第4話 ~Es erhub sich ein Streit~
グロ描写あり、苦手な方はご注意下さい。
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「、、、れ、、、まれ、、、誉!」
自分の名前を呼ぶ千伽井の声に、誉は我に返った。
「ゆうは成績優秀者で、特待生として大学に進学出来るから文学部でもアメフト続けられるケド、誉は文学部に進学しちゃったらアメフトやってる余裕なんて無くなっちゃうんだよ!しかも、人気の社会学科メディア専攻志望だなんて、、、アメフト辞めるって言ってるようなモンじゃない!」
「辞めるんだよッッッ!」
自分が既にこの一週間で何十回、何百回と悩んで出した結論を蒸し返された事、またそれによって揺らぎそうになる決心を怒鳴る事でしか抑えられなかった自分、その両方に誉は腹が立った。千伽井を見るとその瞳は涙で潤んでいた。
「、、、怒鳴って悪かった、、、」
「あたし、、、誉の活躍ずっと校内放送で聞いてたよ。一年生の時からずっと、、、。少しだけど一年生の時から公式戦に出場して、二年生になったと思った途端レギュラーになって、、、ずっとずっと、どんな人なんだろう?話してみたいなぁ、、、って思ってた。そしたら今年の九月に食堂でプリンス見つけて、、、そのプリンスと話してた人が誉だって知って、、、凄く嬉しかった、、、」
「、、、、、、」
重い空気が辺りに充満する。その時、隣の部屋からピアノの音が聴こえてきた、、、。六人が何度も耳にしている大好きな曲。鉄男がピアノで奏でるバッハ、カンタータ一四七番『主よ、人の望みの喜びを』。低音のGのオクターブから流れる様に上のGのオクターブへ。それと同時にゆるゆると流れる心地よい主旋律が一触即発のムード漂う誉達を温かく包む、、、。
「、、、辞めないでよ、、、続けてよアメフト、、、。私達の自慢の誉で、、、」
「自分の理想ばっかり押し付けるなよ!」
千伽井が言い終わるより早く再び誉は怒鳴っていた。そして、その誉の怒鳴り声に反応するかの様にバッハの調べもピタッと止んだ。
「自分の力じゃどうにもならない事ってあるだろ?、、、どう仕様もないんだよ、、、」
そう言ったきり顔を上げない誉。その四つん這いになった状態の誉の手の甲に雫がこぼれ落ちているのを目にした時、五人は個人の問題に他人が答えを出そうとする行為の愚かさを痛感した。
しかし、ここまで誉を追い詰めてしまった千伽井は後悔の念と、この場から逃げ出したいという気持ちから思ってもいない言葉を発してしまう。
「あ~ぁ、バッカみたい!」
「千伽井ッ!」
山戸の本気の注意も今の千伽井の耳には届いていない。その証拠に、彼女の目からは次々とその言葉とは裏腹に大粒の涙が溢れていた。
「こんな意気地なしの為に、皆で気ぃ遣って一週間もパーティーを延期したのに、、、なぁ~にがクリスマスパーティーよ、今日何日だと思ってンの?明日大晦日よ?これじゃ忘年会じゃない忘年会、、、ははは!本当あたし達って馬鹿ね、、、大馬鹿、、、もう馬鹿が六人も居たら収拾付かないじゃない!、、、あたし帰るは、、、」
言い終ったかと思うと、千伽井は全速力で玄関へ向っ
た。
「千伽井ちゃん!待ってッ!」
その後を鉄男が追う。
「千伽井ちゃん!こんな夜中に女の子一人で帰るなんて危ないよッッッ!ねぇ!待って!お願いッ!」
鉄男が必死に声を掛けるも、千伽井の足はいっこうに止らない。玄関まで来ると乱暴に靴をつっかけ、その勢いで飛び出して思いっきり扉を閉めた。
