第6話 ~Warum betrübst du dich, mein Herz?~
あけましておめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
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「、、、悠、、、おい、悠、、、」
「ん?」
鉄男の演奏の邪魔にならない様に声を掛けて来た誉が、悠の目の下辺りを指さしている。なんの事だか解らずに、悠が誉の指さす辺りに触れると、、、濡れていた。
「?、、、俺、泣いてる?、、、」
「、、、大丈夫か?、、、」
「、、、あ、、、うん。なんでもない、、、」
悠がそう言うと誉は深くは聞くまいと思ったらしく、頷いてまた鉄男の演奏に集中した。気が付けばもう曲は終盤で、二年前の丁度続きとなるあたりにさしかかっていた。悠も誉に習って目を閉じ鉄男の奏でるバッハに集中する。ほどなくして曲が終った。
「おぉ!凄いじゃんっ川村ぁ!」
心底嬉しそうにはしゃぐ誉に対し、悠は感慨深気に二言だけ告げた。
「有難う、、、最高だった」
「こちらこそ、最後まで聴いてくれて有難う、、、」
そう言って微笑む鉄男に、
「悠なんか感動して途中で泣いてたぞ!」
と誉は冗談半分で言ったつもりだったのだが、
「本当、感動したよ、、、」
悠はそう呟いた。
「へ?、、、悠、マジで感動して泣いてたの?」
あっけにとられた顔をしている誉に、
「ん、あぁ、、、それもあるけど実は、、、二年前の事、、、二年前のあの鉄男の事故の夜の事、思い出してた、、、」
そう悠が言うと、誉も鉄男も遠い目をして、ただでさえ静かな防音室の中は無音の世界になった。
「悪ぃ、悪ぃ、、、でも、二年前、最後に聴いたバッハは途中で止ってて、、、なんて言うか、今やっと再び時が動き出した、、、っていうか、とにかく二年という歳月を実感したよ、、、」
そんな悠の言葉に、残りの二人も優しい笑顔で頷いて同意を示した。少し間をおいて、悠が突然思い出した様に聞いた。
「あ、そう言えば佐々木ぃ、、、あの時確か佐々木とチーちゃん病院に残ったよなぁ?」
「んー?あ、そうだよ!、、、いやー、あの時は参った!」
「そうなの?」
自分が今まで聞いたこともない話題に、鉄男も興味津々といった感じで誉の顔を覗き込む。
「もうね、悠達が帰った後、千伽井が性懲りも無く『私のせいだぁー』なんて言い始めて、なだめるのが大変だったのなんの、、、あの時ほど絵理さんの偉大さを感じたことはないね、、、」
そう言ってもう懲り懲り、といった表情を見せる誉に、悠も鉄男も声を出して笑った。
そんな二人の笑い声の中で誉はあの時の、あの病院で過ごした夜の事を思い出していた、、、。
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誰も居なくなり非常灯が最も強い光を放っている薄暗い廊下に、千伽井の啜り泣く声だけが響いている。
「、、、ヒック、、、ヒック、、、あた、、し、が、、、ヒック、、、てっ、、ヒック、ちゃんを、、、」
千伽井は誉意外に誰も居なくなって、やっと自分の胸の内を曝け出していた。悠達が帰ってからというものずっと彼女は自分を責め続けている。最初の三十分はただ優しい声で千伽井を慰めていた誉も、四十分後にはただ黙って千伽井の感情がおさまるのを待つのが精一杯になり、そして一時間が経とうとしている今、とうとう口を割った。
「いー加減にしろよ!千伽井!」
その厳しい口調に、千伽井は言葉を飲み込んで誉を見つめた。そんな千伽井の視線を確認すると、今度はいたって穏やかな口調で続けた。
