第70話(ユークの森へ3/往路2/公認?)
[七十]
宿屋に泊った日は、やはり疲れの取れ方が違っていた。
翌日は、みんな早起きをしたことで、大通りで開かれていた朝市で、手づかみで食べれるものと飲み物を人数分買い、早々に町を出る。
本日の御者はルーキスが受け持ち、御者席で器用に朝食を食べていた。どうやら、そういうことにも慣れているようである。
他のみんなは、イスの間に置いたテーブルに飲み物を置き、朝食を摂っていた。
「ほら、口にソースが付きまくってるぞ」
「え?」
「エルンスト、いちいち途中で手を出さないであげなさいよ、アスピスが食べにくいでしょ。食べ終わったら拭いてあげればいいのよ。アスピスは口が小さいから、どうしても汚れやすいんだから」
口の汚れを親指の腹で拭い取ってくれるエルンストに、アスピスが驚き。声を上げていたら、フォルトゥーナが注意してきた。
しかも、その親指を自分の舌で舐めとるのだから、やめて欲しいと思ってしまう。
(こんなことするの、レイスだけだと思っていたのに)
アスピスの気持ちが完全にエルンストに傾いていることがバレてしまったせいか、エルンストが常よりもアスピスの傍らにいることに執着しているように思えてしまう。しかも、これまでやらなかったようなことまでされてしまってたら、みんなにもバレてしまうではないかと、アスピスはハラハラしてしまう。
出来る限り、みんなにアスピスの気持ちの在りかが知られてしまうのは、避けたかった。
もちろん、その理由のひとつは、恥ずかしいからである。
(エルンストを調子づかせたのは、失敗だよなぁ)
エルンストに限って、アスピスの気持ちを知ったところで、態度に変化が現れるなんてこと思っていなかったから、まさかの想定外となる現状であった。
小説では色々と読んでは来たが、アスピス自身の恋愛経験値はゼロなのである。こういう場合どう対処すればいいのか分からず、本当に困ってしまう。だからと、エルンストにこの場で注意するわけにもいかないことで、アスピスは沈黙を守るのが精一杯であった。
途中野営で一泊し、次の日は夜まで馬車を走らせてコージャの町へ辿り着く。
アネモスにちょっと無理をさせてしまうが、野営をするより、ちょっと無理をしてでも足を延ばす形で町や村へ立ち寄る方が、目的地までの日数が少なく済むとの計算から、今回二度目の宿屋への宿泊となる。
ちなみに、お風呂に入りたいという主張により、前回とは違う宿屋を選び、エルンストとルーキスの交渉により、アネモスも入室許可をもらえ、無事にお風呂のある宿屋に泊ることに成功する。
2人部屋と4人部屋が空いているらしく、女性と男性で分けて泊ることもできたのだが、結局は大部屋の6人部屋を借りることにしたらしい。冒険に慣れてしまっていることで、フォルトゥーナも異論はないらしい。アスピスはまだ経験したことはないのだが、もっとさびれた村などの宿屋は、部屋という概念が存在せず、大きな部屋に大量のベッドが並べられているだけの場合とかもあるとのことだ。そういうときは、赤の他人となる冒険者や旅人と部屋を共有することになるので、それを思えば身内のみで固められた大部屋など、未だ全然いい方だという。
しかも、食堂が付いていないと思っていたら、隣の建物が食堂だと知らされ、夕食と朝食を付けてもらうことにした。
そのため、部屋へ案内してもらうと、アネモスに肉と水を上げて、すぐに食堂へ向かい、夕食を済ませてしまう。それから再び部屋に戻ると、それぞれお風呂に向かうことにした。
「こんな度々お風呂に入れるなんて、貴重よね」
「うん」
フォルトゥーナの台詞に、アスピスは素直に頷く。これで今回二度目のお風呂となるのだ。本来なら目的地まで一度も入れなくても不思議はないというのに。
その分、通行料として、この町に入るために銀貨1枚。出るときに1枚払うことになるのだが。村や小さな町などは通行料を必要としない場所も多いそうだが、結界棒で守られているような大きな町などになると、大抵町そのものが壁に囲まれていて、町への入り口に門番や守衛がいて、町に入る際は身分証明書などが必要となるのだ。その上で、出入りする際に通行料も取られるのである。