「バタンッ!」
鉄製の重い扉の勢い良く閉まる音が、屋内の五人と屋外の一人の耳の奥にいつまでもこだましていた、、、。
「佐々木、、、千伽井ちゃん、悪気があったわけじゃない
から、、、」
そう言ってハンカチを渡してくれた山戸に、
「、、、有難う、、、わかってる、、、ゴメン」
と誉は短く答えた。そしてハンカチを受け取って涙を拭うと、
「サンキュ、絵理さん!俺、千伽井呼んでくるよ!あいつの事だからどうせまだ近くにいると思う。こんな時間に一人で帰らせるわけにはいかないし、こんな気持ちのまま別れたくないから、、、」
ハンカチを山戸に返しながら、誉はいつもの笑顔で言い切った。山戸も悠も環も、この時ばかりはいつも通りに振る舞ってくれる彼に感謝すると共に、改めて佐々木誉という人間の大きさを思い知らされた。
「じゃ、ちょっと行って来るは、、、」
そう言って玄関まで来た誉の目に映ったのは、薄暗い中、扉の前に立ち尽くしている鉄男の姿だった。
「?、、、どうした、川村?」
返事が無い。
「千伽井の事なら気にするなよ、直ぐに連れ戻してくるから。川村は皆にさっきのバッハの続きでも聴かせてやっててくれよ!、、、って、止めた原因は俺なのにな、、、ははは、、、?」
いつもなら誉の気持ちを察して、彼の大好きな人懐っこい笑顔と共に『うん!』とか何とか言うはずの鉄男なのだが、今回はそれがない。不審に思いつつも誉は靴を穿き、鉄男の肩を叩こうと手を伸ばしたその瞬間、自分の足にヌルリとした感触がはしった。決して気持ちが良いとは言い難いその感触に、誉が恐る恐る足下へと視線を落すと、、、そこにはおびただしい量の血が水溜りと化していた。
「川村ぁあああああああああーーーーッッッッ!」
深夜一時に響き渡る誉の絶叫。その声は勢い良く飛び出したものの、帰るに帰れず薄らと雪の積もった歩道にたたずんでいた千伽井の耳にも届いた。
千伽井は戻れるという安心感よりも、今まで耳にした事のないその非想な声に胸が締め付けられ、物凄い勢いでさっき自分が飛び出した玄関まで辿り着くと、勢い良く重い扉を開けようとした、、、が、それよりも早くその扉は内側から開き、悠が姿を現した。
「千伽井ッ!」
そう言ってぶつからない様に急ブレーキをかけた悠は、体勢を立て直すとすぐさま駆け出した。その手には車のキーが固く握りしめられている。悠が飛び出した後の閉まりかけている玄関の扉。そのせば狭まりつつある隙間から千伽井の目に飛び込んできた屋内の光景、、、それは正に悪夢だった。
バタンッ、そこで一旦悪夢は途絶えた。千伽井は愕然とし、今自分が目にした光景は何だったのだろう、と半信半疑でドアノブに手を掛け、再び夢の扉を開くと俯いたまま中へ身体を滑り込ませた。そして息をのむ。
玄関の床にはおびただしい量の血が流れ、その痕を目で追うと、そこにはぐったりとした鉄男とそんな鉄男を抱きかかえている誉の姿があった。彼の衣服の所々に附着している鮮血が、千伽井にこれが夢ではない事を訴え続ける。その傍らでその血の源であろう鉄男の右手をハンカチでしっかりと押さえている山戸。千伽井の頭は混乱をきたし、フラフラと彼等から逃げる様にそこには居ない環の姿を求めた。
「、、、プリンス?、、、プリ、、ン、、、スは何処、、、?」
そう言って靴を脱ぎ捨て、リビングへと向う千伽井を誉も山戸もただ呆然と見つめている。
