第8話 ~Der Friede sei mit dir~
「そう言えば、さっきの話の続きになっちゃうけど、あの日の夜、俺と千伽井は病院に残っただろ?確か環は悠ん家に泊まったんじゃなかったっけ?」
芸術学科校舎を出た辺りで誉が環に尋ねた。
「うん、そうだよ。ね?悠ちゃん!」
「ん?あぁ、そうそう。結局、お互いあんまり寝なかったよなぁ、、、」
そんな意味ありげな会話をした二人が、いつもとは微妙に異なる笑顔を交わし合う姿を見て、誉はさっきの復讐とばかりにすかさず突っ込んだ。
「お前ら二人も、何かヤバイ関係になってんじゃないのぉ?」
してやったり!という顔をしている誉に向って、環は純粋に呟いた。
「、、、も?」
攻撃したつもりが、逆に不意打ちをかけられる形になってしまい、誉は自分のうかつ迂闊な言葉の選択ミスを呪うと共に、ムチャクチャ焦っている内心を環にだけは悟られないようにして、
「ちがう、ちがう。お前ら二人『とも』、何かヤバイ関係になってんじゃないの?って言ったの!」
と、さも環が聞き間違えたかの様に訂正した。そんな誉の様子をお見通しの悠は目で『ばぁ~か』と彼に語りかけている。一方環は素直に誉の言葉を受け止めて、
「そうだよ!当ったり前じゃない!僕と悠ちゃんはラブラブなんだから!」
なんて言ったかと思うと、次の瞬間周りを気にもせず悠と腕を組んだ。
「わっ!ちょっ、、、たまッ!恥ずかしいだろ!」
そう言って抵抗する悠の顔が少し嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「本当はね、あの日、、、てっちゃんの事故があった夜、悠ちゃんの家に戻ってからお互いの昔話をしてたんだ、、、」
今までふざけていたと思った環が誉の方に向き直ると、憂いを秘めた表情で言った。
「あ、そうなんだ、、、」
「うん、だから僕と悠ちゃんだけの秘密もあるのだよ!きっと誉ちゃんとちかちゃんの間にも有る様にね!」
環が口にした言葉は極めて適格なものだったが、それでも狐につままれた様な顔をしている誉に、
「僕ら六人全員が同じ秘密を共有してたらつまらないじゃない!ありとあらゆる組み合わせの中で、それぞれ幾つかの秘密を共有している。すっごい素敵な関係だよねッ!」
そう言うと、とびっきりの笑顔を見せた。
「本当に、、、そうだよね、、、」
環の言葉に同調したのは思わぬ人物だった。
「さっすが、てっちゃん!解ってるね!」
すかさず環が突っ込むと、
「きっと僕のこの小指の事故で、一番何も知らないのは、、、僕なんだ。入院している間、皆が毎日来てくれたケド、なんだか日に日に僕の居場所が無くなっていく感じで、、、『今日のこの花は誉が選んだんだよ』とか『昨日、千伽井と絵理さんがさぁ、、、』とか、何気ない皆の話はどれも僕の知らない出来事ばかりで、、、きっとそのどれもに皆の、それぞれの思い出があって、、、そんな事考えてたら、一番大切にされてるのに、皆が僕を励まそうとしてくれているのに、、、何だか悔しくなっちゃったんだ。」
初めて聞くあの時の鉄男の本音に、誉も悠も環も言葉を失って聞き入っていた。
「でもね、、僕、気が付いたんだ。僕達はいっつも一対一だって、その場に何人居ようと、誰と話していようと、心は常に一対一だって、、、。誰か一人の行動や言動が、皆に全く同じ感情を植え付けるなんて事、あり得ないじゃない!僕達みんな、別々の土地に生まれ、それぞれの環境で育って、異なった教育を受けている、、、。唯一の共通点は今ココに居る、って事なんだ!って、、、。そしたら、今ココにこうして一緒に居られる事、一緒に居ても、、、それぞれの秘密なんか知らなくても、嫉妬なんてしないでお互いを信じ続けられる事。そんな今の僕達にとっては当たり前の事が、その時とても幸せに思えたんだ!」
そう言って満面の笑みを見せた鉄男は、最後に、まるで自分に言い聞かせる様に言った。
「秘密なんか、本人達がその気になって、タイミングさえ整えばいつでも明かせる。けど、僕らはそんな事よりも『今』を大切に、一緒に生きていたいんだよね!」
その鉄男の言葉が終るか終らないかの内に、環は歩みを止め、遠くを見つめた。
彼の澄んだ瞳からは一粒の涙が溢れている、、、。
そんな環が目にしているもの、、、それは、二年後の今なお鮮明蘇るあの悠と語り合った一夜の光景だった、、、。
■■■
「ただいまぁ~っと、、、」
