19. 真実(その1)
初稿:2018/10/08
宜しくお願い致します<(_ _)>
「つっかれたぁ~……」
シャワーを浴びて汗を流した伊澄は、アルヴヘイムへ連れてこられた時と同じTシャツとジャージという出で立ちのままベッドに体を投げ出した。いつものせんべい布団とは全く違うフカフカとしていて、如何にも高級なベッドのシーツが疲れた体を包み込む。肌触りもスベスベで心地よい。先程の夕食会でお腹も膨れているし、このまま眠ってしまいそうだった。
「疲れたけど――」
今日はなんてエキサイティングで、素晴らしい日だったんだろう。ゴロリと仰向けになって眼を閉じると、自然と夕方のことが思い出されてきた。
戦いを終え、動けなくなった伊澄機は直後にやってきたクライヴたち正規のノイエ・ヴェルト部隊に抱えられて王城へと戻ることができた。
森を景気よく焼き払い、穴だらけにして更にはノイエ・ヴェルトを壊してしまった。戦いの熱が冷め、冷静になった伊澄の頭には「もしかしてとんでもない賠償を請求されるんじゃ……?」という考えが過って青い顔をしていたのだが、コクピットから恐る恐る出た彼が眼にしたのは、王城の人々の盛大な出迎えだった。
伊澄が姿を現した途端に鳴り響く拍手、そして歓声。貴族や騎士の人たちこそ居なかったが王城で勤めているだろう様々な人たちが口々に伊澄へ賛辞を送る。てっきり怒鳴られることを覚悟していた整備スタッフからも拍手は止まず、褒めそやしの男臭い叫びが届いてきていた。
予想外の光景に伊澄はコクピット上で呆気に取られていたが、その肩が不意に叩かれた。
「クライヴさん」
「何をボケっとしている」
「いえ……その、まさか歓迎されるとは思ってなかったので」
「なぜだ?」
「だって色々壊しちゃいましたし……罵声の一つも覚悟してましたから」
「おかしなことを言う奴だ」
「え?」
「国を救った英雄を罵る国民が何処にいるというのだ?」
呆れた様子のクライヴの言葉に、伊澄は意味が飲み込めずポカンと口を開けた。
「えい……ゆう……?」
「そうだ」フッとクライヴが男臭く笑った。「誰よりも早く敵の元に駆けつけ、手負いの機体単機で巨大なモンスターを打ち倒した。これを英雄と呼ばずしてなんと呼ぶ?」
「そんな、僕はそんなつもりじゃ……そう呼ばれるような大層な人間でもないですし」
「英雄なんて自分で成るものじゃない。周囲がそう呼んで初めて成れるものだ。こんな経験ができる者など、ノイエ・ヴェルト隊でもそういないぞ?
伊澄、胸を張れ。君が謙遜を美徳とする人種だということは薄々察しがついているが、自信を持っていい。それだけの事を君が、君だけの力で成し遂げたのだからな」
「そうですよ」
「エレクシアさん」
ふわりと魔法でコクピットまでやってきたエレクシアが伊澄の隣にやってきて微笑んだ。
「伊澄様は素晴らしいことを成したのです。どうか、胸をお張りください」
二人から諭すように告げられ、伊澄は視線を落とした。見下ろした先には、男性としては小さな自らの手のひらがあった。確かにノイエ・ヴェルトを操りモンスターを自力で倒せたが、この手でこんなにも讃えられるような、そんな大層なことを成し遂げたと言われても伊澄は信じることができずにいた。
未だ戸惑った仕草をする伊澄の背が、ドンッと強くクライヴに叩かれた。
「さあ、みんなが待ってるぞ。早く声援に応えてやれ」
「……この国の人たちって意外と騒ぐのが好きなんですね」
「知らなかったのか? まあ、ドワーフの連中は酒が飲みたいだけかもしれんがな」
もう一度クライヴに促され、伊澄は前に進み出た。
集まる視線。人前が苦手な伊澄はそれだけで気後れするが、覚悟を決めて腹に力を入れる。
声援に応えるってどうすればいいんだ? 伊澄は戸惑うも、なんとなく昔のドラマで見たシーンが頭に思い浮かんだ。それに従って拳を高々と突き上げた。
瞬間、一際大きい歓声と拍手が湧き起こる。称賛が、羨望が、感謝が伊澄の体を包み込む。
伊澄は心を震わせた。
これまでに感じたことのない、感動と喜び。
伊澄は幼い顔立ちをいっそう綻ばせ、心の高揚の赴くままにしばらくの間人々に向かって手を振り続けたのだった。
「……まさかあんなに気持ちいいものとは思わなかったなぁ」
ああも誰かから褒められたのは初めての経験だったし、伊澄自身もそういう世界とはかけ離れた場所で生きる人種だと思っていた。
何かを成し遂げられる程の気概も能力もない。そう思っていた。
そんな自分がこうも称賛される。こんな事があっていいのだろうか。まだどこか夢見心地だった。
「いきなり槍を向けられた時はどうなることかと思ったけど……」