結界棒などの管理は王国側が責任をもって行うことになっているので、通行料の使用用途は、壁などの維持費などに当てられているそうだ。
そんな通行料を取られはするが、それでも、やはりお風呂は魅力であった。
「ところで、アスピス」
スタイルの良い身体をタオルで隠すようにして、風呂場へ入って行くフォルトゥーナを追いかけるように、アスピスはタオルを片手にする格好で堂々と入って行く。
「なーに?」
「エルンストに、教えてしまったでしょう? あなたの本命がだれかって」
「え?」
「気を付けなさい。独占欲は強いし、かまいたがりだし、なにより10年も待っていたのだもの。一応忠告はしておくけど、タガが外れてしまうかもしれないから」
イスを引き寄せ、お湯を掛け。その上に腰を落としながらフォルトゥーナは勝手に話を進めてしまう。
「まぁ、未成年の。しかも、成熟しきっていない娘を相手に、馬鹿なことはしないと思うけど」
「フォルトゥーナ?」
「見ていれば分かるわよ、あなたが誰を好きかなんて。10年前から変わらず、たった1人の人しか見ていないんだもの」
フォルトゥーナは体を洗い始めながら、クスリと笑って、腕が止まってしまっているアスピスに視線を向けてくる。
「誤解しているようだけど、私は、あなたが時を止められていた10年もの間、あなたのことだけを思い続けてきたような人を選ぶつもりはないわよ。って、そういう意味では大夫前から両想いなのよね、あなたたち」
「え?」
「好きだった。というより、今も好きなのだと思うわ。彼の傍にいられると、とても幸だと思えるもの。でもね、それは私が勝手に感じているだけで、彼は、本当にただそこにいてくれるだけなの。好きな子の代役を務めてくれている気の毒な少女を、守ってあげなくてはって、彼はそう思って、私を支えてくれるようになったの。そして、私の好きにさせてくれているにすぎないのよ。それが甘やかしてくれているように、他人には見えてしまうかもしれないけれど、アスピスに対するものとは含まれている意味はまったく異なっているのよ」
ゆっくりと語りながら、体を撫でるよう泡立つ石鹸を塗り込みながら、フォルトゥーナは語り続ける。
「彼が見ているのは、常に1人の少女だけよ。10年前から揺らぐことを一切していないわ。だから、私が彼のことをいくら好きになっても、恋愛対象として見てはもらえないの。告白したところで、返って来る答えは決まっているわ」
体を石鹸の泡で覆うよう体を洗い終えると、フォルトゥーナは動きの止まっているアスピスの身体を洗い出す。
「それにね、私は欲張りだから、私を幸せにしてくれる人がいいの。そのためにも、私のことを一番大切に思ってくれる人と一緒になるつもりよ。私以外の人のことしか頭にないような人を選んだりしないわ」
優しく身体を撫でるよう、アスピスの体に石鹸の泡を広げていくフォルトゥーナは、その手の優しさに反するようきっぱりと言い切る。
「だから、心配してくれる必要はないのよ。あなたの思うようにしなさい。なんていっても、10年前、ビオレータ様の元で苦痛で何度も倒れたというのに、自分のものでない痛みに耐えているにもかかわらず、恨むことをせず、生きていてくれる方がいいって、言っていたものね。そんなあなたにかなうはずないもの」
語り掛けながら体を洗ってくれたフォルトゥーナは、アスピスの体にお湯をかけて、泡を流し落としていく。
「髪は、お湯につかってから洗いましょう。先にお湯に入っていてちょうだい。すぐに私も入るから」
「う、うん……」
一方的にフォルトゥーナの話しを聞いた形になってしまったが、結局のところ、アスピスの気持ちはフォルトゥーナにバレバレで、2人の関係に変化があったことを気づかれてしまっているということだけは、なんとなく分かった。
(エルンストが、変わりすぎるから……)
だから悪いんだと、他人のせいにしてしまうアスピスは、お風呂に入り湯につかりながら、真っ赤になっていく。
