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兄貴とミィちゃん

あらかじめ言っておきます。

ミィちゃんは、犬です。チャウチャウです。

 今より丁度一年前の事である。青年が繁華街を歩いていると、ぼろきれの様になり道路脇に打ち捨てられていた少年を見つけた。

 繁華街を歩く人々は、少年を視界に入れない様にしている。同じ様に青年も少年を放置しても良かった。それを誰も咎めはしないだろう。やがて警察がやって来て処理をする。それが適切なんだと、誰もがそう思っていた事だろう。


 だが、青年は放っておけなかった。青年は肩で少年を担ぐと、自宅へと連れて行った。それ以来、青年は少年の面倒を見ている。そして少年は青年の事を、親しみを籠めて兄貴と呼ぶ。


 宮川忠勝、それが青年の名であり、前島たけし、それが少年の名である。


 二人が共に暮らし始めてから、忠勝はシャッター商店街のビルを買い取り、リフォームをした。それ以降、二人はビルを住処にしている。

 ただ、幾らシャッター商店街の端に存在するビルとはいえ、決して安い買い物ではない。普通なら二十歳そこそこのチンピラに、ビルを一棟を購入する資金も社会的信用も無いだろう。


 普通ならば。


 株や不動産売買等の資産運用に長けた忠勝は、ビルの買取からリフォームに至るまでを即金で払う現金を有していた。


 そして、忠勝が気まぐれに拾った少年は、実に真面目であった。


 この日も、たけしは朝早く起きるとビルの掃除を始める。最初は、一面をリビングとして利用している二階部分の掃除をする。次に、事務所にしている一階部分の掃除を行う。

 ただ、事務所と呼べるのは入り口近くにあるデスクとパソコン並ぶ部分だけ、残りのスペースは、ウエイトトレーニングの器具が並び、最奥には忠勝が稽古場と呼んでいる畳スペースであった。


 器具も隈なく磨き、畳を綺麗に拭き上げると、たけしは再び二階のリビングへと戻る。そして、朝食の準備を素早く整え、寝室が並ぶ三階へと戻ると各部屋の掃除を手早く行う。そして最後に残った、忠勝が眠る部屋の戸を叩く。


「兄貴、兄貴。起きて欲しいっす」

「もう起きてる」

「今朝は兄貴の好きな、ベーコンエッグトーストっす。ベーコンとチーズをマシマシにしたっす。冷める前に、起きて欲しいっす」

「扉の前で叫ぶな! 起きてるって言ってんだろ!」

「そう言って、二度寝するっす。起きてくれないと、小倉トーストも冷めるっす」

「朝からそんな甘そうなの食えるか!」

「違うっす。それは、兄貴のじゃないっす。それと、ミィちゃんがご飯を欲しがってるっす」

「みぃちゃんの飯は、お前がやっといてくれ」

「駄目っす。ミィちゃんの世話は、兄貴がやるって言ったっす」

「着替えてるから、ちょっと待ってろ!」


 それから一分も経たない内に部屋の扉は開いた。そして、人など簡単に睨み殺せる様な目つきでたけしを睨め付けると、忠勝は低い声で言い放つ。


「たけし。ミィちゃんの餌を持って来い」

「わかったっす」


 多少は慣れたとしても、拭いきれぬ恐怖は存在する。たけしは体を少し震わせながら、ペットルームへと向かう。そしてペットの犬を片腕に抱き、もう片方の手で餌と餌用のボウルを抱えて、青年の寝室へと戻って来た。


「兄貴。怖いから、睨むの止めて欲しいっす」

「あぁ? 睨んでねぇだろ!」

「違うっす、怖いっす。ミィちゃんも、怖がってるっす」


 文句を言いつつも、たけしは抱えていた犬を床に降ろす。そして、餌とボウルを青年に渡した。当の犬といえば、確かに忠勝の寝室に入るまで餌をねだって吼えていた。しかし、寝室に入った瞬間に吼えるのをピタリと止めた。また、忠勝には近寄ろうとしない。