ニヴィールでは毎日朝早く起きて、電車に揺られて職場に行って、叱られながら仕事をして、夜遅くに帰宅してノイエ・ヴェルトにただ思いを馳せながら寝る。叱られるのは自分の責任ではあるが、仕事を上手くしたからといって褒められるわけではない。それが当たり前のように流され、給料だってそれで上がるわけでもない。たぶん、伊澄の席に座る人間がある日突然別人に変わっても毎日流れる時間は変わらないだろう。そうした中で生きてもう三年だ。
世の中がそうした風にできているのは分かっているし働く前にも覚悟していたはずだった。けれども、伊澄は何のために生きているか時々分からなくなっていた。
翻って、ここアルヴヘイムはどうだろうか。モンスターもいるしノイエ・ヴェルトに乗って立ち向かわなければならない。元の世界に比べれば危険度は高い。だが――この世界は伊澄を必要としてくれている。
「誰かの期待なんて……邪魔だと思ってたはずなのにな」
無責任に一方的に期待をかけ、応えられないと知ると個性を無個性へと塗り潰していく。ならば最初から期待なんてされない方がいいと思っていた。
けれど。
「もう一回……頑張ってみようかな」
寝転んだまま伊澄は手を掲げた。正直、世界をどうこうなんて話はこの小さな手には余るどころか大きさと重さに潰されてしまいそうだ。それでも、世界そのものを救うことはできなくたって――少しだけその手伝いはできるかもしれない。
世界を救うのはこの世界の人たち。自分はその歯車となるのだ。
「どうせニヴィールにいたって、何ができるでもないし……」
怠惰に生かされ続け、捨てられるか。それとも危険を承知で自分から踏み込んでいくか。やがてくる終わり。なら選ぶのはどちらか。心が滾るのはどちらか。答えは明白。
同じ歯車になることを求められるのなら、アルヴヘイムの方がずっといい。
「そう言えば」
そんなことを考えながら拳を見上げていた伊澄だったが、ふとあることに気づき、ベッドから体を起こした。随分と長くノイエ・ヴェルトに乗り続けていたが、いつも起きていたあの偏頭痛が今日は起きなかった。
「たまたま……じゃないと思うんだけど」
この数年間、実機とゲームを問わずノイエ・ヴェルトに乗る度に必ず起きていたのだ。まして今日は、今までとは比べ物にならないくらい強いストレスが掛かったはず。
まさか治ったのか。都合のいい話ではあると伊澄も思うのだが、ここはニヴィールとは違う世界だ。完全に世界の理が同じであるはずもなく魔法もある。体に何かしら変化が起きてもおかしくはないし、ひょっとすると最初に頭痛で倒れた時に一緒に治療されてしまったのかもしれない。
「どちらにせよ、すぐに理由が分かるもんじゃないか」
この先もノイエ・ヴェルトに乗り続ければ自ずと分かってくるはず。伊澄はまたゴロンとベッドに寝転んだ。
徐々にまぶたが落ちてくる。眠気が意識を侵食してきてぼんやりしてくるのが分かった。
(そう言えば……まだ一日しか経ってないんだよな……)
ずいぶんと長くて濃密な一日だった気がする。朝起きてエレクシアが隣に寝てしまっていたのと、ノイエ・ヴェルトに乗って巨大なモンスターと戦ったのが同じ日だったなんて、嘘みたいだ。そう思った。
(朝起きて、エルフの王女様がすぐそこで寝てるなんて、それなんてエロゲーだよ……)
半分閉じかけたまぶたの奥から伊澄は自分の手を見た。そういえば、起きしなに胸を揉んでしまったのだった、と寝起きのハプニングを思い出す。失礼な話ではあるのだが、暖かくて柔らかかった。尖った耳もつい触ってしまったが触り心地がよくて、肌もすべすべだった。そして、女性の体に触れたのがずいぶんと久しぶりだったことに思い至った。
(……ソフィ)
もう、彼女とはあの時の関係にはきっと戻れない。不意に白咲・ソフィアが思い出され、伊澄は寂しさに襲われた。別れたことを後悔していないと言えば嘘になるし未練もある。それでも、確かに彼女とは恋人以上になれなかったのは理解している。
(エレクシア、さん……)
ソフィに代わって、優しくしてくれたエレクシアの笑顔が伊澄の頭に浮かぶ。そう言えば彼女は何歳なのだろうか、と疑問が過った。物語とかだとエルフは得てして長寿だ。若く見えるが、自分よりも年上なのだろうか。
(きっと……柔らかいんだろうな)
なんとなく、抱きしめたい。戦いの興奮が収まっていないのだろうか、劣情に伊澄は襲われた。けれどもエレクシアはここにはいない。どうしてだか、急に寂しく思えてきた。こんな事を考えてしまうのは、ここが自分のまだ良く知らない異世界だからだろうか。彼女しか頼れそうな人がいないからだろうか。ひとりぼっちだからだろうか。
伊澄はもぞりと枕を抱き寄せて顔を押し付ける。そして、自らの手をそっと股の中に滑らせて――
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