その脇へフォルトゥーナが入って来た。
「ふふっ。ちょっと難しかったかしら?」
「バレバレなのは、分かった」
「私だけじゃないと思うわよ。あなたのことをずっと待ち続けてきたのは、彼だけじゃないのだし」
追い打ちを掛けるように告げてくるフォルトゥーナに、アスピスは頭に乗せていたタオルで顔を隠してしまう。
「でも、だからこそ。諦めてくれないと思うけど」
「え?」
「だって、10年も待ち続けてきたんですもの、これくらいで諦める位なら、疾うに他に好きな人でも作っているわよ。それができなかったからの10年ですもの、ちょっと2人がうまく行ったからって、観念したりしないわよ」
モテモテね。と、揶揄うように笑うフォルトゥーナは、アスピスがタオルから顔を上げるのを静かに待ってくれる。
「そういうわけで、私とエルンストをくっつけようとか考える必要は一切ないわよ。私にもエルンストにも、その気はまったくないから。だから、安心してエルンストと幸せになってちょうだい。私としても、その方が嬉しいわ。10年前のことになるけど、アスピスがどれくらいエルンストのことを好きだったのかってことくらい、知っているもの」
「年下だったのにぃ。可愛かったのにぃ」
「今は、アスピスより8歳も年上よ。私もこの10年で大人になっちゃったの。ごめんなさいね。でも、その分アスピスを甘やかしてあげられるようになったわ」
くすくすと笑うフォルトゥーナに、アスピスは返す言葉を失って、途方に暮れる。
「いいじゃない。未だ確定させる必要はないのよ。エルンストを振り回した後、他の男性にいくのだってありなのだもの。楽しみなさい」
「フォルトゥーナが大人な発言してる」
「だから、大人になってしまったって言ったじゃない。こう見えて、ちゃんとエルンスト以外との男性と交際したりもしてきたのよ。脈なしの相手ばかり追っていても意味がないって」
「うっ……髪、洗って来る」
「じゃあ、私もそうしようかしら」
逃げるが勝ちと思ったのに、フォルトゥーナが後から付いて来てしまう。
しかし、助かったのは、頭を洗っている間、会話が途切れたことだろうか。
(なんか色々と予定外すぎて、混乱する)
まさか、フォルトゥーナから話が振られてくるとは思っていなかったことで、油断していたところもあった。
(しかし、フォルトゥーナに交際経験があったのは、知らなかったな)
年齢を考えれば、おかしなことではないが。てっきりエルンスト一筋なのだと思っていたのだが、フォルトゥーナなりにいろいろと思い悩んで、この10年を過ごしてきたということなのだろう。
髪に絡む泡をお湯で流し落とし、髪を洗い終わると、雫が落ちまくる髪をタオルでまとめ上げる。
そして、隣で髪を洗っている最中のフォルトゥーナへ「お風呂に入ってくるね」と告げ残して、アスピスは再び湯船に足をいれた。
「アスピス、大丈夫?」
「うーん。へーき」
「じゃ、全然ないわね」
うっかり湯船につかりすぎ、のぼせてしまったアスピスを、フォルトゥーナは精霊術で体についている水分を拭い取ると、なんとかアイテムボックスを開かせ、フォルトゥーナの使用許可をだしてもらい、適当な服に着替えさせる。その後、風呂場の前の長椅子まで運ぶと、そこにアスピスを横たわらせる。そして、男性陣に手紙でも出して迎えにでも来てもらうようかと思っていたところへ、男湯からレイスが姿を現した。
「どうしたんですか?」
「アスピスがのぼせちゃって」
「それじゃあ、なにか冷たい飲み物でも買ってきます」
レイスが慌てて食堂の方へ向かって行こうとするのを、フォルトゥーナは慌てて止める。
「だったら、それは私が買って来るから。悪いけど、アスピスを部屋まで運んであげてくれるかしら? このままってわけにいかないでしょ」
「わかりました。じゃあ、俺はアスピスを部屋の方へ運んでいますね」
「えぇ、お願いするわ。私も冷たい飲み物を買ったら、すぐに戻るから」
フォルトゥーナは運よくレイスを捕まえることができ、助かったと思いながら、食堂へと急いで向かう。
