第94話(アーダの泉に行こう9/憩い7/薬草採り1)
[九十四]
気分よく、アスピスは目を覚ます。
そして、寝ている場所がエルンストの腕の中だと知って、顔を上げるとエルンストの視線とかち合った。
「おはよう」
「よく寝てたな」
「うん、バッチリ」
挨拶と同時に、エルンストが解放してくれ、アスピスは上体を起こして伸びをする。
格好は、昨日のままであることで、みんなよりも早く睡魔に襲われたことに気が付く。
「ちょっと着替えてくるね」
エルンストに断りを入れると、アスピスは藤製の衝い立ての後ろに回って、アイテムボックスを開くと、やはり以前お気に入りの店でエルンストに購入してもらった服に着替えて、汚れ物が入ったカゴを手に、エルンストの元へ戻って来る。
その間に、エルンストもその場で着替えたらしく、着ていた服が変わっていた。
そして、2人で下りて行くと、先に起きていたみんなと挨拶を交わし、最後にキッチンに立っている2人の元へ向かって行く。
「おはよう、フォルトゥーナ、レイス」
「あら、もう起きたの。まだ寝ていて平気だったのに」
「いつも遅くてごめんなさい。お手伝い、全然できてなくて」
「大丈夫ですよ。フォルトゥーナと2人でやっているので」
「えぇ、そうよ。あまり人がいてもやってもらうこともないから、みんなもああしてリビングでくつろいでいるんだし。気にしないで」
レイスとフォルトゥーナに笑顔で応じられ、アスピスは素直にそれを受け取ることにした。
実際、アンリールなど手伝いたそうにしているが、却って邪魔になりそうだと遠慮している様子が見て取れる。
「それにしても、やっぱりレイスは上手よね。手早いし」
「ルーキスと暮らしていたころから、毎日作っていますからね。人数はその時その時で変化してきましたが」
感心するように呟くフォルトゥーナへ、レイスは笑顔で応じる。
「それより、アスピス。申し訳ありませんが、エルンストの分とその汚れ物を入れたら、洗濯ボックスを回してくれませんか?」
「うん、わかった。回して来る」
頼みごとをされて嬉しくなったアスピスは、エルンストの元へ行き、汚れ物が入ったカゴをひったくるようにして、脱衣所へ入っていくと、それらを洗濯ボックスへ入れて、『洗浄』のボタンを押す。そして、ちゃんと動き出したか確認すると、カゴが重ねてある場所へアスピスのものとエルンストのカゴも重ねると、脱衣所を後にした。
「あとで、乾燥のボタン押しておくね」
「忘れてなかったら、お願いしますね」
「うん」
アスピスはレイスに言われると、嬉しそうに頷き、みんながいるリビングへと向かって行く。そして、エルンストの脇へちょこんと座る。
「丁度いいから消毒するか」
「いいの?」
「良いも悪いもねぇだろ。消毒しとかねぇと化膿したら大変だろ」
「ありがとう」
アスピスはそう告げると、エルンストに左手を差し出す。そして、昨日同様にエルンストは傷口を確認すると、治療キットを取り出して、消毒をすると化膿止めを塗り、ガーゼを当ててテープで止めると、包帯をいったん巻き直して、アスピスの手に巻いていき、包帯止めを最後に差し込む。
「今日も水に濡らすなよ」
「じゃあ、アスレチックコースってのに行ってみるか?」
提案するようにカロエが告げると、アスピスが身を乗り出す。
「え! いいの?」
「ダメに決まってんだろ。縫ったところが裂けたら最悪だぞ」
一瞬期待してしまっただけに、アスピスはしょんぼりとしてしまう。けれども、怪我をしたのは自業自得によるものなので、我慢するしかないのが現状であった。
昨日同様、サマーベッドを借りて、アスピスは腰から下に大判のバスタオルをかけてもらい、うつ伏せになって本を読んでいた。
昨日とは異なり、諦めも付いていたため、素直に恋愛小説を楽しんでいた。
ふたりの男性を相手に、揺れ動く乙女心。色々と描写あるが、正直なところそういう心境になったことがないので、アスピスにはまったく理解できていなかった。そもそも実感もわかない。でも、そういうものなんだなと思いながら、アスピスは読み進める。
自分にはない。もしくは、知らない感情があることを知っていくのが、アスピスは楽しかったのである。
