第93話(アーダの泉に行こう8/憩い6)
[九十三]
酷い目には合ったが、フォルトゥーナに助けてもらい、なんとか無事にお風呂に入り終え。香油を塗ってもらってしばらく経ったころ、エルンストもお風呂から上がってきて、夕食が開始される。そして、後片付けを済ませると、食後のコーヒータイムに突入した。
本日のアスピスの居場所は、レフンテの隣である。
もちろんアスピスからお願いもしたが、なによりも効果のあるフォルトゥーナの神のひと声で、本を一緒に読ませてもらえることになったのだ。
今日は本当にフォルトゥーナ様々である。
ただ、レフンテもアスピスが存在することに慣れてきたのか、以前ほど嫌そうな態度をみせることはしなかった。歓迎をしているという訳ではないが、好きにしろという感じなのである。
それをいいことに、本が見やすいように、アスピスはレフンテにぴったり寄り添うようにくっついて本を読んでいた。
そんな傍らで、フォルトゥーナたちがコーヒーを飲みながら話し始める。
「布団がしばらく届かないんですって?」
「あぁ、そうらしい。今朝、そういう内容の手紙が届いた」
「減点ものね」
フォルトゥーナはそういうと、コーヒーを口に含む。そしてそれを飲み込むと、アスピスに声を掛けてきた。
「それで、アスピスは今日は誰と寝るの?」
「昨日と同じでいいよ。じゃなきゃ、レフンテでもいいけど」
「冗談じゃないぞ。女と寝られるか」
「一緒に本が読めるのに……」
強く拒絶されてしまい、アスピスはしゅんとして小さくぼやく。
その様子に、さすがに悪かったと思ったレフンテが、言い訳をしてきた。
「本来、未婚の男女が布団で一夜を共にするというのはあってはならないことで」
「じゃあ、エルンストもダメなの?」
「いや。エルンストとは付き合っているんだろう。ならば常識の範疇ならば構わないんじゃないのか」
アスピスの疑問に、必死に言葉を選んで応じるレフンテは、視線でフォルトゥーナに助けを求めるが、フォルトゥーナは楽しそうに2人のやり取りを聞いていた。
「一緒に寝るだけなのに、なんか難しいね。常識の範疇ってなに? 常識じゃない範疇っていうのがあるの?」
「や。だから、それは……」
「ったく。お前と寝たくないって言っている奴の布団に潜ったりしなきゃいいんだよ」
答えに詰まったレフンテに代わり、エルンストがアスピスの腰を掴み取り、自身の膝の上に乗せながら、エルンストはあっさりと言い切った。
「それで、本気で今日も俺の布団に潜って来るつもりかよ」
「だって、一番慣れてるんだもん。アネモスと寝てもいいなら、そっち選ぶけど」
「アネモスが気の毒だろ。ゆっくり寝かせてやれ」
「だったら、やっぱりエルンストでいいよ」
アスピスが顔を後ろへ向けながら。エルンストに告げると、エルンストが嘆息してしまう。
「今日は、フォルトゥーナに頼んで一緒に寝てもらえ。そう毎日お前と寝てられるか」
「えー。だって、そうしたらフォルトゥーナのお布団が狭くなっちゃうじゃん」
「って。それじゃ俺の布団は狭くなってもいいってことか?」
「慣れてるからいいじゃん」
想定外のアスピスの台詞に、エルンストは絶句し、周囲はくすくすと笑い出す。
「既成事実を作った経験もあるそうだし。夜中にアスピスの部屋へ潜り込んだりしているからよ」
「だから、その表現は止めてくれ。っていうか、そんなしょっちゅう寝てるか? そうでもないだろ」
「あら、アスピスを抱いて寝かせているのなんてしょっちゅうじゃない。アスピス的にはそういうのも数に入っていると思うわよ」
フォルトゥーナはあっさり言い切ると、楽し気にほほ笑んだ。
「そういえば、問題児のナグラーダのメイドだが。ちゃんと変えたんだろうな?」
フォルトゥーナを相手に勝ち目がないと思ったのか、エルンストはシエンの方へ話題を振っていく。瞬間、シエンが驚いて、一瞬コーヒーを吹き出しそうになっていた。
「そんな簡単に、メイドを交換なんてできませんよ。同じ王族とはいえ、家は別なんですし。他人の家のメイドに口出しなんて無理ですよ」
