24. 駆け抜けた先にあるものは(その1)
初稿:2018/10/19
宜しくお願い致します<(_ _)>
「おん、なのこ……?」
伊澄が入ってしまったのは最低限の物しかない部屋。備え付けのベッドと簡易なトイレ。物としてあるのはそれだけで、他に眼を引くところはない。
そんな場所にその少女がいた。
明るい茶色い髪色の少女が、腕を壁に手錠で繋がれた状態で力なく項垂れていた。長い髪をポニーテールに結わい、シンプルな黒いTシャツとデニム地のホットパンツ姿で、瑞々しい質感の手足が伸びている。
「もしかして――」
今日何度も見た少女は、果たしてこの娘だったのか。不意に幻が現実となり、伊澄は喉を鳴らしながら少女の様子を観察していく。
手錠で繋がれた両手首は赤黒く変色し、痛々しい様相を示していた。それ以外にも二の腕にはまだ新しい擦り傷や切り傷がある。手錠は辛うじて床に座れる程度の高さから繋がれていて、彼女の座っている周囲の床は赤く光っている。よく見ればそれは幾何学模様を描いており、察しの悪さを自負する伊澄もそれが魔法的な効果をもたらしているのだろうと理解できた。
「生きてる……よね?」
思った以上にかすれた声が出た。しかし少女から反応はなく、伊澄は恐る恐る近づいて様子を確認してみる。
うつむいたままで、伊澄がすぐそばまで来ても眼は閉じたまま。それでもゆっくりと大きな胸の辺りが動いているのを見て、伊澄はホッとしその場に座り込んだ。
「良かった……寝てるだけか」
心配させんなよぉ、と寝ている見ず知らずの少女に対して思わず悪態が口をついた。それでも生きていて良かった、と本気で胸をなでおろす。そして、この子は何者だろう、と改めて少女を見た。
まず伊澄が見たのは彼女の耳だ。城で働いている人の多くがエルフであったが、彼女にはその特徴的な形はなく、伊澄のよく知る普通の耳であった。うつむいているために見づらいが、顔立ちも欧州的なものではなく――
「……やっぱり、日本人だよな」
そしておそらくは十代後半、高校生くらいか。そんな少女がどうしてこんなところに拘束されているのか。
「たぶん、僕と同じように連れてこられたんだろうけど……」
エレクシアは自分を、来る将来の災厄に備えるために連れてきたと言った。その話を仮に信じるならこの少女も何らかの能力を期待されて連れてこられたのだろう。だがそうなると、こんな風に、まるで罪人のような扱いを受けている理由が分からない。
「……ともかく、まずはこの子を助けなきゃ」
魔法陣の中に入るのは少し怖かったが、助けるためにはやむを得ない。伊澄は赤く光る魔法陣の中へ恐る恐る脚を踏み入れようとした。
「んぁ……」
その時、少女が身じろぎした。悩ましげな声を漏らし、そのまぶたがゆっくり開かれていく。顔が上がり半開きの眠たげな眼が伊澄をとらえた。
顔立ちは端正で、鼻筋はすっと通っている。整えられた眉は気の強さを表しているよう。印象的な釣り上がり気味の切れ長の眼は、ともすれば目つきが悪いとも取られそうだが、まだ寝ぼけているようでぼんやりしているせいかあまり鋭さは感じられない。殴られたのだろうか、頬は少し紫に腫れていて、それが痛々しい。
彼女の眉間にシワが寄り、何度かの瞬きの後で徐々に焦点があってくる。見下ろす伊澄と少女。二人の視線がその時、確かに交差した。
眼を覚ました。伊澄は少女を見て破顔し、そして――
「良かった! 眼が覚めた? だいじょう――」
――少女の長い脚が伊澄のみぞおちに突き刺さった。
「ざっけんなゴラァッ!」
白目をむいて倒れる伊澄。しかし少女は一切の気遣いを見せることなく、逆に覚醒と同時に烈火のごとく怒鳴り散らした。