山戸を家まで送って帰宅した悠が、誰も居るハズのない家の中に向って呟いた。
「お邪魔します、、、って今日二回目か、、、」
そう言いながら中に入って来た環は、意識しなくても目に飛び込んでくる玄関の赤い水溜りに改めて息をのんだが、直ぐに視線を悠に向けると言った。
「悠ちゃん、、、パーティーの片付けの前に、こういうの全部綺麗にしよ、、、」
「あぁ、、、そうだな」
「じゃ、早速始めよう!」
そう言って慌ただしく準備に取掛かる環の後ろ姿を悠は目で追っていた。
鉄男の怪我の痕跡を消し始めてから一体どれくらいの時間が過ぎたのだろう。気が付けば部屋の空気が深夜から早朝へと移り変わる時独特の凛としたものになっている。
「、、、ふぅ~、うっし!こんなもんだろっ、、、たま、そっちはどう?」
「うん、僕の方も大体オッケーかな?絨毯のシミも拭いたし、キッチンのグラスや氷の後始末も終ったよ」
「そっか、じゃあ取り合えず一息入れようぜ!」
「賛成!」
「コーヒーと紅茶、どっちが良い?」
「う~ん、コーヒー!でも僕が入れるよ、悠ちゃん座ってて」
「おいおい、ここ俺ん家だぞ」
「いいから、いいから、普段は全部自分でやってるんでしょ?こんな時くらい、休んでてよ」
「、、、じゃ、お言葉に甘えて、、、コーヒーの場所わかる?」
「うん、さっき料理してる時に確認済み!」
「そっか」
環はそう言うと、ヤカンに水を入れて火にかけた。
「お湯が沸くまで少しまっててね」
「ん?あぁ、、、」
それから二人はリビングのソファーに腰を下ろした。
「ねぇ、悠ちゃん、、、」
「なに?」
「僕ね、悠ちゃんと話してると落ち着くんだぁ、、、」
「そう?」
「うん、悠ちゃん僕の事『たま』って呼ぶでしょ?」
「あぁ」
「その呼び方ってね、僕の生まれて初めてできた親友が読んでくれてた呼び方と一緒なんだ、、、」
「、、、そうなんだ、、、今その親友はどうしてるの?」
「、、、わからない」
「、、、、、、そっか」
「、、、小学二年生の夏休みにアメリカのサマーキャンプに行ってね、そこで出会った子なんだ。たった一ヶ月間だったんだけど凄く仲良くなってね、、、でももう顔も名前も思い出せないんだ、、、僕ってヒドイよね、、、」
「、、、今から十年以上も前の事だろ?仕方ねぇさ、、、」
「あ、でもね!でも、、、一つだけ覚えてるんだ、、、」
「どんな事?」
「最後にね、別れる時に、その子が僕に向って言ってくれたんだ。『たま、僕は絶対に君を忘れないから。大人になって、絶対君を探し出すから、、、そしたら今度はずっと、ずぅ~と一緒に居よーね!』って、、、僕、すんごく嬉しくって、、、日本に帰ってから毎日、毎日、玄関のチャイムが鳴る度、電話のベルが鳴るごと毎に、胸がドキドキしてた、、、。いつの間にか顔も名前も忘れちゃったけど、、、でも、今でも実は、その子が本当に自分を迎えに来てくれるんじゃないか?って期待してるんだ、、、そしたら話したい事がいっぱいある。辛い時は君との再会を信じて頑張った。とか、今の僕には君意外に五人も親友がいるんだぞ!とかね、、、」
そうやって一生懸命に話す環を悠は慈しむように眺めている。
「あ、ごめん!呆れちゃった?僕って本当、子供だよね、、、」
「、、、んなことない、、、」
「え?」
「そんなことないよ!、、、俺、、、なんて言うか、上手く言えないけど、、、きっとそいつが、たまの待ってるその親友が今の話を聞いたらスッゲェ嬉しいと思う、、、」
「、、、はる、か、、、ちゃん?」
突然自分以上に一生懸命になって話しだした悠の姿に、環は面喰らってしまった。
「あ、、、ゴメン、、、なんか、たまの気持ちが胸にズシッときちゃって、、、会えると、いいな」
「うん!ありがと!そしたら真っ先に悠ちゃんに紹介するね!」
「、、、あぁ、、、楽しみにしてるよ、、、」
キッチンの方からシュンシュンとお湯の沸いている音がしている。
「っと、ちょっと待っててね」
そう言って環は席を立つと、しばらくの後、二つのマグカップを手にして戻って来た。
「おまたせ!あ、僕がブラックだからついそのまま持って来ちゃったけど、お砂糖とミルク取って来ようか?」
「ん、あぁいいよ!俺も大抵ブラックだから、、、サンキュ」
お互い一口ずつ飲んでカップを下ろした後、環がゆっくりと口を開いた。
「悠ちゃん、、、」
「ん?」
「僕の話、聞いてくれる?」
とうとう来たか、そう思って悠は少し姿勢を正すと答えた。
「もちろん!」
「、、、あの、、、今から話す事は、、、」