「そこを何とかするのがお前だろ」
「そう言われても、ナグラーダにとって孤独を救ってくれたアンは。とても大事な存在ですからね。離そうものなら、大騒ぎですよ」
「そこまで知るかよ。あのアンが傍から消えれば、ナグラーダの思考も少しはましになるんじゃねぇか?」
完全に他人事として告げるエルンストに、シエンは反撃を開始する。
「そんなことしたら、真っ当な知恵をつけて、アスピスに突撃を仕掛けかねませんよ」
「あ?」
「全年齢対象の恋愛小説にあるような既成事実ではなく、本当の既成事実を作りかねませんよ。アンを失ったりしたら、ナグラーダに残るのはアスピスへの想いくらいですからね。アスピスを手に入れるためなら、それくらいのこと平気でやりますよ。ナグラーダの性格からいうと」
「脅しかよ」
「事実です。残念ながら。それだけ、純粋で真っ直ぐだってことですよ。未だ子供ですし」
「――ッ」
シエンの台詞へ、エルンストは舌打ちを洩らす。
同時に、シエンとエルンストの対決の勝敗が決まってしまった。
けれども、アスピスは違うことが気になったようである、不思議そうに訊いてきた。
「既成事実に、嘘とか本当とかあるの?」
「大人用と子供用があるのよ。アスピスは未だ子供だから、子供用ね」
アスピスの問いに、フォルトゥーナが優しい声で答えてくれる。
「ふーん」
なんだかいまいち分からないが、『既成事実』という言葉には二種類の意味が存在するらしいことを、アスピスは理解する。
(まぁ、いいや。よくわからないし)
ナグラーダのせいで、エルンストに思い切り怒られたのは、二つの意味があったかららしい思いつつ、そのせいでしばらく恋愛小説が読めなくなってしまったことで、『既成事実』という単語は、アスピスにとって禁句のようなものになっていた。
そもそも、元から興味があった単語でもないので、引きずることもなく、フォルトゥーナの説明をそのまま素直に受け取ると、アスピスはそれで納得しとくことにした。
それよりも気になるのは。
「でも、なんでエルンストは私と寝るの嫌がるの?」
「あ? 嫌がってるわけじゃねぇけど。人前で男と女が同じ布団で寝るってのは、普通しないもんなんだよ」
「じゃあ、嫌な訳じゃないの?」
「べつに嫌じゃねぇよ。もう、慣れちまったしな」
アスピスが不安そうに聞いてくるので、エルンストは穏やかな表情を作りながら、アスピスの頭を掻い操りつつ、ゆっくりと答えてくる。
途端に、アスピスが嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、やっぱりエルンストと寝る」
「あ?」
「エルンストの傍って、落ち着くから好きなの」
ぎゅっとエルンストに抱きつくようにして、アスピスは言い切ってみせる。
その言葉を聞いて、シエンが噴き出した。
「悪かったな」
「いいえ。可能性が見えてきましたので、俺としては嬉しいかぎりですよ」
「絶対に譲らないからな」
「決めるのは、アスピスですから」
楽し気に笑うシエンに、エルンストはムッとしながらも、複雑な気分を味わっているのは本当であった。
「好きじゃ女性に、一緒に寝ていて、安心できるって言われちゃったらねぇ。裏切れないわよね」
「お前までシエンに同調するなよな」
「あら、本当のことじゃない。これなら、安心して2人で寝てもらえるわ」
「今日は、フォルトゥーナが引き取ってくれるんじゃねぇのか?」
「仕方ないじゃない。アスピスのご指名なんだもの」
アスピスに決定権があるかのように、フォルトゥーナが告げると、アスピスに問いかけてくる。
「アスピスは、私よりエルンストの方が安心して眠れるのかしら?」
「フォルトゥーナは大好きだよ! 一緒に寝てもぐっすり眠れるよ」
アスピスは正直にフォルトゥーナへ応えていく。
「でも、そうするとフォルトゥーナのお布団が狭くなっちゃうでしょ?」
「大丈夫よ、それくらい。アスピスは小さいし細いもの」