「か弱い乙女の寝込みを襲おうなんざいい度胸してやがんじゃねぇかっ!! オラ、もっかいこっち来てみやがれ! 今度こそテメェのそのチンケな〇〇〇〇ぶっ潰してやっからよっ!!」
どの口がか弱いって言ってるんだ。つま先がクリーンヒットしたみぞおちを押さえた状態で震えながら伊澄は思わずツッコんだ。今日はとんだ厄日だ。カミサマがいるならちょっと顔を出せ。同じ痛みを味わわせてやる。心から伊澄は誓った。
「もっかい言ってやるっ! レイプされようが何されようがアタシはぜってぇお前らに協力なんかしてやらねぇからなっ!!」
「ちょ、ちょっと待って……」
「はんっ! どうしたよ! 殺したきゃ殺せっ! どうせアタシなんざ生きてたって何の役にも立ちやしねぇんだからよっ! だがそん時はテメェの首の肉噛み切ってやっから覚悟しやがれっ!」
「だから……話…聞いて……」
「オラ、来いよっ! それともビビったか……って、あれ? アンタ、耳尖ってねぇな? あ! 分かったぜ! どうせまた魔法だかなんだかで偽装してアタシを油断させようとしてんだろっ! クソッタレめが! アタシはそんなんで騙されねーぞっ!!」
「だーっ!! 違うっての!」
口汚く罵る少女に伊澄もキレた。
「正真正銘オレは日本人っ!! こんな平凡顔のエルフがいるならお目にかかりたいわっ!!」
「……本当だろうな?」
「ホントもホントだって! 信じられないなら……ほらっ!」
そう言って伊澄はニヴィールから唯一持ってくることができた携帯端末を少女に見せた。そこに表示されるのは顔写真付きの伊澄の市民登録画面だ。少女はしかめっ面で画面と伊澄の顔を何度も見比べると、ようやくホッと息を吐いて警戒を解いた。
「ンだよ、それならそうとさっさと言ってくれりゃいいのに」
「聞く耳持たなかったのはそっちだろっ!」
ブスッとして伊澄は口を尖らせた。だが自分より年下の女の子にこれ以上ふてくされた態度をとっても仕方がない、と頭を掻きむしり気持ちを切り替える。
「それで――君はなんでこんなところでこんな状態にされてんの? ……まあ、今さっきのでなんとなく分かったけど」
「うっせぇなぁ。アタシは悪くねぇよ。一方的に協力しろって言ってきたから――」
話し始めた少女だったがすぐに表情を険しくし、項垂れた。彼女のこめかみには汗が滲み、息が少し荒くなっている。
「えっと、大丈夫? 具合悪そうだけど……」
「大丈夫だよ! ……って言い切りたいけどな。頭はガンガンするし、体もめちゃくちゃダリィよ」
「……ひょっとしてこの魔法陣のせい?」
「たぶんな。魔法なんてファンタジーなことはよくワカンネーけど」
少女は苦しそうにしながらも手錠をガチャガチャと鳴らす。だがいくら乱暴とはいえ、伊澄と同じ日本人の少女である。人並み以上に鍛えられていることは先程の一撃を以て十分理解しているが、手錠を壊すほどの力があるはずもない。そして当然伊澄にだってそんな力は備わっていない。
だからといって見捨てるなどという選択肢は端からない。どうにかして手錠を外してやれないかと頭を掻きながら取り出した携帯端末をポケットにしまった。
その際に指先に金属質のものが触れる。伝わる感触に、伊澄はこのフロアに入った時に拾った物を思い出した。
「もしかして、この鍵が……?」
まさか。そんな都合の良いことがあるだろうか。そう思いながらも、何処か確信めいたものを伊澄は感じ取っていた。
たぶん、開く。そしてそれを確かめるため伊澄は魔法陣の中に脚を踏み入れた。
「う……」
