第68話(ユークの森へ1/出発)
[六十八]
出発まで数日は要するだろうと思ったのだが、カロエの体を気遣って1日休養日を与えた次の日には、冒険に出発することになっていた。
カロエ的には翌日でも良かったらしいが、さすがにそれは止めてくれとレイスに止められ、1日だけだが身体を休める日を入れたらしい。
しかし、疲れ知らずの状態であったカロエは、横になんてなってはおらず、庭で鍛錬を始めるなど、兄泣かせなことをやらかしていた。そして、レイスに「これ以上動き回るようなら、今回の冒険は置いていきますからね!」と怒られて、ようやく諦めて部屋で大人しく過ごすことにしたらしい。
ところがいざ、ベッドに横になったら、さすがに疲れが出てきたのだろう。夕食を摂るのも忘れるように、翌日の早朝までぐっすりっと眠り続けたのであった。そのため、もう1日延ばそうかという話しも出たのだが、それは嫌だとカロエが主張したことで、冒険へ出る準備を済ませると、みんなで王都の入り口を出たところへ向かって行く。
そして、いつものようにアネモスに馬車を引いてもらい、アイテムボックスから馬車を出してもらうと、みんなは馬車に乗り込んで、初日はエルンストの御者で、馬車が走り出した。
目的とするラカノンの町は、ウチウークの町まで、下アトラエスタの王国同士を繋いでいる赤いレンガで作られた、きちんと整備されている赤道を通っていき、そこで赤道を外れて1日半くらい馬車を進めたところにあるらしい。
かかる総日数は6日半くらいとのことである。そこへ野営や休憩を入れるので、正確にはもうちょっとかかるそうなのだが。
ただ、赤道沿いにある町や村を利用すれば、ちょっと計算が変わってくるらしいが、その辺のことは、騎士学校にて国内のことを学んだエルンストやレイス。それに、この中で最も多くの冒険をこなしてきたルーキスに任せることにする。
ちなみに、カロエも騎士学校を出ているので、知識はエルンストやレイスと同じくらいあるはずなのだが、年齢によるものなのだろうか。アスピスが目覚めてあの家に住むようになるまで、末っ子としてみんなに甘やかされてきたこともあり、まだちょっと頼りないところがあり、どうしても数には入れないのであった。それを、本人も少しずつ気になり出しているようだった。
とはいえ、本日は、馬車の中央で大の字になって寝ているので、論外なのだが。
「やっぱり、もう1日くらい寝かせるべきだったでしょうか?」
「いいんじゃね。今は赤道を走っているんだ、振動なんて大してねぇし。気持ちよさそうに寝ているんだ。馬車で寝ようと、家で寝ようと、変わりはねぇよ」
レイスがそっと溜め息を洩らす傍らで、おかしそうに笑いながら、ルーキスがきっぱり言い切る。
「その代わり、テーブルが置けないんだけどもね」
「すみません」
「レイスのせいじゃないでしょ。単にど真ん中じゃなくて、もうちょっと隅で寝てくれたら、って話しよ」
フォルトゥーナが、苦笑を交えて呟く。
ただ、あまりに豪快に寝ているので、わざわざ起こしてまで場所を移動させる気にもならないらしい。
「それより、アスピス。御者席に移動しようとするの、やめなさい。危険よ。それに、移動中に移ろうなんて落ちたら大変でしょ」
「えっ……」
退屈だったので、思わず御者席に身を乗り出していたら、フォルトゥーナから注意が飛んできた。
「そもそも。誰よ。アスピスに御者席に座ることを教えたのは」
「ルーキスだよ。こないだのギルドからの依頼んときに教えやがった」
「え? だって。なんか可哀想だったじゃん」
常々いつか文句を言ってやろうと思っていたらしいエルンストが、容赦なく暴露すると、ルーキスが慌てて言い訳をする。
「っていうか、移動中に御者席に移動するような危険なことは教えてないし」
「アスピス、諦めろ。お前にはまだ早い。それに、落っこちて肩を痛めただろ」
「あれは想定外の事態だったからでしょ。それにそのおかげで、っていうのも変だけど、アネモスが怪我しなくて済んだんだよ」
「あぁ、それに関しては偉かった」
素直にそれは認めてくれたようで、体を半分前に突き出していたアスピスの頭を、エルンストは掻い操る。
そのついでに、アスピスを引っ張り出してくれたらいいのに。と、エルンストを見上げてみたが、無視されてしまう。
