第90話(アーダの泉に行こう5/憩い3)
[九十]
エルンストたちが出てくると、最初に確認してきたのは、アスピスとアンリールの悲鳴の理由であった。
そして、アスピスの包帯が巻かれた手を見た瞬間、レイスは「だから、危険だと言っておいたのに」と呟き、エルンストは無言でアスピスの頭に拳骨を落としてきた。
「とにかく、迷惑をかけた。カサドールにシエンにイヴァール、待たせて悪い。風呂に入ってきてくれ」
「大したことじゃない。それより、もうちょっと丁寧に扱ってやれ。女性なんだ」
「そうですよ。気軽に、アスピスの頭をポンポン殴って! 可哀想じゃありませんか」
「俺としては、妹の交際相手は、妹を大事に扱ってくれる人が望ましいんですけどね」
すれ違いざまに、三人からそれぞれ言葉をもらってしまったエルンストは、思わず『俺が悪いのか?』と疑問を抱いてしまったようで、首を捻っていた。もちろんアスピスは、心の中で『そうだ! そうだ! 暴力反対!』と言いながら、殴られて痛む頭を擦っていた。
「ったく、人が風呂に入っている間に。これじゃおちおち風呂にものんびり入ってられないじゃねぇか」
「お手伝いしようと思っただけでしょ」
「レイスがいつも言っているだろ、ナイフは危ないって。それを、隙を衝いて使いやがって」
「ごめんなさい、私の不注意で……」
エルンストがアスピスを叱っていると、フォルトゥーナが申し訳なさそうに口を挟んできた。
「家庭用の方だから、つい」
「フォルトゥーナが悪い訳じゃねぇよ。レイスに散々言われていたのに、風呂に入って目がない時に、これ幸いとナイフを使うアスピスが悪りぃんだからさ」
「でも、かなり深く切ってしまって。一応、アスピスが以前教えてもらった回復術を使って、アンリールはそれで治ったんだけど。アスピスの方は傷が深かったから、それだけでは治らなくて。でも、回復術は何度も使っていいものじゃないそうで……」
申し訳なさそうに告げてくるフォルトゥーナに、レイスが声を掛けた。
「フォルトゥーナがそんなに心配する必要はないですよ。俺が使い方をちゃんと教えていれば良かったんです。危ないからと持たせないより、正しい持ち方とか使い方を教えておくべきでした。まさか、ここまで使いたがっているとは思わなくて」
「どっちにしろ、明日は泉は禁止だな」
「えー。みんな、これくらい治れば大丈夫って言ってくれたよ」
「それは、泉に入って大丈夫って意味だったのか? その程度治ったなら医者は必要ないの大丈夫じゃなかったのか? まぁ、いずれにしても。罰は受けねぇとな」
あっさりと言い切られたエルンストの台詞に、アスピスはショックを受ける。
「エルンストの意地悪! 明日は遊泳可能域を一周してみようと思ったのに」
「あほか! どっちにしろ、それを1人でやらせると思うか。つか、お前の足でそんなに泳いでいいと思ってんのか?」
アスピスの広大な野望に、エルンストが頭を抱える。
「だいたい、包帯にまで血が滲んできているその手で、本当に遊ぶ気なのか? っていうか、回復術ってのをかけてその状態って、どんだけ深く切ったんだ? 縫った方がいいんじゃねぇか」
「えーっ! 痛いのは嫌!」
アスピスの手を取り、エルンストが呟くと、アスピスは慌てて手を後ろに隠す。
「あのなぁ。俺たちはお前のマナのおかげで、怪我してもすぐに治るけど。お前の体はそうじゃねぇんだから、もっと大事に扱えよ」
「とにかく、傷を見せろ。場合によっちゃ、縫うからな」
「痛いの嫌って言ってるじゃん」
「元凶は、お前だよな? 我慢しろ」
「アスピス、大丈夫ですよ。エルンストは、傷を縫ったりするのは得意ですから」
フォローを入れるように告げてくるレイスの台詞であったが、アスピスには全然救いにはなっていなかった。
「麻酔。麻酔して」
「んなもんあるか。病院じゃねぇんだ」
「だったら止めてー」
必死にお願いするアスピスの手に巻かれている包帯を取り、傷を確認すると、エルンストは嘆息してみせる。そして。アスピスに対して無言のままアイテムボックスを開くと、治療キットを取り出し、中から冒険時の縫合用の針と糸を取り出すと、針を火であぶり消毒させると、滅菌状態の糸を取り出す。そしてレイスに手をしっかり押さえてもらった状態で、針を見ただけで泣き始めたアスピスを無視して傷口を縫っていったのであった。
その後、消毒をして、化膿止めを塗ってガーゼを被せテープで軽く止めた後、再び包帯を巻いていく。
「ったく、オーバーすぎだぞ。俺たちほどには回復力のないルーキスも、フォルトゥーナも、シェリスも、冒険で度々怪我しては縫ったりしてきたんだ。お前だってこれから先、冒険していくんなら縫うことだってあるんだぞ」
