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今日もまた白い雲が流れる

作者: 夕咲 紅

 ミーンミーンと、セミたちが元気良く鳴いている。夏を象徴するその鳴き声は、ある人が聞けば風流なのかもしれないけど、あたしが聞く分にはただ暑さを強調するだけの小うるさい騒音でしかない。そんなあたしの感性を可哀想とまで言うクラスメートがいるけど、生憎とあたしはそれを残念とも思わない。言ってしまえば、これはどうでもいいこと。あたしが言いたかったことは、ようは今が夏で凄く暑いっていうことなんだから。

 そんなどうでもいい思考を巡らせながら歩く通学路。それは二年以上通い続けた高校へ向かう為の道。目をつぶりながらだって――って言うのは言い過ぎかもしれないけど、いちいち道順を考えなくたって迷うことなく高校まで行くことが出来る。それだけ通い慣れた道。いつもと変わらない風景。いつもと変わらない町並み。いつもと変わらない人並み。いつもと変わらない、あたし……

「おはよう、咲姫」

「おはよう、美紗」

 いきなり背後から肩を叩いてきた美紗に対して、あたしはいつもと変わらない挨拶を返した。

 淵野辺 美紗。クラスメートで、一番の親友でもある。高校に入ってからの付き合いだけど、三年とも同じクラスということもあってかかなり仲が良い。

 茶髪って言う程じゃないけど、少し脱色してあるストレートショートの髪は、意外ときちんと手入れしてある。あたしなんかはずぼらだから、必要最低限の手入れしかしないんだけど……あたしと同じく快活な性格の美紗だけど、その辺はあたしと違ってかなり女の子してると思う。

 小柄な美紗があたしの隣りに並ぶと、大して背が高いわけでもないのに自分が大きいんだって気がしてきてちょっとだけ滅入る。だからいつも、美紗が並んできた時は一歩だけ下がって歩くことにしている。今日もそれに漏れず、並んできた美紗を避ける様に一歩下がった。とは言え、もう慣れた作業だ。どこにも不自然さはないし、気付いてるのか気付いてないのかはわからないけど美紗も何も言わない。だから、これがあたしと美紗の普通。

「咲姫さぁ」

「んー?」

「進路、決めた?」

 あたしたち高校三年生に分け隔てなく訪れる選択の機会。進路。就職するのか、進学するのか……進学するなら、四大なのか短大なのか、それとも専門なのか……

 過半数の生徒が進路を決めてある中、あたしと美紗は進路未決定組に属している。進路どうする? 進路決めた? そんな会話はあたしたちにとって日常茶飯事だ。

「決めてない」

 って、昨日も同じ様に答えてるんだけどね。

「そういう美紗は?」

「うーん……考え中」

「そうだよね」

 落ちこぼれ。ってわけじゃないけど……

 何をしたい! 何になりたい! っていう希望がない。夢がないんだ。あたしも、美紗も。あたしたちと似た様な連中は、大体進学に決める。それも四大。将来を決めかねる人たちにとっては無難な手だろう。でも、簡単にそんな風に決めたくはない。四大に進むことによって、本当にやりたいことが見つかった時に手遅れになるかもしれない。そんな風に考えてしまうからこそ、あたしは進路を決めかねている。

 もう少しで十字路に差しかかる。然程広くもない住宅街の中にある十字路。そこを真っ直ぐに抜けると少し大きい通りに出る。そこを右に曲がって五分くらい歩いた右側にあたしたちの通っている高校がある。何の変哲もない普通の公立高校。だけど、少しは愛着みたいなものも感じている。あと半年もすれば、通う必要がなくなるかと思うと余計に……

「きゃあ!」

 あたしよりも先に十字路に差しかかった美紗の前髪を掠め、自転車が猛スピードで美紗の前を横切って行った。その瞬間、あたしの頭の中でスイッチが入った――



「美紗!」

「え?」

 唐突に叫んだことで少し驚いたのか、一瞬肩を竦めた美紗が振り返った。

 十字路に差しかかろうとする美紗の背後を、自転車が猛スピードで駆け抜けて行く。そのあまりの勢いに、美紗の髪が風を受けて乱れる。自転車が通り過ぎた音に驚いたのか、美紗が再び前を向いて自転車の去って行く方向を見やる。

「危ないなぁ、もうっ」

「美紗、大丈夫?」

「うん。咲姫が呼んでくれなかったら危なかったかもしれないけどね」

 そう言って微笑む美紗。美紗が無事なことを確認したあたしは、ホッと胸を撫で下ろした。

「それより咲姫っ。結構時間危ないよ?」

「嘘?」

「嘘なんてつかないわよ」

 そんなにギリギリに家を出たつもりはないんだけど……

 腕時計を見ると、確かにこのままゆっくり歩いてたらギリギリの時間だ。

「少し走ろうか?」

「そうだね」

 あたしたちはそんな言葉を交わして頷き合うと、ほとんど同じタイミングで駆け出した。全力疾走というわけじゃない。どちらかと言えばマラソンとか長距離を走る時のペースだ。これで高校まで行けば余裕で間に合うはず。そんな風に考えながら、あたしたちは通い慣れた通学路を並んで走って行った。



 あたしの名前は二条 咲姫。高校三年生だ。夏休みを迎える直前である今、あたしは進路というモノに頭を悩ませている。この時期にもなって進路を決めていない人間はそう多くないけど、別段おかしなことはない。どこにでもいる、普通の女子高生。ただ一つ、普通の人とは違うチカラを持っていることを除けば……

 あたしには、普通の人にはない特別なチカラがある。それは、五秒前に戻ること。それも、一日に一回だけ。戻ろうと思えば、きっと何度だって戻れるんだと思う。だけど、二回以上はあたしの身体が持たない。前に一度だけ、一日に二回五秒前に戻ったことがある。その時は貧血を起こして、目が覚めたのは一時間後だった。それからあたしは。五秒前に戻るのは一日に一回だけって決めた。

 五秒前に戻らない日もあった。戻る日の方が多かったのは事実だし、きっとこれからも同じ様な日々が続くんだと思う。あたしを取り囲む環境は変わるかもしれない。それでも、二条 咲姫という一人の人間が歩む道程は、その風景を変えることはない。ただ漠然と、そんな風に思っていた。