先程まで自分達が楽しくクリスマスパーティーをしていた部屋。千伽井がフラフラとそこへ足を踏み入れると人影はなく、机の上には汚れた紙皿や割り箸、そして空き瓶や空缶が所狭しと並んでいた。キッチンの方から音がする。朦朧とする意識の中でそう感じた千伽井は、リビングと隣接するキッチンに向って歩みを進めた。
千伽井が感じた音、、、それは環がスーパーのビニール袋に氷を詰めている音だった。
「あ、、、プリンス、こんな所に居たんだ、、、」
「ッ!」
作業に熱中していた環は、その突然の声に一瞬ビクッと肩を震わせた。しかし、キッチンの入口に千伽井の姿を確認すると、いつになく厳しい口調で言った。
「来ちゃダメだ」
ところが千伽井は歩みを止めようとはしない。
「来るなッッッ!」
環は最後の警告とも言える言葉を発するが、既にその時千伽井は自分の隣に立ち、彼の顔を覗き込んでいた。
「ねぇ、、、何してるの?、、、手伝おうかぁ?」
その口調からして、もう千伽井の思考は限界なのかも知れない。そう思った環は『ううん、大丈夫だよ』と言って優しい笑顔を彼女に向けつつ、さり気ない素振りで流し台の脇に置いておいたグラスを、自分の方へと寄せた。
しかし、その言動とは裏腹に千伽井の神経はこれでもかというほど研ぎ澄まされていて、自分を欺こうとする環の動作を瞬時に見破った。
「、、、ねぇ、なにそれぇ?、、、なに隠したの、、、?」
そう問いつめて来る千伽井に環は目を伏せながら、
「見ない方がいい、、、」
とだけ呟いた。
千伽井は震えていた。最初は小刻みに、しかし徐々に震えは大きくなってくる。そして突如、千伽井は凄い勢いで環の両腕を掴むと、もう我慢出来ないといった感じで全てを彼にぶつけた。
「ねぇ!どうしたの?、、、てっちゃん、どうしたのッ?
ねぇッッッ!」
千伽井の心がそのまま腕を伝い、環の身体を大きく揺さぶる。
「カシャァン!」
揺さぶられた環の身体が、引き寄せておいたグラスに接触し派手な音を立てて床で砕けた。その音に一瞬ビクッ、っと身体を震わせた千伽井だが、自分の求めていた答えが床に散らばっている様な気がして、ゆっくりと恐る恐る目線を音のした辺りへと落していった。
千伽井の視界にガラスの破片が飛び込んでくる。それらはキッチンの照明を反射してキラキラと輝いていた。その不本意ながら美しい瞬きに千伽井は少し落ち着いて、そのまま一気に床へと視線を落す。そこはガラスの破片やら氷やらが散らばっていてひどい有様だった。やはり取分けひどいのは、割れたであろうと推測される地点で、様々な破片に加え氷が少し溶けていたのか水が飛び散っていた。
その飛び散った水が赤みを帯びていなければ、もしくはこのキッチンの床の色が暖色系だったのならば、あるいは千伽井はそれ以上、目線をそこに留めてはいなかったかも知れない、、、。
しかし千伽井はその水の色を疑問に思い、破片が少し山になっている所へと目をやった。何かが落ちている。氷の破片越しで不鮮明だが、明らかにガラスや氷でないことは確かだ。その時、照明の熱で少し溶けたのか、なぞの物体を隠していた氷の破片がカツ、と乾いた音を立てて千伽井の視界の外へと滑っていった。そしてそこに、固定されていた千伽井の視線に飛び込んで来たもの、、、それは爪のついた小さな肉塊であった。
玄関のおびただしい出血、ぐったりとした鉄男、誉の衣服に附いた血痕、鉄男の右手を押さえている山戸、氷に埋もれていた爪のついた小さな肉塊、、、それらの映像が千伽井の中で一つになる。
「、、、ゆ、、び?、、、てっちゃんのゆび、指!てっちゃんのッッッ!イヤぁあああああああッッッ!」
次回更新は12/21(金)の予定です。