第1話〜Ein ungefärbt Gemüte〜
はじめまして、Retiree Worksの衣良と申します。
この作品は以前、漫画家さんに頼まれ執筆致しました所謂“原作”本です。残念ながら世に出る事は無かったのですが、思い入れが強かった為、この度再編集し掲載させて頂く運びとなりました。
最後まで楽しくお付き合い頂ければ幸いです。
僕達は此処にいる。
昔も現在もそしてこれからも、、、。
君達は覚えているだろうか?
たった一人の友人の為に、皆で泣いたあの冬を
たった一人の友人の為に、皆で走ったあの春を
たった一人の友人の為に、皆で飛んだあの夏を
そして、一つ一つの偶然が重なり、互いの人生が交差したあの日、、、。
僕達は喜んだ。
僕達は怒った。
僕達は哀しんだ。
僕達は楽しんだ。
語り尽くす事など到底不可能だと思えるくらいに。あの日から、、、そう、あの秋の日から、、、ずっと、、、。
■■■
「佐々木ぃ~、たまには昼飯どぉ?」
「悪ぃ!先約があって寄ってくトコあるから!」
「りょーかいっ!」
「ゴメンなぁー、また誘ってなぁー!」
昼休み前の浮き足立った喧噪の中、佐々木と呼ばれたその青年は教室を後にした。
佐々木誉、都内屈指の名門、慶泉大学文学部社会学科メディア専攻に在籍中の大学二年生だ。
慶泉大学は小学校から大学までの一貫教育を謳っている私立学校で、少子化社会の現代においても常に人気は高く、生徒の質も一定を保っている。つまりは難関校というわけだ。しかもその倍率は下の学校になればなるほど高く、最初の門、すなわち慶泉大学初等部においては、お受験シーズンともなると毎年百三十名強の募集に対し、三千名とも四千名とも言われる、小さな受験生達が、子の幸せを願う虚栄心の強いマダム達に付き添われて、都内の一等地にある校舎の門を叩くのだ。
まぁ、一貫教育というと聞こえは良いが、要は『エスカレーター式』と呼ばれる、入ってしまえばそこそこの努力で上の学校へ進学出来てしまう学校なわけで、その証拠が高倍率からくる『名門』の呼び声と、誉の額に赤く、くっきりとついた教科書の『型』であろう。
しかし、そんな彼も何を隠そう慶泉とは、二番目の難関、慶泉大学男子中等部からの付合いで、大学生になった今では、只でさえ他人の目を奪う外見に『内部生』という輝かしい肩書きを備えている。当の誉自身はというと、そんな周りから向けられる羨望の眼差しなど気にも留めず、というより彼の場合、そんな事どーでもいい。といった感じで、誰とでも仲良く大学生活を楽しんでいる。そんな内部生、内部生していないところが余計に彼の人気を不同のものにし、また内部、外部問わずモテない男性陣から煙たがられる理由でもある。
ただ、そんな好意とは言い難い視線を向けてくる連中が、実際に彼に対し行動を起さない事こそ、佐々木誉という人間の目に見える保証書なのだ。そんな誉が授業後、足早に向っているのが『音楽実習室』である。
ここ慶泉大学文学部校舎は他学部とは異なり、慶泉大学男子女子両高等部と同じ敷地内にある。とは言ってもその敷地というのが問題で、地名ともなっている聖ヶ丘の『丘』とはそれら三校が存在している山を指す。と言っても過言ではない程、広大な敷地だったりする。そこには男女高等部の校舎並びに大学文学部各学科ごとの校舎、そしてそれらの関連施設、幾つか例を挙げると、四百メートルトラックの陸上競技場にアイススケート場、他目的ホールに十二面庭球コート。体育館とプールが大、中、地下と三つずつ。はたまた創立何十周年記念かの折に記念館建設の話が持ち上がり、その基礎工事中に発見された『古墳』なんてものまである、、、。
とにかくそんな広大な敷地の為に、ちょっと他学科の友達に会いに行くだけでも、慣れていないとかなりの時間を要する。幸い誉の在籍する社会学科の校舎と、音楽実習室を有する芸術学科の校舎は隣接しているため、そんなに体力は消耗しない。とは言ってもやはり貴重な昼休み、むざむざと移動で時間を消費する程勿体無い事はない。自ずと誉の歩幅も広くなる。ただし、現在の誉にとって、『時間の節約』という理由は彼が急いでいる理由とは程遠い様に思える。
