働かないのは、まだ会ったばかりの三人に『気を許している』のだろうか。
時折こういうことはないでもない。
こうなったらそれも勘だと割り切ってしまおう。
ベッドは硬いがマットレスは弾力があり、なかなかしっかりしている。仮眠室的な部屋だからか、木でできた簡素なベッドに、敷くタイプのマットレス。
身体を延ばして寝れるとか、久しぶりだ。
ああもう、身体を投げ出してしまいたい。
「──というのはどうでしょう」
「……」
「ソノさん?」
「え…………あっ!」
意識が飛んでいた。……これは大変な失態である。
騙されて変な契約をしていたり、場合によっては死の危険に晒され転移していてもおかしくないレベル。不敬罪が存在していて、彼が王族なら切られかねない案件だ。
……やっぱりお断りすべきだった、と後悔しながらひたすら謝る。正常な判断ができていない。
「……ごめんなさい! 聞いてませんでした!!」
「あっ……こちらこそごめんなさい、気遣いが足りませんでした。 お疲れですよね」
「いえ……大事なことなのに申し訳ないです」
どうした私の危機管理能力。
今後の不安が拭えない。
ミヒャエルさん曰く、『ド田舎の、名前もないような集落から出てきた』『倒れているところを保護・語学に長け、使えるので弟子にすることに』『記憶が一部ない』……これでいこう、とのこと。
実に無難だ。
「ケビンとエルゼには話しても大丈夫ですが……現時点で言う必要もないでしょう」
「そう、ですね」
……今一瞬カクン、となった。
眠気が尋常ではない。
みっともないが首をブンブン横に振って抗うと、椅子の軋む音と共にミヒャエルさんの立ち上がった気配。
「……あとはまたにしましょう。 お邪魔しました」
「申し訳ない……」
重い身体を気力で浮かせ、私も何とか立ち上がる。フラフラしながら扉の外までミヒャエルさんを見送ろうとするも、足に力が入らず途中で崩れた。
「ソノさんッ!」
倒れる寸前のところで、踵を返したミヒャエルさんに抱きとめられたようだ。
『ようだ』というのも、私の意識は崩れたあたりで途切れ、目が覚めた時には横にミヒャエルさんが寝ていたからである。