第79話(帰宅/休息)
[七十九]
家に着くと、先ずは1階の電機を灯す。
いつもなら、帰宅と同時にお風呂と騒ぐアスピスも、深夜も近づいたこの時間では、眠気が先のようである。それでも、根性のみで、一生懸命に目を開けようとして、アネモスから下りると、ふらふらとお風呂に向かって行く。
「って。今日は諦めろ。明日にしろ、明日に」
「やだ。今、入る」
目を擦りつつも、意地でも入ってやるという心意気は見事であるが、風呂場で絶対に眠りそうな気配が満ち満ちていた。
「とにかく、今日は止めておけ。風呂でおぼれたら大変だろ」
「大丈夫だもん」
アスピスはそう言い切ると、眠い目を擦りながらも、強引に脱衣所に入り込み、鍵を閉めて籠ってしまう。
いざというときのためなのか、脱衣所の鍵や、風呂場の鍵、トイレの鍵は、マイナスのドライバーを使えば簡単に開けられる仕様になっているので、開けようと思えば簡単に開けられるのだが、ここではアスピスの意気込みに免じて、見逃されることになった。
「ったく。ちゃんと出て来いよ」
エルンストは引き止めるのを諦めて、いざというときのために、テーブルで座って待つことにする。その際、お湯を沸かしてコーヒーを作る。このへんはもう、癖である。コーヒーがないと、なんだか寂しいのだ。
そして、コーヒーを飲みつつアスピスが出てくるのを待っていたら、二階からパンツ一枚の格好で、カゴに山盛りの汚れ物と、履き替えようのパンツを手にしたカロエが下りてきた。
「あれ? まだアスピス出てきてねぇの? いつもだったら、出てきているころだぜ」
「もう、そんなに経ってたか?」
2人で慌てて脱衣所へ向かったが、鍵が掛けられていることを思いつく。仕方がないので工具入れからマイナス度ラーバーを取り出して、ドライバーを使って鍵を開けると、中へ入って行き、風呂場を覗くと、髪を洗い終え、お湯を流している状態で完全に意識を失っているアスピスを見つける。
「あー……、やっぱり。だからやめろって言っただろ」
「おい! アスピス。風邪ひくぞ」
「ダメだ。完全に寝てやがる」
これは仕方ないと、とにかくここはアスピスを風呂場から出すことを最優先に、カロエとエルンストが協力して、髪の泡を洗い流し、体に纏わりついている泡も流し終えると、大判のバスタオルで体を包み、髪をタオルで何度も拭って水分をふき取っていたら、レイスが帰宅してきた。
「なにやっているんですか?」
「風呂場で、アスピスが寝ちまいやがって」
「寝てしまったんですか……」
「俺はちゃんと、止めたんだぞ」
「誰も、責めたりしてないじゃないですか。大体想像がつきますし」
言い訳をするエルンストに向け、レイスはそう言うと、アスピスを2階に連れて行くよう、エルンストに指示をする。そして、ベッドに横たわらせるように告げると、木製のハンガーラックの下に備え付けられている引き出しから下着を取り出し、アスピスにパンツを履かせ。それから、エルンストに協力してもらい、キャミソールを着せて、寝着を着せ終えると、ベッドにきちんと寝かせ、毛布を掛けてやる。
髪に関してはこれ以上2人にはどうしようもできなかったので、頭にバスタオルを巻いた状態で、今夜は寝かせることにした。
「レイスが帰って来てくれて助かったぜ」
「なに言っているんですか。あなたの彼女なんですから、本来でしたら、エルンストが全部やってあげるべきなんですからね」
「や。そうかもしれねぇけどさ」
子供相手に恋愛してしまうと、手を出してはダメだという防御本能が働き、却ってやりづらくなるものが存在するらしい。
性格の問題も関わっているのだろうが。
「どうも、そういうの苦手でさ」
「ったく。フォルトゥーナが相手とかならわかりますよ。でも、アスピスの場合、恥じらう以前の問題ですよ。風邪を引かれたりしたら、それこそ大変なんですから」
さすがは、アスピスの下着を購入してくる人間は違うと、エルンストは感心してしまう。そこからして、エルンストにはできない行動なのだ。
「とにかく、恩に着る」
エルンストはそう告げ、1階に到着すると、レイスにコーヒーを入れて差し出した。
朝になり、目を覚ますと、髪にバスタオルが巻かれている状況にアスピスは驚く。当然だが、髪は生乾きである。
アスピスは慌てて髪に櫛を通し、整えると、髪を結界に収める形で右目で結界を作ると髪の余計な水分を飛ばすよう条件を付け、「乾燥」と唱えて、髪を乾かす。
なんとか、変な癖も付くことなく、髪が乾燥できたことにホッとしながら、改めて櫛を通して髪を整え、三つ編みを2つ作り出す。
(それにしても、なんだったんだ?)
