第2話~Erwünschtes Freudenlicht~
またまだ序章ですが、次回から徐々に彼らの関係性が明らかになります。
「そう言えば、鉄男!バッハ弾ける様になったんだな!」
事の成り行きを窓辺で黙って聞いていた鉄男に向って、悠が歓喜の声を上げた。
「あ、、、バレちゃった?」
そう言うと鉄男はちょっと残念そうに続けた。
「今年のクリスマスパーティーの時にいきなり弾いて、皆をびっくり吃驚させようと思ってたのにぃ、、、。」
「そうだったのか?」
そう鉄男に聞いたのは誉で、彼自身、最近何かひたすらに練習をしている鉄男をしばしば目撃してはいたが、考えてみると、その記憶のどれもが、自分の気配を感じると直ぐにピアノを弾く手を止めてしまう鉄男の姿であることに気が付いた。
「なぁ~んだ、恋人が気が付かないんじゃ、俺達が知ってるハズもないよなぁ、、、」
「、、、、、、」
黙って誉は悠に抗議の『目ッセージ』を送ったが、悠は悪戯っぽく笑うだけだった。そんな光景を見て鉄男は微笑みながら、
「あの事故の後、皆が凄く気を遣ってくれているのが痛いほど分ってたから、、、。勿論、そんな皆に凄く感謝しているよ。けれど、僕はもう大丈夫だから、、、。これ以上の心遣いは、僕と皆の心の距離が縮まらないみたいで、、、、嫌だから、、、」
そうい言い終わって少し淋し気な表情をする鉄男を見て、自分達の優しさが必ずしも本人に癒しを与えていたわけではない事に今更ながら気が付いた誉と悠は、少しバツのわるそうな顔をした。無意識に三人の目線が鉄男の右手の小指にはめられている、上品なデザインの少しボリュームがあるプラチナ製のリングに注がれた。
「もう三ヶ月もすると、あの事故から丸二年かぁ、、、早いな、、、」
一番最初にリングから視線を外した悠が、窓枠に手を添えて言った。
「だな、、、川村には悪いかも知れないけど、あの事件のお陰で今の俺達になれたんだよなぁ、、、」
そう言ったのは、まだ悠に鉄男との関係を『恋人』と形容される事のなかった高校時代を思い出している、誉だ。
「もう、、、だからあの事故の事は全然気にしてないって!僕はこの小指と引替えに、もっともっと大切なものを沢山貰ったよ!だから、その御礼の意味も込めて、バッハを練習してたんじゃない!」
そう言って、鉄男は本当は誉の頭をポンと小突きたいものの、身長が低い自分がそれをやるとどうも不自然な為、いつも通り肩をポンと叩いた。
「本当は、去年のクリスマスパーティーまでに間に合わせたかったんだけど、大学に不馴れで専攻進級への不安もあったから、、、」
心底申し訳なさそうに話す鉄男に、誉も悠も温かい表情を浮かべている。
鉄男が言った専攻進級とは、慶泉大学は大学入学、進学時両願書共に希望学部と学科、そして志望専攻を記入させられる。その後、外部生は試験を受け、内部生は高校三年間の成績で、それぞれ合格規定を満たすと、希望した学部へ入学出来る。この段階で決まっているのは、学部と大学二年次から分れる学科である。
そして、入学式の後日に行われる各学部ガイダンスにおいて、大学二年次からの学科案内と共に説明を受けるのが志望専攻進級の条件である。新入生は既に決定している学科内の 志望している専攻に進む為に、取らなくてはならない必須科目を教えられる。
例えば誉なら社会学科のメディア専攻を志望していたので『メディア論概論』、悠は史学科の日本史専攻を志望していたので『日本史』。といった具合にそれぞれの学科、志望専攻ごとに一般教育科目、いわゆる所謂パンキョーと平行して、一年次に一から三科目の専攻進級条件科目を履修しなくてはならない。もしこの専攻進級条件科目の単位を落してしまうと、一年終了次に獲得しているパンキョーの単位と、各専攻の定員数から、勝手に受け入れ可能な専攻を選ばれ進級させられてしまう。
こうなると二年次からは専攻によって校舎も設置授業も全く異なる為、自分の興味がない授業を三年間も学ぶハメになる。勿論、そういった学生を救うため、学年末に転専攻試験というものも用意されてはいるが、入試よりも難しいと評判な上、合格したところで自分は一年間違う専攻に在籍していたわけだから、一学年下への転入しか認められていない。
つまり、一部の特待生を除いた慶泉大学の学生にとって、大学一年次というのはその後の大学生活、おいてはその後の人生にまで影響を与える大事な時期なのだ。
まぁ、此処にいる三人は三人とも無事にそれぞれの専攻進級条件科目を取得し、見事希望した通りの学生生活を過ごしている。
「そっか、じゃぁ皆にはまだ内緒にしといた方がいいかな?俺達だけが知ってるってのもアレだけど、、、」
「うん、はるクンさえ良ければそうしておいて貰えるかな?」
そんな悠と鉄男のやり取りを聞いていた誉がビシッ!と鉄男を指差し、
