34. バルダー(その4)
初稿:2018/11/09
宜しくお願い致します<(_ _)>
「……ぷはぁ」
生きてるって素晴らしい。全身が水分で満たされていくのを感じながら伊澄は満ち足りた笑顔を浮かべていた。
脱水症状で昇天しかけた伊澄だったが、ギリギリ給水が間に合った。迎えに来た祖父母を全力で追い返し、今はトレーニングルームの隅で二本目のボトルのドリンクを飲み干そうとしていた。
その隣で。
「……ほんっとうにゴメンなさい」
見事な土下座をマリアがしていた。三指をついて背筋を曲げずに、その上で床に額を擦りつけている。金色の髪から突き出した尖り耳がショボンとしおれていた。
「あの……別に怒ってませんから。だから頭を上げてください」
「……本当?」
「本当です。まあ、ちょっと……いや、結構つらかったですけどマリアさんも騙されてたわけですし、諸悪の根源は別にいるみたいですから」
その割に結構ノリノリで罵倒していた気がするが、そこには触れない。美人の土下座は、どうにも謝られる方が居心地が悪くなるのだと初めて伊澄は理解した。
「ここのところずっとデスクワークでしたからいい運動になりましたし。今後ともお世話になるんですし、マリアさんには色々と教えてもらいたいですから。ね?」
「……そうね、これ以上年下に気を遣わせるのも面目ないか」
「いやぁあ、良かった良かった。誠心誠意の反省はやっぱりキチンと伝わるんだね」
「アナタはもっと反省してください」
マリアに向けた柔らかい笑みから一転、伊澄はルシュカにジト目を向けた。
伊澄は確信していた。一連の流れは絶対わざとであると。でなければ、あっさりと白衣から正しい伊澄のプロフィールを見せるはずがない。慌てふためくマリアを見てただ楽しみたかっただけの愉快犯に違いなかった。現にこうして伊澄が不機嫌そうに睨んでもにやけ顔を崩そうともしていない。
「まぁまあ、伊澄くんもそう怒んないで。ね?」
「……分かってますよ。ルシュカさん相手にイライラしてもこっちが疲れるだけだって理解しましたから」
職場選びを間違った気が激しくする。だがそれも今更詮無きことだ、とその思いをため息で伊澄はごまかしたのだった。
「ふっふっふーん。ならそんな伊澄くんのお怒りを鎮めて差し上げるためにもぉ、ノイエ・ヴェルトのところに案内しようか」
「ホントですかっ!?」
ノイエ・ヴェルトと聞き、伊澄は不機嫌な態度を一転させて眼を輝かせた。あまりの変化にマリアは眼を丸くさせるが、ルシュカは歯をむき出しにして口端をつり上げた。
「ホントもホーントだよ。ヘルタイガーでシルヴェリア王国の隊長を撃退したという腕前もぜひ一度は見せてもらいたいしね。さすがに王国のスフィーリアみたいな高性能機じゃないけど」
「全っ然大丈夫です! どこですかっ!? さあ行きましょう早く行きましょう今すぐ行きましょう!」
「まあそう焦んなさんなって。ノイエ・ヴェルトは逃げやしないから。
マリア。君も時間は大丈夫だよね?」
「はい。元々予定されていた救出作戦が無くなりましたから、今日は特に予定は入ってませんし」
「なら伊澄くんのサポートをよろしく。
さて、伊澄くんも待ちきれないみたいだし、それじゃ行こうか」
早くもウズウズしている伊澄。そんな彼にルシュカもさすがに苦笑いをするも、二人を連れて格納庫へと向かっていったのだった。
「あ~、疲れたぁ……」
伊澄は大きく息を吐き出すと、コクピットシートに体を預けて脱力した。
額には珠のような汗が浮かびそれを指先で拭い去る。時間にすればほんの数十分だがノイエ・ヴェルトに揺られた体にはだるさがあり、寝不足もあって目も頭も濃い疲労を感じている。それでも、それ以上の充足感があった。
ルシュカに連れられて騎乗したのは『アイギス』。勤めている新生重工が開発、製造している日本製の最新機種だ。
とはいえ、伊澄自身が開発に関わったわけでもなく当然ながら初めて乗る機体だ。アルヴヘイムのスフィーリアみたいにF-LINKシステムがあって補佐をしてくれるわけでもなく、またヘルタイガーのような第二世代初期型と比べればシステムは高度化・複雑化しているため、慣熟には時間が必要であり伊澄でも満足のいく操縦ができたかといえばそうではない。
だがそれを差し引いても、自分で本物のノイエ・ヴェルトを操縦できるというのは何度目であっても彼にとって至上の喜びであった。
次こそは、もっと上手く。そのためには何が必要か。機体を格納庫の待機スペースに戻しながらも頭の中では反省と対処策を練り続けていたが、それもスピーカーから聞こえてきた管制スタッフの声で中断した。