風呂上りは、必ず『乾燥』を唱えるので、こんなこと有り得ないはずである。それなのにバスタオルで頭を包まれている状況で寝ていたなんて。と、昨夜のことを振り返りつつ、アスピスはまったくなにも思い出せないことで、長いこと締めっぱなしであった窓を開けて空気を入れ替え、寝着からワンピースに着替えると、アイテムボックスを開き、目に留まった汚れ物の入ったカゴを取り出し、ポストを確認すると、アイレムボックスを閉じて、汚れ物を手にして1階に下りて行く。
「おはよう、レイス」
「アスピス、おはようございます。もっと寝ていて良かったのに、大丈夫ですか?」
「うん。昼寝するかもだけど」
アスピスはレイスへ正直に応じると、洗濯ボックスに汚れ物を入れると、ボックスがいっぱいになってしまったことで、レイスに声を掛ける。
「洗濯ボックス回しちゃって平気? いっぱいなんだ」
「アスピスの汚れ物で最後ですから、大丈夫ですよ」
「うん、わかった」
アスピスはレイスの承諾を得られたことで、『洗浄』のボタンを押して、洗濯物が洗いだされたのを確認すると、その場を離れた。
そして、顔を洗うと、そこにタオルがないことに気が付いて首を傾げる。
(タオルも洗濯物にしちゃったっけ?)
記憶がないが、その場に無いということはそう言うことだろうと、棚からアスピス用のタオルを取り出して、タオル掛けに引っ掛けると顔を拭く。ついでに、他の3人の分のタオルも棚から取り出すと、タオル掛けに掛けておく。
それらを済ませると、レイスの元へ行き、朝食作りの手伝いを開始した。
「おはよう」
「はよー」
お茶をいれる用意ができたところで、揃って下りてくるエルンストとカロエに、アスピスとレイスも挨拶を返す。
「おはよう」
「おはようございます」
そして、2人が席についたところで、アスピスは2人の前にお茶を出した。
その際、エルンストがアスピスの額に触ってきて、更には体調を聞いてきた。
「熱はないようだが、具合が悪いとかないよな?」
「え? べつになにもないよ?」
「ならいいが」
「でもよう。風呂場で寝るのは勘弁な。大騒動だったんだぜ」
エルンストが、アスピスに記憶が無いようだったので、触れずにいた台詞を、カロエは容赦なく発射してしまう。思わず、エルンストとレイスが揃って心の中で『このバカ』と思ってしまったが、口に出されることはしなかったので、カロエに伝わることはしなかった。
「えっ! って、じゃあ、あのバスタオルって、そういうことだったの」
「アスピス、長期の冒険で疲れていた上に、夜遅かったのですから仕方ありませんよ」
アスピスが、頭をフル回転させて昨夜のことを思い出そうとしているのを遮るよう、レイスが声を掛けると、思考を止めさせるために、朝食の準備を手伝ってくれるようお願いする。しかし、アスピス的にはそれどころではなかった。昨日の晩のことは思い出すことはできなかったが、髪があの状態であったということは、アスピスの意識が無かったことを意味しているのではないかということに思い至り、着替えは誰が行ったのかというところへ到達してしまう。
「昨日は、迷惑かけてごめんなさい」
アスピスはそう言うと、真っ赤になって2階に向かってトボトボと歩き始める。走ることができたなら、脱兎しているところであるが、それができないことで、更に落ち込みがひどくなっていく。
「アスピス、気にすることはないですよ。子供ならたまにあることですから」
「っていうか、逃げる必要ねぇだろ」
アスピスが階段に差し掛かる前に、エルンストがアスピスを捕らえると、抱きかかえることで引き止める。
「だから、風呂は止めとけって言ったんだぞ」
「覚えてない」
「そりゃ、意識が半分飛んでたからだろ」
「だって……」
ぐずぐずと言い始めるアスピスを宥めながら、エルンストがあやしている陰で、レイスがカロエの頭に拳骨を落としていた。
さすがにこの時点に来ると、カロエも失言したことに気づいたようで、兄からの拳骨を甘受することにしたらしい。頭を擦りながらも、苦情は言わずに黙っていた。
そして、アスピスが「みんなに裸を見られたー」とぽろぽろ泣き出してしまったことで、みんなで揃って「未だ子供なんだから」と必死に慰め、なんとかアスピスが落ち着くのを待って、ようやく朝食の時間に辿り着くことに成功したのであった。
