第97話(アーダの泉に行こう12/憩い8)
[九十七]
やっと諦めがついたようである。夜も遅かったので、眠気に襲われたアスピスが一足先に2階へ上がって、寝着に着替えると、エルンストの布団を選んで眠りに就いても、エルンストはそれに対してなにも言わずに布団へ潜ってきて、アスピスを抱き込むようにして眠りに就く。
そして、朝になると目を覚ましたアスピスが、顔を上げると、エルンストの視線とかち合った。
「今日は早かったな。昨日一昨日と馬車で移動したから疲れただろ」
「いつもと違う馬車で面白かったよ。あと、速度が少し早かったよね」
「あぁ。もうちょっとアネモスに早く走ってもらっても大丈夫そうだな」
「うん」
アスピスは大きく頷き返すと、布団の中で伸びをして、エルンストの腕の中からすり抜けていくと、布団から出て衝い立ての方へ向かって行く。
未だみんな寝ているため、足音は極力させないように気を付けて、衝い立ての後ろへ回り込むと、寝着から膝丈のワンピースに着替える。
びしょ濡れになっているお気に入りのワンピースを目にして、洗濯方法をフォルトゥーナかアンリールに訊かなければと、アスピスは思い出す。
しかし、それはみんなが起き出してからの話しである。
アスピスは着替えが終わると、再びエルンストの元へ戻って来ると、布団の中へ入り込む。
「起きるんじゃなかったのか?」
「みんな寝てるから、もう少し寝ることにしただけ」
アスピスは正直に答えると、エルンストにぴたりとくっつく。そして、寝心地のよさそうな体位を見つけると、そのまま目を瞑ってしまった。そんなアスピスの頭を撫でつつ、エルンストも目を閉じると、共に二度寝を開始する。
そして、2人が次に目を覚ました時には、周囲が起き出し始めていた。
起きるのにちょうどよい時間だったようである。
先に動き出したアスピスを解放し、それに続くようエルンストが起きると、その場で寝着から普段着へ着替えてしまう。
「アスピス、ちょっと手を見せろ」
「え? うん」
言われるままにエルンストの元へ戻っていくと、左手を差し出す。すると包帯を解かれ、テープを外してガーゼを取り除かれる。
「炎症も起こしてなさそうだな」
「もう、ズキズキもしないよ。糸で突っ張るけど」
「もう少し我慢しろ。最低でも1週間はおかねぇとせっかく縫ったのに傷口がくっつかないぞ」
「えー。1週間も」
「怪我したお前が悪い。しかも、回復魔法で治らないほど深く切ったんだろ。自業自得だ」
「そうだけど」
「この間は、事情もあったし見逃したが、今日は水につけるなよ」
エルンストは注意しながら、治療キットを取り出すと、消毒をして化膿止めを塗ると、ガーゼを被せテープで止めると、包帯を巻き直してから、アスピスの手に包帯を巻いていく。そして包帯止めを差し込んだ。
朝食を済ませ、みんなで片づけを終えると、食後のコーヒーが用意される。
みんなはそれぞれコーヒーを手に取り、リビングへ向かって行き、適当な場所へ腰を落とす。
今回はゆっくり泉で遊んでいく予定だったので、みんな焦ることなく、食後の休憩をのんびりとってから、水着に着替え始めた。
アスピスはそれをぐっとこらえながら、アンリールとフォルトゥーナの着替えをしばらく見つめていたが、諦めてアネモスに寄りかかるようにして横たわる。
男性たちの着替えが終わるまで、1階は立入禁止とされているのだ。
そのため、形ばかりではあるが、藤の衝い立ての後ろで着替えを終えたアンリールとフォルトゥーナも、アネモスの傍で腰を落とすと横座りしてみせた。それがまた、2人とも艶っぽくて魅力的なことに、アスピスは自分とついつい比較してしまう。
普段、この2人以外にも、シェリスやシェーンという美女を見ているのだ。
(絶対に、エルンストって。っていうか、みんな、目が肥えているよね。あたしが大きくなったら、がっかりされそうだな)
みんな人間なのに、なぜにこうも美女が揃うのだろうか。
シェーンを加えていいのか、そこはちょっと疑問だが。
シエンの体には、秘石が六芒星になるような配置にて体内に埋め込まれていて、いつでも結界オーラが生み出されシエンの体をそれらが覆うように設定されていているらしい。しかも、その秘石には常時マナが満たされるよう頻繁に補充されているという。そして、六芒星が発動すると同時に自然に周囲に二重の円が描かれ、精霊語で、シエンが女性だったならばこんな風に育っていただろうという条件が、肉体変化付きで記入されるように設定されているそうだ。その上で、ピアスに女性に変化するための幻術が、解読されづらいように複雑なレシピにて封じ込まれているそうだ。