「二条さん」

「なんですか?」

 放課後の廊下で、科学担当の西崎先生に声をかけられたその時も、これは日常の一環なのだと思った。いや、思ったと言う程意識したわけじゃない。いつも通り。そう、いつも通りに何も意識せずに返事をした。西崎先生に声をかけられる様な覚えはなかったけど、何か生徒に頼みたいことがあって、たまたまあたしが近くにいただけなのかもしれない。後から付け加えればそんな感じだろう。

「あなた、何か隠し事があるでしょう?」

 肩にかかった髪を後ろに払う様な仕種をしながら、西崎先生はじっとあたしのことを見つめながらそんな言葉を放った。

「何のことですか?」

正直、突然そんなことを問われて動揺した。けど、必死に平静を装った。なんとなく、危機感を感じたから。我ながら結構上手く取り繕ったと思う。先生がどう受け取ったかはわからないけど……

「……まあ、隠すのが当然よね。だけど、よーく思い出してみて。あなた、私のこと知ってる?」

「はい?」

 先生が何を言いたいのかさっぱりわからない。けど……

 この人は、あたしのチカラのことを知ってる、もしくは気がつき始めている。

 隠し通さないといけない。このチカラのことは公にはしない。それが、あたしがこれまで生きてきた中で導き出した答えだから。

「意味がわからない? なら、ちょっとだけ言い方を変えるわ。私の名前、言ってみて」

「名前って、フルネームは元々知りませんけど?」

「名字でいいわ」

「西崎先生ですよね? それがどうかしたんですか?」

 ホント、何が言いたいんだろう? あたしのチカラのことを言及しに来たんだと思ったんだけど、まるでそうは感じられないことばっかり言ってくる。あたしを混乱させようとしてるのかな。

「もう一度言うわよ。あなた、私のこと知ってる?」

「何言ってるんですか? 今名前だって言ったじゃないです――か……」

 ちょっと待って。科学の西崎先生って、確か男の先生じゃなかったっけ? でも、今目の前にいるのは女の人で……でも、あたしはこの先生を西崎先生だと思ったんだよね。一体、どういうこと……?

「ちょっとは理解してくれたかしら?」

「……あなた、誰?」

 この人に対して、ますます警戒心を抱く。思わず身構えたあたしを見て、目の前の女性はくすくすと笑みをこぼした。

「何がおかしいの?」

「いえ、この時代の二条さんは結構気が小さいんだなって」

「え?」

「気にしないで。でも、そんなに警戒しないで欲しいな。わざわざあなたが気付いてない事実を教えてあげたんだから。私に敵意がないのはわかって欲しいの」

 って、言われてもね……

「信用、出来ない?」

「当然です」

 黙ったまま頷こうかと思ったけど、一応口にも出しておく。せめてもの、あたしの意思表示だ。

「まあそれもそうよね。だけど、今から言う言葉だけは信じて。あなたの持つチカラは、決して多用してはならないものよ。そのチカラは、いつかあなた自身を滅ぼすことになる。覚えておいて」

「…………」

 そう言って踵を返し去っていくその人の言葉に、あたしは何も言えなかった。

 その言葉は、きっと正しい。あたし自身が感じていることだ。だけど、あたしは――

「さーきちゃんっ」

「きゃっ」

 いきなり背後から肩を叩かれて思わず大きな声を上げてしまった。

 振り向くと、そこには幼なじみの沢渡 陽菜が笑顔で立っていた。まあ、声で誰かはわかってたんだけど。

 陽菜は、今浮かべてるみたいにすごく笑顔の似合う子だ。セミロングの黒髪はあたしや美紗なんかよりずっと丁寧に手入れしてあるみたいだし、小柄で可愛いし、明るい性格だから男子にも人気がある。それを鼻にかけないのがこの子の良い所だ。

「どうしたの?」

「それはこっちのセリフだよっ。咲姫ちゃん、こんな所で何してたの?」

「それは……」

 何て説明すればいいんだろう? 西崎先生と話してた? 違う。あの人は西崎先生じゃない。そう言えば名前聞かなかったけど、結局誰だったんだろう? まあ、名前を聞いたところで何にもならないんだけど。

「咲姫ちゃん?」

「あ、ごめん。ぼーっとしてた」

「大丈夫? 体調悪いの?」

「うぅん、そんなことないよ。大丈夫だから心配しないで」

 そう言って苦笑いを浮かべて、あたしは再び浅く思考の海に潜る。

「ならいいんだけど……あ、ところで咲姫ちゃん」

「んー?」

 あたしのチカラのことを知っている謎の女性。突然現れたその人は、まるであたしの頭の中をいじったかの様に他の人物として現れた。

「確か、まだ進路決めてなかったよね?」

「うん」

 記憶を改ざんした? あたしの認識を狂わせた? 理屈はわからないけど、あたしのチカラと同じ様に、まるで魔法みたいな何か不思議な力が働いたに違いない。もしかしたら、あの人もあたしと同じ人種なのかな……

「あたしね。東光学園に行くつもりなんだ。だから、良かったら咲姫ちゃんも一緒に目指さないかなぁって思って」

「東光学園かぁ……」

 東光学園というのは、小学校から大学まで営むマンモス校だ。この辺りでは一番大きな学園だと思う。

「陽菜は東光に行くんだ。でも、あたしにはちょっと無理かなぁ」

 やりたいことが見つからない。だけどそれを見つける為に大学に行く。それが嫌だからって理由で進路を決めかねていたあたしだけど、決して頭がすこぶる良いわけじゃない。正直、今から四大を目指せる程の学力はないと思う。

「大丈夫だよっ。咲姫ちゃん頭良いから!」

「何言ってるの。陽菜の方が成績良いでしょ」

 クラスは違うけど、おおまかな成績はお互い教えあってるから知ってる。だから陽菜の口からあたしが頭良いなんて言われると、ちょっと嫌味っぽく思えてしまう。まあ、この子にそんな気は全くないんだろうけどね。

「咲姫ちゃんが本気だしたらあたしなんか目じゃないって!」

「何を根拠にそんなこと言うのよ……」

「だって、昔は咲姫ちゃんの方がずっと頭良かったじゃない」

 えぇっと……それって、小学生の頃の話だと思うんだけど……

「あのね、陽菜。あの頃と今とを比べないでちょうだい」

 あたしが哀しくなるから。

「えーっ。咲姫ちゃんは普通に頭良いと思うんだけどなぁ」

 だから何を根拠にそんなこと言うのかしらね、この子は。

「まあ、一応考えてはみるね。まだ決めかねてるから、はっきり「うん」とは言えないけど」

「うーん……わかった。期待してるねっ」

「期待って……まあいいわ。それじゃあね、陽菜」

「うん。またね、咲姫ちゃん」

 あたしから切り出した別れの挨拶だったけど、まるで子犬の様に駆け去っていく陽菜の後姿を眺めることになったあたしは、その姿が見えなくなるまで廊下の片隅に立ち尽くしていた。

 はぁ……

 今日一日で、考えることが増えちゃったな。

 進路のこと。

 あたし自身のチカラのこと。

 あの、謎の女性のこと。

 夏休みに入る前に、どれか一つくらいははっきりとしておきたい。そんな風に考えながら、あたしも帰ることにした……



 もし過去に戻ることが出来るとしたら、貴方ならどうしますか?

