第78話(ユークの森へ11/王都へ帰還)
[七十八]
目を覚ますと、アネモスに寄りかかり眠っていたことが分かる。眠りに落ちる前の記憶があやふやではっきりしないが、気にしないでおくことにする。
覚えているのは、フォルトゥーナの使い魔であるレフンテが変わり者の読書好きだということくらいだろうか。機会があれば会ってみたいと思いながら、アスピスは起き上がると、すでに動き始めているレイスや、3番目の見張り役だったエルンストがみんなを起こしに、木の周りを順々に巡り始めた様子を見つめる。そして、エルンストが最後のアスピスの元へ来ると、声を掛けてきた。
「なんだ、もう起きたのか。寝心地は良かっただろ」
「アネモスは気持ちいいから好きだよ」
「おいてやった俺に感謝するんだな」
にやりと笑って悪戯っぽく告げてくるエルンストの台詞で、昨日の記憶が蘇る。
またしても、みんなの前でエルンストに抱えられていたことを思い出してしまい、なんであの場で抵抗しなかったのかを悔やんでしまう。
あの時点で、アスピスは半分睡魔に飲み込まれていたようだ。自覚はなかったのだが。
それをエルンストはしっかり把握していたようである。
「エルンストのバカ!」
「1人でこんなところにいたら、寂しいだろうと思って、みんなのところへ連れていってやったんじゃねぇか」
「方法っていうものがあるでしょうが」
「お前ってば、あのときすでに半分寝ぼけてたんだ、仕方ないだろ」
「そうかもだけど……」
反論できずに唇を軽く尖らせ、なにか言い返す言葉がないかと探していたら、口づけられてしまった。
「そんなことより、レイスの手伝いをするんだろ。さっさと行って来い。終わっちまうぞ」
「分かってるよ!」
絶対に顔が赤くなっていると思いながら、それをエルンストに指摘されるのが嫌で、アスピスはその場で踵を返すと、朝食の準備をしているレイスの方へ寄って行った。
旅の最中は、朝食は、お茶に野菜スープにパンが定番であった、余力があるときなど、他にも増えることがあるが、基本はそんなところである。
ちなみにパンはチーズ入りの丸い大きなパンである。串にさして、焚火で軽く炙るととても美味しいパンでもある。それに、大きいと言っても、それはアスピスの主観で、みんなにひとつずつ配って、それをみんなぺろりと食べてしまうので、実際は大きい訳ではないのかもしれない。しかし、アスピスには大きすぎるので、レイスに頼んで、残さないのを条件に四分の一に切ってもらっている。
スープはできるだけたべなさい。と、みんなより少なめだが、アスピスとしてはかなり多めの量なのだが、いくら頼んでのそれは譲ってもらえないでいた。
そんな事情を含む、パンとスープとお茶と串とスプーンを載せたトレイをそれぞれに配ると、朝食が開始される。
結局、今日はほとんど準備が終わった状態のところへ顔を出したので、配膳を手伝う程度で終わってしまった。目標である、料理を覚えるまでには未だまだかかりそうである。
朝食が済み、後片付けが終わり、みんなそれぞれ寝床を片付けると、帰りの支度が完了する。その中の早く用事が済んだ者が、ピッチャーや洗面器やそれを置く台を片付けたり、焚火の始末をしたり、野営の後始末をするのだが、それは大体、レイスやエルンストが行っていた。
そして、最終日の御者に立候補したカロエの先導で、みんなが馬車に乗ったことを確認すると、馬車は走り出し、赤道へ戻ると、王都に向かって走り出す。
今日も心地よい風が、御者席の方から流れ込んで来て、後ろから流れ出ていく。
四季の変化があまりない土地であるアトラエスタ大陸は、上下共に温暖で晴れた心地のよい日が多かった。そのため、水不足などの解消には精霊使いの力は不可欠であったし、雨の多い土地や寒い土地や暑い土地でしか育たない植物などは、結界棒などで結界を作り条件付けで季節を変えたりして育てていた。しかし、それは精霊術が発達しているイシャラル王国独自の栽培方法で、精霊術があまり発達していない国々では取ることの出来ない方法でもあった。そのため、イシャラル王国の友好国などは色々な交換条件のもと、水不足の解消や、この土地では育たない植物の栽培の協力を得たりしていた。
「ねぇ、昼の休みが終わったら御者席に行きたいんだけど」
カロエが座っている脇の背もたれの位置を握り込みながら、アスピスは後ろにいる大人たちに問いかける。
瞬間、エルンストから拒否する意見が飛び出してきた。
「お前、何度言わせる気だ? アスピスには御者席は早すぎるんだよ。ったく、ルーキスが余計なこと教えるから」
「未だ言うか? あの状態で、馬車の中に押し込んでたら、アスピスが壊れちまいそうだったから助けてやったんだろ」
「こっちだって好きでやってたんじゃねぇんだよ。仕事だからしかたなく耐えていたんだろ」