男女の姿の切り替えは、幻術が封じ込まれているピアスを回転させることで、行われるらしい。
現在、そのための精霊術のレシピや結界オーラに記されている条件の補修やマナの補充をアンリールが担当していた。そのうち、特殊なマナを持っているアスピスが、その役目を担うことになるらしい。
ちなみに、術的に、肉体変化を伴う幻影は、まったく異なった存在にする方が難しいのだ。性別を異ならせたらこんな風に育っていただろう。と、シエンを基準に変化させる方が、簡単なのである。その上、まったく異なった存在にするよりも、精密さも上回るのだ。
そういう理由もあって、シェーンの姿は、シエンが女性であったならばという条件で女体化しているので、美女の数に入れてもおかしくはないよう思えるが。本体が男だと思うと、やはり数から抜いておくべきか、その辺は悩むところである。
ちなみに人間ということで、魔族や聖族のような妖しい雰囲気はないのだが、シエンもイヴァールもカサドールもノトスもシュンテーマも非常に顔が整っていて美形という単語を使うことに抵抗感が生まれてくることはない。しかも、シエンは元から女性よりの顔の作りをしているため、美形というより美人と表現した方が正しい感じであった。
そのため、アスピスの周りは、美女と美人と美形で埋め尽くされていた。
瞳の保養にはなるが、自分の将来を思と、不安も高くなるというものである。
王国付きになるためには、顔の審査も通らなければならないのではないかと、本気で疑いたくなってしまう。
(でも、顔の審査なんて本当にあったら、あたしは将来ポイっとされちゃいそうだよね)
今は子供だからで済まされているが。成人し顔がはっきりしてきたら、絶対にこの集団の中にいたら浮いてしまう自信があった。
しかも、全員スタイルがいいのだ。女性としても、男性としても。
これはもう、モテて当然だと言いたいくらい、みんな完璧なのである。
(あー……、今日もみんながナンパされているところを眺めなくちゃならないわけかぁ)
そう思いながら、昨日の朝市で購入しておいた双眼鏡を、首に掛ける。
(あとは、読唇術がほしいよねぇ)
遠目から見ているだけでは、会話は分からないのである。特に、カロエの会話を聞いてみたいと思ってしまうのだが、残念ながら唇で言葉を読むことができるような知識は持っていないことで、せめて表情の詳細くらい眺め見てやろうと思い、双眼鏡に願いを託すことにしたのである。
これは、子供の特権であった。
大人の、しかも男がやったら、絶対に苦情が入って来るだろう。『変態』という単語と共に。
そして、アスピスが準備万端で控えていると、1階から声が掛ってきた。
「もう、下りてきて平気だぞ」
どうやらみんなの着替えが終わったようである。
アスピスは声が聞こえてくると同時にすくっと立ち上がり、1階に向かって行く。そして、脱衣所へ赴くと、洗濯ボックスから全員の洗濯物を取り出すと、1つのカゴにそれを山盛りに入れると、全員分のカゴを持ち、よたよたと脱衣所から出てくる。
「出発前に、服分けるからみんな集まって」
声を掛けているのは、男性陣に向けてである。フォルトゥーナとアンリールに関してはほぼ完ぺきに分類できるようになっていた。
ただし、男性の方はそう簡単には分けられないでいたのである。そのためみんなのカゴをリビングに広げ並べると、分かる範囲でポイポイと分けると、不明なものを挙手制で分け始めた。
ついでに、パンツを出しているのは、シエンとイヴァールとカサドールとレフンテとアスピスだけであった。ちなみに、シエンとカサドールとレフンテがボクサーパンツ派で、イヴァールがトランクス派だということだけは、何回か分類している内に把握できた。
ちなみに、家の中でパンツ1枚で歩くエルンストとカロエもボクサーパンツ派だということだけは分かっていた。旅先でも、意地でもパンツを出して来ることはなかったのだが。
そして、くだらないことを考えながら、みんなの洗濯物を分類し終えたことで、アスピスの用事は終わり、解散となった。
それを機に、みんなそれぞれ浮き輪やビーチベッドを手に持って、泉へ向かって歩いて行く。
それを見送っていると、コテージのベランダの微妙にいい場所を確保するようにアネモスが横たわり、留守番役を買って出てくれる。