 昔、何かの広告文でそんな言葉を見た。過去に戻れるとしたら。それは、あたしにとってはもしもの話ではなく、実際に出来ることだ。ただし、たったの五秒前に。だからその言葉への答えは、どうこうするってもんでもない。ってところ。その瞬間、取り返しが付かないと思ったその瞬間だけをやり直す。それがあたしのチカラで出来る精一杯だから……

 終業式を迎えた翌日、あたしは東光学園のオープンキャンパスに行く為に電車に揺られていた。吊り革と並ぶ様にいくつもある広告を眺めながらそんなことを思い出したのには、何か意味があるんだろうか? あれから、あの謎の女性は現れていない。まるで、本当にあたしに注意をしに来ただけみたい。それならそれでいいんだけど、ちょっと不安でもある。

「咲姫ちゃん。咲姫ちゃん?」

「え?」

「え? じゃないよぉ。またぼぉ〜っとして……最近の咲姫ちゃんちょっと変だよ?」

 隣りに座る陽菜のそんな言葉に、少なからずショックを受けた。

「ぼぉ〜っとしてるのは認めるけど、変はないんじゃない?」

「大丈夫っ。ちょっと変でもあたしは咲姫ちゃんのこと好きだからっ」

「いや、そういう問題じゃないんだけど……」

 ちょっと変なのは陽菜の方だよ。なんて口に出せるわけもなく、あたしは小さく溜息を吐いた。

「それで、どうかしたの?」

「うーん……別にどうっていうことはないよ。ただ、咲姫ちゃんが東光学園受けることにしてくれて嬉しいなって思っただけ」

「まだ受けるって決めたわけじゃないんだけど……」

 それを決める為にオープンキャンパスに行くんだし。って、今回は陽菜の付き添いって意味もあるけど。

「え? 違うの?」

 なんて、哀しそうに潤ませた瞳をあたしに向ける陽菜。

 何となく罪悪感……

「陽菜」

「え? 何? 受けてくれるの?」

「……あんた、意外と腹黒いわね」

「えー。そんなことないよー」

 なんて笑顔を浮かべる陽菜。ダメだ。この子には敵わないな……

「まあ、結局自分で進路決められなかったしね。このままフリーターってよりは進学の方がマシでしょ」

「やった〜♪」

 うわぁ。やっぱりこの子ちょっと腹黒いわ。小さくガッツポーズを取る陽菜を見て、そんなことを思った。

「あんたたち、ホント仲良いわよねぇ」

 陽菜のさらに隣り――あたしとは陽菜を挟んだ反対側に座る美紗が、呆れた様に半眼になりながらそんなことを言った。

「でしょでしょ〜」

 その言葉に機嫌良さそうに笑顔を浮かべる陽菜とは逆に、あたしは思わず頭を抱えてしまう。

「仲悪いとは言わないけど……って言うか、美紗今の顔怖いからやめた方がいいわよ」

「え? ホント? 気をつけなきゃ」

 と、慌てて鏡を取り出し表情を確認する美紗。もういつも通りに戻ってるけどね。

 あたしと陽菜。そして美紗の三人が、東光学園大学部のオープンキャンパスへ向かうメンバー。元々行こうとしてたのは陽菜で、あたしはその付き添いのつもりだった。美紗はさらにその付き添い。陽菜と美紗は一応面識がある程度で、そこまで仲が良いわけじゃなかったんだけど、意外と相性が良いみたい。特に変ないざこざが起きることなく、こうして東光学園に向かえているのがその証拠だと思う。

「だから、淵野辺さんの入ってくる余地なんてないんだからねっ」

 なんて言いながら美紗を睨む陽菜の顔なんて、決して見えてない。

「わかってるわよ。咲姫が沢渡さんの相手なんか全然してないってことはね」

 別に陽菜みたいな変な趣味があるわけじゃない美紗がそんなことを言うのは、陽菜をからかう為だっていうのは分かりきってる。だから、美紗は陽菜のことを嫌ってないはず。陽菜は、そんな美紗の発言を聞いてかなり敵対視してるみたいだけど……って、これじゃダメじゃない!

「あのね、美紗。お願いだから話をややこしくしないで」

「あら? もしかして咲姫、実はまんざらでもないの?」

「違うわよっ。どうしてそんな話になるわけ?」

「だって、沢渡さんのこと庇うから」

 しれっとそんなことを言う美紗。もしかして、あたしもからかわれてる?

「うん」

「ちょっと、勝手に人の思考読まないでくれる?」

「何言ってんのよ。今の咲姫の顔見れば一目瞭然でしょ」

「えー」

 そんなことないと思いたいな……

「じーーっ」

 なんて考えてたら、陽菜が口で音を出しながらあたしのことを見つめてきた。

「なに? 陽菜」

「……咲姫ちゃん、淵野辺さんと仲良さそうだね」

 美紗に対する敵意じゃなくて、今度はあたしに対して非難の目を向けてきた様だ。

「まあ、親友だからね」

「えぇ!? じゃああたしは?」

「陽菜とは幼なじみでしょ」

「幼なじみかぁ。そうだよねぇ。えへへぇ〜」

 まるで小さな子供みたいみ嬉しそうな表情を浮かべる陽菜。不覚にもちょっと可愛いとか思ってしまったあたしはきっとダメな奴だ。

「幼なじみと親友。どっちの方が仲良いのかな?」

 美紗がそんな言葉を放った瞬間、周囲の空気(主に陽菜の)が凍りついた。

「親友は仲が良い人同士のことを指すんだろうけど、幼なじみってあくまでも小さい頃から面識がある人のことよね? ということは、咲姫にとって沢渡さんはただの旧知の友人?」

「違いますー! あたしと咲姫ちゃんは仲の良い幼なじみなんですぅ!」

 なんだか、だんだん陽菜が幼児化してる気がするんだけど……

「そうなの? 咲姫」

「まあ、仲悪くはないけど……」

 あたしに何と答えろと?