「うん。フォルトゥーナにそう言ってもらえるのはとてもうれしいけど、一緒のお布団で寝慣れているのってエルンストの方だから、心配しないで」
フォルトゥーナが気を遣ってくれていることくらい、さすがのアスピスにも分かることである。そのため、気遣い無用のエルンストを選ぶのが最適なのだと、アスピスは考えていた。
どうも、その辺が、エルンストに通じてくれないのだ。
寝るのは嫌じゃないと言ってくれているにも関わらず。
これならいっそ、本当にアネモスと寝るのが一番な気がしてくる。
「あのね、エルンスト。エルンストがそんなに嫌がるなら、アネモスと寝るから気にしなくていいよ」
「や。そうじゃなくてだな」
「毛布は持ってるし、アネモス暖かいから心配しないで平気だよ」
「あぁ、ほら。エルンストのせいで、アスピスが変に気を遣い始めちゃったじゃない」
「そうは言うけどな」
フォルトゥーナがエルンストを責めるように言ってきたことで、エルンストが困惑した表情を浮かべ始める。
しかし、フォルトゥーナは容赦がなかった。
「さっきなんて、アスピス抱え込んでぐっすり寝てたんだから、今更でしょ。恥ずかしがってないで、一緒に寝てあげるのが男なんじゃないの」
「男だから、断ってんだろ」
「私は男気の話をしているの」
どきっぱりと言い放たれたフォルトゥーナの台詞が、決定打となる。
エルンスト的には不満が残っているようだが、これ以上の口論をしても、フォルトゥーナに勝てないと踏んだようである。
「ったく、分かったよ。寝りゃいいんだろ」
「寝るだけよ?」
「うるせぇ。当然だろ」
冗談を言うように告げられたフォルトゥーナに、エルンストは半ば自棄になって言い返す。
それを見ていたアスピスは、今日もエルンストと眠れることになったらしいと、心から喜んでいた。
本当に、エルンストの腕の中は、落ち着けるのだ。だから、大好きなのだった。
アスピスの寝る時間になり、レフンテの傍らでうつらうつらし始めたアスピスを、エルンストは抱え上げる。
「レフンテ、お守りさせて悪かったな」
「べつに、これくらい……」
「まぁ、しばらくお守りを頼むわ。なんか、レフンテのこと気に入ったみたいだからな」
「やっぱり、そう見える? どこが気に入ったのかしら?」
自分の使い魔に対して、かなり失礼な発言をするフォルトゥーナを、レフンテは軽く睨み付けるが、当然だが効果なんてものはない。
「ところで、エルンストももう寝るの?」
「あぁ、こうなったらとことん付き合ってやるさ」
「本当は、選んでもらえて嬉しいんでしょ」
「そりゃ、当然だろ。好きな奴に選んでもらえて嫌な訳がねぇだろ」
「信用されきっているみたいだけどね」
素直に応えるエルンストに、フォルトゥーナはおかしそうに笑みを零す。
「今は、それでかまわねぇよ。最低でも三年は待つつもりだしな」
「そうよねぇ。成人してもらわないと、話が始まらないものね」
フォルトゥーナはエルンストの台詞に、納得するように小さく頷く。
「まぁ、応援してるから頑張って。念願だったんですものね」
「言われなくても頑張るさ」
エルンストはそう答えると、すでに半分寝始めてしまったアスピスを抱え直すと、そのまま2階へ向かい、昨日と同じ場所の布団を選ぶと、最初にアスピスを布団に横たわらせ、その後自分も横になると、自分とアスピスに毛布を掛ける、そして、アスピスを引き寄せると胸の中に抱き込むようにして、横になる。
安心しきっているアスピスの顔が、嬉しくもあり、複雑でもあり。
「もうちょい年頃になったら、少しは意識しろよ」
「ん? なんか言った?」
「なんでもねぇよ。いいから、寝ちまえ」
エルンストの台詞に反応するようにして、瞬間的に目を覚ましたアスピスは、エルンストに背中をさすってもらうことで、再び安心しきった顔を浮かべると、寝やすい体勢を作り出し、エルンストの胸の中で熟睡し始めたのだった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