アネモスのおかげで、盗賊が忍び込む心配をせずに、みんな気軽に遊ぶことができているのだ。とはいえ、貴重品はみんなそれぞれアイテムボックスに入れてあるので、盗むようなものなどないのだが。
「さて、あたしも行くか」
「って、お前なんてもん首に下げてるんだ?」
「観賞用です」
きっぱりと言い切り、カサドールに借りているサマーベッドに向かって歩き始める。
これくらいの楽しみがなければ、やっていられるかという気分なのだ。しかも、今日はエルンストも水着に着替えていて、アスピスは1人にされるようである。
「泳ぐ人は、さっさとどっかへ行ってください」
ツンと、アスピスが言い切ると、エルンストは肩をすくませて、アスピスを抱き上げるとサマーベッドに向かって行った。そして到着すると一方にアスピスを乗せると、もう一方にエルンストが横たわる。
「着替えただけだろ。そう拗ねるなよ。っていうか、お前ひとりここに残して泳ぎに行く訳ねぇだろ。危なっかしすぎて、できるかってぇの」
「なんで? 1人で留守番くらいできるよ」
エルンストの台詞にカチンときて、アスピスは違う方向へへそを曲げる。
「っていうか、水着に着替えたんだから、泳いで来ればいいじゃん。あたしは1人で平気だもん」
「それで、とんでもないことやらかされたら、後が大変だって言ってんだよ」
エルンストはあっさり言い切ると、目を閉じてしまう。
「寝てるから、なにかあったら起こせよ」
「自分でなんとかするもん。絶対に起こしてなんてあげないんだから」
アスピスは拗ねた口調で言い返すと、双眼鏡を手に周囲を観察し始める。
気のせいではなく、家族連れよりも恋人同士の方が多そうだ。それか、友達同士でナンパ目的で遊びに来ているかという感じである。
(にしても、やっぱこれがあると見え方がちがうなぁ)
泉で泳いでいる人の顔が良く見える。おかげで、泉に遊ぶために来た人と、泉へナンパ目的で来たらしい人たちを、簡単に識別できてしまう。
泉で同じように遊んでいても、浮かべている表情というか、目が違うのだ。
(っと、1人。ん? じゃない、2人の女性が動き出しました~)
いったん双眼鏡から目を外し、誰が目的なのかを見ていたら、動いた2人の行き先はレイスのようである。それぞれビーチベッドに乗った2人の女性が、ビーチベッドに腹ばいになって横になっているレイスの方へ向かって行くのが分かった。
そこで改めて、アスピスは双眼鏡を目に当てる。
(顔は、まぁまぁかな。スタイルもそれなりって感じかぁ)
改めて、こうして見ていると、自分の周りの人たちが、男女ともに、いかに顔が整っていて、スタイルも良いことを実感させられる。
(あたしの基準が高すぎるんだよね。きっと、あれくらいなら十分美人でスタイルも最高なんだろうな。普通なら)
そして、2人の女性がレイスに接触したのを確認する。
男を釣るためのお決まりのポーズというのだろうか。ビーチベッドの中央に腰を落として、前屈みになり、胸元を強調させるポーズをとりつつ、2人がかりでレイスに話しかけているのが、良く見える。
しかも、彼女らの表情のみでなく、胸の谷間までしっかり見えた。
そんな2人を間近にしつつ、声を掛けられているレイスは顔を起こすことなく、断りを入れている感じである。
(あれじゃあ、あのポーズを取っている意味がないっていうか、効果はゼロだよね)
うつ伏せになったまま、レイスは顔を起こしもしないのだから、せっかくの胸元強調を見ても貰えないのだ。
そして、女性たちと数言交わすした様子を見せた後、女性たちはレイスの前から去って行くのを見守る。ついでに会話の途中から、脈なしと感じたのだろう、女性たちはポーズを取るのを止めていた。
(やっぱ読唇術ほしい……)
レイスはアスピスの使い魔なのだから、視覚や聴覚を同調させてしまえば話は聞こえてくるし、レイス側には同調していることはバレないので不可能ではないのだが、さすがにそれはプライバシー的にまずいので、そこまでする気はないのだが。
(カロエのときとはまた違った雰囲気なんだよね。女の人たち)
なんて言って断っているのか、ちょっと興味が出てしまう。そして、勝手に色々と想像していたら、今度は男の3人組が動き出した。狙いはフォルトゥーナだろうか。
一応、フォルトゥーナの周りを、レフンテやカロエ、レイスにシエンにイヴァールが囲っている上に、間近でカサドールとアンリーフがイチャイチャしているので、特別心配する必要はないと思われる。
