未明
貴方の腹部から、キノコが生えゆく夢を見た。
幸せの基準も、不幸せの基準も、人それぞれだと思うのです。
当人の感受によって決まるそれを、何故貴方は捻じ曲げようとするのでしょうか。
…私は幸せなのに。
【朽ち枯れた人間】
「僕のカラダからキノコが生えてゆく夢を見たんだ。
赤色、斑点、有毒色、茶色、紫、黒、白…どうしても美しくて、自分の皮膚を突き破るそれに目を奪われてしまったんだ。
…あぁ、僕はキノコになりたい。キノコに殺されたい。あんな美しい物になりたい。
ねえ、きっと、電車に跳ね飛ばされるより、樹海で糞尿を垂らすより、真冬のプールに飛び込むより、きっと、きっと素敵に死ねるよ、ねえ、どうしたら。…どうしたらさ、僕のお腹からキノコが生えてくれるのだろう、どうしたら、僕は苗床になれるのだろう…」
どら焼きが空から降ってきた。ついでに美少女も。
口の中でホロホロ崩れるカキ氷も、
闇夜を照らす赤提灯の色も、
子供達のはしゃぐ声も、
僕の前を歩いている浴衣の淡い色も、
サイダーの泡に弾けて無くなってしまうのだろう。
【滝の上にある珈琲店にて】
あそこに人がいる。山の向こう側を見ている。
俺はコーヒーカップを磨きながら、その女性の様子を眺めていた。
すらっとした出で立ち、艶のある黒髪、ワンピースから覗く青味がかった真白な肌。
何を考えているかはわからない。そもそも人間の感情を、表情一つで察するなんて不可能である。
それでも僕は眺めている。とある興味と、怖いもの見たさだ。
ここには何もない。名所とされている荘厳な滝しかない。
女性は決心したかのように足を大きく踏み出した。そして、僕の視界から、彼女自身の望み通りに消えた。
滝の音が、彼女の望み通りに彼女を隠した。
滝の向こうからは悲鳴が聞こえた。
「人が落ちた」と聞こえるような、聞こえないような。
その喧騒すらも、滝が飲み込んだ。
【絞殺に宿るプラトニック】
「あなたは自分を冷たい人だと思ってる。けれど、私は否定するよ、あなたは冷たい人なんかじゃないって。
だって、私の頬に降り注ぐこの涙の雨も、私の首を絞めるこの手のひらも、とてもあったかいんだ。」
ねえ、静かにして、あの人にバレちゃう。
ゴミ捨て場に、静かな猫が転がっている。
若い頃は少しヤンチャをしておりました。ヘルメットを被り、旗を掲げ、拡声器を握り、自論を叫んでいたものでした。
今では、すんなり大人しくなっちまって、キーボードと液晶を眺めるだけの生活を送っています。
「好きでもないくせに、付き合いたいだなんて言わないでくれますか。」
【黄色い線のその先】
足裏の半分以上を、ホームの縁から出して、迎えを待っていた。
黄色い線の外側、私だけが斗出している。内側にいる人達は興味も無いのだろう、私は声すらも掛けられなかった。
ヘッドライトが迎えにくればーーーー私はそのまま重心を前に傾けーーーー何処までも飛べるような心持ちになった。
何某「君は、君の小説を、不謹慎だと思わないのかい?」
君と一緒に埋められたい。
この夜景の中へなら、飛び込める気がする。
ゴミ捨て場の冷蔵庫の中に、バラバラになった幼馴染がいた。
一面冬色の公園。赤い手袋が僕を見つけて左右に揺れた。
性善説に殺される!