「そうだよねっ? そうだよねっ。あたしたち仲良しだよねっ」

「う、うん」

 あたしの両手を掴んでぶんぶんと縦に振る陽菜の勢いに気負わされながらも、何とか頷いた。一応言っておくと、勢いに負けて頷いたわけじゃない。あくまでも、勢いそのものにちょっとびっくりしただけ。そんなあたしと陽菜の様子を見ながら、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる美紗。あの子、将来悪女になる気がする……



 そんなほのぼの? とした会話を楽しみながら、あたしたちは東光学園へと向かった。

 電車の最寄り駅を降りてからは、学園内まで行く市営のバスがあるらしく、あたしたちはそのバスに乗った。バスの中では電車の時程騒がずに、それでもそれなりに会話を楽しみながら――

 あたしたちの小さな旅は、目的地に着いたことで一時の終わりを迎えた。



「あたし、大学は無理かも……」

 オープンキャンパスを一通り終えた頃、学園内にある喫茶店のテラス席でそんな言葉を呟いたのは、この中で一番進学を考えていないはずの美紗だ。

「講義、難しかったもんね」

 少なくとも、今のあたしたちには難しい内容だ。

「今日はあたしたちみたいなのが来るの分かってるんだから、もう少し簡単な内容にしてくれてもいいのにね」

「そうね――って、それじゃ意味ないでしょっ」

 思わず頷きかけたけど、間違いに気付いた瞬間思わずツッコミを入れてしまった。

「でも、サークルとかは楽しそうだったけどね」

「そうね。それは納得」

 でも、本気で打ち込めるモノがあるなら、その内容が何であれ楽しいんだと思う。まあ、この場合楽しいの意味合いが違うかな。

「あたしは、やっぱり講義も楽しいと思うよ。今までとは全然違うでしょ。学びたいことを、深くまで学んでいく。それってやっぱり凄いことだと思うし、自分がそんな風に勉強できたら楽しいと思う」

「うん。それも一つの答えだよね」

 陽菜の出した答えは、どちらかと言えばあたしの考えに近いものだと思う。

 結局、あたしがどんな答えを出すのか……それはまだわからない。だけど、大学生活もそんなに悪くはないんじゃないかって、今はそう思える。

「ま、あたしは専門に決めたんだけどね」

『え!?』

 美紗の突然の言葉に、あたしと陽菜の声がキレイにハモッた。

「いつ決めたの?」

「なら何で着いてきたの?」

 またもあたしと陽菜の声が重なる。それを見た美紗は苦笑を浮かべながらゆっくりと口を開いた。

「まず咲姫の質問。答えは終業式――まあ昨日ね。先生と話して、色々考えたけど決めたの。次、沢渡さんの質問。答えはあなたたちをからかいに――って言いたいところだけど、ホントはちょっと違う理由。あたしが行こうとしてるとこ、専門って言っても結構厳しい試験があるから……多分、夏休みは遊べない。って、受験生はそれが普通なんでしょうけどね。だから、受験が終わるまでの最後の休みとして着いてきたってとこかしらね」

 さっきまでと変わらない、苦笑めいた笑みを浮かべながら、少しだけ哀しそうな表情でそんなことを言う美紗。

 そっか……美紗は、自分で自分の進む道を見つけてたんだね。うん。良かった。

「おめでと、美紗」

「ありがと」

 たったそれだけの会話。だけど、あたしたちにとってはそれだけで十分だった。

 陽菜はどこか釈然としない表情をしてたけど、特に口を挟むつもりはないらしい。ちょっとだけしんみりとした空気が流れる――

「さて」

 そんな空気を一蹴する様に、美紗が少し大きめな声を上げた。ちょっと意地悪なとこはあるけど、すごくいい子だと思う。

「それじゃあ、オープンキャンパス最後まで楽しみましょうか」

 本来は楽しむ為に来てるわけじゃない。だけど、決して間違いではないその言葉に、あたしも、そして陽菜も頷いた。

「それじゃあ行こっか」

「うん」

「そうだね」

 続けて言った美紗の言葉に、陽菜とあたしがそれぞれそんな風に答えた。

 それからあたしたちはオープンキャンパスの残り(学園の説明会みたいなのがあった)を空いている講義室で受けて、東光学園を後にした。三人で遊びに行こうかっていう話にもなったけど、美紗がこれ以上楽しいと夏休みが恋しくなるからって言って、そのまま解散という流れになった。とは言っても、帰る方面は同じだから、来た時と同じ様にバスに乗って、その後は電車に乗って、あたしたちの町までは一緒に帰ってきたんだけど。

 駅からは三人ともばらばらだった。もちろん、そのことは最初から分かってはいたけど……

 何となく、あたしはすごく哀しい気持ちになった。それは、楽しさの後に残った感傷なのか、それとも、親友に置いていかれているという気持ちからくるものなのか……

 それははっきりとは分からない。だけど、とにかく哀しいって感じた。涙を流す程じゃない。それでも、確かに――

「帰ろ」

 美紗も陽菜も、もうこの場所にはいない。あたしだけが、一人ぽつんと駅前に残っている。東光学園を出る時には落ち始めていた日は、既に完全に落ちている。駅前だからなのか周囲は明るいけど、空を見上げれば今が夜なんだってはっきりとわかる星空が見える。って、言う程星が見えるわけじゃないんだけどね。

 ……あたし、誰に言い訳してるんだろう?

