表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/23

第三話 酒場の喧嘩

 家の外に出る時は高揚と共に、少しの緊張と不安に襲われる。

 一生が病室の中だった俺にとって、外の世界は新鮮だ。

 かつては行けなかった場所。今はそこに、あっさりと踏み出せる。

 その事実には複雑な感情を覚えるが、改めて数奇な運命もあるものだ。

 何度か風呂屋には連れていかれたことがあるとはいえ、いまだに慣れない。

 窓越しではない空を見る。

 茜色に染まり、雲の下腹が焼かれた夕暮れの空が美しい。

 何だか涙が出そうになってきた。

 俺の様子に気づき、アルマがあやしてくる。


「あら、大丈夫、ウォーレス? よしよし、安心しなさい」


 アルマは俺をあやしながら、夕暮れ時で行き交う人の多い雑踏を進んでいく。

 がやがやとした喧騒は耳障りではあるが、もうサンドラの夜泣きで慣れてしまった。

 行き交う人を観察すると、約三割は剣と鎧で武装している。

 ……兵士といった感じの雰囲気じゃない。

 兵士も何度か見かけるけれど、ほぼ同じ恰好をしているから、あれが制服なのだろう。

 なら、旅人か? いや、数が多すぎるな。


「ママ、あの人たち怖い」


 サンドラがアルマの服を引っ張りながら、彼らを指さして言った。

 指を差された青年たちは気づいて苦笑したが、サンドラはアルマの後ろに回る。


「こら、そういうこと言ったら駄目でしょ。……すみません」


 アルマが軽く頭を下げると、青年たちは気の良い笑いを浮かべながら去っていく。


「あの人たちはな、冒険者っていうんだ。父さんより強いんだぞ」

「ぼうけんしゃ?」

「こわーい魔物を倒して、サンドラを守ってくれる人たちだ。だから、怖くないぞ」


 ライアスがサンドラに説明する。

 疑問はなんでも聞いてくれるサンドラは、俺にとってもありがたい。

 これまでの話を統合すると、何となく分かってきた。

 街の外には魔物という異形の怪物が蔓延っていて、それを冒険者という連中が狩ることで街を守っているのだ。

 何だかファンタジー系のゲームや漫画みたいだ。ちょっとワクワクしてくる。

 そうなってくると、一つの期待が俺の中で湧き出てくる。

 もしかしたら魔法のような技術体系があるかもしれない、ということだ。

 その期待が湧き出てきたのも、さっきサンドラが指さした冒険者たちの中に、杖を持ちローブを纏った、いわゆる魔法使いっぽい女性が混ざっていたことも大きい。

 単なる異世界ではなく、剣と魔法のファンタジー世界の可能性が高くなってきた。

 俺がそんな期待を密かに募らせている時、家族はさっさと酒場らしき建物に入っていく。

 中を見渡すと、雑多な印象が強い。多くの人が酒を酌み交わしているそこは丸テーブルと椅子が乱雑に並べられ、間を通り抜けるのも一苦労といった感じだ。

 ライアスはたまに知り合いらしき男たちに挨拶しつつ、奥の丸テーブルに陣取った。

 それから普段よりも豪勢な肉料理がテーブルに置かれ、サンドラが歓喜する。アルマとライアスがエールで乾杯する一方、サンドラは食べることに夢中だった。

 羨ましい。俺も肉を食べたい。それに、酒の味だって一度は知りたかった。

 前世から考えても、数年ほど固形物を食べていない。栄養補充は点滴が常だった。

 流石に生後数か月の俺には食べさせてくれないし、食べられないだろう。

 だが、前世と違って今の俺は未来に希望が溢れている。

 この肉料理にむしゃぶりつくことだって夢じゃないのだ。

 ああ、健康な体は素晴らしい。大切にしよう。

そんなことを考えていると、急に酒場の空気が変わった。喧騒が鳴りを潜めていく。


「……何かあったか?」


 愉快そうに酒を飲んでいたライアスも片眉を上げる。

 アルマの腕の隙間から周囲を観察すると、この空気の中心は二人の青年だった。共に冒険者と思しき武装した青年たちは、額に青筋を浮かべてお互いを睨んでいる。


「喧嘩のようね」

「冒険者パーティ『氷天の狼』か。この街じゃ一流の連中だが、どうしたんだ……?」


 ……喧嘩か。

 酒場ならよくある話かもしれないが、冒険者同士だと話は変わってくる。

 何せ武装しているからな。酔った勢いで殺し合いに発展したら笑えない。


「――もう一度言ってみろ。このパーティを、抜けるだと?」

「ああ、俺は死ぬために冒険者をやってるわけじゃない。率直に言って、付き合いきれん」


 俺は二人の話に聞き耳を立てる。

 静まり返ってしまったので勝手に聞こえてはくるけれど。


「無謀だと言いてえのか?」 

「当然だ。現に、一度は逃げ帰ることになったじゃないか。二度目も運よく逃げられるとは限らないんだぞ。無謀と勇気は違う。今度こそ、俺たちは死ぬ」