「ほら、アスピス終わりましたから。もう、泣き止んでください。もう、痛くないでしょ」
レイスの台詞に、我に返り、縫われた場所がズキズキしてはいたが、レイスの言う通り針を刺される痛みから解放されている現状を把握して、アスピスはぴたりと泣き止んだ。
そして、何事もなかったように、怒りだす。
「エルンストの乱暴者」
「は? っていうか、縫ったおかげで、1週間で治るんだぞ。感謝しろよ」
「放っておいても、治ったもん」
「冒険者なら、怪我を負ったら、1刻でも早く回復するよう努めるもんなんだよ」
エルンストは容赦なく告げると、アスピスの頭を軽く掻い操る。
「暴れなかったのは、褒めてやる」
「もう、そんな子供じゃないもん」
「だったら、泣くのもやめてくれ。心臓に悪い」
途端に機嫌を直したアスピスが、治療キットをアイテムボックスへ戻しているエルンストをニコニコと見守っていた。そして、しまい終わるのを待って、再び頭を掻い操ってもらう。
「ねぇ、なにも感じない?」
「あ? なにを」
「フォルトゥーナに香油塗ってもらったの。いい香りがするし、髪がサラサラになるんだって」
「そいつは良かったな」
エルンストは、機嫌を直したアスピスを適当に構いつつ、アスピスを大人扱いすべきなのか子供扱いすべきなのか、難しい年ごろだと改めて実感させられていた。
フォルトゥーナの手伝いにレイスが入ったことで、料理の準備にスピードが増す。
メインの肉料理は豚肉の角煮になったようである。それに、野菜サラダ。フォルトゥーナ作成の野菜の煮物。それらは三ヵ所に分けておかれ。他に、各人に温められたチーズ入りのパンと出来合いのコーンスープとお茶が用意される。
フォークとスプーンと、取り皿として仕切りプレート。コーンスープの入ったスープ皿が配られて、おかずは食べられる分量だけ取る形が選ばれる。
そして、すでにお風呂から上がってきていたカサドールにシエンにイヴァールも含めてみんなで一斉に「いたたきます」と言うと、食事が開始される。
そして、アスピスは遠慮なく自分が食べられる量だけおかずを選び取ると、パンをレイスと約束している四分の一だけ食べ、残りを傍らのエルンストに無言で無理矢理押し付けてしまうと、プレートに残っているおかずを食べて、食事を無事終えた。
そして、洗い場の中に置かれた、水がためてある洗い桶に食器を入れると、すでに食べ終わった人がいたことでかなり溜まり始めていたため、食器を洗おうとしたら、慌ててエルンストが止めに入って来た。
「お前、その手で洗い物と拭きものは禁止だからな」
「えー。じゃあ、どうしろって?」
「そうだな。カロエとレフンテと3人で、2階の布団を敷いて来い。それと、アスピスは重い敷布団は持つなよ。縫ったばかりの傷が開くと大変だぞ」
「了解」
「わかったよ」
「禁止ばっかり……」
それぞれの反応を見せつつ、エルンストの言ったことを聞くようにして、3人は2階へ上っていく。
2階に到着した瞬間、カロエからレフンテ、時間を少し置いてからアスピスが、それぞれ「広~い」と感動した声を上げてしまう。
「布団は。っと、あれか」
カロエはそう告げると、布団がたたみ重られているところへ駆け寄っていく。
「敷布団、オレが敷いていくから、レフンテとアスピスでシーツを掛けていってくれ」
「わかった」
「はーい」
2人の返事を聞くと、カロエは敷布団が積まれているところから一気に三枚持ち上げると、ちょっとよろけつつも部屋の反対側の奥の方へと持っていき、それを次々床に置いて、伸ばしていく。
「この上にシーツよろしくな」
「うん」
アスピスとレフンテは置いてあるシーツを半分ずつ持って、カロエが敷いて行った敷布団があるところまで行くと、2人で上下に別れてシーツを掛けていく。その間にも、カロエはどんどん敷布団を敷いていき、それを追いかけるようにして、アスピスとレフンテがシーツを掛けていく。
それが終わると、レフンテとカロエが毛布を半分ずつもって、シーツが掛けられた布団の上に乗せていき、奥まで到達すると、レフンテとカロエが上下に別れて毛布を伸ばしていく。その間に、アスピスは枕に次々とカバーをかけていき、毛布を伸ばし終えた2人が戻って来ると、アスピスがカバーをかけ終わった枕を手にして、布団の上に枕をのせていく。
これで、完成のようである。
寒い人用にだろう。毛布が数枚予備に置かれていたので、それを脇に詰め置くと、藤製の衝い立てを少し前に出し、女性の着替えの場を作り出す。
そして、衝い立てで気づかなかったが、その後ろに長いテーブルが隠れていることを発見し、それを泉が見えるベランダに続いている窓の前に置くと、3人は満足した顔を浮かべた。
「さてと、これで完了か」
「あのさ、布団が9枚しかないんだけど」