 また、何となく哀しい気持ちになってくる。今度はさっきみたいな感傷じゃない。すごく情けない理由からだ。

 自己嫌悪しながら、先程呟いた自分の言葉に従う様にあたしは足を動かし始めた。

 帰って寝よう。

 そんなことを考えながら、あたしは帰路を行く。明日になれば、さっき感じた哀しさなんて忘れられてるといい。それがただの希望的観測でしかないことを頭のどこかで理解していながら、それでもそう思う。

 あたしは、弱い人間だ。

 あたしは、卑しい人間だ。

 あたしは……

 ふと足を止め、夜空を見上げる。ぽつりぽつりと輝きを放つ星たち。あたしも、あんな風に光りを放つことができるのだろうか。

「……はぁ」

 思わず、深く溜息をつく。

 自分ができることを、できる範囲でやればいい。ただそれだけだ。ずっと、そう思ってきた。これからも、ずっとそう考えていけると思ってた。はずなのに……

 今は、自分がどうすればいいのかわからない。自分に何が出来るのかさえわからなくなってしまった。気がつけば、夜空を見上げる瞳から涙が滲み出てきていた。

二条 咲姫という一人の人間の可能性。一体、それがどれだけちっぽけなものなのか――それを思い知らされた気がした。

とぼとぼとした足取りで再び帰路を行き、家に着いたあたしは夕食も取らずにそのまま眠りについた。これ以上余計なことを考えない様に。これ以上、あたしの心が傷を負わない様に。深く、深く……














 夏休みも中頃、ようやく大学に進学することを決めたあたしは受験勉強の為に近くの図書館までやってきていた。特に勉強する場所にこだわりはないけど、やっぱり定番というか、集中はしやすい場所だと思う。だからこそこうしてやってきたわけだけど……

「あら、奇遇ね?」

 あたしのチカラのことを知るあの謎の女性が、笑顔を浮かべながらわざとらしくそんな言葉をかけてきた。

どうして、この人がこんな場所にいるんだろうか? もしかして、あたしのことを追ってきた? ストーカー?

「言っておくけど、別にストーカーってわけじゃないわよ?」

 えっと……この人はあたしの心の中が読めるんでしょうか? って、そんなわけないか。

「ちなみに、別にあなたの心の中を読んだわけでもないわ。ただ、あなたがどう思ったのかを知っていただけ」

 ……何を言ってるのかよくわからないんだけど……

「あなたが、今日こうしてここに受験勉強をしにくることもね」

「…………」

「さて。一つ聞かせて欲しいんだけど、あれからチカラは使ったのかしら?」

「使ってないですけど?」

 それが何? とでも聞き返す様に言葉を返す。いまだに、この人の真意がまったくわからない。

「そうでしょうね。貴方自身が、そう言っていたのだから」

「?」

 相変わらず何を言っているのか分からない。思わず首を傾げてしまったけど、目の前の女性はそれについて特に何も言ってはこない。ただ、彼女が言おうとしていた言葉を続ける。

「わざわざこうして会いにきたのは、もちろんそれなりに理由があるからなんだけど……聞きたい?」

 そんな彼女の言葉に無言で頷く。会いにきた理由というより、知りたいのは彼女の真意。一体、何の為にあたしの前に現れたのか。何の為にあんな忠告をしたのか。それが、知りたい――

「これから先――夏休みの間に、何度かチカラを使う機会がやってくるわ。だけど、この夏休みの間はチカラを使わないで欲しいの。いえ、出来ればこれから先も出来る限り」

「どういうこと?」

「あなたのチカラは、ただあなたが過去に戻っているだけのものではないのよ」

 ますます意味がわからない。思わず聞き返しそうになったけど、彼女が言葉を続ける気配を察して何とか言いかけた言葉を飲み込んだ。

「時間っていうのは、常に流れているものよね。あなたは、その時間の流れを捻じ曲げることで五秒前に戻っているの。いえ、戻るという言い方自体が間違っているのよ。あなたが進んだ五秒を――その時間の流れをなかったことにしているのよ。あなたのチカラは……それが何を意味するかわかるかしら?」

 そんなの、わかるわけがない。首を横に振る。けど、ハッキリとは振れなかった。それは、頭では理解できないけど、何となく彼女の言っている意味が理解できたからかもしれない。

「そうね……時間の流れを一本の直線だとすると、その進行を無理矢理曲げて五秒まで戻して、また同じ五秒の線を隣りに引きなおしているのがあなたのチカラの在り方。そうして捻じ曲げられた時間の線は、少しずつ歪んだ線になっていくの。その負荷が限界を迎えた時、世界はその捻じれを正そうとする。その結果何が起きるかは定かではないけど……現象としては推測できるわ。今まで捻じ曲げた分だけ、時間を早送りする。それが、私たちが導き出した答えよ。いつ、何の時間が進むかはわからない。何が起きるかわからないというのはそういうこと。これは推論だけど、時間が早送りされたことがわかるのは多分あなただけ。だから、もしかしたら早送りされたって特に問題はないかもしれない。でも、もしもその早送りが局部的なものだったら……? 例えば、休火山の活動時間が早送りされたとする。そうなるとあなたの体感なんて関係なく、休火山が急に噴火する可能性がある。例えば、走っている車の時間が早送りされたとする。それがもし、道沿いに進むだけじゃなく、真っ直ぐ走っている時間そのものが早送りされたとすると、その車はカーブや壁にぶつかるかもしれない。そうじゃなくても、前の車にぶつかるかもしれない。これはあまりないとは思うんだけど、一人の人間の生命活動そのものが早送りされる可能性だってゼロじゃない。どれだけの時間かにもよるけど、赤ん坊が急に大人になったりするかもしれないわ。あなたのチカラは、そういった危険性をはらんだものなの。私は、その危険性をあなたに伝える為に来たのよ」

「…………」

 言葉を失った。理屈は分からないけど、彼女の言う様な危険性があるんだとしたら、キリがない程の例が挙げられる。大したことのない、小さなチカラだと思っていたのに……

 彼女に突き付けられた言葉は、これまで使ってきたチカラさえも不安に思えてくるものだ。まだ限界はきてないんだろうけど、それでも間違いなく負荷はかけてきたはず。あたしは、今までに何回五秒前に戻った? その分の時間がどこかで早送りされたら? 局部的な早送りじゃなくたって、十分に危険はあるはずだ。例えば、夏休み前に美紗が自転車と衝突しそうになった。あの時はとっさに五秒前に戻ったけど、逆に五秒先に進んでいたとしたら……普通に歩いていたはずの美紗が、気がついたら自転車と衝突してる。なんてこともありえるかもしれない。そう思うと、チカラを使うのが怖くなってくる。だけど……

 あたしは、チカラを使うか使わないかを選択していない。考えるよりも早く――そんな風に習慣がついてしまっている。つまり、意識してチカラを使わないことを選択しなければならないということだ。それは、もの凄く難しいかもしれない。だけど、やるしかない。やらないと、大変なことになるかもしれないんだから……

「理解してくれたみたいね?」

「……一応」

「ならいいわ。私から言えることはそれだけよ」

 そう言って、目の前の女性は満足そうに頷いた。

「ねぇ」

「何?」

「あなた、一体誰なの?」

 それは、ずっと感じていた疑問。あたしのことを――あたしのチカラのことを、あたしよりも知っている。一体、この人は何者なんだろう……?