「やっぱり怖がってるっす。怯えて、声も出ないっす」

「お前がかぁ? 糞生意気な事を言うじゃねぇか」

「違うっす。ミィちゃんっす」

「んなこたぁねぇだろ! 所でたけし。何で缶詰がねぇんだ?」

「買い忘れたっす。今朝はカリカリで我慢させるっす」

「はぁ? お前が缶詰ぇ忘れたから、ミィちゃんが怒ってんじゃねぇのか!」

「誤解っす。取り敢えず、カリカリあげて欲しいっす。これ以上は、ミィちゃんがストレスで剥げるっす」

「仕方ねぇ」

 

 ペットでさえ黙らせる眼力を、本人は自覚が無いのだ。忠勝がボウルにドライフードを入れれば、ペットのミィは従うしかないのだろう。若しくは『従わないと殺される』とでも思っているのだろうか。ミィは尻尾を腹に隠しながら、ゆっくりと床へ置かれたボウルに近付く。そして静かにドラフードを食べ始めた。


 部屋に『カリカリ』と響く度に、ミィは忠勝を覗き見る。そんなミィを撫でようと忠勝が違づくと、ミィはビクッと震える。だが、嫌とは言えないのだろう。大人しく忠勝に撫でられながら、ミィはドラフードを食べ終えた。


「おい。ミィちゃんを、部屋に戻しとけ。飯食い終わったら、散歩を忘れんなよ」

「駄目っす。散歩も兄貴がやるって言ったっす」

「そりゃあ、俺が暇な時だろ!」

「違うっす。毎日やるって言ってったっす」

「適当な事を言ってんじゃねぇだろうな、たけし!」

「本当っす。兄貴が、酔ってる時に言ったっす。証拠も残ってるっす。録音したっす」 

「妙な所で、賢くなりやがって」

「兄貴のおかげっす」


 そう言い放つと、忠勝は部屋を後にし階段を下りていく。たけしは、慌ててミィちゃんを抱えてペットルームへ戻ると、忠勝の後を追った。

 忠勝は二階部分の扉を開けると、窓際のソファーへ向かいドカッと腰を下ろす。それから少し遅れて二階の扉をくぐったたけしは、ソファーを素通りしてキッチンへと移動した。


 やがてゴリゴリと音がし、芳しい香りが部屋に漂う。それは、適温のお湯が注がれる事で、さらに薫り高く変化を遂げる。

 たけしは、木製のトレーに焼き上げたトーストと、淹れたてのコーヒーを乗せ、忠勝の前に運んでくる。そして忠勝は、テーブルに置かれた朝食と、たけしを交互に見やった。


「ちょっと冷めたのは、兄貴のせいっす」

「何も言ってねぇだろ! いいから食え!」 

「兄貴の目が、何かうるさかったっす。冷えてねぇかこれ、みたいな感じっす」

「んな事は言ってねぇ! お前のパンを見てたんだよ!」

「交換は駄目っす。でも、ちょびっとなら分けても良いっす」

「いや、要らねぇよ。よく朝から、そんなもん食えるな」

「ぼぶぼーば、ばいぼうべぶ」

「食いながら、喋んじゃねぇ」

「んぐ。おぐとーは、最高っす」

「そうかよ」


 トーストを一口大にちぎりながらモソモソと食べるたけしを眺め、忠勝は苦笑いを浮かべながら自分のトーストに手を伸ばす。やがて忠勝は、ガツガツと一気にトーストを食らい、コーヒーを飲み干すと席を立った。


「そういや、今日はラーメン屋だったな」

「今週は、ずっとっす」

「仕込みから何まで、しっかり学んで来い」

「兄貴は、何処に行くんすか?」

「前場にはまだ早いからな。外のマーケットをチェックしたら、ミィちゃんを散歩に連れてく」

「わかったっす。気を付けて下さいっす」

「ありがとよ」


 そして忠勝は粗雑に扉を開けると、リビングを出る。一階まで下りると、事務所の戸を開けた。忠勝に反応し、事務所の灯りが順々に点灯していく。そして忠勝は真っすぐにデスクへと向かい、PCの電源を入れた。

 

 PCが起動すると、メールのチェックをし、海外のマーケット情報にざっと目を通す。忠勝はPCの画面を見つめ、眉間にしわを寄せながら腕を組む。恐らく忠勝の頭は、目まぐるしい勢いで、情報を整理しているに違いない。 

