54. ここに立つ意味(その1)
初稿:2018/12/26
どうぞ宜しくお願い致します<(_ _)>
新生重工
特殊車両事業部
事業部長室
「羽月社員」
「……はい」
名を呼ばれ、伊澄はややうつむいたまま小さく返事をした。作業服を着ているが普段と違い綺麗にクリーニングされたもので、下にはワイシャツにネクタイといつもよりも畏まった出で立ちだった。隣には、普段以上に険しい面持ちをした設計課長の片岡の姿もある。
伊澄は神妙な顔で一歩前に出た。そこに、出世した人間らしい重々しさを伴った声が届く。
「何故私に呼ばれたか。理由は分かっているかね?」
「……はい、存じてます」
「そうか。私も忙しいし君も忙しいだろう。ならば単刀直入に聞こうか。
ここに書かれていることは事実かね?」
そう言って目の前の男性――特殊車両事業部長は一冊の本を机上へ放り投げた。
それは週刊誌だった。開かれたモノクロ調の紙面には貨物船と一機のノイエ・ヴェルトの写真が大きく載っていて、その周りには大きく様々な見出しが躍っていた。
『海賊を撃退したのは会社員!? 彼は英雄か、それとも……?』
『会社員の男性、実は極秘任務を帯びた自衛隊員?』
『公海上での軍事行動に当たる可能性。国際法違反との声も。中国、統一大朝鮮は早速非難声明を準備か』
『そもそも操縦した会社員は無免許だった?』
『実は会社員の男性と海賊には繋がりがあり、新型機を海賊へ、そして某国へ非合法に送り届けるための自作自演では、との話もある』
『防衛省はこの件について全面的に否定。政府は近く新生重工への事情聴取を行うことで日程を調整中とのこと』
『ネット上では賛否両論。新生重工のSNSはすでに炎上状態に』
掲載されているのは、先日の海賊との一件だった。こまごまと文字が連ねられているが、内容は概ね伊澄の行動とその保籍元である新生重工に対して批判的のようだった。
この一件は当然ながら伊澄からも報告を上げていた。帰国してすぐに社内で事情を聴取されている。だから事業部長の耳にも当然入っているはずだ。
しかし週刊誌には伊澄が話していない――彼からすればデタラメな――ことがまことしやかに書かれていた。
週刊誌の文章が目に入り、伊澄の眉間にシワが寄った。拳に思わず力がこもる。
(ホントに好き勝手……言ってくれるよっ……!)
その場にいなかったくせに、何も知らないくせに。
褒められたくて戦ったわけではない。こちらも死と隣合わせになりながら戦ったのだ。それを、居合わせたわけでもない外部から好き勝手言われ、貶められるのは伊澄としても我慢し難かった。
「正直答えたまえ。事が事だけに隠し事をすれば対応が後手後手に回る。それは避けねばならん」
「……自分が勝手にノイエ・ヴェルトを操縦したのは事実です。海賊とも交戦しました。そして無免許であるのも本当です。ですが、当たり前ですが自衛隊とは関わりはありませんし、まして海賊と自作自演だったことは――」
「よろしい。話は分かった」
事業部長は伊澄の話を遮った。銀縁の眼鏡を外し、目元をもみほぐす。眉間にシワを寄せたその表情には疲労と苛立ちが垣間見えるようだった。
「つまり君は、軍事兵器であるノイエ・ヴェルトを誰の許可もなく日本国外で使用し、戦闘を行った。そこは事実であることは間違いないわけか」
「……事業部長に、そして会社にご迷惑をおかけしたことは申し訳なく思います。ですけれど、あの時はそうするのが最善と思って――」
「しかしその判断が誤っていた。残念ではあるがそう言わざるを得ないな」
自分が間違っていた。ハッキリとそう言われ伊澄は弾かれたように顔を上げた。
社に損害を与えた以上は何らかの処分が下されることは覚悟していた。だがそれでも伊澄は自分の判断が間違っていたとは思っていない。両拳が握り込まれ、小さく震えた。
「そんな! じゃああのまま海賊に船ごと襲われてた方が良かったと言うんですかっ!?」
「そうだ」