ケータイの電池が無くなっちゃうまで、しばらく君と話していたい。
お願いだから、この時だけは、君の身体を殴っているこの時だけは、嘘をつかないでおくれよ。
柴犬が首を吊っている。
剥き出しになった牙と、垂れ下がった紫色の舌から、土色の液体が漏れている。
桜の木の根を掘り起こしたら、犬の骨と、猫の爪と、鳥の嘴と、今にも動き出しそうな金魚が出てきた。
あれ。僕はバケツの中に顔を沈めらていたはず。何故目の前に、バケツの底ではなく、地獄が広がっているんだろう。
人にナイフを向けたら、自分の腹に大きめの槍が突き刺さった。
裏の裏が表だなんて、君はとんだ勘違いをしているようだ。
【他殺】
電車の中で赤ん坊が泣き叫んでいる。
周りの目線は赤ん坊を抱く母親に集められ、彼女はキョロキョロと周りを見渡しており、焦っているようだった。
おい、うるせえぞ。
彼女の横に座る中年サラリーマンが大きめの声で怒鳴った。
私は文庫本から少しだけ顔を上げて、サラリーマンを睨みつけた。お前にも赤ん坊の時代はあっただろうがよ。と。
その視線を無視し、そのオヤジはまたもや糾弾を続けた。
うるせえんだよ、母親なら黙らせろ。電車に乗るな!
「ご、ごめんなさい…申し訳ありません……」
いいから黙らせろ!!
車内、色々な人がいる。目を伏せている者、夢の世界にいる者、オヤジを非難する者、賛同する者…
私が再び母親を見やれば、彼女は、おもむろに赤ん坊の涎掛けを丸め、その小さな口に突っ込んでいる所だった。泣き声がくぐもったものになる。
隣のオヤジはまだ彼女を睨んでいる。私の隣に座る青年は食い入るようにその光景を見つめていた。彼の首筋を汗が流れる。
歯も生えていないであろう、口内の奥に奥に布が押し込められる。
バタバタと暴れる足が、ベビーカーを殴り続け、助けを求める手は宙を掻き回していた。
母親は周りを見回している。泣きそうな顔をしながら「ほら、静かになった」と、少しだけ安心した顔をしていた。
もう赤ん坊は泣かなくなった。
オフィーリアと共に、水底に咲く花を見に行きたいものだ。
鉛筆と紙が在るだけで、僕は幸福になれるのです。
こうやって、僕はあなたへの愛を綴り
こうやって、僕は自分の心の内を曝け出し
こうやって、僕は大衆への意見を述べれるのだから。
鉛筆と紙というのは、僕の発声器官なのです。
愛が欲しいと言ったあなたの目の前に、僕の心を差し出したら、あなたは首を横に振った。
人間は必ずしも、生きる事を悲観したり、自殺に走ったりする。…なんて。言い切れない、よな。
【監禁性愛】
貴方に監禁されてみたい。
私のお手手を柱に縛り付けて、逃げられぬように足に重りを括り付けて、首輪を鎖で繋いで。
毎朝早くにおはようを言いに来て、夜の遅くまで愛を囁いて。食事は終始あなたの手から食べさせられて、排泄もずっと見張ってくれるんでしょう?