「はいはい。その話はお終い。大変だったのは分かったけど、いつまでも引きずらないで。それより、アスピス。私も御者席はあなたには未だ早いと思うわ。せめて、イスに座って足がしっかり床について踏ん張れるくらいにならないと危険だもの」
「……」
感情だけのエルンストとは異なり、理由まで添えてダメ出しをしてきたフォルトゥーナのおかげで、アスピスは敗者となる。
そして、すごすごと引き下がるようにして、椅子に腰かけると、しばらくして目の前のテーブルにココアが置かれた。
「これでも飲んで、元気を出しなさい」
「フォルトゥーナ……」
「べつに意地悪で禁止している訳ではないのよ。本当に、いざというときに踏ん張れないと、御者席は危ないの。だからもうちょっと身長が伸びて、足が床に届くようになるまで我慢してちょうだい」
「うん。ありがとう……」
正論を並べられ、言い返すことができず。しかも大好きなココアまで用意しての、フォルトゥーナの説得に、アスピスはあっさり折れる。
「おいしい!」
砂糖とミルクを入れたココアは、甘くてまろやかで、コーヒーとは全然違った美味しさなのである。
べつに家でも飲めないことはないのだが、お茶の時間は基本コーヒーとなっていることで、なんとなくアスピスもそれに倣っているといった感じであった。
ちなみに、カロエもココアが好きなようである。御者席から「オレも飲みたい」と声が上がって来る。
「いくら赤道だからって、カロエにはまだ早いわよ。エルンストやレイスやルーキスくらいうまくならないと、飲み食いしながら御者をやるのは無理だと思うわ」
「そんなことねーけどなぁ」
「そうだったかしら? でも、今日は諦めて。ココアがなくなってしまったし」
「えー。反対する前に、言うのはそっちの方が先だと思うんだけど。オレとしては」
がくりと首をもたげたカロエに、アスピスは再び席を立ち、ココアの入ったコップを持って、カロエの元へ歩いて行く。
「じゃあ、これ分けてあげる。半分だけど残ってるよ」
「おー。アスピスありがとう!」
カロエは嬉しそうにアスピスからカップを受け取ると、一気にココアを飲み干した。
「あー、うめぇ」
「よかったね」
「アスピス、サンキューな」
アスピスにカップを返し、頭を掻い操ると、カロエは再び前を向く。
瞬間、急に馬車が左側に曲がったことで、アスピスが馬車の中で足を滑らせ、テーブルに頭を思い切りぶつけてしまった。
「おい! なにやってんだよ」
「わるかったって。ちょっと人が歩いていて」
「だから、飲み食いしている時も前への注意は怠るなって言っているだろ」
床にへたり込み、テーブルにぶつけた頭を両手で抑え込んでいるアスピスを抱え上げ、転がっているカップを手に取りながら、エルンストはカロエに苦言を呈する。
「アスピス、大丈夫」
「平気……」
「ったく。馬車が動いているときは、動き回るな。アスピスも悪いんだぞ」
「うん」
ズキズキと痛む頭を擦りながら、アスピスは素直に頷いておく。
「あ、フォルトゥーナ。カップ、悪いが」
「はい。拾ってくれてありがとう」
フォルトゥーナはエルンストからカップを受け取ると、簡易ミニキッチンでカップを洗って、布巾で拭くと、棚の中へしまった。
あのスペースは、ほぼフォルトゥーナの領域となっていた。
それを見ながら、痛む頭を擦っていたら、涙目になっていた目端から一粒涙が零れ出てしまった。
「あーったく。どんだけ強くぶつけたんだよ。傷はできてねぇようだけど」
「まぁ、音はすごかったですからね。それなりに強くぶつけていると思いますよ」
呆れたようにアスピスに告げてくるエルンストへ、レイスが申し訳なさそうに口を開いた。
「本当に、すみません。注意力散漫で」
「アスピスごめんなー」
「うん。大丈夫……」
弟の失態に謝罪するレイスに続き、カロエが謝ってくる。それに対して、アスピスは問題ないと応じてみせた。
が、痛いものは痛かった。
「あー、なんかたんこぶができてるかもしんねぇな」
アスピスの手を退けて、頭を擦ってみたエルンストが小さくぼやく。
そして、アスピスを膝の上に乗せ直すと、頭ごと胸の中に抱き込んだ。
昼休憩を入れ、午前中の失態から、午後からレイスと御者を変わることにして、再び馬車を走らせていく。この後は休憩なしで突き進む予定である。
頭痛も収まり、エルンストの傍らで大人しくしているアスピスを気にしつつ、エルンストは黙って正面を見つめていた。
その間、フォルトゥーナは、簡易ミニキッチンでなにかを作っていたらしく、完成するとアスピスの前に、生クリームを添えたパンケーキを出してきた。
飲み物は、オレンジジュースである。
「アスピス、食べられるだけ食べてちょうだい。無理はしなくていいから。昼休憩のとき、ほとんどなにも口にしてなかったでしょ。子供にとって、昼の間食は重要なのよ」
「本当に、食べていいの?」
「もちろんよ。そのために道具を揃えてきたんだもの」