 やがて忠勝は、PCの脇で充電しておいたスマートフォンを操作し、電話口の相手に幾つか指示を出した。忠勝は電話を終えるとスマートフォンをデスクの上に置き、PCの電源を落とすと事務所を出てペットルームへと向かった。


 凡そ、忠勝の寝室より広いだろうペットルームを見渡すと、ミィは隅で小さくなって震えている。

 

「何だ? ミィちゃん、そりゃ新しい遊びか? こっちに来い、ミィちゃん」


 ペットを構う時、人は少し高く柔らかな声で話しかけるのではなかろうか。しかし忠勝は、ドスの利いた声で話しかける。また目付きは相も変わらず鋭い。

 当然ながら、忠勝にミィを脅す気はさらさら無い。寧ろ、全力で甘やかそうとすらしている。そうでなければ、自分より広い部屋を宛がったりはしない。


 人間にとっての恐怖は、動物も然程の変わりがないのだろう。忠勝の想いはミィに届く事はない。幾ら呼びかけても、ミィは部屋の隅で震え忠勝には近寄ろうとしない。もし、忠勝が部屋の入口を塞いでいなければ、全力で逃げ出していたかもしれない。

 

「泣かねぇなら殺しちまえかぁ? なぁ、ホトトギス。いや、冗談だミィちゃん。散歩に行くぞ」


 どこまでが冗談なのだろう。それから直ぐに、忠勝は鷲掴みでミィを持ち上げると、そのまま小脇に抱えて階段を下りていった。


 商店街は奥へ行く程に、『開くのを待つシャッター』から『開く事の無いシャッター』へ変わる。ビルが位置する商店街の奥は、高層ビルの影響で日当たりが悪くなっている。

 それでもビルから一歩を踏み出せば、立ち並ぶ建物の上から光が差し込むのが見える。そして、夜の間に入れ替わった新しい空気が、心地よく肌を撫でる。忠勝は大きく息を吸い込むと、商店街の入り口に向かって歩き出す。


 特に客足が少ない早朝の時間帯でも、焼き立てパンの芳しい香りに誘われ、数名の常連客が商店街を訪れる。また魚屋と八百屋の店主は、今日の仕入れをトラックから店舗に移す。そして酒屋の店主が、竹ぼうきで道を掃く。


 忙しなく動き始めた朝を横目に、忠勝は往来を闊歩した。

 

 商店街に足を運んだ客は、忠勝と目線を合わせる事は無い。多少は、人となりを知る商店街の店主達でなければ。そして商店街の入り口近くまで歩いた時に、忠勝は呼び止められる。


「おぉ、あんちゃん。珍しいな、散歩か?」

「あぁ? 見てわからねぇか? ミィちゃんの散歩だ」


 忠勝が無為に暴力を振るわないのを、住人達は理解している。脅すつもりが無いのも、ちゃんと理解している。だが話しかけると、決まって睨みつけられ、ドスの利いた声で返される。やはり、怖いものは怖い。それでも話しかけるのは興味を引くからだろう。

 この時、肉屋の店主が話しかけたのは、『犬を抱えてあるく強面の図』が珍妙に感じたからであろう。


「それは、見ればわかるよ。ただ散歩なら、歩かせたらどうだ? 犬の健康にも良いと思うぜ」

「はぁ? んな事したらぁ、可愛いミィちゃんが、汚れちまうだろ」

「いやいや、犬の散歩ってそんなもん。あぁ何でもない。ところで、コロッケでも揚げようか?」


 忠勝の眼光が、更に鋭くなったのを感じたのだろう。肉屋の店主は素早く話を切り替えた。肉屋の店主の提案へ、忠勝は少し逡巡し静かに答える。


「コロッケか。そうだな、せっかく揚げてくれんなら、貰おうか。二個、いや三個」

「三個だな。直ぐに揚げるからな」

「……ちょっと待て! やっぱり、フライドチキンを揚げてくれ」

「はぁ? フライドチキン?」

「そうだ。聞こえたんなら、早くしろ」

「いや、待て待てあんちゃん。コロッケなら、直ぐに揚げられるから言ったんだよ。フライドチキンなんて、直ぐには無理だぞ」


 幾らサービスでも、出来る事と出来ない事は有る。声を上げる肉屋の店主に対し、忠勝は「そんな答えは聞きたくねぇ」と言わんばかりに、鋭い眼光を向ける。そして、ゆっくりと忠勝は肉屋の店主へ近づいていった。