「いいじゃん、ちょっと乗せてくれるくらい」
「じゃねぇだろ。つーか、まだお前には早いって言ってんだろ。ああいう場面でも踏ん張れるくらいになってから乗れ」
「ケチ」
思わず心の声が音になり漏れ出てしまったら、エルンストに今度は頭をたたかれた。
「痛い……」
アスピスは殴られた頭を擦りつつ、馬車の中へ戻ると、イスに座る。
いっそ、寝ているカロエが羨ましくなってきた。すがすがしいほどに、気持ちよさそうに大の字になって寝ているのだ。
昼の休憩時も、寝ていたので放置していたのだが、起きる様子はなかった。
しかも、だんだん野営の場所を探す時間が近づいてきているのに、目を覚ます気配さえない。
「今夜は、カロエに見張りをすべて任せても平気そうだな」
ぼそりと呟かれたルーキスの台詞に、レイスが真顔で応じてみせる。
「ルーキス、申し訳ないのですが、カロエ1人では見張りは未だ心配な点が……」
「冗談に決まってるだろ。それに、もうちょっと弟を信じてやれよ。少しずつだが成長してるぞ。ちゃんと」
「だといいのですが」
はふりと吐息するレイスは、ちょっと心配性気味の兄である。
――まぁ、カロエが命を助けたようなものだしね。
2人との出会いを思い出しながら、アスピスはこっそりと小さく笑みを零す。
カロエは出会った当初は、随分と偉ぶってませた子であった。あのころは、レイスの方が頼りなく見えていた気がする。
それが、目覚めてみたら、完全に末っ子状態になっていたのだから、時間の経過とは面白いと思う。
(置いてきぼりにされるのは、もう嫌だな)
もし、仮に、また時間を止められるようなことがあったら、その時は素直に受け入れることができるだろうか。ふと、そんなことを考えてしまう。
理由にもよるだろうが、できるなら、これ以上みんなに置いて行かれるのは避けたいと思ってしまう。
そんなことを考えていたら、かなり時間が経過してしまっていたようである。
「アスピス、野営地に着いたぞ。下ろしてやるから、ほら」
手を伸ばして、アスピスを抱き上げようとしているルーキスに、アスピスは素直に応じて抱き上げてもらう。
そして、ルーキスは極力アスピスに振動がいかないようにゆっくりと、踏み台を使用してアスピスを抱いて下りてくれ。下りきると、アスピスを地面に立たせてくれた。
その間も、カロエは爆睡をしていて、結局夕食の準備ができるまでそのままにしておくことになった。
「起こしてくれればよかったのによぉ」
1日完全に眠っていたカロエが、夕食後、コーヒーを飲みながら、みんなに向かって告げてくる。
しかし、みんなは苦笑を浮かべるばかりであった。
あの状態のカロエを起こす勇気のある者は、馬車の中にいなかったのだ。
「おかげで、全然眠くねぇ」
「いいえ。意地でも寝てもらいますからね。明日もまた1日馬車のど真ん中で寝られたりしたら、恥ずかしいですからね。俺が」
レイスはきっぱり言い切ると、カロエを強制的に、レイスが用意した寝床へ連れて行く。
「今日は、あなたの分も俺が見張りをしますから、たっぷり寝てください」
「えー。マジかよ。無理だよ」
「無理でも、寝てもらいますからね」
どうやら、レイス的にかなり恥ずかしかったようである。
「だから、1日延ばしましょうって言ったのに」
「まぁまぁ、どこで寝ても変わらないって。目的地に着くまでに体力を完全に戻してくれれば問題ねぇからさ」
厳しくしつけるレイスに向けて、ルーキスが助けに入る。
(もしかして、カロエを末っ子状態にしたのって、ルーキスかも)
ふと、2人のやり取りを聞いていて、そんなことを思ってしまう。
そして、コーヒーをのんびりと焚火の前で飲んでたら、フォルトゥーナが声を掛けてきた。
「寝床を用意したから、アスピスも寝なさい。そろそろ寝る時間よ」
「え? もう? っていうか、見張り番は?」
「これだけ人数がいるんですもの、心配しないで」
フォルトゥーナはそう告げると、コーヒーの残っているカップをその場に置かせ、アスピスを、すでにアネモスが横になっている場所へ連れて行く。そして、アスピスを横にさせると、上から毛布を掛けてくれた。