「あなたが私のことを知る必要はないわ。もし世界が正常に保たれるなら、この先私とあなたが出会うことはないんだから」

「どういうこと?」

「今のあなたは知らない方がいいわ。それじゃあ、願わくば私とあなたの出会いがないことを――」

「ちょっと待って!」

 わけの分からないことを言って踵を返した彼女に向かって叫んだけど、背中越しに手を振るだけで立ち止まる気配はない。走って追いかければ簡単に追いつける。だけど、あたしはそうはしなかった。例え追いついたとしても、彼女はこれ以上何も語ってはくれないと理解したからか、それともこれ以上何かを知ることが怖かったからなのか……

 ただ、この夏に彼女と会うことはもうないんだと、それははっきりと理解できた。













 夏休みが進むに連れ、彼女の言っていた言葉は現実となった。

ある日には、車に轢かれそうになった子供がいた。いつもなら考えるまでもなく五秒前に戻っていたけど、あたしは一瞬だけど悩んでしまった。あたしが抱えていた不安は無意味なもので、ただ少し悩むだけでチカラは働かなかった。その瞬間に後悔しそうになったけど、轢かれそうになった子供は無事だった為あたしは安堵の息を漏らした。

 ある雨の日には、車に泥水をかけられた。大したことじゃないけど、これもいつもなら五秒前に戻って防いでいただろう。

 ある風の強い日には、取り込もうとした洗濯物が風に飛ばされてしまった。これだっていつもなら五秒前に戻ってる。結果的に、飛ばされたタオルは家の直ぐ近くに落ちた為直ぐに拾いに行って事なきを得た。

 他にも、あまり大きな出来事ではないけど色々なことがあった。そのすべてを、あたしは五秒前に戻ることなく過ごした。もしかしたら、これから先あたしが五秒前に戻ることはもうないのかもしれない。そんな風にも考えたけど、きっと戻る時が来ると思う。何となく、そんな予感がした。

 そうして夏休みが過ぎていき、今日はもう最終日。しかも昼過ぎ。明日は始業式で、明後日からは一応授業が始まることになっている。とは言っても、受験組を考慮したカリキュラムになるらしい。出遅れ組のあたしとしては助かるけど、実際どうなの? って気もする。就職組とかはほとんど娯楽に時間使えたりするみたいだし。って言うのは去年先輩に聞いた話だから、今年も同じとは限らないんだけど。

 なんて考えていると、机の上に置いていた携帯が鳴り出した。受験勉強の合間にベッドに横になっていたあたしは、ベッドのスプリングを利用して身体を起こした。携帯を手に取ると、ディスプレイには美紗の名前が表示されていた。

「もしもし?」

『やっほ、咲姫。今へーき?』

「大丈夫だけど、どうかしたの?」

 夏休みの間は忙しいと公言していた美紗からの連絡は、その言葉の通り今までなかった。美紗の声を聞くのは始業式の日かと思ってたんだけどね……

『ちょっと頼まれ事しちゃってさ』

「頼まれ事?」

『そうなの。うちのクラスの橘って分かる?』

「橘? えっと、あのメガネかけた優等生君?」

『そうそう。成績学年一位の橘 涼太』

「まあ、一応クラスメートだし顔と名前は知ってるけど……あんまり話したことないし、よくは知らないかな」

『そっか。実はね……橘とあたしって幼なじみなんだけど……』

「え!?」

 美紗はまだ何か言いかけてたけど、思わず変な声を出してしまった。だって、そこに接点があるなんて思ってなかったんだもん。しかも幼なじみって……

 思わず一瞬で色んな想像をしてしまった。誰にも言わないけど。

「ごめん。続けて」

 何となく無言のプレッシャーを与えてきた美紗にきちんと謝っておく。

『橘が、咲姫と二人っきりで話がしたいから呼び出してくれってあたしに頼んできたのよ』

「え!?」

 今度のはもっと単純な驚き。と言うより、直ぐには言葉の意味が理解出来なかった。そんなあたしの心情など関係なしに美紗は言葉を続ける。

『まあ間違いなく告白よね』

「何でそんなに嬉しそうなのよ?」

『だってねぇ……あいつがそんなこと言い出すなんて全然思ってなかったから、ちょっと嬉しくてさ』

「嬉しがる様なことなの?」

『そりゃあそうよ! だって、あの橘が! って、まあ昔の話するとあいつ怒るだろうから止めておくわ』

「そこまで言われると気になるんだけど……」

『だったら本人に直接聞きなさい。もしかしたら嬉々として話すかもよ?』

 そんなことはないと思う。

『それはそれとして、会うの? 会わないの?』

「……出来ればパス」

『何でよ?』

「だって、橘君のこと良く知らないし。特に興味もないから」

『ああそっかぁ、咲姫には沢渡さんがいるもんねー。あの子は難関だなぁ』

「何言ってるのよ……」

『まあ、会うだけ会ってやって欲しいのが本音だけど、咲姫が本当に嫌なら無理強いはしないわ。で、どう?』

 すっごく会わせたさそうなんだけど……

『ああそうだ。それに、あいつ頭良いから勉強教えてくれるわよ? 受験生の咲姫にはもってこいじゃない?』

「そういうので恋人って選ぶものじゃないと思うけど?」

『それは人によるんじゃない?』

 それもそうか。何にしても、全然気は乗らない。美紗には悪いけど、やっぱり断ろう。

 そう思って口を開こうとした瞬間、美紗の口から信じられない言葉が発せられた。

『そう言えば、五秒って言えば会う気になるって言ってたわね。たったの五秒で何話すつもりなんだか』

 その言葉の意味を瞬時に理解したあたしは、思わず出そうとしていた言葉を飲み込んだ。

 五秒。それは決して会う時間のことなんかじゃない。橘君は、あたしのチカラのことを知ってる……?