「えっ?」
レフンテの指摘にカロエが慌てて数を数えると、確かに9組しか布団はなかった。
そのため、慌ててカロエが1階へ下りて行く。その後を、レフンテと、遅れてアスピスがついて行く。
「なぁ、エルンスト。布団が9組しかねんだけど」
「あ? マジかよ」
エルンストは顔を歪ませると、急いで2階へ上っていく。そして枚数を数え、部屋の中を見渡すように視線を巡らせ、使い残しの布団がないことを確認すると、溜め息を吐く。
そして、1階に戻ってくると、アイテムボックスを開いて、コテージのレンタル先に布団の件を書いた手紙を出した。
「とにかく、今日はアスピスがフォルトゥーナかアンリールと寝てくれ」
「私はかまわないわよ」
エルンストの台詞へ、フォルトゥーナが即座に応じたが、アスピスが別の人物を指定した。
「だったら、レフンテが良い」
「は?」
「って、なんで俺なんだよ」
「だって、面白い本持っているんだもん。夜も読むんでしょ?」
「そりゃ……。でも」
想定外に指定されてしまい、レフンテが思い切り慌てる。
「あら、レフンテってばモテ期到来かしら」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇよ」
「だって、アスピスに指名されるなんて」
くすくす笑いながら、洗い物が終わって、コーヒーの用意も済んだことで、みんなが集まって来る中、フォルトゥーナが楽し気に呟く。
「頼む。フォルトゥーナが引き取ってくれ」
「分かってるわよ。ただ、アスピスの好奇心がどうなるかよね」
「ていうか、レフンテ、その面白そうな本とかいうの、アスピスに貸してやってくれ」
「え! なんで、そういうことになるんだ?」
「いいじゃないの。他にも本を持って来ているんでしょ」
さすがにエルンストを気の毒に思ったらしいフォルトゥーナが、フォローを入れるようにレフンテに告げていく。
「そりゃ、あるけど。でも、これは」
「じゃあ、アスピスを任せてもいいかしら。バックに怖いお兄さんが付いているけど」
「なんで、俺が……」
レフンテの気持ちは、完全に敗者になってしまったようである。
先ほどから、エルンストの視線も怖かったみたいだ。
そして、渋々とアスピスにアーダの泉の本を渡した。瞬間、アスピスの瞳がキラキラと輝き、嬉しそうに本を抱く。
「血なんて付けるなよ」
「縫ったから大丈夫」
不満を込めて告げたレフンテに、アスピスは満足そうに応じてみせる。そして、早速ソファーに座って本を読み始めてしまった。
「おい、もう寝る時間だぞ」
みんなで2階に移動してからも、アスピスは奥の方から出してきた机の上に本を広げて、アーダの泉に関して載っている本を読み続けていた。
そのせいで、1人着替えるのが遅れてしまったようである。
男性陣もだが、フォルトゥーナやアンリールも寝着になっていた。2人の寝着はアスピス同様に、ネグリジェのようである。男性陣はパジャマが多かった。
アスピスはそれを見て、本を丁寧に閉じると、慌てて衝い立ての後ろへ行き、寝着に着替えると、ワタワタとエルンストのところへ戻って来た。
「あ? どうした」
「入れて」
「は? ちょ、まて」
「気にしない、気にしない」
布団の順番はアンリールに、フォルトゥーナ、レフンテ。その隣がエルンストであった。ちなみにその次はレイスであり、カロエに続き、イヴァール、シエン、カサドールとなっていた。
「もうちょっとずれて!」
アスピスに苦情を述べられ、エルンスト慌てて脇に詰める。すると、アスピスは体をくるんと回して、レフンテに本を返した。
「ありがとう! 明日も貸してね」
「あ、あぁ……」
思わぬ事態に、レフンテも呆然としてしまい、返事が中途半端なものになる。
「それから、今夜も読むの?」
「あー……」
「お前は、もう寝ろ! 十分読んだだろ」
身を乗り出し、レフンテの布団へ入って行きそうな勢いのアスピスを、エルンストは両手で脇を掴み取り、自身の方へと引き寄せる。
「レフンテも気にしなくていいから、寝てくれ。もう、こいつを女と思わねぇでいいから」
「あ? なによ」
「ガキは寝る時間なんだよ。目ぇ瞑れ」
アスピスが何かを言い返そうとしたところで、エルンストは無理矢理手のひらをアスピスの目の前にかざして、目を閉じさせてしまう。そして、片手でアスピスを抱き込むと、アスピスをフォルトゥーナに引き渡すのを諦めたことで、そのまま寝る体制を築き上げていく。それに倣って、アスピスもエルンストの方へ体の向きをくるんと返すと、寝心地のよさそうな配置を探して、改めて目を閉じたのだった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