途端に感じる不快感と倦怠感。体が一気に重くなり、まるで重力が何倍にもなったようにも感じられ、ぐらりと視界が傾ぐ。これはまずい、と本能的に悟ったが今更引き返すこともできない。膝を突き、手を震わせながらも何とか手錠の鍵穴に鍵を差し込み、捻る。
あっけないほどにあっさりと手錠は外れた。途端に少女は魔法陣から転がり出て苦痛から開放され、一心地つく。だが伊澄はそのまま倒れ、動けなくなってしまった。
「ったく、世話のやけるおっさんだ」
ぼやきながらも少女は伊澄を引っ張り出し、伊澄もまた助かったと少女に礼を述べた。
「確かにきつかったけどさ、そんな動けなくなるほどかよ」
「はは……ずっとデスクワークばっかだったから体がなまったのかもね」
ごく短時間魔法陣に入っただけだというのに伊澄の額は脂汗をびっしりと掻いていた。額の汗を拭いつつ、無事にここを脱出できたら運動を始めようと誓った。
「んで、アンタ……羽月さんだっけ? アンタもこの城の連中に連れてこられたクチ?」
「うん、そう。アンタもってことは、君――ああ、まずは名前を教えてよ」
「おっと、ワリィな。
アタシは明星、明星・ユカリ」少女はそう名乗った。「『ユカリ』って呼んでくれ。先に言っとくけど『さん』とか『ちゃん』とかは要らねぇから。ンな可愛らしい性格してねぇのは自分でも分かってっからさ」
「それは最初の一発で重々理解したよ」
「……悪かったよ。目ぇ覚ましたら目の前に知らねぇ男がいたんでビックリして、つい、な」
伊澄が皮肉を返すと、少女――ユカリはバツが悪そうに眼を逸した。物言いはぶっきらぼうで手が出るのも早いが素直に謝ったところといい、根は良い子なのかもしれないと伊澄は思った。
「ま、その件はもう追求しないよ。
で、えっと、ユカリもニヴィール――僕らの住む世界からこっちに連れてこられたってことでOK?」
「ニヴィールってのがアンタとアタシの住んでる場所のこと言ってんのならそういうことになんな」
「どうしてここに?」
「知るかよ。なんかバイト帰りに変な外国人に声掛けられてさ、無視して通り過ぎてもしつこくつきまとってきてよ。どんだけ追っ払ってもなんかカタコトの日本語でペチャクチャ喋り続けるもんだからいい加減うざったくなっちまってさ。終いにゃ馴れ馴れしく触ってきやがって、だからアタシもブチ切れて思いっきりキンタマ蹴り飛ばしてやったんだ」
「……おぅふ」
思わず伊澄は自分の股間を押さえた。ユカリは愉快だとばかりにケタケタと笑って話を続ける。
「そしたら随分とおかんむりでな? 面白かったぜ? プルプル震えながらポットみたいに顔真っ赤にしてんの。そしたらお仲間連中がワラワラと道塞ぎやがって。よけいムカついたからそいつら蹴散らしてたんだけどさ、ポット野郎から手を掴まれて捕まって無理矢理にあの魔法陣みたいなやつの中さ。んで、気づきゃお城の中ってワケ」
「……そりゃ怒るでしょ」
おそらくは彼女を連れてくるのが任務だったのだろうが、股間を蹴り上げられながらも完遂したその男に敵ながら伊澄は称賛を送りたくなった。
しかしだからといって、それだけでエレクシアが彼女にこんな扱いをするだろうか。彼女であれば自分にそうしたように、情に訴えかけるなり弁を弄して丸め込もうとする気がする。
そう伊澄が指摘すると、ユカリは明後日の方に視線をずらして白い頬を指先で掻いた。
「あー、確かにさ、あの、えっと王女様だっけ? 女王様だっけ? みたいな尖った耳の女が魔法かけて言葉わかるようにしてくれた後で色々と言ってきたんだけど……」
「……もしかして」
「たぶんアンタの思ってるとおりだぜ。騎士だか兵士だかワカンネーけど、一発かましてやった後のあの女の顔ったらなかったな」
そう言ってケタケタとユカリは笑い、向かい合った伊澄は頭を抱えて呆れた。