それなら、貴方の提案、悪くないと思うのです。きっと合意の上でなら犯罪にならないので、是非お願いしたいのですが。
私は生憎、この性癖を恥ずかしく思っているので、乙女らしく、処女らしく、貴方の言葉を否定しますね。
貴方の発言に一喜一憂した春の季節が、すっかりと涼しくなってしまった。
あなたの唄が鳥になるとして、
私の詩が魚になるとするなら、
きっと私の魚はあなたに食べられてしまうし、
そうして私の魚はあなたの糧になるのでしょう。
いつしか鳥は機会を得て、大空に飛び立った。きっと私の魚よりも上等な魚を胃に収め、今日も何処で飛んでいる。
液晶の奥、照明の輝く大きなステージの上。
あなたの鳥は今日も翼を羽ばたかせながら、元気に飛んでいた。
【歌手のあなたと、魚を生み出し続ける私の話。】
あと少しだけ勇気があれば、白線の向こう側にも行けるのになぁ。
好き好き大好きと子供のように繰り返してしまうけれど、本当に、言葉通りなのです。どうか信じてください、この気持ちは本当なのです。
コーヒーを飲んでいたら、目の前にアイスココアを飲んで、こちらに笑いかける君の姿が見えた、気がした。
どこに出掛けても、そこらじゅうに君が現れるんだ。もう、いい加減、僕の頭の中から出て行ってくれはしないか。
雪じゃ涙は隠せないなぁ。
【空席を埋める】
眼前の空席に君の姿を思い描きながら、ストローに口付けた。Sサイズのコーラなんかで粘ろうとするのは嫌な客だろうな、と自虐する。バチバチと安い炭酸の味が喉を焼いた。
正直、炭酸はあまり好きじゃない。元カレは炭酸好きだったけれど。
ふと、右隣を見やると、空席のソファーと、その正面に白テーブル、相対するように硬そうな椅子があった。
最後の日、私はこの「空席のソファー」に腰掛けていた。私は何も知らずに、硬い椅子に座る君と談笑していたな。
隣で、私と君が嬉しそうにしている。
また、ふと、左奥端の席をぼんやり眺めて、「その前はあそこの席に座ったなぁ」と思った。さっきまで「右斜め前の硬い椅子」にいたはずの君は、いつのまにか「あそこの席」に腰掛けていた。
君は、随分と遠くに行ってしまった。
君は家庭の事情で引っ越す事になり、私と続けられる自信がなくなったのだろう。もうこの関係はやめにしようとボヤいていたな。私はワガママも言わず、「あぁ、Aくんが苦しいならいいよ、別れよう」と嘯いてしまった。
本当はずっと一緒に居たかったのになぁ。
ガラスの外を見やれば、Aくんは笑顔で私と帰っている所だった。ついに頭もいかれてしまったらしい、私はなんて残酷な回想をしているのだろう。
「うわー、ごめん、待ったか?」
友人がトレーを持って、戻って来た。
「ううん、いいのいいの。Kくん何頼んだの?」
彼はにっかりと笑いながら、アイスティーを見せつけてきて、そのまま目の前の席に座った。
この席に座っていたAくんはもう、私の頭の中からも、消えて無くなった。
今度来たときはこの右隣に、また来たときは左奥隅の席に座ろうか。
コーラを飲み下し、喉を焼きながらそう考えた。
「春だなぁ…。
なぁ、そういえばさ、最近、人死にすぎじゃないか?」
「春ですからね~…、やはり春休み明けの鬱とかで死ぬんじゃないですか?」
「それもそうだなぁ。…人身事故とかなぁ。」
「ですね~」
「……死体は桜の木の下に埋めとこうぜ。そうすれば、きっと、綺麗に花に色が付くよ。」
「桜の木ですかぁ~…この調子だと、線路上が桜並木になりそうですね~~。線路上に大きな木が生えそうです、”にょこん”って。」
「はは、ホームで花見なんて、なんだか、浪漫はあるけど。なんだかな、…なんだかなぁ。」
(確か、昨日、こんな感じの話をしていたような。)
自分の葬式を想像して、どうにかしてそれに参加したいと願ってしまう。
悲しむ人はいるのだろうか、笑う人はいるのだろうか。
ふと、こう考えてしまったんだ。
あなたの背を追っていた私は、そのままマンションの屋上から真っ逆さまになった。
世界は反転して、貴方と背中あわせになって、それで私は満足して、道路に溶けた。
土砂降りの中、錆び付いた自転車と隣り合わせになって、通り過ぎる人々を眺めていた。
彼らはみな傘をさしており、急ぎ足に帰路を進んでいる。
「なあ、お前と俺は一緒だ、」と、俺はその自転車に語りかけたが、槍のように降り注ぐ雨音に掻き消されてしまった。
「なあ、」
俺もお前も、もう二度と来ぬ誰かの帰りを待っている。