閉じ込められていた11年という時間の間に、知ることができたかもしれない感情たちを、本を読むことで、垣間見ている気になれるのである。そして、同調することはないのだが、乙女の気分というものを覗き見ながら、2人の男性に好かれ愛され、手に入れようと互いに牽制し合っている相手に、心をしょっちゅう揺れ動かしている主人公に、アスピスは『忙しい娘だなぁ』と思いつつ、恋愛とはそういうものなのかと、年頃の女の子っぽいことを考える。
そんなことをアスピスがしている間、エルンストは何人もの女性から声を掛けられ、その都度追い返していた。
――美形も大変だぁ。
思わず、エルンストに同情してしまう。それと同時に疑問もわかせる。
――美形しかいないっていう魔族の中で、エルンストってどのくらいの美形なんだろう。
ふと、そんなことを思いついてしまう。
確かに、色々な顔を持つ人間の平均だと思われる顔と比べると、かなり整った顔立ちをしているのは事実である。これはエルンストに限らず、ルーキスもレフンテも同様である。
でも、魔族にもいろいろな顔があるのだ。魔族の中にも、人間よりも綺麗な顔なりに、下から上があるはずだとアスピスは思ったのである。
そんなことを思いながら、エルンストを見つめていたら、エルンストがアスピスの視線に気づいようで、こちらを見つめてきた。
「どうした? 退屈になってきたのか?」
「ううん。そうじゃないけど」
サマーベッドは並べて置かれていて、触れようと思えば、手さえ伸ばせば、いくらでも触れるほどの近さに、エルンストが横になっていた。でも、同じベッドに寝られるほどには広くなく、エルンストの腕の中で眠ることは不可能であった。
そんなどうでもいいことを考えていたら、また、女性が1人寄ってきた。そして、エルンストに声を掛けるのである。
アンリールとカサドールのときには、遠目に眺めている人はいたが、声を掛けてくるような勇者はいなかったのだ。けれども、アスピスが相手となると、状況は変わるらしい。
妹かなにかだと思われているようだ。
つまり、一応は恋人であるはずのアスピスなのだが、女避けになることはなかった。
――なんだかなぁ、一応、彼女が隣に寝ているんですけど。
と、声を掛けてくるお姉さま方に、心で攻撃を仕掛けるものの、効果は皆無である。
そして、もう勝手にしてくれと思い、アスピスが本を読み始めると、エルンストが若干距離を縮めるようにして、アスピスの方へ寄ってきた。
「ベランダの方がいいか?」
「こっちでいいよ。べつに」
「だったら、拗ねたような顔するなよ。俺が悪い訳じゃねぇだろ」
エルンストはそう言いながら、アスピスの頬へと口づけてくる。そして、腕を伸ばしてきて、アスピスの背を抱こうとしたところで、泉の方から大きな声が聞こえてきた。
「すまない、ちょっと話を聞いてくれ。冒険者ギルドの依頼掲示板から、この泉でしか採れないスパーチ草というのを採取しに来たんだが、どこにも見当たらないんだ。採り方を知っている人はいないか? 眠り病に罹って長いこと眠ったままの子供がいるんだ!」
周囲に向けて、4人ほどだと思われるパーティのリーダーらしき男が、大声を上げる。
しかし、周囲の反応はとても薄かった。一般人が多く、冒険者が少ないというのも理由のひとつだろうが、そればかりとは言えないようである。
「ったく。知りもしねぇ依頼を気軽に受けるんじゃねぇよ」
エルンストはそっけなく言い放つと、アスピスの肩に手を回し、アスピスの方を向くよう側臥位になって横たわる。
そんな中、アスピスはちょっとドキドキしていた。
レフンテも同様だったようである。泉から上がってっ来ると、速足でアスピスの元へ駆け寄ってきた。
「アスピス、ちょっと力を貸してくれ」
「え?」
「泉の底にある薬草を採取してやりたいんだ」
「あのなぁ、そういうのは、自力でやるもんなんだよ。依頼掲示板から自ら選んで、正式に依頼を受けてきた訳だし、冒険者なら、責任は各パーティで負うもんなんだ」
エルンストはレフンテン台詞に、冷たく応じるとアスピスに掛けている手に力を込める。
おそらく、レフンテの感情に同意して、薬草を採りに行くなと言っているのだろう。
――まぁ、エルンストならそう出るよね。
アスピスにも、これまで幾度か冒険してきたことで、エルンストが言わんとしている意味が、多少は分かった。
でも、特殊な採取方法だなんて思わずに受けてしまった、初心者の冒険者なのだろう。とも、アスピスは思ってみてしまう。