やはり、馬車に備え付けの簡易ミニキッチンと棚は、フォルトゥーナに占拠されているようだ。
しかし、そんなことを気にしていないアスピスは、嬉しそうに瞳を輝かせて、先ほどまで目に涙をためて痛がっていたのが嘘のように、美味しそうにパンケーキを食べ始めた。
「カロエも食べる?」
「あ、昼の休憩のときに沢山つまんだから。腹いっぱいで」
「そう。残念ね。材料が未だいっぱい残っているのに。仕方ないわね、アイテムボックスにしまって、今度の冒険のときにでも、また作りましょ」
「うん。それが良いと思うな」
カロエはにこやかに応じると、片付けを始めたフォルトゥーナの背中を眺め見る。
もしかして、フォルトゥーナも旅先の夕飯に凝りたい方なのだろうか。それをレイスが占拠してしまっているので、その鬱憤を馬車の簡易ミニキッチンで発散しているのだろうか。
カロエはちょっと疑問を抱く。
場合によっては、夕飯の用意をレイスとフォルトゥーナの交代制を提案するべきかもしれないとまで、考えてしまう。
それを見ていたエルンストが、苦笑を浮かべた。
メイプルシロップとバターをたっぷり塗ったパンケーキを満足そうに食べているアスピスの口元を拭いながら、エルンストはカロエに告げる。
「お前、レイスなしの状態で、フォルトゥーナと冒険したことねぇだろ」
「え? あ、うん。たぶん」
「フォルトゥーナも凝る方だが、時間もかかるんだよ。レイスみたいに手早くはいかねぇから、準備は必ずレイスに任せるし、レイスがいない時はパンとスープだけにさせているくらいだ」
「え? そうなの?」
「悪かったわね。料理に時間がかかって。でも、お菓子なら早いんだからね」
「フォルトゥーナ、これとても美味しいよ」
「ありがとう。アスピス。無理はしなくていいから、頑張って食べてね」
「うん」
フォルトゥーナの嬉し気な笑みに誘われるよう、にこにこと笑みを浮かべて、パンケーキの続きを食べ始めたアスピスは、早速生クリームを鼻の頭につけてしまう。それを再びエルンストは拭い取りながら、アスピスがパンケーキを満足げに食べているのをしばし見つめる。
けれども半分も食べ終わるころになると動きが止まってしまい、それをエルンストに押し付けてきた。
「あ? 俺に食べろってか?」
「シュンテーマは食べてくれたよ」
「――ッ」
想定外の人物の名前を急に出されて、エルンストは息を飲む。そして、急に闘志を燃やすようにして、アスピスの残したパンケーキを食べてしまった。
(やっぱり、大親友だ)
エルンストの行動で、アスピスは確信すると、満足げに笑みを零す。と同時に、睡魔が下りてきて目を擦る。
「食事の後は、昼寝の時間かよ」
アスピスの汚れた口元をナプキンで綺麗に拭い取りつつ、エルンストは呆れたように呟く。
「人間の欲求だもの、避けようがないのよ」
「ったく」
フォルトゥーナが揶揄うように告げると、エルンストは軽く舌打つと、アスピスを抱き上げ、膝の上に乗せて、左手で上体を固定すると、肩にアスピスの頭の重心を持って来させる。
そこへ素早く、フォルトゥーナがアスピスに毛布を掛けてあげた。
そしてその日は、アスピスはそのまま寝た状態で、夜まで過ごし。王都に到着したところで、エルンストに起こされる。
(また、眠ってたんだ……)
どうも最近、気が緩んでいるのか、寝ていることが多くなったような気がするアスピスである。
(エルンストの傍がいけないのかなぁ?)
ついつい、甘えてしまうのかもしれない。
そんなことを考えながら、エルンストに抱かれた状態で、馬車を下り、地面に下ろしてもらう。
「ありがとう」
「あぁ、かまわねぇよ。こんくらい」
お礼を言うと、あっさりと返され。レイスと交代するようにして、アイテムボックスを開くと、アネモスと共に中へ入って行き馬車をしまうと、牽引具を外してもらい馬車から解放されたアネモスがエルンストと共に出てくる。
「さて、帰るか」
「俺は、フォルトゥーナを送ってきますので。ちょっと遅くなりますね」
「私は平気よ?」
「黙って送ってもらえ。お前も、自覚ねぇから困るんだよ」
「自覚って? 一応ちゃんと女であることくらい分かっているわよ。でも、チカンが出てきたところで、精霊術があるもの」
「精霊術も不意打ちには弱いだろ。いいから、送ってもらえ。じゃあ、レイス。悪いけど頼んだぞ」
「えぇ。では、家の方はお任せしますね」
レイスはそう告げると、フォルトゥーナを従えフォルトゥーナの家があるアパートへと向かって行く。そして、それをある程度見送ると、ルーキスは「それじゃ、俺もこれで。またな!」と告げて、シェリスとロワの待つ家へまっすぐ向かって行き、エルンストは眠気の取れきっていないアスピスをアネモスに乗せると、眠そうなカロエを従えて帰路についた。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




