第9話 ~Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen~
大変遅くなりました。
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小奇麗な和懐石料理屋の個室、環と倉本が向かい合って食事をしている。
「倉本さんコレなんの空揚げ?」
「ん?あぁ、それは稚鮎だ、、、」
「ふ~ん、、、」
そう言うと環は勢い良く口の中に入れた。
「美味いだろ?」
「うん。揚げ物なのにしつこくなくて、、、美味しい!」
「気に入ったか?僕のもあげよう」
「本当っ?わ~い!」
無邪気に喜ぶ環の姿を見て、倉本は満足そうにフッと笑った。
「環くん、今日この後はヒマ?」
「え?、、、うん、終電までだったら、、、」
「帰りは車で送るさ」
「本当ッ?じゃあ、しばらくヒマ!」
「そうか、なら家においで、、、環くんが前に欲しがってた音響システムを買ったんだ」
「えッ?うそぉッッッ!、、、だってアレ、、、とても個人が買える代物じゃ、、、」
「そんな事どうでもいいだろ?環くんが好きなバッハのCDも色々揃えたし」
「行く行くッ!うっわ~、アレでバッハが聴けるのかぁ、、、楽しみ!」
いつも笑顔を絶やさない環だが、この時ばかりは最上級の微笑みを見せた。そんな環の表情に、倉本は自分の中の何か獣的な部分が暴走しそうになるのを、拳を握ってグッと堪えた。
都内にある高級マンションのとある一室。無駄が一切省かれ、生活必要最低限の家具、家電のみが設置されているその部屋は、西聖ヶ丘総合病院の若手ホープ倉本晃の部屋である。
「うっわ~、、、広い、、、」
倉本に促されるまま部屋に入った環が思わず口にした。
「物が少ないからそう見えるだけだろ。僕はゴチャゴチャとした部屋が嫌いなんだ、、、」
先に環を招き入れ、玄関の鍵をかけてから室内に入ってきた倉本が驚いている様子の環に言った。
「それにしたって、、、凄い、、、」
「少し待ってて貰っていいかな?、、、メールチェックをして、シャワーを浴びたいんだ。昨日は夜勤でね、、、」
「えッ?そんな、、、じゃあ、疲れてるでしょ?僕が来たの迷惑だったんじゃない?、、、メールやシャワーなんて全然構わないケド、、、」
「誘ったのは僕の方だ、そんなに気にしないでくれ。出来るだけ急ぐから、、、」
「あ、うん。全然ゆっくりで構わないよ、、、、、、あ!コレッ!」
つい今し方まで少し曇った表情を浮かべていた環が、だだっ広いリビングの一角に無造作に置かれた音響設備を見つけると歓喜の声をあげ、料理屋で見せたのと同じ、とびっきりの笑顔を見せた。
「、、、倉本さん?」
そんな環を見つめたまま目線を外そうとしない倉本に、環は不思議そうに尋ねた。
「ん、、、あ、あぁ、、、スマン。これだろ?環くんが欲しがっていたのは、、、」
「うん、そうコレッッッ!」
「あ、そうだ丁度良い、、、僕がメールチェックしたり、シャワーを浴びてる間、これでバッハでも聴いててくれ」
「いいのッ?」
「当たり前だろ?その為に環くんを家に招待したんだから、、、えっと、、、コレかな?」
そう言って倉本は一枚のCDを取り出すと、プレイヤーにセットしてスイッチを入れた。低音のGのオクターブから流れる様に上のGのオクターブへ。それと同時にゆるゆると流れる心地よい主旋律が広い室内に響く。
「あ、コレ!」
「バッハ、カンタータ一四七番、、、だろ?」
「うん!、、、わぁ、、、やっぱり凄くイイ音、、、」
「、、、じゃ、ちょっと待っててくれ」
「うん」
そう言うと倉本は別室に移動し、環はリビングに一人残された。バッハの調べの中で彼は思い出す。
ある日、電車の中に落ちていた携帯電話を拾い、メモリの中の『自宅』に電話をしてみたところ、倉本が出て、感謝の言葉と共に住所を教えてくれた。後日、その住所に携帯電話を届けると、『お礼がしたい』と言って自分を食事に招待してくれ、その席で環はもう会う事はないだろう、という安心感からか、それまで誰にも話した事のない、現在の自分の辛い状況を倉本に話した。それからだ、、、倉本が一ヶ月に一、二回環を食事に誘う様になり、別れ際に『お小遣い』と称して、五万から多い時で十万程の現金をくれる様になったのは、、、。もちろん環は最初、そのお小遣いを拒否したが、そんな彼に倉本はこう言った。
