①ゆるっと異世界へ
「君の名前は?!」
興奮気味の男性に名前を聞かれて『ソノ』と答える。
『ソノ・ヒグラシ』。
私が 『名前』として用いているものである。
勿論『その日暮らし』から来ていることは言うまでもないが、『仮名か』と言われるとそれもまた違う。
私はおそらく20代後半。おそらく日本人。
年齢も実名も忘れてしまった。
幼少期には名前で呼ばれていたこともあったかもしれないが、『ソノ』として生きている期間の方が圧倒的に長いのだ。
名前と同じくらいのレベルで日本人だと思っているが、国籍はないし本当はどうでもいい。日本が長かったから、日本人風にしておいた方がなにかと都合が良かっただけで。
「あっ、こちらにどうぞ!」
「はあ」
「私はミヒャエル・トーラスト……ミヒャエルとお呼びください!」
興奮冷めやらぬといった感じの、ミヒャエルと名乗った男性に促されるまま部屋を移動する。
部屋は薄暗く、そんなに広くはない。
壁は石と煉瓦でできているようだ。
そして一部、今いるところだけやたらと天井が高く、小窓から小さな光が点々と射し込んでいる。……塔だろうか。
アーチ状の石の柱の奥は、本棚に沢山の本と机の上とまわりに散らかった紙と本。多分書斎かなにか。そこを通り抜け、小さな応接間のようなところに連れてこられた。
「今お茶をお出ししますね!」
暖炉の様なところに謎の紐……というか縄みたいなのがぶら下がっている。ミヒャエルさんがそれを2回引くと鐘の音が鳴り、彼は私を座らせたソファの前に座った。
……鐘を鳴らすと茶が出てくるの?
なんだか仰々しいな。
「ソノさんは、どちらから?」
「日本からですが……もしかして呼び出されました?」
「……ほう?! もしかして、何度かこういうことが?!」
「いえ、呼び出されたのなら初めてです。 ……ここはどちらでしょう。 日本ってわかります?」
「いいえ、聞いた事のない国です」
「なるほど……では今の西暦は?」
「西暦?」
「いえ、もう結構です」
私が(私にしてみれば彼が)現れた部屋の床には魔法陣のようなものが描かれていた。
西暦も日本もわからない……
どうやらここは異世界のようである。
これは初めての体験だ。
「それにしてはアナタ、動じませんね? 落ち着いてらっしゃる」
「そうでもないですよ? ビックリしました」
「そうは見えませんが……」とミヒャエルさんが眼鏡の奥の灰褐色の瞳を、興味深そうに光らせる。私は苦笑するしかできないが……とりあえず嘘はついていない。
そうこうしているうちに、ガラガラという音と共にワゴンが運ばれてきた。扉が開くのに合わせてチラリと見ると、メイドさんらしき人。すぐ閉められてしまったが、どうやらミヒャエルさんはお金持ちのようだ。
見た目的にはあんまり金持ち感はないが。
「どうぞ」
「……いただきます」
少し不安な気持ちでお茶を頂く。好き嫌いはないのだが、なにぶん異世界だ。
これでなにかあれば生きてはいけない世界ということになる。生水にも耐えられる私の身体とはいえ、最初はいつも多少の不安が付いて回るものだ。
実は私には『転移癖』がある。
名前や国籍がわからないのはそのせいだ。
更に言うと『言語チート』。書くのは日本語しか書けないが、読み聞き話すのはなんでも意識せずにできる。そのおかげで今まで無国籍なのに生きてこられたのだ。
なんでだか悩んでいる余裕なんかなかった。
転移するのは決まって死にそうな時。
なので、生きていることに感謝するだけで充分。
初めての転移はハッキリ覚えている。多分5歳くらいの時。ブカブカのTシャツ一枚で、雪の降るベランダに出されていたが、意識を取り戻したら知らない家。山の中の集落で一人自給自足しているお婆さんに拾われたらしい。それが他県であること位はわかる程度に知識があったが、『帰りたくない』と言ったらお婆さんはそのまま届出をせずに家に置いてくれた。お婆さんは数年でぽっくり逝ったが、あの頃の時間がなかったら、おそらく私は5歳児レベルでしか日本語も書けなかっただろう。
転移の際、時間軸や世界が変わった事はなかった。ただ日本じゃないことは数度あって、その時に『言語チート』を知ったのだ。
『言語チート』はインターネットで知った言葉。
上手いこと立ち回る術を身に付け、その日に暮らす金は稼げても、身分証のない私だ。日本ではほぼネカフェを活用した。
ネットを利用し学生や会社員を相手に翻訳を請け負って日銭を稼いでいたが、基本的に月レベルでしか貯金はしないので、生活には困ることは稀だった。
「このままずっとこんな感じで生きていくのかな~とか思ってたんですけどね……」
外国では死の危険が高く、割と短期間に転移を繰り返していたのだが、日本に戻ってから既に6年程経過していた。
先程も、全く死の危険を感じていなかったのに知らないところにいたので『呼び出されたのか』と聞いたのである。
暇つぶしに読んでいたネット小説の影響もあるが……足下に魔法陣とか、流石にちょっとビックリした。
そんなことを掻い摘んで淡々と話す。
何故なら先に彼が自身の説明をしてくれたからだ。
彼は魔導師であり、狭間の扉の研究をしているそう。
『狭間の扉』については詳しく聞かなかったが、私を召喚した時点でなんとなく察しがつく。
「扉が開いたのが先で、対応しやすいアナタが選ばれたのでしょうか……それとも……」
「さ~……その辺はよくわかりませんけど。 ……私はどうしましょうね?」
ここで暮らしても外国とそう変わりはないが、どちらかというと日本に帰してもらった方が無難な気がする。なにしろ日本語なら書けるので。
ただ話の内容を鑑みるに、それは難しそうだ。
「いやまあ、来たのがアナタで良かったです。 失礼ながら」
「あ(察し)。 やっぱり帰れませんか」
「……申し訳ない」
「そ~ですよね~、ははは」
「ふふふ……いや~本当、アナタで良かった!」
「失礼ですねぇ~」
ふたりして何故か笑い合う。
諦めの混じった乾いた笑いであるが、割と穏やかだ。
彼は私に『アナタで良かった』と言ったが、正にその通り。私ならそこまで問題はない。
「ですが、衣食住は保証致します」
「あ、それは有難いです」
「名目上、『弟子』ということでどうでしょう?」
「構いませんよ。 何をしたらよろしいですか?」
「そうですね……一応それっぽく小間使い的に多少働いては頂きますが、基本的にはお話を聞かせて頂くだけで充分価値があると思ってます」
「……そんなんでいいんですか?」
ここにきてまさかの高待遇!
そういえばお金持ちっぽかったことを、にわかに思い出す。これは日本に戻るより儲けものだったかも知れない。
だが、私は慎重派である。
無料程高いものはないというのは、嫌という程経験してきた。
「いやいや、ミヒャエルさん……それはいけません。 私は人語であれば全ての国の、どんな言葉も喋れ、聞き取れます。残念ながら書くことはできませんが。 おそらくこの能力はミヒャエルさんのお手伝いに有効なのでは?」
「ああ、それはとても有難いですねぇ」
役にさえ立てば、捨てられる事はない。
とりあえず。
こうして私はミヒャエルさんの『弟子』として、この世界で生きていくことをアッサリ受け入れたのだった。
新年早々見切り発車death!!
連載が増えていく……
今のところ、これ優先で書く予定。
ストックは……ない!(いつもの)