「だが、すでに依頼は請け負った。仕事には責任が伴うんだぜ。これだけ大きな依頼を今更断るのは俺たちの信用に関わる。何より、ヴェラの治療にはこの報酬が必要だ」

「そもそもヴェラが怪我をして戦力を欠いている時点で、無理があると言っている!」

「だからこそ、多少の無理は通さないといけねえ時期なんだろうが!」


 烈火の如き眼光が交錯する。

 ごくり、と唾を呑み込む。

 ぴりつくような空気を肌で感じる。

 ため息ひとつすら躊躇われるほどの、氷のような緊張感。


「本当に逃げるつもりなら、力ずくで止めるぜ」

「自信過剰だな。君が俺に勝てると思っているのか?」

「テメェ……ッ!」


 二人が姿勢を低くして腰元の剣に手をかけるのは同時だった。

 たったそれだけの動作が目にも留まらぬほど速く、流水のように滑らかだ。

 殺し合いが始まる。それまで凍り付いていた客も、我を忘れて逃げ惑うことになる。

 その、直前の出来事だった。


「――そこまでにしておきなさい」


 ピキィ! と目が覚めるような音が響き渡った。

 二人の青年が出端をくじかれたように動きを止め、その間に一人の少女が割り込む。

 うっすらと、肌を刺すような冷気が俺のところにも届いた。

 よく見ると、青年たちの腰元の剣は鞘から抜きかけたところで凍り付いている。


「あれが氷属性上級魔術師、『氷天』のヴェラか……」


 一瞬で喧嘩を止めた彼女の腕に感嘆するライアス。

 一方、俺はそれどころじゃなかった。

 思わず、空気を読まずに意味のない声が漏れる。

 ――魔法。

 いや、ライアスの言葉を考えると、魔術なのか?

 いいや、そんなことはどうでもいい。言葉の違いなんて些細なことだ。

 大切なのは、この世界に魔法のような技術があると判明したこと。それだけで十分だ。

 二人の緊張感にビビっていた俺だが、急にどうでもよくなってくる。そんなことよりも魔術、魔術だ。俺も使ってみたい。俺にも使えるだろうか。俺に才能はあるだろうか?

 せっかく剣と魔法の異世界に転生したのに魔法の才能がないなんて事態は勘弁してほしい。人生の半分ぐらい損をすることになる。俺を転生させた神の采配を信じよう。

 急に手足をばたばたと振って遊びだした俺をあやすアルマ。

 そんな和やかな光景とは裏腹に、『氷天の狼』とやらはいまだに喧嘩を続けている。

 青年たちの間に割って入った少女は、右足を包帯で固め杖をついている。さらりとした銀髪の下にあるのは、理知的な光の宿る碧い瞳とあどけない顔立ち。

 将来は美しくなるだろうが、まだ年端もいかぬ少女にしか見えない。


「ヴェラ……どうして邪魔をする?」

「頭を冷やしなさい。ただでさえお金に困っているのに、酒場で争ってどうするの? 壊したものを弁償するだけでお金が吹っ飛ぶわよ」

「うっ……」

「チッ……」


 少女――ヴェラの正論に、青年二人は言葉を詰まらせる。


「ちゃんと周り、見えてるの? みんな、貴方たちに怯えているわよ」


 ヴェラの指摘を受けて、ハッとしたように辺りを見る青年たち。


「すまん……頭を冷やしてくる」

「俺もだ。今日のところは大人しく帰る。また明日話そう」


 凍り付いている周囲の人々に気づいたのだろう、二人は頭を下げて酒場を出ていった。

 ……ようやく落ち着いたか。

ほっとしたような空気が漂い、酒場の喧騒が徐々に戻っていく。

 アルマも安心したようにため息をついた。


「……緊張した。一時はどうなることかと思ったわ」

「安心しろ。もし喧嘩になっていても、余波ぐらいなら俺でも守ってやれる」

「あんまり頼りにならないわね……」

「俺は一介の大工だぞ……?」

「でも、あなたも元冒険者でしょう?」

「昔の話だ。それに、いくら何でもあんな一流どころと比べてもらっちゃ困るぜ」

「ふふ、そうね、分かっているわよ」


 そんな風に笑い合うアルマとライアス。

 へぇ、ライアスは元冒険者なのか。頑強な肉体もその時に培ったのかもしれない。将来的に冒険者はかなり興味があるし、身内に経験者がいるのはありがたいな。

 それにしても、あんなに若い少女でも一流冒険者として一目置かれているのか。

 ライアスも天才魔術師と呼んでいたしな……。

 どの世界でも天才というものは年齢など無関係らしい。

 俺もまずは天才と呼ばれるようにならなければ、英雄なんて夢のまた夢だろうな。

 英雄になるなんて曖昧な割に壮大な目標を立てているのだ。赤ん坊の姿では動けないからといって、怠惰な日々を過ごしている場合じゃない。

 まずは、魔術について調べてみよう。可能なら習得したいところだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