なにか乱暴されたら、みんなが一斉に助けに入ることだろう。と、安心しきって眺めていたら、それ以前の問題であった。周囲にいた男性陣が、一斉にフォルトゥーナへ近づこうとしている男たち3人へ、視線を向けていた。
途端に、その視線に臆したように、男たち3人は回れ右をして、フォルトゥーナから遠ざかってしまう。
「あれじゃ、咲くものも咲かないじゃん」
思わず、考えてた台詞がそのまま言葉になって出てしまったことで、エルンストにアスピスがしていることがバレてしまう。
「お前も大概暇人だな」
「うるさいなぁ。暇なんだから仕方ないじゃん」
「それにしたって、ナンパの鑑賞ってのはないだろ。泉で遊ぶのに双眼鏡なんて購入するから、なにに使う気かと思ってたら」
「だって、泉が広すぎてよくみえないんだもん」
カロエのときに、それでどれだけ悔しかったか。
「これで、音声も聞けたら最高なんだけどね」
「同調なんてするんじゃねぇぞ」
「してないでしょ! そこまでプライバシー覗いたりしないよ」
「俺やルーキスは覗かれまくりだったけどな」
アスピスが失礼なとばかりに言い返すと、エルンストが肩をすくませる。
「だって、あのころは本当になにがなんだかわからなかったし。他にすることがなかったんだもん」
「べつに、怒ったりしてねぇよ。分かってなかったのは、お互い様だしな」
エルンストはあっさり言い切ると、体の位置を微妙にずらしつつ、アスピスの方へ手を伸ばし、頬へと触れてくる。
「他人のナンパなんか見てねぇで、王都に戻ったら、デートでどこへ行きたいかとか。なにを買って欲しいかとか、そういう可愛らしいこと考えとけ」
「シュンテーマと出かけたの、根に持ってるんだ?」
「そりゃ、そうだろ。しかも、服を買いに1人で出かけやがって」
「だって、エルンスト、仕事で王城に度々通ってたじゃん。それに、1週間も家にいなかったし」
アスピスが、退屈だったのだと訴えると、エルンストが軽く首を伸ばして、口づけてきた。
「だから、戻ったらデートしようって誘ってんだろ」
「エルンスト、実はまだハンガーラック1本分、諦めてないでしょ?」
「当然だろ! 必ず埋めてやるからな。つっても、ちゃんとお前好みの服にしてやってんだから、いいだろ」
「まぁ、その辺は嬉しいけど」
下手なヒラヒラな服を贈られるよりも、アスピスの好きな服を贈ってもらえる方が、何倍も嬉しいとは思う。
「今度っから、付いて来るなら隠れて着いて来るのはやめてよね」
「お前の方こそ、こそこそと出て行くのを止めたらな」
アスピスが希望を述べると、逆にエルンストから言い返されてしまい、アスピスは複雑そうな表情を浮かべてしまう。
(あの時は、誰もいない時を見計らって出たはずなんだけどなぁ)
何故にばれたのか。しかも、どうして気づけなかったのか。
その辺に疑問が多大に残るのだが、エルンストとデートへ行くのは悪くないかもしれないと思い、アスピスからエルンストの額に口づける。
「喫茶店にも付き合ってね。おいしいパンケーキのお店があるんだけど、1人じゃ入る勇気がないんだ」
「了解」
喫茶店嫌いのエルンストがすんなり承諾してきたことに、アスピスは満足げに笑みを浮かべる。
(手を縫われた恨みは、忘れてあげよう)
実は密かに恨んでいた縫合を、王都に戻ったら喫茶店付きのデートをしてくれるというので、無かったことにしてあげることにする。そして、それじゃあそういうことで。と、改めて双眼鏡を覗きこもうとしたところで、エルンストに双眼鏡を奪い取られてしまう。
「だから、覗き見趣味は止めろって言ってんだろ。なにか見ていたかったら、俺でも見てろ」
「だって、行きたい喫茶店はいくつもあるし。お気に入りの洋服のお店もいくつかあるし。悩む必要ないんだもん」
「じゃあ、俺の服も一緒にさがせ。誰かが盗んでくれたから買い足さなくちゃならなくなったからな」
「――ッ」
何故バレた? そんな顔をしてエルンストを見つめたら、エルンストがにやりと笑う。
「あれ、結構気に入ってたんだぜ。まぁ、でも大切にするってんならくれてやるから、その代わり俺の服を探すのも手伝え」
「分かった……」
しぶしぶと了承するアスピスを見つつ、返品するという選択肢がアスピスに無いらしいことに、エルンストはちょっと驚く。同時に可笑しくなってしまい、アスピスを引き寄せると、愛おしそうに抱きしめた。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




