第5話(やさしい闖入者)
[五]
帳が下りる静かな夜。
食事が終わり、片付けを終え。食後のお茶を飲んでゆっくりした後、アスピスの膝に半身を載せるようにして寝入ってしまったロワを、ルーキスが背負う形で、ルーキス一家が家を後にし。それに続くよう、女性一人では物騒だからと、礼儀正しいレイスが付き沿う形でフォルトゥーナが帰宅していった。
それを機に解散となり、家に残る3人もお茶の片づけを終わらせると、それぞれの部屋へ戻っていった。
それからしばらく。
(もしかして、盗賊団にいたとき以来かも)
部屋のサイズは六聖人(赤)に用意されたものと比べるとだいぶ狭いが、眠りにつく前は、世話役として、お城に所属のメイドがひとり。起きてからは、メイド役を買って出てくれたフォルトゥーナか、それに代わるメイドがひとり。必ずといっていいほど常に部屋に常駐していた。
それ以前にいた、ビオレータの掘っ立て小屋は二階建てではあるが、ビオレータの趣味の書物や薬草、薬品で溢れかえっていて、部屋数は足りないくらいで、部屋いっぱいにベッドだけを並べる形で、アスピスとフォルトゥーナ、カロエとレイスが共有していた。だけでなく、なにか行動をする時も、誰か彼かが一緒にいて、ひとりで過ごすなんてことがなかった。別に、それが普通で、鬱陶しいとも思わなかったし。
それが、今はひとりきりとなりベッドに横たわっているのである。
静かなわけだと、納得してしまう。
物音を感じ、耳を澄ませば、玄関の開く音がする。
レイスが、フォルトゥーナを送り終えて帰ってきたのだろう。
そんな些細な音さえ拾えてしまうくらい、この家の中には静寂が落ちてきていた。
それが寂しいとは言わないが、慣れない静けさに、ちょっぴり心細くなる。
そして、掛け布団を頭の上から掛けるようにして、ベッドから降りると、カーテンを開き窓を開け、庭の薬草畑を眺め見る。
それだけでなんだか、ホッとした。
「あー。そういえば家の結界棒の確認、してなかったな」
それから、ビオレータのお金に関して、フォルトゥーナに相談しようと思っていたのだが、そんな隙がなかったなぁ。と、なぜかやたらとロワに甘えられ、最後まで解放してもらえなかったことを思い出しながら、次に会うときにでも薬草や薬品や本のことも含めてフォルトゥーナに話してみようと心に決める。
「とにかく、すべては明日改めてだよね」
いくら結界に守られているとは言っても、この時間に庭や玄関周辺をうろつくのは、不審に思われるだろうし。フォルトゥーナは帰ってしまったし。
これではどうしようもないだろう。と、アスピスはそのまま窓を背にする形でしゃがみ込む。
「夕方は恥ずかしいことしちゃったな」
大泣きして。しかも、8歳の男の子に慰められるという体たらく。
「みんな、一生懸命気を使ってくれてるっていうのに」
このままじゃダメだと、アスピスは自分の両頬を両手で挟むようにパンと叩く。
「明日からは、もっと元気にならないと!」
そう思い、敢えて口にすることで、決心を固める。
そして、抱く不安を心の奥底に閉じ込めてしまおうと、必死に明るく言葉を重ねる。
「そうだ! 料理とか教えてもらわないと。ビオレータ様のところで少しは教えてもらったけど、フォルトゥーナの方が全然上手で。脇でちょこっと手伝っただけだったもの」
日常生活において、ほとんどなにも役立たないことを自覚して、ひとつの決意を胸にする。
「それから、馬も欲しいよね」
エルンストが言っていた、魔獣を捕まえ。使い魔契約をして、速足すら危うい自身の足代わりになってもらうんだと、夢を見る。
「家の結界棒の管理も任されたし、意外とやることあるじゃんねぇ」
自分を元気づけようと重ねた言葉が役に立ち、徐々に気持ちが上向いて行く。
そんな中、不意に部屋の扉が静かに開いた。
「だれ?」
ちょっと驚きつつ問い質したアスピスの声に反応するよう、わずかに開いた隙間から中を覗き込んでいたらしい人物が、扉をさらに開くようにして中に入ってくる。