「じゃあさ、ココは交換条件といこうじゃないの、川村くん」
そう言ってニタァと悪戯っぽく笑った。
「な、、、なに?交換条件って、、、」
「おいおい、あんまり鉄男を困らせる様な注文するなよ、、、」
「簡単なことさ、まだ皆との待ち合わせ時間まで少し余裕があるし、悠と俺にだけもう一度バッハ、弾いてくんないかな?クリスマスパーティーの予行演習だと思って、、、」
あぁ、そーゆコト。といった顔をしている悠に対し、誉は至って真剣そうな面持ちだ。
「、、、ダメ?」
そう念を押してくる誉に鉄男が拒否出来るハズもなく、、、。諦めと同時に鉄男は『ズルイよ』と心の中で呟く。
鉄男は時々なぜ自分がこんなに誉に惹かれているのか、と自問自答することがある。そしてその答えは誉の持つ二面性にあった。いつもは弱い者を守ろうとする正義感たっぷりの誉で、多少辛い事や苦しい事があっても、決して他人にその辛さを見せようとはしない。当初、勝気なのかな?とも考えた鉄男だが、そうではなくて誉は凄く周りの事を考えていたのだ。今でこそ、いつも一緒に居る友達が皆とても優しく、気を遣うのも上手いせいで、誉の気配りや機転など、悠や昼休みに学食で待ち合わせをしている山戸のそれと比べてしまうと、断然劣っているように思えてしまう。けれど誉はその時の自分に出来る事を一生懸命考えて行動してくれているのだ。そんな誉なりの優しさに鉄男の胸は強く打たれていて、悠や山戸、環や千伽井、そして誉と自分、いつも一緒に居るグループ六人を陰でしっかりと支えてくれているのは実は誉かも知れない。と最近では考える様になっていた。
そういういつも一生懸命な誉が、さっきの様に自分に対して甘えというか、お願いというか、そういうモノを向けてくる事がある。そんな時は誉の事が、普段が普段な分どうしようもないほど可愛く思えてしまうのだ。
結果、鉄男はいつも『ズルイなぁ』とか『その顔は反則だよ』なんて思いつつ、誉のお願いを聞いてしまっていて、今回もB防音室のピアノ椅子へと腰を下ろした。
「高校の時から佐々木は鉄男のピアノ好きだったもんなぁ、、、そういう俺も実は、もう二度と鉄男のバッハは聴けないかもって思ってたから、すっごく嬉しいんだよね。俺からも頼むよ。タマやチーちゃん、山戸には黙っておくからさ、、、」
「もう、待ち合わせの時間に遅れて皆に文句言われても知らないからね!」
最後の抵抗とばかりにそう言い放った鉄男だが、内心は自分の弾くピアノをこんなにも待ちわびていてくれた友人が居た事に心から感謝していた。
「大丈夫、大丈夫、環はそーゆー事にはうるさ五月蝿くないし、千伽井は絵理さんが何とかしてくれるっしょ!」
「そういえばそうだね、、、」
「確かに、、、」
誉の最もな発言に、鉄男も悠も名前が挙がった仲間それぞれの顔と日頃の行動パターンを思い出し、笑いなら頷いた。そして笑いが治まると鉄男は目をつぶって深呼吸をし、ゆっくりと鍵盤の上に手を乗せた。
低音のGのオクターブから流れる様に上のGのオクターブへ。それと同時にゆるゆると流れる心地よい主旋律が防音室内に響く。バッハ、カンタータ一四七番。一般には『主よ、人の望みの喜びよ』として親しまれているバロックの名曲だ。元々はピアノ曲ではないのだが、マイラ=ヘスという女性ピアニストによって二十世紀の初頭に編曲された。
しかし、そのマイラ=ヘスの編曲は指が十本動く人間用に編曲されており、今こうして鉄男が奏でているバッハは器用にも九本の指で演奏されている。よって本来バッハ=ヘスとされる作編曲者紹介は今回バッハ=テツとでもなるべきかも知れない。鉄男が自分用にアレンジしたとは言え、素人耳にそれは完全なバッハであり何の遜色もなかった。
誉は目を閉じてその次から次に生み出される音達を耳で受け止めていた。
悠はその音に二年前のクリスマスパーティーを思い出していた、、、。
自分達グループ六人が出会い、意気投合し、その年の暮に開催されたクリスマスパーティー。
雪の降る晩に起こった惨劇。
自分達の決して揺らぐ事のない絆の代償は、
大きかったのだろうか?
小さかったのだろうか?
今はもう誰にも分らない、、、。
けれど現在、自分の耳に流れてくるバッハはあの時とちっとも変わっていない。
仲が良くて、仲良くなり過ぎて、他人の問題の答えまで自分が出そうとしていたあの頃。
それが本当の友情だと信じるしかなかったあの頃。
そう、今思えば自分達の絆には決定的な何かが足りなかった。本当は長い年月をかけて育むはずの決定的な何かが、、、。出会って三ヶ月余りの自分達は早くもそれを望む様になっていた。そして六人全員が強く願った。
、、、結果、あの雪の降る冬の日は訪れ、鉄男の右手小指と引替えに自分達に永遠の絆を約束した、、、。
次回更新は12/7(金)の予定です。