「今回は、移動の日数が多いし、ユークの森に入ったら数日は出て来られなくなるから。体力はなるべく温存しないとね」
アスピスの頭を撫でながら、フォルトゥーナは優しく語り掛けてくる。
「わかった。おやすみなさい」
「おやすみなさい、アスピス」
フォルトゥーナはそう告げると、アスピスが目を閉じるのを確認してから、ゆっくりと立ち上がり焚火の前へ戻って行った。
今夜は4人で見張り番を回す気なようである。
流れ込んでくる話の様子から、2人ずつの2交代制にしたようであった。
組み合わせは、エルンストとフォルトゥーナ。レイスとルーキスとしたらしい。
(見張り番は、数少ない、フォルトゥーナがエルンストを独占できる時間だもんね)
いつもアスピスが邪魔をしてしまい、フォルトゥーナに我慢させているのだ。夜の時間くらい、エルンストを返してあげないと。と、アスピスは寝返りを打つようにして、アネモスの胸の辺りに顔を押し付ける。
毛の薄くなっているその場所は、独特の温かさと柔らかさと肌独特の湿り気があり、アネモスの毛に埋もれるようにして寝るのも気持ちがいいが、この感触もアスピスは嫌いではなかった。
(早く寝よう……)
2人を応援しつつ、反面、どうしても受け入れられない部分があることに気づいてしまっているアスピスは、そんな自分が嫌で、見ないのが。聞かないのが。それが一番いいことだと覚えたことで、アスピスは無理矢理に自分を眠りの中に落とし込んでいった。
朝になり、目が覚める。
起きる時間になると、朝食の準備をする音や複数の人が動き回る音が響いて来るなり、誰か彼かが起きるように声を掛けて来るなりるすので、そういうことのない現在はまだ起きるには早いらしい。
なんとなくアネモスから顔を離し、寝返りを打つと、焚火の前にエルンストとフォルトゥーナが並んで座っているのが視界に入ってきてしまった。
寄り添うようにして座り、小声で話すためなのだろうが、顔を近づけて何か話しているらしいことは伝わってくる。けれども、声が小さすぎて、内容までは聞き取れなかった。
(お似合い、ではあるんだよね)
誰に言われるまでもなく、アスピス自身が認めていることである。
現実を認めてしまえばいいだけなのだが、生じる独占欲が邪魔をするのだ。
(みっともないなぁ……)
そんなことを思っていたら、レイスが起き出したようである。2人の傍にレイスが寄っていくのが見えた。その行動に躊躇うような様子はなく、レイス的には2人の関係を深いものとは見ていないようである。
「おはようございます。見張りお疲れさまでした」
鮮明な音で響いて来る、レイスの声。それに対して、エルンストとフォルトゥーナも、普通に応じていた。
「おはよう」
「おはよう。レイス」
挨拶を機に2人は立ち上がると、それぞれに動き出す。
焚火のある場所から少し離れた所に洗面器とピッチャーを台の上に用意しておくのが、このパーティでは野営時の決まり事みたいで、そこへ寄っていくとフォルトゥーナは顔を洗っていた。そして、エルンストはアスピスを起こしに来る気なのだろうか、こちらの方へ歩いてくる。
その途中、カロエに声を掛け、カロエが反応すると、再び歩みをアスピスの方へ進めてきた。
思わず寝た振りをして目を閉じたのだが、エルンストはアスピスのすぐ近くに来ると、しゃがみ込み、軽く頭を掻い操ると「狸寝入りしても無駄だぞ」と小声で囁いてきた。
どうやら、目が覚めたときに寝返りを打ったのがまずかったようである。起きていることが、しっかりバレていたようだ。
「ほら、馬鹿なことしてねぇで起きろ」
「うるさいなぁ。起きてるの分かってるなら、それでいいじゃん」
小声で文句を言い返し、アスピスはむくりと上体を起こす。そして、お決まりの挨拶をエルンストに向け告げてみせる。
「おはよう、エルンスト」
「妬くのは自由だが、誤解はするなよ」
「は?」
挨拶が返ってくるとばかり思っていたら、とんでもないことを言われてしまい、アスピスは虚を衝かれたような声を上げてしまう。
「急に、なに言ってんの?」
「素直じゃねぇお子様に、忠告をしてんだろ。ちゃんと言っとかないと、ろくなこと考えねぇからな」
「べつに、なんも考えたりしてないもん」
ムッときて言い返すと、エルンストがにやりと笑う。