「ベッドにいないと思ったら、そんなところにいたのか」
なにをやっているんだ。と、言外で問うように、エルンストは呆れた面持ちで、窓の下でうずくまるよう座っているアスピスの傍に近寄りながら見下ろしてきた。
「ちょっと風に当たっていただけ」
「明かりも付けずにか?」
「天井の電灯のつけ方わからないし……」
「天井のは、入り口のすぐ脇か、ベッドの枕元上にあるスイッチで電気を付けたり消したりできるようになっている。枕元のヘッドライトは、柄を支える下の台にオンオフのスイッチがついているはずだ」
「そうなんだ」
本当はどうでもいいと思っていたことだったのだが、聞いておく必要もあると思い、エルンストの説明を、半ば聞き流すように耳にしておく。
それはエルンストにも通じていたようで、アスピスの前に屈みこむと、アスピスの顔を覗き込んでくる。
「それで、また泣くわけか?」
「えっ?」
「カロエとレイスは部屋に戻ってしまうと庭が見えないからな、気づかなかったようだが。俺の部屋からは庭が見えるんだ」
残念だったなと言いたげに、エルンストはアスピスの後頭部へ腕を回すと、ゆっくりと自身の胸元へ引き寄せた。
「今後、泣くならここで泣け。ひとりで泣く必要はない」
「子ども扱いされるのが嫌なんだって」
「実際、子供だろ?」
「そーだけど。でも、同い年だったのに。同い年のはずなのに――」
なんでこんなに違ってしまったのか。エルンストの腕の中にすっぽり収まってしまう小さな体が悔しくて、アスピスは唇を噛みしめる。
しかし、エルンストは違うことを考えていたようであった。
「子ども扱いしているつもりはない、っていうか。女を口説くときだって、使う手だぞ」
「は?」
「だから、確かにアスピスは10年前のままで。子供ではあるけどな。俺はそんなお前の生きざまっていうか、馬鹿なくらいお人好しなところに惹かれたっていうか」
言葉を詰まらせ、困ったなといわんばかりのエルンストは、それでも大人なのだろう。途中で打ち切るようなことはせず、アスピスの後頭部を緩く撫でながら、少し間を置いてから、言葉を続けた。
「お前が10年前の俺しか知らないように、俺も10年前のお前しか知らなかったんだ。俺が好きになったのは、そんな10年前のお前なんだから、もっと自信を持て」
言い切ると同時に、エルンストは腕に力を籠め、アスピスの体を更に自身の中に取り込んでしまう。
「俺が裏切ってしまった。俺の人生の責任まで押し付けようとしてしまっていた、アスピスがこんなに小さかったなんて、こうしてお前と再会できるまで、気づくことができなかったんだ」
だからこそ、こうして会うことができて本当によかったと、エルンストは穏やかな口調でアスピスの耳元で静かに囁く。
「さぁ、もう。今日は寝ろ」
「う、うん……」
ゆっくりと解放されていく途中で告げられたエルンストの台詞に、アスピスは照れを覚えながら小さく頷いた。
「あぁ、それから俺がここに来たことはないしょだぞ」
「え? なんで?」
「そりゃ、女性の部屋に男が訪問してきていい時間じゃねーからだろ」
半ばふざけるよう告げるとすぐに、エルンストは立ち上がり窓を閉めてカーテンを閉じると、アスピスの体を抱き起す。
「おやすみ」
アスピスの背をベッドの方へ押しながら、送られてきたエルンストの言葉に後押しされるよう、アスピスはベッドに上がる。
「エルンスト、ありがとう」
掛け布団を直してもらいながら、目の前に立つエルンストに礼を告げると、睡魔が少しずつ近づいてきているような気がしてきた。
「おやすみなさい」
寝る体勢を整え終えたことを知らせるように、エルンストに挨拶を送ると、アスピスは瞳を閉じてしまう。
今なら、眠れる気がしたのだ。
それを察するように、エルンストは足音を忍ばせて部屋を後にすると、静かに音を立てないよう扉を閉めて出て行った。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。