その間に、レイスはアスピスを抱き上げると、自分たちの部屋へと連れて行った。
「アスピス、ちょっと軽すぎますね。なんか、俺でもエルンストのようにアスピスのこと抱いて歩けそうな気がしてきました」
第一感想はそれか? と、元気だったら突っ込んでいるところだが、のぼせたアスピスにはその元気はなく、「うーん」と返事をするのが精一杯であった。
その様子から、想像以上にのぼせているらしいと感じたレイスが、心配そうに腕の中に納まっているアスピスを見下ろした。
「大丈夫ですか?」
「気持ち悪い……」
「どれだけお湯につかってたんですか?」
呆れたように笑うレイスが、自分たちの部屋へ到着すると、器用に腕を動かし扉のノブを回す。
そして、室内に入ると同時に、先にお風呂から上がってきていたエルンストとカロエとルーキスの3人が一斉に視線をレイスへ向けてきた。
「って、それどうしたんだ?」
一番先に反応したのは、エルンストである。慌てて扉の方へと向かって来る。
「湯船につかりすぎて、のぼせてしまったそうです」
「はぁ?」
想定外の台詞を聞いて、エルンストが素っ頓狂な声を上げてしまう。
「とにかく、アスピスのベッドに寝かせてあげないと」
「あ、あぁ……」
レイスはそう告げると、一番窓側のアネモスがベッドの傍らを陣取っているベッドに、アスピスを横たわらせる。
それからさほど間を置かず、フォルトゥーナが部屋へ入って来た。そして、アイテムボックスを開くと、風呂上がりであったことで、みんなも喉が渇いているだろうという配慮の元人数分の冷たいお茶を取り出すと、そのひとつにストローを挿してアスピスの口元へ持っていく。
「少しでもいいから、飲みなさい」
「うん」
言われるままに、口に差し込まれたストローから、ゆっくりとお茶を飲んでいく。
その様子を見守っていたエルンストが、心配そうにアスピスを見下ろしていた。
「なんでのぼせたりしたんだ?」
「気持ちよかったんでしょ、お風呂が。あまり追及ばかりしちゃだめよ」
風呂場での会話は、女同士の秘密のものである。そのため適当に答えつつ、フォルトゥーナは放っておくとなにか言い出しそうなエルンストに釘をさす。
「ちょっと風を当ててあげるわ。その方が冷めやすいでしょうから」
フォルトゥーナはそう告げると、右目を使ってアスピスの周囲に結界を貼ると、そよ風を結界内に起こす。そして、そのまましばらく様子を見ることにした。
「限度ってものを考えろよな」
「分かってるって。迷惑かけてすみませんでした!」
復活した途端、エルンストからのお小言が始まり、アスピスは半ば耳を塞いで、やけ気味に謝罪する。
(こっちには、色々とあったんだからしかたないじゃん)
この鈍感野郎。と心の中で悪態をつきながら、アスピスは、フォルトゥーナが先ほど飲ませてくれたお茶の残りを口にする。
「ったく。心配させるんじゃねぇよ」
「怒ってるだけじゃん」
「心配したから、怒ってんだろ」
口を尖らせ不平を述べると、エルンストがなにを馬鹿なことを言っているんだという口調で、言い返してきた。
「フォルトゥーナにもちゃんと謝れよ。あとレイスにも礼を言っとけ」
「小姑」
「あ?」
思わず、常日頃から心の中で思っていた単語を口にしてしまったことで、エルンストの瞳がすっと細くなるのを感じ取る。
(うわっ。やばい)
怒られる。と、反射的に身構えたアスピスに、エルンストは嘆息してみせた。
「心配して悪いか?」
「悪くないです」
他に返事のしようがなくて、正直に答えると、エルンストが頭をポンと叩いてくる。
「じゃあ、口うるさくせずにいられるよう、心配させるな」
「う……」
それはとても難しいような気がすると思い、返事に詰まっていたら、エルンストから「返事!」とどやされてしまい、アスピスは慌てて「はい!」と返事する。
周囲はそれを生暖かく見守ってくれるだけで、誰も助けてはくれなかった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




