~2015.7.13
全身を、ぜんしんを、どっぷりと貴方の色に染めれば、私は幸せになれると思ってた。
君は窓の外のようだった。
僕は喉に塊を感じるまま、砂のような食事を胃に押し込める。
僕の視界を、冷めきった心を、薄暗い曇色が脅かしてゆく。
テーブルの上のキスツスは一層白く香っている。
嘘吐き!!、と、彼女の絶叫が花瓶に触れた。
僕の秘密は、既に秘密では無くなった。そいつは僕の影だ、仕方が無い、ばれても仕方が無かったのだ。
僕は泥のようなスープを飲み下す。
彼女は恐ろしいものを目撃したみたいで、瞳が定まらず、唇は言葉を纏っているが、喉は動かない。
僕はひらひらと手の平を翳す。ごめんね、まだ大丈夫だよ、と過去の己の真似をして微笑を浮かべても、頬の筋肉は置いてけぼりにされてしまう。
君は土砂降り。この白い部屋の、窓の向こうも。
口を小さく動かしてみる。ごめんね、の声は出ない。
彼女は初日あのひの僕よりも震えていた。僕はあの日、死神の前にいたというのに。
沢山の医療器具に繋がれた僕は、木のようだ、と、そう思った。
【“私は明日 】
「行かないで」と我儘を言うよりも、笑顔で君の背を押せるような人になりたい。
「【神様】」と、僕は彼女の名前を呟いた。
僕の信仰する神様。
彼女は伏せていた目をあげて、僕の黒目を視線で打ぶち抜いた。
「なに?」彼女は穏やかな笑みを浮かべる、僕はこの顔が嫌いだ。
笑い返そうとしても、口元は引き攣り、目尻は動かない、僕は笑うのが得意では無かった。
「【神様】、」再び呟く。彼女の喉がくすくすと音を立てる。
「どうしたの?」尋ねられた僕の喉奥はヒュッと強ばる。
僕には言葉が無い。頭の中でグルグルと思惑が泳ぎ回るものの、それを吐き出す術は無い。
いや、あるにはある。が、言葉を嫌悪している僕は、会話をも嫌悪していた。
「僕の【神様】、」
彼女は僕をお選びになった。七十億の人類のうちから、僕だけをお選びになった。
僕はイエスでも、アッラーでもない。それなのに、凡庸なくせに捻くれた僕だけを、その蜘蛛の糸でお釣りになった。
こんなに名誉な事は無い、けど、彼女を独り占めしてもいいのだろうか。
こんなに素敵な彼女を、僕個人に縛り付けてもいいのだろうか。
「ねえ、【神様】、なんで僕を選んだの、」口を開けると、そんな言葉が漏れ出た。
彼女はそれを聞いて僕を抱き締めた。
「好きだからに決まってるじゃん!」
目元から言葉が流れ出す。僕がこんなにも愛して信じている彼女を、捻くれた僕はまだ恐れている。
それこそ、神隠しに逢った幼子のように。
【それは信仰とも言う】
自転車が宙を舞う。
空の欠片がキラキラと崩れ落ちる。
電車が何かにぶつかった様に急停止すると、紙飛沫が舞う。
信号機は橙だいだい、桃、紫に点滅しながら破裂する。
いつの間にか三角旗が電線を彩りはためき。
後ろを向けばジーワジーワと暑い太陽光の下、陽炎かげろうの君がゆっくり溶けた。アイスキャンディーみたいに。
学生鞄を放り出し、崩れた建物の間を縫えば、其処には神様が一人佇んでいる。
「貴方の大事なもの一つだけは残してあげましょう」と宣のたまう。
汗がコンクリートを撥はねる、目一杯開いた目は彼を見据える、叫ぼうとした口はパクパクと喘ぐ、まるで魚である、金魚はミキサーにかけられて同一個体となったという、僕はたった一つの選ばれた個体である、空を指差した僕を神様はお笑いになった。
「星だけでいいのですか?」
「僕に喪うものはアレしかない」
「でも空は落ちていますよ」
「星さえ落ちなければ良いのです、夜の、あの、真夏の感動と、田舎の絶景と、都会の煩わしさの象徴だけは、許してください、」
真横に太陽がコロンと落ちてきた。
其れを見て一つ、
「思いました、貴方に太陽と月は落とせても星は落とせませんよ、」
「それは何故ですか?」お聞きになる。
「だって星は遠くにあるのだから」
神は顔を顰しかめた。
僕は喉だけでくつくつ笑いながら、ミキサーの内側をガリガリ引っ掻いた。
【真夏の金魚ジュース】