「ま、そんなわけで逃げ出したんだけど結局捕まってこのザマだよ。ケンカには結構自信あったんだけどな。ズリィよな、魔法とか使ってきて。男だったら武器なんか捨ててかかってこいっての」
『野郎! ぶっ殺してやるっ!!』。どこかで聞いたそんなセリフが伊澄の頭を過ぎったが無視した。
「しかし……結構無茶するね、君は」
「だって考えてみろよ? アイツらはアタシにとっちゃ誘拐犯だぜ? 連中の言うことなんざ聞いてやる義理はねぇよ」
「だからってさぁ……」
「それに何より、一等胡散臭かったしな」
彼女のその言葉に伊澄は首を傾げた。
「誰が?」
「あの王女だか女王だかって女だよ」
「エレクシアさんのこと?」
「エレクシアってのか、あの女。そうだよ、そのエレクシア『サマ』だよ。
なんつーかな……なんとなくわかんだよな。『あ、こいつ、アタシを騙そうとしてる』っていうのがさ。
一回そう思っちまうと、もうこっちを丸め込もうって腹が見え見えでしょうがなくってよ。表面上はしおらしくしてっけど、腹黒いのが丸わかりでそれが余計にムカついてさ。お前の力が必要なんだとか、このままじゃ国が滅ぶだとか言ってた気がするけど、ンなこと知ったこっちゃねぇっつーの。
こっちはバイトで疲れてんだからさっさと寝てーってのに、帰せって言ってもテメェの都合ばっか並べ立ててきやがってよ。好き勝手ぺちゃくちゃ喋り続けっからいい加減ブチ切れて一発かまして、ソッコーで逃げ出してやったよ」
「……殺されなくてよかったね」
「逃げてる時の連中の殺気立った感じは半端なかったけどな。ま、捕まった後でどうなろうが構いやしなかったし」
にじみ出る、昏い響きを伴った言葉。だが言葉とは裏腹に、楽しげに話す彼女の様子に昏いところはなく、やけっぱちな雰囲気もなかったために真意を尋ねるタイミングを逸した。
「んで、だ」ニッとユカリが笑った。「同じように連れてこられたアンタもここに居るってことは、胡散臭さに気づいてて、隙をついて逃げてきたってことだろ?」
「……」
伊澄が無言で眼を逸した。
「おい」
「……」
「まさか、あの女の話をそっくりそのまま信じたってんじゃないだろうな?」
「いや、うん、えっと、その、ね?」
そして同じく今度はユカリが呆れた風にため息で返事をしたのだった。
「マジか。信じらんねぇ……目ン玉節穴どころか実はガラス玉だろ?」
「……返す言葉もございません」
基本的に伊澄はあまり人を疑うことはしないし、可能な限り嘘もつかない。それはそれで美徳かもしれないが、あまり賢い生き方ではないと理解もしている。だが、人の真意を思い量るのが苦手な伊澄はそういう生き方しかできず、それでも良いと何処かで諦めている節があった。
「ああいう自分が可愛いって知ってる女ってのは、人を利用するのが上手いんだよ。覚えときな」
「心に刻んでおきます……」
「あ、でも」ユカリは首を傾げた。「そんじゃあ何でアンタは逃げてんだ?」
「それは――」
ここまでの事情を伊澄は説明しかけ、だが不意にその動きを止めた。
怪訝な顔をしたユカリに向かって鋭く「シッ!」と黙らせると、今しがた入ってきた部屋の扉を注視した。彼の視線の先を辿り、ユカリもまたその意味を理解すると舌打ちをした。
微かに聞こえる足音。それは少しずつ部屋へと近づいてくる。
二人が息を飲む中、足音は扉の前で止まった。音が途切れ、痛いくらいの静寂が支配する。
数秒の、間。
そして――扉が開かれた。
お読み頂き、誠にありがとうございました。
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