~2014.3.25
「このまま僕は泡になって消えてしまうのだろうか。」
無茶苦茶な心を落ち着かせたいがために、プールに飛び込んだあと、口を開けたものだったから、上手く声にはならなかった。
【水泳部員の失恋】
とろ、とろ、とろ、とろとろ、ゆっくりゆっくりとけてゆく
あたまのなかのだいじなところまでゆっくりゆっくりとろとろ、とろ、とろろ
さっきまでのしげきしゅうも、もうかんじ無いのです
ゆるやかにゆるやかに、ちっそく死できるから、あとのことは、おまかせしたいとおもいます
ぼくのいないせかいは、きっと、めいりょうであざやかだ
ああ、くるしくなってきた、
【硫化水素自殺者の意識】
なぜベッドが白いのかを考えてみた。
きっと、皿が白いのと同じ意味だろう。
【その心は、両方とも食べ物だという事】
「えげつねえよ、お前。
なんで、俺に相談してきた。俺がお前に惚れてるからか?
でもな、なんで、よりにもよって、お前の彼氏の相談を受けなきゃいけねえんだよ。なあ。」
【惚弱こつじゃくした彼の言葉】
恋は美しくて、愛は醜い。と、私は思う。
恋というのは、
初夏の風鈴だとか、
浅瀬で泳ぐ金魚だとか、
氷の中で停止している何匹かの公魚わかさぎとか、
そんな透き通った美しさがある。
と、同時に、儚さとか、寂しさとか、虚しさとか、嫉妬、劣等感とかがある。
そんな醜い感情は、
真夏の締め付けるような息苦しさ、
浅瀬の奥の小石の青緑色のぬめり、
土に汚れた氷の表面、みたいだ。
負の感情の根源は、つまり、真っ黒な欲望ーーー独占欲だとか、支配欲だとかーーーにあるだろう。
この様な欲望を、胸底に押し込ながら相手の事を想って、心配したり、悩んだりする事の、なんと美しい事か。
綺麗なものは、近くに汚いものがあれば、尚更引き立つと言われている。
実際、この黒い感情こそが、恋の淡い色を引き立て、美しくて、綺麗に映す。
そういえば、恋という感情は、「その領域に手が届く、手を届かせる事が許された」と知覚したとき、愛という感情に変わってしまうという。
愛というのは、
風鈴を割って和紙だけを千切り取ろうとしたり、
浅瀬の金魚を掬って水槽に閉じ込めようとしたり、
冬の泉で氷付いた公魚わかさぎを、そのまま一緒に砕いて口に含もうとしたりする。
つまり、今まで抑えていた真っ黒い欲望が、恋心を押し潰して先行してしまう。という事だ。
そうして、ふっと一息を吐ついて、冷静さを取り戻した頃に、
硝子屑に触れて、出血し始めた自分の指先だとか、
水槽の表面に腹を見せて浮かび上がる、呼吸を止めた金魚だとか、
咀嚼されて、氷と混じりながらボロボロになった冷たい公魚わかさぎの、生臭い味だとかを思い出す。
そして、なんだこれは、と顔を顰めて、「これは本来望んで手に入れたものじゃない」と毒づくのだ。
だから私は、愛なんか要らない。
愛してしまえば、きっと、ふっと目が覚めた時に、
眼前で、もう恋人では無くなった”誰か”が、傷付き疲れた顔をしているだろうから。酷い仕打ちをした私を見、それでも微笑むのだろうから。
それが怖い。だから、僕は、人を恋する事は出来ても、愛する事は出来ないと思うのだ。
【まるい恋愛観】
遠回しな、わかりにくい言い方をしてしまった。
つまり、
恋とは、「曇天に映える夜桜」の絵画であり
愛とは、「ただ深い曇天の夜」の絵画であると言いたい。
(桜の絵を自分だけの物にしたい。と、ふと願ってしまい、黒でぐちゃぐちゃに塗り潰したのだ。
ただ、それだけの事だ。)
この人とは恋人止まり、この人とは恋は出来ないが結婚はしたい。
という、一般的な願望があるように、私にも
この人には愛されたい、この人には殺されたい。
という歪んだ願望がある。