「よぉ!佐々木じゃん!」
「ん?、、、おぉ!久し振りぃ~!元気?」
「まぁね。そう言えば佐々木って学科ドコだっけ?」
「俺?シャガク、シャガク。」
「あ、社会学だっけ?そっかぁ、、、まぁ、また今度ゆっくり飲みにでも行こーぜ!」
「だな、じゃあ!」
大学で一日十回近くは繰り返される友人や以前のクラスメイト、そして顔見知りとの会話。しかし、今回は誉の負けだ。
内部生ってどんな人。この質問をされた外部生の多くは、友達が多い。とか、知り合いが沢山いる。なんて答えるのではないだろうか。けれどもそれは決してその内部生の努力や人柄、という訳ではなく、以前どこかで接点のあった内部生同士が、大学で再会するだけでその時連れている友人や現在のクラスメイトを紹介し合い、またそこで顔見知りになった人間が後日自分の友人を連れている時に声を掛けてきたりするわけで、、、。後はもう鼠算方式に増加の一途をたどる。
そして悲劇は起こるのだ。こっちは『内部生』という強烈なインパクトと共に紹介される為、紹介された相手―その多くは外部生だがーはかなりの確立で自分の事を覚えていてくれる。ところが内部生である自分は既に何年もそれを繰り返していて、人の顔と名前に関しメモリオーバーもいいところ。中々相手を覚える事が出来ない。そうこうしている間に紹介された人達と話す回数は増え、親睦も深まってくる。そうなると、話し掛けてきてくれる相手の顔や名前を覚えていない自分が酷く冷酷に思えて、話し掛けられる度に良心が痛むし、かといって今更、名前なんだっけ。なんて聞けるような浅い関係でもなくなってしまっている。結果、相手の呼び掛けや会話には『佐々木』だの『誉』だの名前が入るが、こちらの返答は無難なものばかり。やむを得ず主語を付けなくてはならなくなった時だけ、『お前』や『君』を用いるハメになる。どんな外見であろうと、例えそいつが極悪人であろうと内部生というだけでそんな有様なのだから、ルックス良し、性格良しの誉に至っては、新たに名前を覚えるという作業など、到底不可能に近い。それでも、誉は一度で顔と名前を覚えるよう日々努力をしてはいるのだが、、、。
ともかく今回は会話からして惨敗に終ったようだ。ただ、敢えて誉の弁護をするのなら、先程、彼に声を掛けてきた青年が、誉が今まで話した事のある『鈴木』の中の、記念すべき三十人目の『スズキオサム』だったという事も多少は影響しているのではないか。とだけ言っておこう。
そんなこんなで、次から次に迫り来る挨拶の山を軽く受け流しつつ、誉は歩きながらさっきの『彼』を思い出そうと頭をフル稼動させたのだが、その甲斐も虚しく『スズキオサム』は闇に閉ざされたまま、目的の芸術学科校舎に到着してしまった。
芸術学科には音楽系と美術系、それぞれ数種類ずつ専攻がある為、校舎の中はいわゆる教室以外にも防音室やアトリエといった、芸術学科ならではの教室が数多く見受けられる。
誉が目指す音楽実習室はこの校舎の四階に位置しており、そこは大きな部屋の中に小さな防音室が沢山ある。といった造りの教室となっている。主に利用者は芸術学科のピアノ専攻やバイオリン専攻、作曲専攻などの生徒達で、部屋が空いている時はいつでも自由に練習出来る様になっている。
「よん、まる、いち、、、よん、まる、いち、、、っと。」
普段通い慣れていない校舎にも関わらず、誉の足は迷う事無く目的の部屋に辿り着いた。教室の中は防音室で、少々の音では迷惑をかけないと頭では解っているのだか、ドアノブに手をかけ開ける動作は何故だかいつも、おずおずとしてしまう。
「っれぇ~?はるかぁ!」
「しっ!」