思わず声を荒げた伊澄だが事業部長はすかさず断言した。
伊澄は言葉を失った。怒りよりも困惑が勝った。事業部長は椅子にもたれ、感情の読めない眼差しを向けてくる。
「何もしなければ我が社は被害者でいられた。ノイエ・ヴェルトを奪われた損害は大きいだろうが、保険にも入っている。一民間企業が強盗被害にあったからには客先も苦情は言えまいし、このような無用な批判にさらされることも無かっただろう」
「誰かが……傷ついたっていいと言うんですか……?」
「連中も愚かではない。抵抗しなければ海賊たちも危害は加えようとはせんよ。少なくともどこかに引きこもって隠れていればな」
「そんな保証、どこにもないじゃないですか……!」
「事業部長、それは会社の理屈です」ここまで黙っていた片岡課長が口を挟んだ。「形はどうあれ、羽月社員は貨物船の他の荷や乗員を海賊から守った。その行為が褒められこそすれ、批判に値するとは思いません」
片岡が伊澄をかばうと、事業部長も「分かっている」と応じた。
「羽月社員の行動は人としては立派なことだ。通常であれば感謝状の一つでも送るところだろうし、私個人としても君の勇気ある行動は称賛する。
だが我が社とノイエ・ヴェルトという製品が絡んだことで話は簡単ではなくなってしまったのだよ」
椅子から立ち上がり、事業部長は伊澄たちに背を向けた。
「民間でも使用されているが、ノイエ・ヴェルトは今や立派な軍事兵器だ。もともとの成り立ちがどうあれ、それが世間の常識だ。
そして、優秀な君であれば理解しているだろうが、我が国では伝統的に戦争に対するアレルギーが強い。政治的に利用されやすく、揚げ足を取ろうとする輩はごまんといるのだ。第三次大戦が終結し、ただでさえその価値が見直されようとしている中でそんなものを研究から製造まで一貫して担っている我が社は常に批判の的であり、他所のぽっと出の企業とは違っていかなる時であっても慎重な対応と運用における相応の責任が要求されているのだよ」
「それは理解します。でも――」
「納得いかない、かね?」
振り返った事業部長の瞳が伊澄を捉え、伊澄はためらいながらも大きくうなずいた。そんな伊澄を見て、事業部長は小さく笑った。そこに少しだけ人間的な感情が初めて伺えた。
「納得いかずとも結構だ。今言ったこと、それが現実なのだからな。
ともかく、話は分かった。二人共ご苦労だった。下がりたまえ。処分については追って連絡する」
「……はい」
「操縦していた社員が誰だったかまでは、まだマスコミ連中も探り出せていないようだ。
よって羽月社員には特別休暇を与える。火のないところに火を点けて騒ぎ立てる連中に引っ掻き回されたくなければ、こちらから連絡するまでしばらく不急の外出は控えていなさい。もちろん有給扱いであるから安心したまえ」
有無を言わせぬ口調でそう告げた事業部長に対し、伊澄は尚も反論をしようとするが片岡課長から腕を引かれ、体を震わせながら軽く頭を下げた。そして無言のまま背を向け、片岡課長の後ろに続いて会議室を後にした。
部屋から出てしばらくうつむき歩く。重苦しい場から離れるにつれて伊澄の体から緊張が抜け、同時に怒りも薄れていく。対してこみ上げてくるのは、なんとも言えないやるせなさだった。
果たして。
(僕は……間違っていたのか?)
切羽詰まった状況だったから十分に考える時間があったかと言われれば否定せざるをえない。今回の様な状況に陥ることまで想定していたかと問われれば「ノー」だ。もっと良いやり方があったかもしれない。
だが間違ったとまで言われたくなかった。短い時間の中で自分なりに考えて決断したのだ。悩んで決めたのだ。それを、幾ら事業部長とは言え何も知らない外野に否定されるのは辛かった。
「伊澄」
煩悶としていた伊澄が顔を上げる。すると、片岡が空の会議室を親指で指し示していた。
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