「機体の固定、完了しました。どうぞ降りてください。お疲れ様でした」
「あ、はい。そちらこそお疲れ様です。誘導ありがとうございました」
モニターに映った女性スタッフに伊澄は律儀に返事をすると、彼女は言われ慣れないのかやや戸惑ったような素振りを見せるが、ショートボブを揺らしてニコリと笑い返した。
「いえ、これが私の仕事ですからね。でもありがとうございます。それでは足元に気をつけてください」
プシュ、と空気が抜けてハッチが開き、タラップに乗ると伊澄は大きく背伸びをした。肩のコリを解しながらステップを降りていくと、ルシュカと先にノイエ・ヴェルトを降りていたマリアが待っていた。
「や。どうだい? 自分たちが作ったノイエ・ヴェルトに乗ってみた感想は?」
「やめてくださいよ」伊澄は恥ずかしそうに頬を掻いた。「別に僕が作ったわけじゃないですし。でもやっぱり最新機種は良いですね。ヘルタイガーもアナログっぽさが好きですけど、操作性は相当良くなってます。とはいえ、スフィーリアに比べれると霞んじゃいますけど」
「はは、そりゃそうだろうね。だけど初めて乗った機体にしては上手に操縦できてたと思うよ。さすが王国の隊長をチンチンにしただけのことはあるね」
ルシュカに褒められるも伊澄は頭を振った。
「いえ、全然です。もうちょっと上手く扱えるつもりだったんですけど、ダメでしたね。クライヴさんを倒せたのも、きっと火事場の馬鹿力ってやつですよ」
「確かに思ったほどではなかったわね。慣熟していない機体とはいえ、動きに無駄も多いし指示に対する反応も悪い」
「はは、マリアは相変わらず厳しいねぇ」
「当然です。甘い評価をすれば、一番痛い目を見るのはパイロット本人ですから」
マリアのダメだしに伊澄は申し訳なさそうに頬を掻いた。だがその肩に白い腕が伸び、顔を上げればマリアが小さく微笑んでいた。
「だけど筋の良さはさすがね。操作に慣熟した時にはもうちょっとマシな動きを見せてちょうだい。期待してるわ」
「……はい!」
伊澄は一瞬キョトンとした表情を見せる。が、褒められたのだと気づくと顔を綻ばせて思わず大きな声で返事をしてしまい、また恥ずかしそうに頭を掻いたのだった。
「――おやおやぁ?」そこにルシュカの楽しげな声がした。「ご覧よ、伊澄くん。愛しのお姫様の登場だ」
「え?」
ルシュカがからかうような口調で伊澄に話しかける。
振り向けば、薄緑のパーカーを羽織ったユカリがケーキらしいものを頬張りながら入口のところに立っていた。その後ろには白髪の中性的な容姿の少年ともう一人壮年の男性が立っている。
「アンリとストークス少佐?」
「大佐とストークスが揃って何の用だろうね?」
ユカリの傍にいる二人が大佐と少佐だという。正規軍に照らし合わせればかなりの高官だ。壮年の男性はともかくも、見たところまだ十四、五歳という少年が佐官であることに伊澄は驚いた。
ノイエ・ヴェルトを間近で見上げているユカリの後ろから佐官の二人が話しかける。そして伊澄たちの方を指差した。
するとユカリがキョロキョロとし始め、伊澄の姿を認めると佐官二人に二、三言葉を掛けて走り寄ってくる。一応彼女も無事だとは聞いていたが、こうして姿を見ると安心する。改めて胸を撫で下ろした。
「良かった、アンタも無事だったんだな」
「まあね。ユカリも元気そうで良かったよ。何かされたりしなかった?」
「信用ないなぁ」ルシュカが苦笑いを浮かべた。「ちゃんと伝えたでしょ?」
「親御さんに届けるまでは、勝手ですけどユカリの保護者のつもりですから。それに、ルシュカさんが信用できる行動取ってくれれば僕だって確認しないで済むんですけどね」
「ドクターの事を持ち出されると返す言葉が無いわね……」
伊澄とマリアにしてみれば当たり前なのだが、ルシュカに初めて接するユカリは二人の反応の意味が良く分からず首を傾げるも、手に持ったままだった菓子を口に放り込むと伊澄に「何も無かったぜ」と伝えた。
「伊澄さんが黒服に連れてかれたからどうなることかと思ったけどな。少なくとも城ン中よりはマシな待遇だったぜ。この上着も貸してもらったしな」
「彼女は大切な保護対象です。粗雑に扱えば我々の信用問題になりますからね」
そう言って二人の会話に入ってきたのは白髪の少年だった。伊澄が眼を向けると少年は薄く微笑みながら軽く会釈し、会話を遮った非礼をわびてくる。横にいたマリアは少年に向けてすばやく敬礼をし、対してルシュカは軽く手を挙げ、気安い様子で彼に話しかけた。
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