「俺達仲間だろ?親友だろ?、、、この地球上で六十億分の一の確立で出会った仲間じゃないか!、、、しかも六人。六十億の五乗、これって奇跡だよ!、、、だからさ、千伽井、、、。自分ばっかり責めるなよ!悪い偶然が重なった川村の事故で、俺達みんな苦しんでんのに、さらに千伽井がそうやって自分責め続けてたら、俺達身動き取れないよ、、、。」
言ってる間、ずっと自分を見つめる千伽井に誉は優しく微笑んで、
「俺達の心にプライバシーなんて無いんだぜ?」
そう付け加えると今度はニカッと笑った。そしてふと感慨深い顔をして、誰に言うでもなく遠くを見つめながら、
「何も言わなくても、隠そうとしても、何となく解っちゃう、、、たった三ヶ月なのに、いつの間にかそんな関係になってたんだよなぁ、、、俺達」
そこまで言うと千伽井の方にくるっと向き直り、
「だからさ、ほら、、、あんま自分責めんな!俺のココも痛ぇからさ!」
そう言っておどけた顔でトントンッ、と自分の胸を叩く誉に千伽井は涙目で微笑みながら、
「、、、うん!」
と頷いた。そして自分の洋服の袖で涙をぬぐ拭い、今度はさっきよりも大きく笑った。
「、、、誉」
「ん?」
「腿、貸して」
「はぁッ?」
「あたし眠くなっちゃった、、、ふぁ~」
そう言って大あくびをする千伽井に誉は一瞬呆れた顔をしたが、直ぐさま両手で両腿をパンパンッ、と叩いた。
「ったく、仕様がねぇーなー!ほらッ!」
「わーい!」
はしゃいでコロン、と横になる千伽井。
「、、、誉ぇ」
「ん?」
「足太いよ、、、枕高過ぎ、、、」
「お前なぁ、、、そりゃ慶泉高校アメフト部の花のクウォーターバックだぜ?足くらい太いっつーのッ!」
笑う二人。
「誉、、、ありがとネ!」
「あぁ、仕様がねぇーさ、場合が場合だし、、、」
「、、、うん。それからアメフトの事、、、ごめん。アメフト、一番好きなのは誉なのにね、、、あたしったら一番辛い誉の気持ちを考えないで、ただ続けて欲しい、、、なんて、、、」
「それも、もーいいよ!俺の方こそ怒鳴る必要なんてなかったんだ、、、皆の気持ちも解ってた。、、、けど、俺が大学いってもアメフト続けたら、悠が複雑な気持ち抱えちゃうだろ、、、何よりも俺、皆と一緒に文学部に行きたいよ!他の学部いったら、普段みんなと会えなくなっちゃうじゃん!興味があるメディアの勉強をして、毎日みんなに会えて、この一週間なにが自分の幸せか散々考えた、、、結果がそれだったんだ!」
本心から笑顔でそう言う誉を見て、千伽井はもう何も言うまいと心に決めた。
「でも誉、さっきの話一つ間違ってるよ!」
「何が?」
「あたし達にだって解らない気持ち、あるよ、、、」
「そーかぁ?」
「うん」
「何?」
「自分の気持ち!」
「なんだそりゃ?」
「宿題、、、ね、、、、、、」
「宿題って、、、千伽井、千伽井?、、、寝ちゃったか、、、」
誉は安心して緊張の糸が途切れたのか、既に気持ち良さそうな寝息を立てて眠る千伽井の寝顔から視線を逸らすと、真直ぐに宙を見つめた。
「自分の気持ち、、、か、、、」
今夜の事件で千伽井と同様、誉もまた自分の気持ちに気が付いていた。ただ千伽井のそれとわけが違うのは、誉の場合、自分の気持ちに気付いた事で多少の後ろめたさが生じたからだ。
血を流し、自分の腕に抱いた時、このまま失われてしまうのではないか、という恐怖心が彼を襲い、次の瞬間、無意識に誉は腕の中に横たわるその人物を失いたくないと願っていた、、、。
思えば初めて出会った九月のあの日から、その瞬間から自分は彼に特別な想いを抱いていたのかも知れない。自分の意思とは無関係にどんどんと突き進むそれらの思考を止めようとしても、鉄男に関する出来事は次から次へと思い出される。
そんな思い出の流出が一段落ついた時、誉は深いため息を一つつ吐いて、その後自分の耳にも届くか届かないかの微かな声で呟いた。
「、、、俺、、、川村の事が、、、」
次回更新は1/18(金)を予定しております。