「誰にも言わねぇーよ、、、倉本先生、、、だっけ?さっき鉄男の手術をしてくれた、、、」
「、、、うん、、、」
「あの人のことだろ?」
「、、、、、、」
「なぁ、たま、、、別に無理して話さなくていいんだからな、、、仲間だから、親友だから、って何も自分の秘密までバラす必要はどこにもないんだ」
「違うッ!、、、聞いて欲しいんだ、、、誰も知らない僕の話、、、」
「、、、たま、、、そんなコト言ったって、泣きそうじゃねぇーか、、、もういいって、、、」
「、、、言うのが辛いんじゃないだ、、、本当に、、、誰にも言えない事が、つら、、、い、、、」
「、、、、、、」
悠はただ黙って見守っている。しばらくすると落ち着いたのか、環はまた話はじめた。
「、、、苦しくて、、、本当は誰かに聞いて貰いたくて、、、でも、余りにも重い話だから、、、僕の中ではとっくに整理はついてるんだよ?、、、でも誰かに話したら、、、聞いたその人が辛い気持ちになるんじゃないか、、、って、、、」
「ばぁ~か、、、たまは人の事考え過ぎなんだよ、、、もっと自分大切にしろよ、、、俺で良ければ幾らでも聞くさ、、、傷付いたって構わない、、、たまの味わった苦しみはそれ以上だろ?、、、俺にもその痛み、背負わせてくれよ、、、俺達親友じゃんか、、、全部は無理だけど、話す事でせめて半分、たまの痛みを背負わせてくれよ、、、なっ!」
「悠ちゃん、、、」
そう言うと環は有難う、と言って頭を下げた。その後、自分の父親の会社が大分前に倒産した事、またその父親が借金を残して蒸発した事、それから今まで自分と母親でどうにか一家を支えてきた事、自分のバイト代だけでは足りず、気が付けば援助交際の様な事をしていた事、そしてその相手が倉本だった事、等々それまで隠していた胸の内を全て悠に話した。
「たま、、、お前、、、何で話してくれなかったんだよ、、、辛かっただろう、、、なのに毎日、毎日、笑って、、、俺、全然気が付かなかった、、、ごめん、、、本当、、、ごめ、、、」
話が一段落したところで、悠は環が背負っている余りにも辛い過去に驚愕し、またそんな彼の苦しみに気が付けなかった自分を責めた。
「悠ちゃん、そんなに自分を責めないでよ、、、今話したことは悠ちゃんと出会う前の事だから、、、気が付かなくて当たり前なんだって、、、」
「でも、、、」
「本当、気にしないで!、、、話を聞いてくれてるだけで僕は嬉しいから、、、」
そう言うと環はいつもの笑顔で微笑んだ。悠はその親しんだ笑顔に安心して、少し深い事を尋ねてみる。
「、、、じゃあ、倉本先生はその、、、ごめん、こんな言い方しか知らないんだけど、たまの『パパ』だったの?」
「、、、うん」
「たま、、、この際だから聞くけど、、、倉本先生に何かされたんじゃないのか、、、?」
「え?」
「だって、おかしいだろ?今まで自分の過去をこれだけ上手く隠し、、、あ、ごめん」
つい熱が入ってぶしつけな言い方をしてしまった、と反省する悠に環は、
「いいよ、いいよ、、、気にしないでっ!」
と明るく応じた。
「じゃあ、、、自分の過去を、その、『隠せる』たまが、あの時、、、倉本先生の名前を出そうとした時、あの場に居た俺達全員が分るほど露骨にためら躊躇うなんて、、、お小遣いを貰ってただけの間柄で普通あんなに躊躇しないだろ、、、」
「、、、悠ちゃん、、、」
「ん?」
環の身体が微かだが震えている。
「たま、、、」
「悠ちゃん、これだけは信じて!、、、僕、、、その、、、お小遣いは確かに貰ってた。しかもかなりの額を、、、でも、身体とかは売ってないから、、、本当、、、僕は誘ったりしてないよ、、、」
そう言って俯き、表情を曇らせる環に悠は、
「何言ってんだよ!当たり前だろッッッ!たまがそんな事、自分から男に身体売ったりするような奴じゃない事、ちゃんと知ってるから!たまがどういう人間か、俺が一番理解してるから!」
そう言い終ると環の目をジッと見つめて言った。
「たま、、、もし、、、もし話す事で少しでも楽になるのなら話して欲しい。俺にとっても、たまは親友で大切な人なんだよ、、、だから今は、俺が傷付くなんてコト考えないで、たまが楽になる事を考えてくれよ、、、」
悠のその言葉に環は意を決して、ポツリ、ポツリ、と自分と外科医の倉本の間に何があったのかを話し始めた。
それと同時にその時の事が彼の頭の中に鮮明に蘇っていく、、、。
次回更新は2/1(金)を予定しております。