「ならばバイト代でどうだ?」
その後、彼は自分がゲイである事、しかしとても忙しくて恋愛などしていられない事、などを環に告げた。
「君はお金に困っている、僕は甘い時間が欲しい」
倉本はそう言うと、だったら月に何回か二人で会って簡単なデートをする程度の『恋愛ごっこ』のバイトをしてくれないか、と環に提案してきた。もちろん、バイト代として『お小遣い』は支払う、と、、、。援助交際、、、世間一般で言えばそうなるのだろう。つまり倉本は、年こそ若いが自分の『パパ』になると言っているのだ。環は悩んだ末に、やはり背に腹は換えられない現状や、家族愛に飢えている事などからその申し入れを条件付きで有難く引き受けた。
その条件とは『いかなる理由があろうと、絶対に性交渉はもたない』というもので、その後何度か倉本がそういう雰囲気をかも醸し出すことがあったが、環は頑としてそれを受け入れなかった。
「ふ~、、、お待たせ」
腰にバスタオルを一枚巻いただけの姿で、髪を拭きながらリビングに戻って来た倉本は、バッハの調べが止まっている事に気が付いた。
「環くん?、、、」
そう呼び掛けたが返事がない。不審に思ってソファーに近付くと環は規則的な寝息を立てていた。
「、、、寝ちゃったのか、、、。まぁ、食事の後だし、それにバッハは、、、仕方がないか」
倉本はそう言うと、自分の部屋から薄手の毛布を持って来て、環に掛けてやった。丁度その時、彼が寝返りをうった為、毛布を掛けおわった倉本の手の甲に、環の唇がちょん、と触れた。
倉本は一瞬呆然とするも、その切ない感触がまだ覚めやらぬ内に自分の手の甲に自ら口付けをした。そして環を起さない様にゆっくりと膝を落すと、今度は環の唇に直接自分の唇を重ね合わせる。
その瞬間、倉本の中の何かが音を立てて崩れた、、、。倉本は自分が掛けた毛布を荒々しく取ると、環の着ているワイシャツに手をかけ、一気に引き裂いた。ブチブチッ、と糸が切れる音がしてボタンがあちこちに飛び散る。
「ん、、、倉本、、、さんッッッ!」
目を覚して瞬時に状況を把握した環が叫んだ。しかし倉本の手は止まらない。上半身裸になった環の両手を掴むと、自分が髪を拭くのに使った細長いタオルできつく縛った。
「なにをッ!倉本さんッッッ!止めてぇえええ!」
懇願する環を無視して倉本は環の上に覆い被さり首の辺りに唇を落す。
「クッソ、触るなッ!、、、止めろッッッ!、、、放せぇええええッッッ!」
あの温和な環が初めて見せる激情に倉本は一瞬ひる怯んだ。その瞬間を環は逃さず、手と違ってまだ自由になる足で思いっきり倉本を蹴った。
「ゴッ、、、」
鈍い音がして倉本は床に倒れる。すかさず環は立ち上がると倉本から離れた。
恐怖に脅え震えながら、倒れている倉本を見つめる環。しかし直ぐに倉本は起き上がると、ゆっくりと環に向って歩きだした。そしてとうとう環の目の前まで来ると突然、現在唯一自分が身に付けている腰に巻いたバスタオルを外して、それでもって環の両足を素早く縛った。
、、、、、、
どれくらいの時間が経ったのだろう、、、。数え切れないほどの回数を倉本の手や口によって上り詰め、もう環自身からは何も出なくなっていた、、、。
「、、、もういいだろう、、、」
そう言うと倉本は環の拘束を解いた。やっと終った、、、環は朦朧とする意識の中で微かに微笑んだ。
「では、、、環くん、本番だ」
環は思わず自分の耳を疑う、、、けれど、もうどうでもよかった。何をされようと、どんな目に遭おうと、此処から、、、この地獄から一刻も早く抜けだせるのならば、なんでも我慢してやろう、そう考える様になっていたのだ。
椿の花、落ちる。
程なくして倉本は果て、環は自分の中に温かさを感じた。けれどそれは環が望んでいた『温もり』などでは決してなく、人間を内側から溶かす『欲望』という名の恐ろしいまでの熱だった。
次回更新は2/8(金)を予定しております。