「アスピス、頼む。子供が病気で眠り続けているって言っているんだ。助けてやりたいだろ」
「それは……」
レフンテはおそらくアスピスの過去を知らないのだろう。寝ることを拒んでいれば、アスピスはレフンテよりも年上だったということを。
そのため、アスピスにとって、眠ることは時を止められることと同意語になっていて、未だにその恐怖が体に染みついているのだ。その上、過去11年間もの過酷な環境でも思い出も重なり、夢でうなされることも数多くあるのである。
眠り続けることへの恐怖を、アスピスは、誰よりも分かっているのだ。
それを知っていながら言っているとするならば、かなり悪質だと思ってしまう。
エルンストも同意だったようで、強引に、アスピスを自分の方へ引き寄せてしまった。
「こいつを巻き込むな。手助けしたかったら、自力でやれ」
「これには、精霊使いが必要なんだ。あの男4人のパーティでは絶対に無理なんだ」
「だったら、お前のマスターのフォルトゥーナに頼めばいいだろ」
「フォルトゥーナには、もう断られた。薬草についての説明は受けているはずだと言って。それでも男4人で来たということは、説明を満足に聞いていない上に、説明書も呼んでいないってことで。冒険者として失格だと、言っていた」
「だろうな。俺も同意だ」
エルンストはそう言い切ると、アスピスは絶対に貸さないという意思を込めて、強引に自分の方のベッドにアスピスを引き込み、抱き込んでしまった。
――おっ! ぎりぎりだけど乗れるんだ。
アスピスは、変な部分で感心しつつ、必死になって訴えてくるレフンテを見上げていた。
病人を助けたいという気持ちは分かる。それは、アスピスも同意であった。
けれど、おそらくだが、あの男たちは報酬が目当てなのだ。でなければ、薬草を採取する場合、きちんと説明書や薬草の形を描いた紙をくれるのだから、分からないことがあれば目を通したはずである。
それをしてこなかったということは、単なる採取だと甘く見てきたからだろう。ついでに、場所は魔物のいない行楽地のアーダの泉である。それなのに、おそらくだが、採取の仕方が特殊なため、他の採取ものよりも高額だったのではないだろうか。
だから、楽勝気分でここへ来て、いざ薬草を探し始めたらそれが見つからないことで、焦ってしまったということではないかと、アスピスは読んでいた。
そして、病人の子を理由に、協力を求めているのだろう。
「レフンテ、手伝ってもいいけど。その代り、あの人たちから、依頼書を譲ってもらってきて」
「えっ……」
「そしたら、エルンストもフォルトゥーナも文句は言わないと思うよ」
「――ッ」
アスピスなら二つ返事で了承してくれると思っていたのだろう。それが裏切られたことで、レフンテはショックを受けた顔になる。
しかし、病人と聞いて黙っている気もおきなかったのだろう。
「分かった。交渉してくる」
レフンテはそういうと、冒険者たちの元へ歩いて行った。
最初、レフンテは薬草の採取方法が載っている紙があるはずだと、冒険者たちに助言を始める。そこで初めて、冒険者たちは精霊使いが必要な事を理解した。
そして、再び大声で叫び始める。
「病気の子供がいるんです。どうか、精霊使いの皆さん、お力を貸してください」
もちろん、募集する中に、報酬に関することなど一切入ることはしていない。ただ働きをしろと言っているのだ。
そして、やはり無反応な状況に、男たちは何度も「病気の子が」「眠り病で、長いこと眠りっぱなしの子供が」と繰り返し、最後には「人の心がないのですか?」と問いかけるように言い始めた。
それが、却って周囲から嘲笑を買うことになっていたのだが、当人たちはまったく気づく気配はなかった。
そこで、レフンテは依頼書を譲って欲しいと話を持ち掛けたようである。
瞬間、冒険者の男たちの顔色が変わり、レフンテを罵倒し始めた。
「病気の子供がいるっていうのに、お前は、報酬の方が重要なのかよ!」
「お前みたいな最低な奴がいるから、冒険者が馬鹿にされて、こうして頼んでもだれも手を貸してくれなくなるんだ」
「さっさと、目の前から消えろ! うぜぇんだよ、お前」
「ちょっと助言したからって、いい気になってるんじゃねぇぞ」