へこんでいることで、いつもよりも更に食が細くなってしまったアスピスを気にしつつ、自覚しているよりも疲れていることを説明して、食後すぐにエルンストがアスピスをベッドに連れて行く。
そして、そのままベッドに一緒に横になると、アスピスを抱き込んだ状態で、背中を撫でつつ眠るように促してた。
「とにかく、寝ろ。初めての長期の冒険だったからな、疲れてんだよ」
「うん」
言われるままに、エルンストの胸に顔を押し付けるようにして、アスピスは頷くと、瞳を閉じる。それからしばらくすると、安定した寝息が零れだした。
「ったく。安定剤かよ、俺は」
フォルトゥーナに揶揄われた台詞を思い出し、複雑な心境になっていく。とはいえ、この年齢のアスピスに男とみられて恥じらわれても、それはそれで面倒臭そうだと思ってしまう。
そして、しばらくアスピスを抱き込んで、眠らせていたら、レイスが様子を覗きに来た。
状況を見て、敢えて声を出さずに室内に入って来ると、エルンストの胸の中で安定した寝息を立てているアスピスを覗きこむ。
「これなら、大丈夫そうですね」
「あぁ。さっきのもどうせガキの癇癪だろ。一過性のもんだよ」
カロエのときで慣れていると言いたげに、エルンストは苦笑を洩らす。
「当時も、ご迷惑をおかけして。未だに……」
「カロエらしくていいじゃねぇか」
ちょっと考えなしなところはあるが、ルーキスの去ったこの家の中を、常に明るくしてくれてきたのはカロエである。
「まぁ、アスピスも寝ちまったんだ。あとは落ち着くだけだろ」
「ですね。疲れもあったのでしょうし」
レイスはエルンストの台詞に頷くと、現状に問題ないことを確認できたことでホッとしたのだろう。
「それじゃあ、俺は部屋にいますので」
「あぁ、悪いな。すべて任せちまって」
「いえ。大した量じゃありませんし。エルンストの方こそ、アスピスのことよろしくお願いしますね」
レイスはそう言うと、足音を忍ばせて部屋を後にしていった。
「真面目っていうか、不器用だよな、器用そうに見えて。損な奴」
率直なレイスに対する感想を、ぼそりと洩らすエルンストの胸元で、アスピスがもぞりと見動いたことで、エルンストは慌てて口を閉じ、アスピスの背中を撫でることに集中する。
たとえ相手が、カロエだろうとレイスだろうと、こうして手に入れたからには、アスピスを譲るつもりは微塵もなかった。
なにもせずにいるのも退屈な上に、エルンストも長期の冒険で疲れがそれなりに溜まっていた。そのため、1時間もアスピスに付き合っていたら、いつのまにかエルンストも眠ってしまっていて、昼が過ぎ、陽が傾くころに目を覚ます。それでもアスピスは、エルンストの胸に収まったまま、まだ眠り続けていて。ついには夕食の時間になってしまう。
「おい。さすがに、起きろよな。飯の時間だぞ」
ベッドの上に上体を起こしたエルンストが、アスピスも強制的に座らせて起こすのだが、アスピスはふにゃりとその場で崩れてしまう。
「ったく。朝飯だってろくに食ってねぇのに」
どうすんだ。と、アスピスが崩れ落ちないよう胸元に引き寄せて、抱きしめていたら、レイスが声を掛けに来た。
「もう、夕飯の準備ができたのですが」
「あぁ、それなんだが。こいつが全然目を覚まさなくて」
「よほど疲れていたんですね」
冒険中は夢中で乗り切ったが、家に帰って緊張の糸が切れてしまったのだろう。
「無理に起こすのもかわいそうですから、今日はそのまま横にさせてあげておきましょう」
「朝もろくに食ってねぇんだぞ」
「1日抜いたくらいじゃ、なにも変わりませんよ。明日食べてもらいましょう。ケーキも買ってきてますから、お昼のおやつも完璧ですし」
にっこり笑ったレイスに、エルンストはそれならと、アスピスを布団に横にさせると、毛布を掛ける。そして、ベッドから下りようとしたら、アスピスがエルンストのシャツの裾をしっかり握り込んでいるのが判明した。
「また、やられた……」
仕方ないと、エルンストはシャツを脱ぐと、それをそのままアスピスの脇に置く。
「先に行っててくれ。部屋に戻ってシャツを着てくっから」
「分かりました。じゃあ、先に下りてますね」
レイスはそう言うと、アスピスの部屋を共に後にすると、先に階段へ向かって行き、階段を下りて行く。それを見送ると、エルンストは自分の部屋に戻り、ハンガーラックからシャツを1枚取るとそれを被り着て、ボタンを留め。1階へ下りて行く。
そして、3人での食事が開始される。