 すかさず肉屋は、ガラスショーケース越しに、逃げる体勢を整える。しかし、忠勝が放った言葉は肉屋の想像を超えていた。


「いいか肉屋、よく聞け。あんたが扱ってるのは、牛だけか? 豚だけか? 違うだろ、鳥も扱ってんだろ?」

「そうだな」

「あんたが、ただの肉屋のつもりなら、それでも構わねぇ」

「うちは、普通の精肉店だよ!」

「だけどよぉ、俺の知るあんたは『世界最高の職人』だ」

「何言ってんだ、あんちゃん! 意味がわからねぇよ!」

「そんな職人のシマで、健太の野郎は勝手なシノギをしてやがんだ。あんたは、悔しかねぇのか」

「悔しくないし、土俵が違うだろ!」

「いいや、考えてもみろ! あんたから仕入れた肉で、向こうのパン屋は最高のバーガーを作り上げた。幕堂の野郎を叩きのめして見せたんだ!」

「何の話しだよ!」

「兄弟分のあんたが、黙ってて良い訳がねぇ!」

「だから、意味がわからないって!」

「あんたは、世界最高のフライドチキンを作れ! そんで健太の野郎に、立場ってもんを教えてやれ!」

「だぁから。どうしろって言うんだよ!」

「いいか、一時間だ。ミィちゃんの散歩が終わってから、もう一度ここに寄る。それまでに完成させとけ」

「だから何をだよ!」

「俺があんたにしてやれるのは、味見だけだ。あんたの魂、見せてみろ!」

「いやあんちゃん。俺は、そんなもん作らねぇぞ。おい、聞けって! あんちゃん、お~い!」 

 

 忠勝は、言いたい事だけを言うと歩み去る。肉屋の店主は、忠勝の背を眺めて深いため息をついた。


 やるしかないんだ。


 恐らく出来ないと断っても、「泣き言は聞きたくねぇ」と切り捨てられるだろう。そして、あの鋭い眼光で、詰め寄られるのだ。幾ら、無為な暴力は振るわない事を知っていても、怖いものは怖い。

 但し、忠勝は困らせようと、無茶な注文をつけているのではない。それは、肉屋も理解している。忠勝の表情は真剣そのものであった。そして肉屋の腕を信頼しなければ、あんな言葉は出なかっただろう。


 何より、「魂を見せてみろ」の一言は、肉屋の心を震わせた。


 それから肉屋は、必死に頭を働かせた。『健太のフライドチキン』その味の秘密を想像し、それを超える秘策を熟考する。試作の手間を考えると、一時間ではとても足りない。だが、肉屋は全力を尽くした。


 しかし一時間が経過しても、忠勝が再び店舗に訪れる事は無かった。

 

「お帰りなさいっす兄貴。さっき、肉屋から電話が有りましたよ」

「はぁ? 肉屋が俺に何の用だ?」

「なんか、フライドチキンがどうのって言ってたっす」

「そう言えば、そんな事もあったな」

「それは良いっすけど、出掛ける時は、スマホを持ち歩いて欲しいっす。連絡取れなくて、肉屋が困ってたっす」


 そう。忠勝は肉屋とのやり取りを、完全に忘れていた。約束の時間に行かず、肉屋はさぞかし困っただろう。そう思った忠勝は、直ぐに引き返そうと玄関に体を向ける。しかし、ふと立ち止まるとニヤリと口角を吊り上げた。


「そうだ、たけし。バイトの前に、肉屋に寄れ」

「なんでっすか?」

「あぁ? そりゃあ、最高のフライドチキンが待ってるからだ」


 事情がわからず、たけしは首を傾げる。だがフライドチキンという単語で、たけしの表情は綻んでいた。この時、問題のフライドチキンが後に行列を呼ぶ事を、誰も予測してなかった。恐らく、忠勝以外は。

ミッドな伊藤。

それは、伊藤五郎、伊藤三郎、伊藤一の内、三番目の伊藤を指す。


だから何だ。


次回もお楽しみに!

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