 また一つ、解決しなければならない問題が増えた気がした。あたしが今出来ること。それは……

「わかった。橘君と会ってみる」

『ホント?』

「うん。それで、いつどこに行けばいいの?」

『今日の夕方五時に、教室で待ってるって』

「わかった。ありがと」

『いいえ〜。それじゃあ、頑張ってね! また明日』

「うん」

 何を頑張るのかはよくわからないけど、とりあえず頷いておいた。

 あたしは携帯を切った後、ベッドに倒れこんだ。

 橘 涼太、か……

 何を言われてもいい様に覚悟を決め、あたしは学校まで行く準備をすることにした……



「来てくれたんだね」

 まるで来てくれないかと思った。みたいな彼の言い方に、あたしは少しだけ不快を覚えた。

「来ないなんて思ってなかったくせに」

 彼――橘 涼太に呼び出されて、あたしは夏休み最後の日に学校へとやってきた。ここはあたしと彼が明日からまた足を運ぶことになる自分たちの教室。

 夕方五時。なんて美紗は言っていたけど、夏の五時じゃまだ夕方と呼ぶには少し早い。その証拠に外はまだ明るい。でも、自分はここにいるというアピールのつもりだったのか、教室の電気はあたしが来た時にはもう点いていた。予想はしていたとは言え、全く迷うことなくこの教室に足を運んだのは電気が点いていたからというのも確かな理由だ。

「そんなことはないよ。美紗が正確に僕の言葉を伝えてくれるとは限らないし、伝えたとしても君は来ないことを選んだかもしれない」

 多分、そんな風には思っていない。きっと彼は確信を持っていたに違いない。少なくとも、あたしにそんな風に見える。

「それで、わざわざ美紗に頼んでまで呼び出して何の用?」

「案外せっかちなんだね。もう少し冷静な子だと思ってたんだけど」

 わざわざ挑発してくる様な物言いに、あたしの不快指数は益々上がる。だけどここで食ってかかるわけにはいかない。彼がどこまで知っているのか分からないし、どうやって知ったのかも分からないんだから。

「あなたと違って頭が良くないものですから。あたし、一応受験生なんだけど?」

「一分一秒が惜しいって? そんなタイプには見えないけど?」

 それはその通りなんだけど……

 悔しいけど何も言い返せない。あたしに出来ることは黙ったまま続きを促すことだけだ。

「まあいいさ。誰か来ないとも限らないしね。さっそく本題に入るとしよう」

「是非そうして欲しいわね」

 あたしのせめてもの反撃を苦笑で返し、橘君は一呼吸置いてから衝撃の告白をしてきた。

「僕はね、人の五秒先を視ることが出来るんだ」

「え?」

 その言葉の意味を理解出来ず、あたしは思わず聞き返す。

「どういうこと?」

「意識を集中して相手を見ると、視界とは別に映像が頭に浮かぶんだ。最初はただの思い込みだと思っていたけど、このチカラが本物だと確信したのは中学生の頃かな。まあ、大して役に立たないチカラではあるけどね。それでも君の異質には気付けた。今までで一番役に立ったんじゃないかと思うよ」

 そんな言葉と同時に苦笑を漏らす橘君。

 その苦笑が何を意味しているかは分からないけど、とりあえず誰かに聞いたとかそういうことじゃないらしい。もちろん、橘君が嘘をついてる可能性だってあるわけだけど。

「あたしが異質って、どういうこと?」

「二条さんの未来だけは、何度試しても視れないんだ。まるで五秒先の未来が決まっていない様に」

「でも、未来なんてそもそも決まりきったものじゃないんじゃないの?」

「そうでもないよ。少なくとも、僕から視た他人はね。と言うより、僕が視れるのは確定した未来だけなのかもしれない。まあどちらにせよ、二条さんの五秒先は常に未確定だっていうことなのかな?」

 橘君の紡いだ言葉は、十分過ぎる程に的を得ていると思う。五秒前に戻れるあたしの五秒未来は、きっと常に未確定なんだろう。

「結論。二条 咲姫という女の子は、五秒前に戻ることができる。それが僕が出した推論だ。どうかな?」

「…………」

 どう答えるべきだろうか。橘君のチカラが本当だとは限らない。不用意にあたしのチカラのことは明かすべきじゃない。だけど……

 何となく、橘君からはあたしを騙そうとしてる雰囲気は受けない。信じてしまいそうになる、不思議な空気を持っている。

「正解――って、夏休みに入る前なら言ってたかもね」

 話してもいい。そんな風に思ってしまった。誰かに話すことで、重荷が軽くなる気がしたから……

「どういう意味?」

「夏休みに入る前までは、あたしも自分のチカラのことをそう解釈していたわ。だけど、そうじゃないんだって教えられたのよ」

「……誰に?」

「名前は知らない。だけど、あの人の言葉が嘘じゃないのは理解出来た。だから、あたしのチカラは五秒前に戻ることじゃない」

「それじゃあ一体、君のチカラって何なんだ?」

 さすがの秀才君も、そこまでは想像出来ないらしい。まあ、それも当然よね。だって、あたしのチカラは――

「時間の流れそのものを、五秒前に戻すもの」

「なっ……」

「それがあたしのチカラよ」

 さすがに驚きのあまり言葉を失う橘君。あたしのチカラを知って、どんな反応をするんだろう? 橘君が言葉を発するのを待つ。

「それは、時間が流れていくっていう概念ごと巻き戻してるってことかな?」

 橘君から発せられた言葉は、あたしのチカラに対するさらなる探求の言葉だった。

 どうしてそこまであたしのチカラにこだわるんだろう? 橘君も普通の人にはないチカラを持っているから? それとも、彼なりの知的好奇心というやつなのだろうか?