ルーキスが去り、アスピスが来るまで、何年も3人で過ごしてきたので慣れているはずなのだが、たった数か月で、アスピスがいるのが当たり前の状況になっていたようだ。いつも陽気なカロエも、アスピスの様子を心配しつつ、だんまりと食事を進めていることで、いつもと違って夕食はとても静かに進んでいったのであった。
深夜になって、アスピスはようやく目を覚ます。そして、目を擦ろうと右手を持ち上げたら、エルンストの抜け殻が付いてきた。
「なに、これ?」
記憶的に、今日着ていたエルンストのシャツである。そして、右手はしっかりとその裾を掴んでいた。
「あー……」
またやっちゃったんだ。と、アスピスは思う。そして、エルンストはアスピスからそれを取り上げるよりも、置いて行ってくれる方を選んでくれたようであった。
おもわず、自然と笑みが浮かんで来てしまう。そして、ちょっと嬉しくなって、エルンストのシャツを抱き締める。
そして、ベッドから立ち上がると、ハンガーラックの傍らに並べ置かれた姿見の前に立ち、エルンストのシャツを当ててどのくらい大きいのか調べようとして、コンタクトをつけ忘れていた瞳が赤くなって光っていることに気が付いた。
自分で見るのは初めてで、思わず気持ちが悪いと思ってしまう。
(この瞳のせいで……)
本来、身元など判明されるはずのない経緯で育ってきたはずのアスピスが、キセオーツ王国の棄児であることが分かってしまったのである。
(殺したと思っていたくせに……)
今頃になって、アスピスが八式使いだと知り、欲し始めたというではないか。
シェーンは渡す必要はないと言ってくれているそうだが、イシャラル王国は精霊使いも多く存在し権威ある国として扱われているが、相手となるキセオーツ王国も負けず劣らず強国である。武力的には負け知らずの国なのだ。
アスピスを手元に置いておくためだけに、諍いを起こすようなことはしないはずである。
そう考えると、アスピスの存在は、とても不安定なものに思えた。
「気にするだけ、損だよ」
自分に向けて告げると、アスピスはベッドサイドのテーブルに付いている小さな引き出しから、予備用のコンタクトを取り出し付けてしまう。落としたりしても大丈夫なように、常に大目に貰っているので、余分に使ったところで心配はいらないのだ。
そして、再び姿見の前に再び立つと、エルンストの服を被り着てしまう。
分かっていたことだが、ブカブカであった。身長差も正確には50センチ違うのだ。
ずっと40センチくらいの差だと思い込んでいたのだが、細すぎることで心配したみんなに町の病院へ検診してもらうために連れて行かれ、自分が想定していたより、自分の身長がかなり低いと判明したのだ。体重も低すぎるうえに、栄養失調状態で貧血があるらしいが、現状では大きな問題はないようで、兎に角食べて太れと言われたのを覚えている。
そのため、みんなもアスピスにいかに食事を摂らせるかが、問題となってしまっているらしい。
「にしても、そんなに子供に見えるのかなぁ」
12歳といえば、そろそろレディとして見てもらえるようになる年頃のはずである。それが、アスピスの裸を見た全員が口を揃えて「未だ子供なんだから」と言ってきたのである。躊躇いなく。人の裸を見たことに抵抗感など見せることなく。
つまりは、そういうことなのだと認めざるを得ない事実に直面しつつ、幼く見えるのは、身長が低くて細いせいなのだろうと思うことにする。
「あたしも、あと何年かすると、フォルトゥーナみたいになれるのかなぁ」
実のところ、アスピスの知る女性たちは、みんな、スタイルが良いのである。綺麗な形をした大きすぎも小さすぎもしない胸に、引き締まったウエスト。それに、大きすぎることのない適度なサイズの腰。それらをみんなが持っているのだ。そのため、アスピスにとっての大人のスタイルの基準はそこに定まっていて、大人の女生とはそういうスタイルになれるものだと信じているところがあった。
「さてと、もうひと眠りしておこうかな」
開け放たれていた窓を閉め、カーテンを閉じ、アスピスはエルンストのシャツを纏ったまま布団にもぐると、目を閉じる。それからしばらくはなかなか眠りに降ちれなかったのだが、気づいたらしっかり睡魔に襲われていて、安定した寝息を立て始めていた。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