喧騒。冷たいコンクリートの感触。おかしな方向に曲がった四肢。血溜まりに沈みながら。
泣き叫びながら私の顔を覗き込む想い人。彼女の涙の温度が暖かい。
…待って。もう少し、もう少しで想いを伝えられると思ったのに。
また転生してしまう。彼女に、もう二度と会えなくなる前に、早く、お礼の一つでも言わなきゃ。
「やだ…!」
ありがとう、と連ねるはずの唇は、なぜかこの世との別れを惜しんでしまった。
どうしようもなく涙が溢れてしまう。
「死にたくない…!」
……こうして彼女の8702回目の人生は、交通事故によりエンドロールを迎えた。
彼女が本当の愛を知るまでの残りは99万1298回である。
【100万回生きた少女】
今年も満開だ。
大きな桜を見上げながら、僕は熱が籠った息を吐いた。
繊細な薄桃色の集まりが空色によく映える。暫くは晴天らしい。雨に桜を撃ち落とされるのは嫌だから、それで良い。
隣の住人も越してきたばかりの頃は「枝が邪魔」だとか「花弁はなびらがうざったい」だとか、苦情を撒き散らしていたが、これを見たのならそんな文句も吹き飛んで、感嘆を漏らすことだろう。
この桜は、僕が一番に愛していた物だけで育った桜だ。
僕の、綺麗で、儚く、淡い、曖昧な色をした今までの記憶と、
生き物に与えられた命の、重さと、幽かすかさと、暖かさだけを吸いこんで育った桜だ。
具体的に言えば、この桜の樹の下には僕が愛した人の涙と、飼っていた兎の屍し体と、今は亡き母親の形見などが埋まっている。
僕が美しいと信じたものを根の近くに埋め、自分の涙を希釈した水を与え、そうやって育ててきた。
美しいものが美しいものを吸い上げれば、きっともっと美しくなる。僕はそう思う。
だから、今までずっと、これからもずっと、美しさを与えようと思う。
…今年も力強く咲いてくれた。
こんなに満ち満ちた桜は世界に一本しかないだろう。
【美しさをn乗する】
「もう!おまえってやつはいつも
そうだ!じぎゃ
くしてすぐににげて、な
きねいりする!そんなんじゃだめだろ
!ばか!おれはおまえのことを
いいやつだとおもってる!やさしくて
いいこで、きくばりができる!
そのせいかくをまわ
りにアピールすればいいじゃないか
!めんとむかって
みんなにはなそう
!どうにかなるだろうから!
!くるしくてもあかるいみらいはあ
るさ!ほら、いっしょ
にいこう?みんな
としゃべりにいこう
?ね、きっとみん
なしんじてくれるさ
!ね?」
【慰めの中に見え透いたそれ】
一口、一口。
豚、鶏、野菜、米。
一口、一口。
牛、豆、野菜。
一口、一口。
咀嚼しながら手元を見た。
僕はこうして命を食べている。
ネチャネチャと汚い咀嚼音。
静しずんだ部屋の中で沈しずかに反芻する。
涙が止まらない。
この食事にどれだけの手間と命がかかっているのだろう?
今食べているこの鶏肉は、きっと無理矢理殺された死体だ。
無理矢理肥えさせられ、無理矢理刃物で首を断たれた死体だ。
僕はある時から、食事を苦痛に感じるようになってしまった。
「この命を食べる行為は、つまりは、命を取る行為なのだ」と気づいてしまったからだ。
生きている間に強いられ続けるこの行為は、僕にとっては苦行でしかない。
人間に生まれてしまった以上、僕は何かを殺しながら生きなきゃいけない。
今までそうしてきたが、もう耐えられなくなってきた。
あ、…あぁ、
「……死にたい…」
フォークをギュッと握りながら、祈るように呟いた。
【自おのが生きる事、それ即すなわち】
誰かに愛されるという事は、誰かに嫌われるのと同じくらい恐ろしいんだと気付いた。
お日様のように優しく微笑む彼のおでこに指を掛けて、ゆっくりと引っぺがしてみたら雨が降っていた。
【天気雨】
「”小さな美術館”、そうだね、美術館とまでいかなくても、展示会だね。だって、野菜やキノコはお百姓様の作品だし、お肉や魚は生命を詰め込んだ模型で、棚一面に陳列された加工品は大きな絵画みたいだもの。
赤と黄の目を引く安売り表示、店員さんの館内案内にも似た声、全てが芸術だと、そう、思わないかい?」
【大型食料品店】