「あたしにチカラの在り方を教えてくれた人は、時間の流れを一本の線だとしたら、それを無理矢理曲げて五秒前から線を引き直しているのがあたしのチカラだって言ってたわ」

「……なるほどね」

 何か思案する様に腕を組んでいる橘君が、とりあえずといった感じであたしの言葉に頷いた。まだ何か考え込んでいる様で、難しそうな表情をしている。

「それってさ、もしかして最終的に曲がった線が直線に戻ろうとするとかって話になってる?」

「えっ?」

 あたしは思わず自分の耳を疑った。それはこれから話そうと思っていたことであり、あたしが今一人で抱えている一番大きな悩み。それを説明する前に言われて驚かないわけがない。

「違った?」

「うぅん。でも、どうして……?」

 どうしてその答えに行き着いたのか? それを最後まで言葉にはしなかったけど、多分意味は通じたはず。

「昔、そういう内容の本を読んだことがあるんだ。まあ、本の中身はあくまでも仮説や可能性の話だったけどね」

 そう言って苦笑を浮かべる橘君。だけど、あたしのチカラのことだって可能性の話に過ぎない。でも、本になるくらいに可能性としては挙げられるんだ……だとすると、ますますもうチカラを使わない方がいいのかもしれない。

「ところで、一つ疑問なんだけど」

「何かな?」

「橘君が五秒先を視ることが出来るとしても、あたしが五秒前に戻るっていう能力とは限らないじゃない? なのになんであんな伝言を頼んだの?」

「まあ、その辺は勘に近いかもしれないけど……最初に言ったじゃないか。僕の伝言を正しく聞いたとしても、君は来ないことを選んだかもしれないって。つまりは、ただの憶測だったってことさ」

 笑みを浮かべながらそんな風に答える橘君を見て、あたしも少しだけおかしくなった。

 そんな橘君の笑顔はどこか魅力的で、多分あたしは彼に惹かれ始めていたんだと思う。

 あたしと同じ、普通の人にはないチカラを持ちながらも、あまりに普通な青年である橘君に……













 気がつけば、夏ももう直ぐ終わる。

 思い返せば、今年の夏は色々なことがあった。

 あたしのチカラのこと。

 進路のこと。

 橘君のこと。

 今までのあたしとは違う生き方、違う考え方をする様になり、周りに見える風景も少しだけ変わった。

 あれから、あたしは一切チカラを使っていない。今のところは使う機会もないし、何よりも使うことが怖くなったということもある。

 残暑にはまだ少し早い、二学期の始め。放課後になると、あたしは学校の図書室で受験勉強に励んでいる。その隣りには、教師役として橘君がいる。

「まさか、本当にそんな流れになるなんてね」

 とは美紗の言葉。

 厳密に言えば、あたしと橘君は美紗の考えている様な関係ではない。あたしが彼に抱いている想いは、それに近いけど違うモノ。彼があたしにどんな感情を持っているかは分からない。多分、今は同じ悩みを抱える友達って感じの関係。それは苦ではないし、少なくとも今はそれ以上を求めてもいない。心地よい関係だと言える。

 ミーンミーンと、窓の外からはセミたちの声が聞こえてくる。夏休み前よりも明らかに数が減り、その鳴き声も心なしか弱々しくなった様に思える。それでも、彼らは自分たちの存在を感じる為に、精一杯生きる為に鳴く。そんな彼らの姿さえ、少し前のあたしには眩しく見えたんじゃないかと思う。目標もなく、ただ生きる為だけに生きてきたあたしだったけど、今は違う。あたしのチカラを知る女性と会って、橘君と話す様になって、あたしにも明確な目標が出来た。

「超能力の研究、ねぇ……」

 日本の大学に、そういったことを専攻している大学はないらしい。それでも、科学的な見解からそれらに近づくことが出来るかもしれない。あたしが出した答えは、そんなものだ。

「後は、そういう関係のサークルに入るか……なければ、自分で作るつもり」

 あたしたちのチカラを知ること。それがあたしの目標。なぜこんなチカラを持っているのか、どんな理屈でチカラが働くのか。その全てを明らかにする。そうすることで、あたしたちと同じ様な苦しみを持って生まれてくる子たちを救えるかもしれない。何よりも、あたし自身が安心することが出来る。

 ただ怯えているだけじゃいけない。自分から、自分自身の持つチカラに歩み寄らなければ。ただチカラに翻弄されるだけの人生なんて価値がない。あたしたちだって、人並みに幸せになる権利を持っているんだから。

「今日はもう帰ろうか」

 一通りの勉強を終えた頃、橘君がそんな言葉を発した。外を見れば、ほんのりと少しだけ空が赤みがかっていた。

「そうね」

 あたしは彼の言葉に頷き、荷物を片付け始める。それに倣ってというわけじゃないけど、橘君も荷物をまとめ始めた。

 二人とも大した時間をかけるでもなく片付け終え、一緒に図書室を後にする。

 特に会話もないまま、あたしたちは校門まで辿り着いた。

「二条さん、どっち?」

 それは帰る方向のことだろう。「あっち」と校門を出て左の方角を指差した。

「じゃあ、逆方向だね」

 少しだけ哀しそうな表情を浮かべて、橘君がそんな風に言った。そんな表情をするなんて意外だったけど、それ以上にあたしも残念に思ってることに驚いた。そんな気持ちを隠す様にあたしは言葉を紡ぐ。

「そういえば、一緒に帰るのって初めてだったね」

 だからこそ、お互いの帰る道を知らなかったわけだけど。

「そうだね。大体、僕に用事があって先に帰ってたからね」

 勉強を見てもらってるあたしとしては、彼が途中で帰ったところで文句は言えない。と言うか、本当に十分過ぎる程力を貸して貰ってる。学年一位の成績は伊達じゃない。

「忙しいみたいなのに、いつもつき合わせてごめんね」

「気にしないでいいよ。好きでやってることだから」

 好きでやってるって……それは、どういう風に解釈すればいいのかな? でも、それを尋ねる勇気はない。

「じゃあ、ありがとう」

「どういたしまして」

 どうやら、あたしの回答に不満はなかった様だ。橘君は、笑顔でそんな言葉を返してきた。

「それじゃあ、また明日」

「うん。また明日」

 手を振りながら踵を返し、そのままあたしの帰路とは反対方向に歩いていく橘君。あたしはそんな橘君の背中を見送り、その姿が見えなくなってから深く溜息を吐いた。

 目標は出来た。だけど、相変わらず悩みは尽きない。

 現状で満足しているあたしと、今以上を求めるあたしがいる。それでも生きていく。一ヵ月前のあたしとは違う。だけど等身大のあたしで。二条 咲姫という人生を歩んで行く。

 ――ふと、空を見上げた。

 吸い込まれそうな程に広大な空。赤く染まりつつある、哀しみを帯びた空。

 まるでその空は、あたしの心を映しているかの様だ。ただただ広く、広大な心の中を哀しみが広がっている。それでも、ほんの少しの希望が流れる様に――



 今日もまた、夏の空を白い雲が流れていく。


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