男たちは口々にレフンテに暴言を吐くと、ひょろっこいレフンテの体を思い切り後ろへ押して、倒してしまう。そして、レフンテに背を向けて、精霊使いの募集を再開した。
「どうだ、気分は?」
「でも、俺は病気の子供を助けたい」
「そうすると、あいつらの手伝いを無料で行うってことだぜ」
「……」
エルンストの言っている意味を、レフンテは、今ならよく分かるようになっていた。完全なる報酬目的であることが、レフンテにも分かってしまったのである。
「ったく。あぁいう冒険者がいるせいで、冒険者が見下されるんだぜ。まいっちまうよな」
アスピスを抱き込んだまま、エルンストは不満げにグチを零す。
そして、そのまま黙って様子を見ていたら、1人の水着姿の女性が男たちに近づいて行った。
「報酬はいくらなの?」
「あ?」
「その半額、私にちょうだい」
女性は大胆に言い切ると、にっこり笑う。
「精霊使いがいないと、困るんでしょ? だったら、報酬の半額くらいもらってもいいと思わない?」
「やること自体は簡単なんだ、そんなに払えるか」
強気に出た女性に、男たちはキッパリ拒否する。
「そもそも、病気の子供がいるっていうのに。みんな、金、金、金、って。変じゃねぇか?」
「奉仕の精神ってのがないのかよ」
男たちがそう告げると、レフンテが大きな声で言い放った。
「でしたら、奉仕の精神の塊であるらしいあなた方に、依頼書なんていりませんよね?」
先程の仕返しもあるのだろう。責めるように告げると、男たちの元へ再び歩いて行く。
「俺たちのパーティに、その依頼書をください。俺たちなら、その依頼を達成できますから。子供も助けられますよ。眠り病の子供を助けたいんでしょ?」
「そ、それは……」
「俺は金に汚いらしいですから、依頼書なしで薬草を手に入れるつもりはありません。あなた方に、俺のパーティの精霊使いをタダで貸すつもりもありません」
「だから、それが人間のやることか? 人間ならもっと奉仕の精神があってもいいだろ」
「残念ながら、俺は魔族で、主持ちです。人間とは考え方も違うのでしょうね。あなたたちが奉仕の精神と叫ぶたびに、それならあなたたちにだって奉仕の精神があってもいいんじゃないかって思うんですよ」
「はっ。使い魔かよ。ていうか、奉仕の精神があるから、依頼を受けてきたんだろ」
「報酬のために、でしょ。でなきゃ、自分たちには不可能だと分かった依頼を抱き込んで、精霊使いの女性をただで利用しようなんて考えませんよね? 俺の主は、あなた方の行動をそう受け止めて、協力する気を失っています」
「――ッ」
レフンテが男たちに問いかけると、男たちの様子が急に気色ばむ
「たかが使い魔風情が、なにえらそうに。っていうか、そんなに依頼書が欲しいなら売ってやるよ。いくらで買う?」
「買う? 冗談だろ。ただでもらうに決まってるじゃないですか。あなた方には、もう達成するのは不可能な依頼なんだ。俺に譲らなければ、冒険者ギルドに戻って、未達成のハンコを押してもらうだけでしょ。そしたら、冒険者ギルドのあなた方のパーティへの評価も当然下がりますよ。ぺナルディで功績はどのくらい引かれるんでしょうね。それに俺っておしゃべりなんだよね。ここでの出来事をギルドに報告しちゃうだろうな。こう言っちゃなんですが、うちのパーティはギルドから直接依頼を受ける程度には、信頼されてるんで。あなたたちの発言より、俺の発言の方が信用されるよ」
さぁ、譲ってください。と、レフンテが手を差し出してみせと、真っ赤な顔をした男たちが思い切り叩きつけるようにしてレフンテの手に依頼書を渡す。
「薬草の情報や図柄が載っている書類と、薬草の収集用の箱は自分たちでどうにかするんだな。パーティの評価が下がるのはどっちか、思い知ればいい」
「行こうぜ、優雅に自分たちは遊んでいるのに、病気の子供のために指の一本も動かせないようなこんな冷たい奴等ばかりの集まりん中に、いつまでもいられるかって言うんだ」
「まったくだぜ。世知辛い世の中になったもんだよな。眠り病に罹った子供がかわいそうだぜ」
男たちはこれ見よがしに会話しながら、泉から上がり、びしょ濡れのまま、泉の脇に置いておいたバックパックを背負うと、アーダの泉から去って行った。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