折角、無意味な『静かにドアを開ける』という行為を行ったのにも関わらず、余計にその行為を無効化する馬鹿デカイ声で自分の名前を読んだ誉に対し、悠と呼ばれた見事な体躯の青年は、咄嗟に人指し指を自らの唇にあて、怪訝そうな顔をした。
しまった、と思いおどけた顔をした誉だが、悠が立っているB防音室から洩れているピアノの音色が止っていない事を確認すると、ゆっくりと自分もその音のする防音室の方へ歩いていった。
「、、、なんで悠が此処にいんの?、、、今日は朝から昼にかけて練習じゃなかったっけ?、、、」
「、、、練習が早く終ったから、佐々木達と一緒にメシ食おうと思って、、、」
「、、、そっか、、、」
「、、、なのに、佐々木の電話繋がんねぇんだもん、、、」
「あ!」
悠が人指し指を唇にあてるよりも早く、誉は自らの口を両手で塞いでいた。
「、、、悪ぃ、悪ぃ、、、昨日充電すんの忘れて、さっき電池が切れちゃった、、、」
やれやれ、といった表情をする悠。
「、、、でも、よく此処だってわかったなぁ、、、」
「、、、そりゃ、恋人達がお忍びで会う場所っていったら此処くらいしか、、、」
「おい!はるかッッッ!」
悠が言い終わるが早いか、誉はありったけのボリュームで叫んでいた。これは流石にB防音室でピアノを奏でていた人物にも聞こえたらしく、つい今し方まで心地よく流れていたバッハがピタリと止んだ。
「あ、はるクンも来てたんだぁ」
B防音室から出て来た青年は嬉しそうに笑いながら言った。
「ゴメンなぁ、鉄男。佐々木が馬鹿デカイ声で怒鳴るから」
「おい!俺のせいかよ!悠が訳分らないこと言うからだろ!」
「本当に?」
「う、、、。」
思っていた反応と違う反応が返ってきて、誉は思わず言葉を失ってしまった。
「悪い、悪い、、、でもそんなんじゃ皆にバレるのも時間の問題だな、、、ウン。」
悠がわざとらしく頷きながら言った台詞に、誉はガクっと肩を落して言った。
「おいおい、簡便してくれよぉ、、、今はまだちょっと、、、自信が無いっていうか、、、」
そう言いながら困った表情を浮かべる誉に、今度は悠が面喰らってしまい、
「あ、、、悪い。冗談のつもりだったんだけど、、、ゴメンな。」
やり場のない、何とも言えない雰囲気になりつつあったその時、
「その時は、その時だよ!」
防音室から出て来たまだ幼さの残る顔立ちの青年、川村鉄男は二人のやり取りから自分が参加する前の話題を察知して誉の肩をポンポン、と叩きながら笑顔で言った。
そして次の瞬間、
「だな!」
そう応えたのは悠ではなく、悠の何気ない冗談で落込んだ、、、ハズの誉であった。
「誉、おま、、、ったく、マジで傷つけたかと思ったじゃん」
「悪ぃ、悪ぃ、でもさっきのお返しってことで!」
「はいはい」
「でも、、、」
そう言った誉の顔が急に真面目になって、
「俺、悠には本当、感謝してんだぜ、、、」
「ん?」
「俺と川村のこと、理解してくれて、、、。きっと悠いなかったら俺達ギクシャクしちゃう場面もあると思うんだ。さっきじゃないけど、俺、隠し事下手だし、、、。いつもみたいに、困った事があったら皆に相談すればいいんだろうけど、でも、、、この悩みだけは、、、川村と俺との事だけは、まだ悠にしか相談できなくてさ、、、。」
「言っておくけどなぁ、佐々木」
「何?」
「俺だって本当は嫌なんだぜ、、、皆に隠しておくの」
「あぁ、、、分ってる」
「まぁ、けど気持ちの整理っていうか、タイミングっていうか、そういうのあるだろうからさ、、、」
「うん、絶対いつか言うから。俺と川村の口から、、、だからもう少し、もう少しだけ協力してくれな、、、頼む!」
言いながら自分に手を合わせる誉にむかって、
「もう止めようぜ!ま、これはお前達の問題だからなっ!俺はカンケーない!つぅ事で」
「冷てぇなぁ、、、」
そう言って不貞腐れた表情をしたものの、直ぐに誉の顔はいつも以上に穏やかなものとなっていた。
次回更新は11/30(金)の予定です。