「顔を見れば、そのくらい分かるってぇの。どんだけ、お前のこと見てると思ってんだ?」
「もう起きたから、向こう行ってていいよ」
「ったく。なんで信用しねぇかな」
ぼそりと洩らしたエルンストが、諦めたように立ち上がろうとしたところで、アスピスが小さく呟く。
「信用してるしてないじゃないよ。そういうのとは別なの」
反応するように動きを止めたエルンストは、アスピスの顔を改めるように覗き込む。
「どう別なんだよ?」
「あたしには存在してないけど、みんなには10年って歳月が存在してるんだよ」
不意に真顔を作り出し、言ってはいけないと分かっていながら、我慢できずにアスピスは口にしてしまう。
言ったところで詮無いことだと分かっていつつ。それでも、つい言葉にしてしまったのは、自覚してしまったためかもしれない。
存在していなかった時間に起こっただろう出来事に、嫉妬している自分に。
エルンストとフォルトゥーナが並んでいる姿を見ると、お似合いだと思いつつ。協力して上げなければと思いつつ。アスピスには共有さえすることのできなかった時間が、2人にはあるのだと思うと、羨ましいと思え始めていたのだ。
決して平たんな10年ではなかっただろうことは、分かっている。特にフォルトゥーナには重い責が背負わされたことで、エルンストと出会うまでの数年間はとても辛いものであっただろう。
でも、アスピスには、10年という時間そのものが存在さえしていないことになっているのだ。
存在していれば、どんな形のものであれ、エルンストたちと時を共有することは可能だったというのに。
けれども10年そのものがアスピスには無かっただから、どう足掻いても、誰とも共有することはできないのである。それどころか、置き去りにされてしまったのだ。
「今さらだろ。そんなこと考え出したらきりがねぇんだ。俺たちより10年遅れちまったかもしれねぇけどさ、お前の時間も動き出したんだ。焦らずにこれから体験していけばいいだろ。俺がそれに付き合ってやるって言ってんだから」
「そうだけど」
「俺じゃ不満か?」
「そうじゃないけど」
アスピスには存在していない時間に、エルンストとフォルトゥーナが築いた関係は強固であり、その場にいることの出来なかったアスピスが入る隙などないように思えてしまい、結局は、悔しいのである。
「ごめん。エルンスト。なんでもない」
醜い嫉妬だと、今さらのように自覚して、アスピスは慌てて両手で顔を隠す。
好きだったのは、10年前のアスピスと同じ年であったエルンストのはずだった。なのに、おそらく目の前の10歳も年上になってしまったエルンストに、惹かれ始めてしまっているのだ。
甘やかされ、口説かれ、触れ合っている内に。引き返せない程度に、エルンストが好きになってしまっていたらしい。
これは、気づいてはいけない感情であった。そう思い、後悔をしはじめたアスピスに、エルンストは溜息を小さく零した。
「ったく。ぐちゃぐちゃ考えずに、お前のやりたいようにすればいいんだよ。俺はそれについていくだけなんだからさ」
エルンストは言い切ると、アスピスの頭をゆっくり撫でる。
「おーい。エルンスト、アスピス、朝食ができるぞ」
「悪い。こいつ、怖い夢を見たらしくて。ちょっと先に食っててくれ」
「あ? 大丈夫なのか?」
「少し落ち着かせたら、そっち行くから。心配いらねぇよ」
「分かったー」
声を掛けてきたカロエに、エルンストは適当に応じると、両手で丸まってしまったアスピスを抱え込み、体勢を変え、木に寄りかかるようにして、アスピスを膝の上に乗せてしまう。
「俺たちのために失っちまったお前の10年を、取り戻してはやれねぇけど。やっとお前の時間が動き始めたんだぞ。俺たちはずっとこの時を待ちに待ってたんだ。お前を1人にさせたりなんてしねぇから、安心しろ」
両手で丸まるアスピスを抱きしめつつ、エルンストは愛おしそうにアスピスを見下ろしながら、宥めるようにゆっくり語り続ける。
けれども、それこそが、これ以上エルンストに対する感情を育ててはならないと思ってしまうアスピスを追い詰めていた。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




